幻想恋歌 4 


「行きましょうか?」
天蓬からその言葉が出た時金蝉は、うんと頷いた。
「行きたい!!」


その日もいつも通り空いた時間に天蓬は観世音の館、金蝉を訪ねていた。
そして、いつもの場所を覗くと金蝉がいた。
最近ずっと庭の端にある四阿にいる金蝉。
そこに行くまでの小道がとても美しい。
どうやら、今日は本を読んでいるらしい。
日によっては、ぼーとしているだけの時もあるのだ。
天蓬が近寄ると、金蝉は顔を上げた。
「こんにちは、金蝉」
「ああ、お前も元気そうだな」
天蓬は金蝉の横に座る。
ふんわりと、そよぐ風が四阿を抜けた。
かすかな風だが、金蝉の長い髪を揺らした。
金蝉は煩わしそうに、髪をかき上げた。白い首が間近で露になる。
それを天蓬は目を細めながら見つめた。
「邪魔なら、結ばないんですか?」
「・・・面倒だ」
「やってくれる人手には事欠かないでしょうに」
「女官達はやるとなると、とことんなんだよ。思いっきり結ったり、飾りを付けたりしたがって鬱陶しい。それに比べれば、このままの方がよほどいい」
「それは、また。災難とでもいいましょうか・・・」
天蓬は気の毒そうな顔をする。
「全く。放っておいて欲しいぞ」
普段、構われるのが嫌いな金蝉はよく逃げ出す。
何でも逃げればいいというものではないが、理不尽なこともあるのだろう。
「外にでも出れば、いいんでしょうけどね」
「外?」
「ええ、そうすれば庭に逃げなくても、外出すればいいだけですから。女官もいませんしね」
「滅多に出ない。出ても、ばばあと一緒だ・・・」
「そうでしょうね」
天蓬には理由がわかる。
けれど、金蝉にはきっとわからない。まだ、保護されるべき子供であるということが。
天上界とはいえ、綺麗なものばかりでは決してない。
その瞳に、まだ淀んだものを見せたくないと思うのだ。
けれど、と思う。
「行きましょうか?」
天蓬は聞いた。


当然ながら、観世音の許可を取った。
案外簡単に認めた。
その理由は「天蓬が一緒なら」というものだった。
一応なりとも、元帥と一緒なのだから、安心できないというのも変なものである。
ただ、「任せたぞ」という軽くかけられた言葉が重かった。
付け加えられた、「苦労するぞ」と笑い混じりの助言の言葉をも頂いた。


「どこに行きましょうか?金蝉」
どこと聞かれても、金蝉はわからなかった。
出歩いた機会が少なすぎて、行きたい場所さえ思いつかないのだ。
「わかんねえ・・・」
「そうですね・・・、じゃあ、この道を歩いて天帝の大宮殿まで行ってみますか」
「ああ、そこなら行ったことがある。ばばあと一緒だったけど・・」
「そうでしょうね。祭典などの時に上の席にいるでしょう?」
「ああ」
「じゃあ、下で見るのも一興でしょう」
「・・・」
「どうしました?」
「だって、何だかその言い方むかつくぞ」
拗ねているのか、上目遣いで天蓬を睨む。
それが天蓬から見ると、とても可愛らしく映る。
だから、にっこり笑って、
「失礼しました。それでは、是非一緒に行って頂けませんか?金蝉」
「・・・行ってやる」
天蓬には、やはりかなわないと金蝉は思った。
この笑顔がくせ者だといつも思う。嫌じゃないけど・・・。
「参りましょう」
天蓬の言葉に金蝉は頷いた。
道すがら、ここは誰の屋敷だと天蓬が説明する。
それに、きょろきょろと頭を巡らして、珍しそうに見ている金蝉。
その様子が可愛くて、天蓬は微笑んだ。


大宮殿、大広場。
通常は余計な者が入れないように、大広場の大門も閉まっている。
そこを、軍人、それも元帥という立場を利用して、横から入れてもらうことになった。
目の前に広がる宮殿前の大広場。
金蝉はじっと見た。
「景色が違う」
素朴な感想だ。
「上から見るのとは違った感じがするでしょう。どっちも知れて、良かったじゃないですか」
「そうだな・・・」
素直に金蝉は頷いた。
今日は、思いの外金蝉が素直な気がする、と天蓬は思う。
金蝉にとっての外界に出たことで、軽い興奮状態になっているのかもしれない。
「今度はどこに行きましょうか?」
天蓬の問いに、金蝉はふと、いい考えが思い浮かんだ。
「お前の住んでるところがいい!」
「え?それは、・・・」
「何だ?ダメなのか?」
途端に金蝉の表情が曇る。
「ダメというか・・・」
天蓬は思いがけない言葉に驚いた。
まさか、そうくるとは思わなかった。
あんな軍人がたくさんいる場所に連れていっていいものか、天蓬は悩む。
それに、まずいだろう、あの狼みたいな群に金蝉は。
羊どころの騒ぎではない・・・。
しかし、せっかく興味を示している金蝉の芽を摘みたくない。
それに自分の住んでいる場所に行ってみたいなど、嬉しいではないか。
とにかく、自分が守ろうと天蓬は誓う。
「ま、いいでしょう。ただ、絶対僕から離れないで下さいよ」
「ああ」
どうしてだろうか?とわかっていない顔だ。
本当に純粋に育てられてきたせいで、世の中のことをわかってない。
自分がどんなに魅力的で、人を惹き付けるかわかっていない。
内心の不安を隠して、
「それでは、参りましょうか」
金蝉を連れて自分が住む軍の庁舎へ向かった。
もともと、道を歩いていても人目を引いていた。
しかし、庁舎の正門を越えたあたりから、様子が変わってきた。
まず、門番。
庁舎に向かう道、廊下、階段。
どこを歩いても、目立っていた。
とても、目立った。目立たない訳がなかった。
そして、視線を集めた。
元帥とはいえ、認識が甘かったようだ。
金蝉の金の髪も紫の瞳も、美しい顔もしなやかな少年の身体も、全てが心奪われる。
自分がはじめて金蝉を見たときの衝撃を考えれば予測が付いはずなのだが、ついつい金蝉が行きたいといえば、叶えてやりたくなってしまう天蓬だった。
全く、色ぼけしている・・・。
廊下を歩いていると、ぽかんと口を開けて見つめる者もあれば、隣にいる天蓬を羨む視線を向ける者もいた。
羨望の眼差しは気持ちいいと言えばいいが、それよりは誰にも見せたくないという独占欲の方が大きかった。
今までこんな気持ちは知らなかった。
天蓬の新たな発見である。
そんな天蓬の気持ちを知らずに金蝉は無邪気なものである。
全然気付かない。
へえぇと、見回しながら天蓬に付いてくる。
天蓬は早く自分の執務室に着くことを願った。


「こんな所で暮らしてるのか?」
金蝉の口から出た言葉だった。
天蓬の執務室に一歩足を踏み入れた瞬間、大量の本に驚いた。
至る所に本が積まれ山ができている。
今にも崩れそうだ。
初めて見る、とんでもない部屋。
金蝉は驚きで瞳を見開きながら部屋を観察する。
「驚きましたか?」
「うん」
金蝉は頷く。
その様子に、天蓬は思う。
お屋敷には、こんな場所はないだろうと。
全ての部屋から、廊下、あらゆる場所を女官が磨き上げているのだから。
この部屋といえば、埃が積もり、いつ掃除したのか定かでない。
それでも、嫌悪感より驚きの方が強いようで、部屋を見回している金蝉に天蓬は安心した。
「お茶でも入れましょう」
そして、簡単にお茶をいれ、青磁色の器を渡した。
「・・・ありがとう」
金蝉が受け取って礼を言う。
座る場所がない程散らかっているので、唯一それでも空いている執務椅子に金蝉を座らせ、自分は机に腰掛けた。
自分の椅子に座る金蝉に、天蓬は不思議な気持ちになる。
まさか、こんな日が来るとは思わなかった。
しかし、似合わない・・・。
この散らかった部屋に清らかな金蝉。
下界に「掃き溜めに鶴」という言葉があるが、それではないのか?と天蓬は思う。
「どうした?」
金蝉が聞く。
天蓬は金蝉をじっと見つめていたらしい。
「いいえ。何でもありませんよ」
天蓬はにっこり笑って誤魔化した。
それに金蝉は、ああん?とあまり納得していないようだ。
そして、視線を外すと部屋をもう一度見回して、
「もっと掃除した方がいいぞ、天蓬」
と言った。
「そうですね」
天蓬としても、わかってはいるのだが、できないのだからしかたない。
だから、返す言葉もない。
もし金蝉が来ることになるとわかっていたら、少しは掃除したかもしれないが、と考えるが、できただろうか?と疑問に思う天蓬であった。
金蝉としては、天蓬の不得意分野、苦手なものを見た気がして、嬉しかった。
なぜなら、金蝉の前ではいつも偉そうにしてるから。
わからないことがないのではないか、と思うほど博識だから。
保護者みたいに振る舞うから。
だから、天蓬にもちゃんとだめな所があると安心したのだ。


そんな気持ちがなぜ起こるのか、金蝉は気付かなかった。
実は、自分の心の中にちゃん天蓬の居場所があるのという事実に気付くのはもっと先の話。


その日かなりご機嫌な様子で帰った金蝉に、(もちろん送った)天蓬は連れ出して良かったと安心した。
金蝉がご機嫌な本当の理由は、天蓬は知らない。






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