自分を呼ぶ声に、少年はゆっくり顔を上げた。 その動作に金の髪が流れて煌めく。 覚えていた美しい顔。でも本物を見てしまうと、記憶が色褪せる。 少年の瞳が天蓬を見て、誰?と口元が動く。 そして、次の瞬間瞳を見開いた。 少年は天蓬を認めたのだ・・・。 それに、嬉しくなる。 「お久しぶりです。今日も逃げて来たんですか?」 「・・・。どうして、逃げてくると、お前に会うんだ?」 すごく不本意そうに言う。 「どうしてでしょうね?」 にこやかに、天蓬は微笑む。 「今日は、観世音に頼まれて、探しに来たんですけどね」 「ああ?ばばあに頼まれた?何で、お前が・・・」 「さあ。どうしてでしょう?」 「そんなこと、俺がわかるわけないだろう。お前こそ、断れば良かったのに」 「断りませんよ。ところで、私の名前はお前じゃないんですが、もう一度自己紹介をしてもよろしいですか?」 少年は、素直に頷いた。 名前を忘れた自分が、悪い。 一方、天蓬は「お前」ではなく、自分の名前を呼んで欲しかったのだ。 「天界西方軍元帥の天蓬と申します。以後お見知りおきを」 「どう、呼べばいい?」 「天蓬で、よろしいですよ。金蝉童子さま」 その言葉に、少年は眉を潜める。 「じゃあ、天蓬。俺も「さま」はいらない」 「それでは、金蝉童子」 それにも、少年は天蓬を睨む。 「長い!!!金蝉で十分だ」 「・・・畏まりました。それでは、金蝉」 天蓬は大切な名前を呼ぶ。 「何だ?」 「そろそろ、お戻りになりませんか?」 「・・・わかった。戻ってやる」 金蝉は立ち上がり、天蓬の横に並んだ。 成長途中の少年の背は天蓬より当然小さくて、天蓬の目線にちょうど届くくらいだ。 だから天蓬を見上げなくてはならない金蝉は、少し嫌そうだ。 「行くぞ」 不機嫌な風でそう言って、歩き出した。 天蓬はその後ろ姿を愛おしそうに見つめていた。 もちろん、金蝉は知らない。 「早かったじゃねえか」 部屋に帰るなり、観世音はそう言った。 いつもどのくらい隠れているのか、疑問に思う天蓬だった。 「ありがとよ、天蓬」 「いえ」 お礼を言われるようなことはしていなかった。これは天蓬が願った中で一番上等な叶い方だった。 「金蝉、お前もいい加減にしておけよ。どんなに逃げても、最後には連れ戻されるんだから」 観世音の言葉に金蝉はぷいっと横を向いた。 「ふん。お前に紹介してやるよ。彼、天蓬がお前のこれからの指南役だ」 「え?」 「ええ?」 二人は観世音を見た。 「天蓬、それが頼みたいこと、だ。どうだ、引き受けてくれないか?」 「それは・・・、」 天蓬は迷う。 申し出はものすごく嬉しいことだ。 こんなことが現実に起こるとは思えなかった。 しかし、なぜ自分に?という疑問も浮かんでくる。 裏でもあるのではないだろうか、と元帥としての立場の天蓬は思う。 そして、本当にいいのだろうか? 観世音は天蓬の迷いを読みとった。 「ああ、本当に全くの私用だ。個人的にお前に頼みたいだけだ」 「なぜですか?」 「簡単さ。じじいにこいつを任せる気がないだけだ。その点、お前は若い。そして、知識が豊富とくれば、言うことないだろう?」 にやにや笑う、観世音。 観世音の言う、じじいとは誰か・・・。 きっと大老達だろう。 「わかりました。引き受けさせて頂きます」 天蓬ははっきり返事を返した。 「ありがとよ」 観世音は満足げに頷いた。 一方、勝手に話が決まってしまって、口を出せなかった金蝉は、怒っていた。 どうして、自分の意志を無視して、決定してしまうのか。 確かに、じじいより、天蓬の方がいいと金蝉も思う。 じじいの小言より、ずっと面白そうだ。 でも、 「俺は嫌だからな!!」 ついついそんな言葉を金蝉は言ってしまう。 きっ、と二人を睨むと金蝉は部屋を出ていってしまった。 残された大人二人は、しょうがないな、と見つめ合う。 「あんな子供だが、頼むわ」 「畏まりました」 天蓬は頷いた。 その日から、時間が空くと観世音の屋敷を訪れるようになった天蓬である。 最初は、部屋にいなかった。 だから、庭に再び探しに出た。 何となくどこにいるか、わかる天蓬だった。 大きな木の木陰だったり、池の淵の茂みであったり、小さな四阿であったりと、その場所を変えた。 天蓬が探し当てて行くと、金蝉は素直に付いて来た。 そして、天界のこと、下界のことなどいろんな話をする。 はじめて聞く話に金蝉も興味を示したようだ。 聞いている最中は楽しそうに、面白そうに瞳を輝かしている。 それならば、逃げなければいいと思うが金蝉は、 「探しに来い」 と言う。 そうでなければ、話も聞かないと。 聞かせたかったら、探しに来い、という。 そして、嫌なら指南役を止めればいいという。 かける言葉は素っ気ない。 けれど、何度目かから、同じ場所にいるようになった。 あまのじゃくな彼が待っている、というのが耐えられないのだろう。 だから、探しに来させる。 でも、ちゃんと見つかるように同じ場所にいるのだ。 なんとも可愛らしい行動に、内心天蓬は楽しかった。 金蝉を毎回探しに行くことも。 一度はそのまま外、四阿で講義となった。 側には大輪の芍薬が咲いていた。 何とも美しい庭である。 毎回感心するほど、花々が咲き乱れている。 百花繚乱という言葉があるが、正しくそれだ。 しかし天蓬にとっては、艶やかな、色鮮やかな、清楚な、どんな花より言葉より雄弁に語る目の前の紫の瞳が一番魅力的で、心奪われる。 庭自体も、高位神がいるせいか、より輝いているように見えた。 「今日は、何について話しましょうか?」 だから、優しい目で金蝉を天蓬は見つめる。 「下界には季節があるんだろう。だったら、植物はどうなるんだ?」 傍らに咲いている花の花弁に触れながら、金蝉は聞いた。 「季節の話は以前しましたよね。季節にあわせて植物は生長します。けれど、ここ天界でも植物は自分の生きる時を知ってる。その点から言えば、下界と同じと言えなくはありません。けれど、下界は場所によって気候が激しく違いますから、分布している植物が違います。寒い場所でしかないもの、育たないもの。暑い場所でしか生息しないもの。天界より多種多様です。植物だけではなく、動物、生命全てが、そう言えるかもしれませんね」 金蝉は天蓬の話に耳をすませる。 天蓬の話は要点をまとめ、わかりやすい。 そして、客観的な視点からと、自分の視点からの考察も発言する。 だから、金蝉は天蓬の話を聞くのは好きだった。 面白くて、楽しい。 だから、本当は指南役を止めて欲しくはなかった。 でも、続けて欲しいとも言えない素直でない金蝉だった。 天蓬はにっこり笑って、許してくれている。 だから、それに甘えているのかもしれない。 誰かに甘えるなんて、なかったかもしれない。 そう思うと、目の前の男はとても貴重だ。 金蝉は自分の発見に小さく笑んだ。 金蝉のわずかな変化にまだ天蓬は気付いていなかった。 |
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