幻想恋歌 1 


「この度、「天界西方軍元帥」を任されることとなりました、天蓬と申します。よろしくお願い申し上げます」
元帥としての地位で初めて許される特権。
各上級神の館に出入りできること。
それまでは、どんなに訪問を請おうとも決して開かれることのなかった扉。
ここ天界でも下界でい言う、完全なる上流社会と同じだ。
上級神が濁った空気の中でのさばっている。
天上界でさえ、天帝が住む大宮殿、上級神が住まう館のある城内、そして、城外に一般の者が住む、という世界である。
天蓬に言わせると、下らない。
もちろん、何故天帝が、上級神が存在するのかは彼もわかっていた。
その存在ごと天上界には必要なのだ。
では、天蓬がなぜ、地位を望んだのか、それはこれから答えを見つけなければならなかった。自分の中にある、疑問。
だから、ここに立っていた。
「まあ、これからよろしくな。適当にやればいいんだよ」
目の前の神はざっくばらんにそんなことを言う。
この世界で珍しく口が悪い。ついでに、性格もおかしい。
天蓬は深くお辞儀をすると、退室した。
天蓬が挨拶した時、なんとなく微笑まれたのは気のせいだったろうか?


上級神が住まう館は広い。
長い廊下と繋がる宮が続く。
さすがに迷いそうだな、と天蓬は思った。
廊下から見える大きな庭には色とりどりの花や木々が茂っていた。
ここは常春。
下界とは違い季節を感じない。
それでも、木々や花々は自分が咲き誇る時期を知っているようで、ちゃんと各々の季節に咲く。今は、これから雨が多くなる季節。
緑は色濃く輝き、花は茎を伸ばしている。
そんな中に、金色の光を見た。
金色?それは何だ?という疑問が沸き上がり天蓬は廊下から出て庭を歩いた。
茂みに見つけた者は・・・。


金色の輝く髪に紫の瞳。
作り物めいた、白い花のかんばせ。
とても、とても繊細な美貌。
人目で虜にならざるを得ない存在。
天蓬の立てたわずかな音でその存在は振り向き天蓬を見た。
人形かと思うほど、整った作り物めいた容貌が動く。
「誰だ?」
人形がしゃべった・・・と、ばかなことを天蓬は思う。
「天蓬と申します」
天蓬は迷わず答えた。
あまりの美しさに男か女か迷ったが、声から少年のものだとわかった。
どちらでもいいと思わせるほど、心地よく柔らかな少年特有の声。
ここで誰だ?と聞くということはここに住んでいる人物だろう。
この美貌、存在感どう考えても、上級神・・・。そしてこの年齢で、観世音菩薩の館にいるということは・・・、天蓬の出した答えは一つだった。

金蝉童子・・・。

めったに外に出ないので、金蝉童子の姿を見る物は少ない。
観世音の館の一角に住んでいるらしい、という知識があるだけである。
館はとても広くて、大きな庭もある。
たいていのことが館内ですむ。城内にもあまり出ないのに城外など出るわけはなく、天上界の人々も見たことがある者はめったになかった。
せいぜい、大きな行事の時に上の席にいることがわかる程度である。
だからその容貌など天蓬はさっぱり知らなかった。
警戒心いっぱいの瞳で少年は天蓬を見た。
突然現れた見たこともない軍人。
それは無理もないことだった。
「どうしましたか?」
天蓬は優しく声をかけた。
よく見れば身に纏っている衣装が乱れている。裾の部分の薄い布が近くの枝に引っかかり、破れかけているようだ。
そして、裸足・・・。
あまりの美貌に今までそんなことも気付かなかった天蓬だった。
「・・・」
じろりと少年は睨む。
「見せて下さい」
そう言って、絡まり破れている薄物を枝から外そうとする。
警戒しているのか、天蓬のすることをじっと観察してる少年。
「これは、ちょっと複雑で面倒ですね」
天蓬は腰に下げた長剣を引き抜くと、え?と驚いた少年に安心させるように微笑みながら、剣をふるった。
ぽとり、と枝が落ちる。
「これで、大丈夫ですね」
天蓬は簡単に枝から薄物を外した。
天蓬を無言で見上げる少年。
「ところで、逃げて来たんですか?」
天蓬の言葉に少年は驚いて瞳を見開いた。その瞳はとても綺麗な紫水晶。
うんと、頷く少年。
「ばばあが、こんなもの着せるから・・・」
悔しそうに顔をゆがめる。
顔に似合わず、口が悪い。言葉使いも。
そんな口調が可愛らしくて、天蓬は穏やかに微笑んだ。
「何で笑う?」
不本意な顔で少年は天蓬を責めた。
「ああ、失礼しました。ばばあって誰なのかなと思いまして」
「ばばあは、ばばあだ。あの男女!!!」
少年はご立腹と顔に書いて、叫ぶ。
確かに少年の纏う衣装は女性物に見える。
とてもよく似合っていたが、それは口にしなかった。
「誰か来たみたいだったから、隙を見て逃げ出して来た・・・」
「そうですか」
それは自分のことですね、と天蓬は思う。
自分が挨拶に来るまで観世音に遊ばれていたことになる。
本人にとっては嫌だろうが、遊びたくなる気持ちもわかってしまう天蓬だった。
さぞかし、飾り立て甲斐があるだろう。
背中を覆う金の長い髪が揺れるときらりと光る様は見事しか言いようがない。
髪を編まれた部分に、結ばれた白い飾り紐。紐の先には瑠璃色の宝石が下がっている。
「ところで、裸足ですけど、怪我とかしてないですか?」
ああ、と少年は衣装の裾を引っ張って、自分の足下を見る。
白くて細い脚。
華奢な脚に思わず手を触れてみたくなる。
天蓬はちょっと罪悪感に駆られた。
「大丈夫だ」
「それは、良かった」
天蓬は自分の迷いを隠すように、微笑んだ。
綺麗な脚に傷が付くのは許せなかった。
そこへ、ぽとりと雨の粒が落ちた。
二人の間にも落ちる滴。
一瞬見つめ合う無言の二人。
少年の薄い衣装にも雨のしみができる。
「雨が降ってきましたね」
天蓬は空を見上げた。
黒い雲が見えて、雨は強くなりそうな気配だ。
そして、
「失礼」
天蓬は徐に、少年を抱き上げた。
羽のような軽さだ。
「な、何する・・・!降ろせ!」
少年はあわててわめく。
「貴方裸足じゃないですか!雨が強くなってきますから、館まで送りますよ。どこまで行けばいいですか?」
天蓬に降ろす気がないことがわかると、
「そこの、屋根のある廊下でいい・・・」
と言った。
むっつりとした顔は羞恥のため耳が赤くなっていた。
「走りますよ」
そして、抱きしめる腕に力を込めた。
少年も素直に身を預けた。
それが、心地よくて、天蓬は嬉しくなる。
駆け込んだ長い廊下に、そっと少年を降ろした。
少年は天蓬の肩に手を置き、ふんわりと地に足を降ろす。
その拍子に薄い衣装がひらりと揺れる。
なんだか体重を感じさせないな、と天蓬は思う。
少年は一瞬迷うような瞳で下を見ていたが、顔を上げて天蓬を見つめると、
「あ、ありがとう」
そう早口で言うと、くるりと反転して廊下を走っていってしまった。
残された天蓬は何もいうことができないで、ただただ後ろ姿を見送った。
名前も訪ねることができなかったというのに・・・。
手の中にあった羽のような存在感。
確かにあったはずなのに。
まるで、幻を抱きしめたようだ・・・。
天蓬は己の手を見つめ、軽くため息を付いた。


そこに幻を見た気がした。



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