幻想恋歌 3 


自分を呼ぶ声に、少年はゆっくり顔を上げた。
その動作に金の髪が流れて煌めく。
覚えていた美しい顔。でも本物を見てしまうと、記憶が色褪せる。
少年の瞳が天蓬を見て、誰?と口元が動く。
そして、次の瞬間瞳を見開いた。
少年は天蓬を認めたのだ・・・。
それに、嬉しくなる。
「お久しぶりです。今日も逃げて来たんですか?」
「・・・。どうして、逃げてくると、お前に会うんだ?」
すごく不本意そうに言う。
「どうしてでしょうね?」
にこやかに、天蓬は微笑む。
「今日は、観世音に頼まれて、探しに来たんですけどね」
「ああ?ばばあに頼まれた?何で、お前が・・・」
「さあ。どうしてでしょう?」
「そんなこと、俺がわかるわけないだろう。お前こそ、断れば良かったのに」
「断りませんよ。ところで、私の名前はお前じゃないんですが、もう一度自己紹介をしてもよろしいですか?」
少年は、素直に頷いた。
名前を忘れた自分が、悪い。
一方、天蓬は「お前」ではなく、自分の名前を呼んで欲しかったのだ。
「天界西方軍元帥の天蓬と申します。以後お見知りおきを」
「どう、呼べばいい?」
「天蓬で、よろしいですよ。金蝉童子さま」
その言葉に、少年は眉を潜める。
「じゃあ、天蓬。俺も「さま」はいらない」
「それでは、金蝉童子」
それにも、少年は天蓬を睨む。
「長い!!!金蝉で十分だ」
「・・・畏まりました。それでは、金蝉」
天蓬は大切な名前を呼ぶ。
「何だ?」
「そろそろ、お戻りになりませんか?」
「・・・わかった。戻ってやる」
金蝉は立ち上がり、天蓬の横に並んだ。
成長途中の少年の背は天蓬より当然小さくて、天蓬の目線にちょうど届くくらいだ。
だから天蓬を見上げなくてはならない金蝉は、少し嫌そうだ。
「行くぞ」
不機嫌な風でそう言って、歩き出した。
天蓬はその後ろ姿を愛おしそうに見つめていた。
もちろん、金蝉は知らない。


「早かったじゃねえか」
部屋に帰るなり、観世音はそう言った。
いつもどのくらい隠れているのか、疑問に思う天蓬だった。
「ありがとよ、天蓬」
「いえ」
お礼を言われるようなことはしていなかった。これは天蓬が願った中で一番上等な叶い方だった。
「金蝉、お前もいい加減にしておけよ。どんなに逃げても、最後には連れ戻されるんだから」
観世音の言葉に金蝉はぷいっと横を向いた。
「ふん。お前に紹介してやるよ。彼、天蓬がお前のこれからの指南役だ」
「え?」
「ええ?」
二人は観世音を見た。
「天蓬、それが頼みたいこと、だ。どうだ、引き受けてくれないか?」
「それは・・・、」
天蓬は迷う。
申し出はものすごく嬉しいことだ。
こんなことが現実に起こるとは思えなかった。
しかし、なぜ自分に?という疑問も浮かんでくる。
裏でもあるのではないだろうか、と元帥としての立場の天蓬は思う。
そして、本当にいいのだろうか?
観世音は天蓬の迷いを読みとった。
「ああ、本当に全くの私用だ。個人的にお前に頼みたいだけだ」
「なぜですか?」
「簡単さ。じじいにこいつを任せる気がないだけだ。その点、お前は若い。そして、知識が豊富とくれば、言うことないだろう?」
にやにや笑う、観世音。
観世音の言う、じじいとは誰か・・・。
きっと大老達だろう。
「わかりました。引き受けさせて頂きます」
天蓬ははっきり返事を返した。
「ありがとよ」
観世音は満足げに頷いた。
一方、勝手に話が決まってしまって、口を出せなかった金蝉は、怒っていた。
どうして、自分の意志を無視して、決定してしまうのか。
確かに、じじいより、天蓬の方がいいと金蝉も思う。
じじいの小言より、ずっと面白そうだ。
でも、
「俺は嫌だからな!!」
ついついそんな言葉を金蝉は言ってしまう。
きっ、と二人を睨むと金蝉は部屋を出ていってしまった。
残された大人二人は、しょうがないな、と見つめ合う。
「あんな子供だが、頼むわ」
「畏まりました」
天蓬は頷いた。



その日から、時間が空くと観世音の屋敷を訪れるようになった天蓬である。
最初は、部屋にいなかった。
だから、庭に再び探しに出た。
何となくどこにいるか、わかる天蓬だった。
大きな木の木陰だったり、池の淵の茂みであったり、小さな四阿であったりと、その場所を変えた。
天蓬が探し当てて行くと、金蝉は素直に付いて来た。
そして、天界のこと、下界のことなどいろんな話をする。
はじめて聞く話に金蝉も興味を示したようだ。
聞いている最中は楽しそうに、面白そうに瞳を輝かしている。
それならば、逃げなければいいと思うが金蝉は、
「探しに来い」
と言う。
そうでなければ、話も聞かないと。
聞かせたかったら、探しに来い、という。
そして、嫌なら指南役を止めればいいという。
かける言葉は素っ気ない。
けれど、何度目かから、同じ場所にいるようになった。
あまのじゃくな彼が待っている、というのが耐えられないのだろう。
だから、探しに来させる。
でも、ちゃんと見つかるように同じ場所にいるのだ。
なんとも可愛らしい行動に、内心天蓬は楽しかった。
金蝉を毎回探しに行くことも。
一度はそのまま外、四阿で講義となった。
側には大輪の芍薬が咲いていた。
何とも美しい庭である。
毎回感心するほど、花々が咲き乱れている。
百花繚乱という言葉があるが、正しくそれだ。
しかし天蓬にとっては、艶やかな、色鮮やかな、清楚な、どんな花より言葉より雄弁に語る目の前の紫の瞳が一番魅力的で、心奪われる。
庭自体も、高位神がいるせいか、より輝いているように見えた。
「今日は、何について話しましょうか?」
だから、優しい目で金蝉を天蓬は見つめる。
「下界には季節があるんだろう。だったら、植物はどうなるんだ?」
傍らに咲いている花の花弁に触れながら、金蝉は聞いた。
「季節の話は以前しましたよね。季節にあわせて植物は生長します。けれど、ここ天界でも植物は自分の生きる時を知ってる。その点から言えば、下界と同じと言えなくはありません。けれど、下界は場所によって気候が激しく違いますから、分布している植物が違います。寒い場所でしかないもの、育たないもの。暑い場所でしか生息しないもの。天界より多種多様です。植物だけではなく、動物、生命全てが、そう言えるかもしれませんね」
金蝉は天蓬の話に耳をすませる。
天蓬の話は要点をまとめ、わかりやすい。
そして、客観的な視点からと、自分の視点からの考察も発言する。
だから、金蝉は天蓬の話を聞くのは好きだった。
面白くて、楽しい。
だから、本当は指南役を止めて欲しくはなかった。
でも、続けて欲しいとも言えない素直でない金蝉だった。
天蓬はにっこり笑って、許してくれている。
だから、それに甘えているのかもしれない。
誰かに甘えるなんて、なかったかもしれない。
そう思うと、目の前の男はとても貴重だ。
金蝉は自分の発見に小さく笑んだ。


金蝉のわずかな変化にまだ天蓬は気付いていなかった。


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