幻想恋歌 2 


元帥になって執務用の部屋と続きの私室を与えられた。
荷物といえば、本が大量にあるだけで、それ以外は少ないものだった。
ここ天界の本から、下界のあらゆる本を読み、歴史を紐解くことが好きだから、すぐに部屋いっぱいに増えることは間違いなかった。
それも、またいいかな、と天蓬は思う。
執務室の部屋のにある椅子に座り、煙草をくゆらす。
白い煙が天井に登っていくのを、ぼんやりと見ていた。
そう、天蓬はぼんやりとしていた。
いつも本に集中すると、他のものが見えなくなるのだけれど、今回はその本に集中することもできず、端から見たらぼーっとしていた。
本人は、至って普通のつもりである。
しかし、内面は一つの事に捕らわれていた。
先日出会った幻に。
確かに触れたと思ったのに、手の中からこぼれ落ちるように、いや、羽のように浮かんで消えてしまった、存在。
煌めく金色の髪。
澄んだ紫水晶の瞳。
白くて、小さな顔。
艶やかな唇を噛みしめながら、拗ねるように睨む表情。
華奢な、羽のように軽い身体。
どうしたって、消しようがない記憶。
天蓬の心に刻み込まれた、鮮やかな情景。
何をしていても、繰り返し蘇る幻。
ふう・・・。
天蓬は大きく息を吐いた。
もう、迷ういようがなかった。
今まで自分は何かに、特に人に、執着することなどなかった。
けれど・・・。
天蓬が悩んでいる理由。
それは、俗に言う、「恋煩い」というものだった。
人は、それを「一目惚れ」という。


さて、自覚した天蓬がしたことと言えば、情報収集だった。
天界西方軍元帥という肩書きがあるのだから、天蓬は策略家、参謀として秀でていた。
その結果。
やはり、該当者は一人。
金の髪というだけで、天上界でさえ貴重だった。
天蓬も今まで見たことがなかった。
加えて、あの美貌・・・。
ほとんど、館内で過ごし、城内へ出てこない。
彼を見たことがある者は限りなく少なかった。
観世音菩薩の甥にあたり、如来など最上級神にも寵愛を受けていると聞いている。
実物を見た天蓬は納得した。
構いたくなるだろう・・・。彼は。
調査をすればするほど、接点がない。
あの存在を瞳に映すことは、ひょっとして、もうないのだろうか?
天蓬は絶望的になる。
もう一度、逢いたいと思う。
せめて、一目でも見たいのに。
可能性は、観世音菩薩の館に行く時、見かけることがあるか、というくらいだった。
観世音菩薩にも、関わることなど滅多にない。
天蓬は、その名を口にすることがあるのだろうか?と思いながら。
それでも、想いを込めて、

「金蝉童子」

愛しい名前をささやいた。




しばらくは、多忙な日々が続いていた。
就任してから、仕事は山積みだ。
使えない部下などいるか、と思う。
執務室にも本が山となってきた。
そのうち崩れ落ちそうだ。
これはまずい。一度片づけねかればと思うが、整理整頓一般が大の苦手の天蓬は結局そのまま暮らしていた。
机の上にも本が積まれて、書類を書く場所がない。
さて、どうしたものか?と思う。
ひとまず机の上のものだけ退かそうかと思案していると、
「失礼します」
一人の女官が入って来た。
「はい。何でした?」
女官は天蓬の前で一礼する。
「天蓬元帥さま、私は観世音菩薩さまの使いでございます。主より、書状を預かっております。お納め下さいませ」
そう言って書状を差し出した。
天蓬は受け取る。
そして、広げた。
内容と言えば、「明日、来い」としか書いてなかった・・・。
「・・・。返事をしないといけませんね。確かに了承したと、お伝え下さい」
「はい」
女官は微笑むと、また一礼して、退室した。
観世音の理由はさっぱりわからないが、またとない機会だった。
ひょっとしたら、逢えるかもしれない。
遠くにでも、姿を見ることができるかもしれない。
一度、祭典の際に上の席に座っているだろう、と思うことはあった。
けれど、それだけだ。
今度は、例え逢えなくても、近い距離に寄ることができる。
天蓬はしばらくぶりに、幸せな気分になった。


翌日、天蓬は少し緊張した面もちで、観世音菩薩の館を訪れた。
大きな庭。
長い廊下。
続く宮。
女官に案内されながら、天蓬は思う。
この屋敷のどこかに、彼はいるのだ、と。
そう思うとどこか世界が輝いて見えるような気がした。
「失礼します」
招かれた、観世音菩薩の部屋。
天蓬は室内に入った。
目の前の観世音は柔らかな椅子に座って、
「よう」
と言う。
「お久しぶりです。以前挨拶に寄らせて頂いた時以来ですか?」
天蓬は穏やかに返す。
「すまんな、突然」
「いいえ。今日はどのようなご用件で?」
「実はちょっと頼みがあるんだ」
「頼みですか?それは公務ではなくて?」
「ああ、全くの私用ってやつだ」
観世音はどこか面白そうに言う。
「何でしょう?」
ちょっと不審に思いながら天蓬は促す。
そこへ、先ほど案内してくれた女官が「失礼します」と入って来た。
「観世音さま、いらっしゃいませんでした。申し訳ございません」
そして、主である観世音に報告する。
それを聞いた観世音は予測していたのか、落ち着いていた。
天蓬は展開が掴めず、様子を伺う。
「ふん。そうだと思ったよ。待ってろ、と言って素直に部屋に居るわけねえよな」
観世音はそう言うと天蓬を見た。
「天蓬、さっきの「頼み」の前に一つ追加だ。子供を捜して欲しい」
「子供?」
「そう。手間のかかる、子供。ただし、とびっきりの美人だ」
観世音はおもしろそうに、笑った。
「俺の甥に当たる、金蝉童子。目印は、金の髪だ。探してくれるか?」
天蓬は無意識に頷いていた。


「探したら、この部屋まで連れて来て欲しい」との言葉を後ろに聞いて、天蓬は廊下を歩いていた。
この広い屋敷を探す。
ただ、それでも行動できる場所は決まっているらしい。
人が出入りする外壁から近い場所は行けないようになっているらしい。
そうすると・・。
天蓬は先日の庭辺りを探してみることにした。
あの辺りが彼の行動半径だとすると、近くにいるのではないか?
天蓬は金の光を探して、丹念に回る。
木の陰も逃さないように、見回る。
すると、きらりと光が瞬いた。
大きな木の根本。
蹲っている、白い固まり。
天蓬はそっと、近づいた。
そして、

「金蝉童子」

夢に見た愛しい名前を呼んだ。


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