5月の連休を終えると、清々しい風が吹く。 空は青く澄み渡り、雲はどこまでも白くたなびいている。そんな鮮やかな空気だというのに、学生の本分は学業だと思わせることが一つ。そう、学力テストだ。 中間テストにはまだ、早い。あれは、6月初めだ。 けれど、学校とはなんとテストが多いのだろう。うんざりしたくなるが、それが本分であるので、逆らうこともできない。 享受して、勉学に勤しもう。 「さすがですね、三蔵」 「こんなもんだろ」 職員室前の掲示板。そこには学力テストの結果が張り出されていた。その前には生徒が集まっている。 3学年同時に張り出されているため、学年は入り乱れている。気になる人間、主に常連の者や今回が初めてで何でも知りたく見たい1年生、自分とは縁がないとあきらめて興味のない人間、大抵2、3年、いろいろだ。 張り出された内容は各教科50位までと総合50位。 人口密度が高い場所より一歩離れた所に二人は居た。例え離れた場所にいようとも結果ははっきりとわかるからだ。なぜなら、一番上に三蔵の名前が載っていたから。下位を引き離し総合1位に堂々と輝く名前。各教科もほぼ1、2位にその名はあった。 隣の八戒も総合7位。彼の1位の教科は現代国語。 「お前だって、7位じゃねえか………」 三蔵はちらりと自分より若干上にある緑の瞳を見た。何か言いたげに……。 「どうしました?三蔵」 八戒は?と顔に疑問府を浮かべて三蔵を見つめる。 「何で現代国語で100点なんて取れるんだ?」 八戒の名前の下には100点の文字が堂々と書かれている。答えのはっきりしないというか、絶対がない教科だけに満点なんて取りようがない、取りにくい教科だ。 「………三蔵は、現代国語苦手ですか?」 「ああ………」 三蔵は嫌そうに顔をゆがめた。1位の八戒から随分下方、23位に三蔵の名前がある。他教科が1、2位なだけそれは目立った。 「文章、読みとり問題だけ、苦手だ。それ以外はいいんだけどな」 「読み取り問題、配点高いですからね。だからですか、この点数は」 テストにもよるが、読み取りは2、3問あって10点配点くらいとすると80点という三蔵の得点は納得がいく。 「問題制作者の意図を汲めば、結構簡単だと思うんですけど?」 「どこが簡単だ?模範回答見る度に、俺とは思考回路が違うと思うぞ」 「なるほど………、つまり問題制作者と相容れない訳ですね」 「何でこんな考えになる?って言いたいことが多いな」 八戒はにっこりと微笑んだ。 「何だ?」 八戒の微笑みに不機嫌そうに三蔵が聞く。 「ああ、すみません。きっと三蔵は素直なんですよ」 「はあ?どうしてそうなる?」 八戒の思考に三蔵は呆れる。 八戒は思う。 三蔵は自分の思ったままに答えている。それは一見とても普通のことだ。けれど、もし確固たる信念があたら?他者と比較にならない輝きをもっていたら? 自分の中の絶対の領分。心がどんなに豊かであっても、制作者の意図と外れていたらそれは不正解だ。そこに、例えどんな真理を新たに見つけても。 「僕がなぜ満点を取れるかと聞かれれば、満点になるように書いているからですよ。問題制作者が喜ぶ回答をしているんです。わかりますか?例え自分の考えと違っても、それが正解だと感じる答えを書くんです」 微笑んでいるのに、どこか入り込めない笑顔の八戒だ。底が浅い、と例え思っても書かない。高得点を取るためのテクニック。もっとも、誰にでもできるテクニックではないのだけれど。 「三蔵は自分が違うと思う答えを書けないでしょう?」 「………」 「だから、数学みたいなシンプルなものが好きなんですか?」 「よくわかったな」 「もちろんです」 ちなみに、数学は100点の三蔵だった。答えが一つ。それ以外ないもの。導く数式が一つ。まるで三蔵が歩もうとしている道そのもののようだ。 「大体、何で小川は「さらさら」流れるんだよ?どうやって流れようがいいじゃねえか。じゃぶじゃぶでも、どんぶらこでも、だらだらでもちょろちょろでも!!!慣用句ってのを知ることもわかるが、そうやって言葉を押しつけるから、画一的な人間になるんだよ。現代の国語教育は間違っている」 話題が反れている。 どうも、国語には思うところがあるらしい。 「確かに、おかしいと僕も思いますよ。感じ方なんて人それぞれなんですから、小説読ませてこういう風に読みとれなんて、押しつけです。小学生の授業じゃないんですから。小学生だったら、そりゃ基礎でしょうけどね。その後は個人の感性ですよ。ちなみにスイミーは最後に勇気と団結を読みとらせるように教本、指導要領に載ってるんですよ、知ってました?」 まともな事を八戒は言うが、感性がと言いながら100点を取るのだから嫌味に映ることも、なくはない。いや、かなり嫌味だ。 「スイミーって、あのスイミーか?」 「そうです、レオ・レオニのスイミーです。目になったスイミーです」 「何で、指導要領の内容まで知っている?」 「僕の姉、小学校の教師なんですよ」 八戒は微笑む。 三蔵はああ、と納得した。二人の会話は果てしなく次元が高い。周りの人間を飛び抜けて行く。二人とも全く気にしていないが、完璧に目立っていた。 掲示板から少し離れていようが、総合1位と7位の人間が立っているのだから。その上、二人とも容姿がこれまた完全独走1位と総合20位以内確実では目立たないわけがなかった。二人の会話が気になってもしかたなかった。聞こえてきた会話は、理解しがたい事であったが………。 「三蔵、それくらいにしとけ」 三蔵の随分頭上から低い声がした。 聞き覚えのある声に三蔵は振り向きその巨体を見上げた。 「あんたか、朱泱」 紺色のネクタイから2年生であるとわかる。190近い背に筋肉に覆われた身体。そして精悍な顔立ち。八戒も数度見かけたことのある上級生だ。 進学校であるというのに、この学校はバスケットが強い。その部の主将であり、運動部長でもある彼は有名人であった。全校生徒の前で以前、生徒会やら紹介された時彼を認識した1年生も多いだろう。 もっとも八戒にとっては三蔵と親しいらしいという認識が高かった。 「もう少し控えめにしとけ」 朱泱は苦笑しながら、三蔵の頭に手を乗せてくしゃりと撫でた。 「何がだ?」 わかってない三蔵は朱泱の瞳を真っ直ぐ見た。 「………。お前、目立ってるだろ。これ以上注目浴びてどうする」 「1位の人間が珍しいんだろ、放っとけ」 違う。激しく、間違っている。認識の差だ。 三蔵が視線の的になるのは、何も頭がいいからではない。その極上の容姿と存在感からなのだ。そんなことは誰でもわかるというのに、本人だけが気づいていない。 どうして、こんなに自分の容姿に無頓着なのだろうか? 昔から、変わらない。 やはり毎日鏡で自分の顔を見ていては慣れてしまうのだろうか?美醜観とは相対的なものだ。この顔が基準ではなあ、と朱泱は内心ため息を付いた。 しかし、このままというのも困ったことだ。 ここはこれでも男子校。 ついでに三蔵の容姿はそんじょそこらのアイドルなど太刀打ちできないほどだ。綺麗で強い紫の瞳で見つめられれば、単純な男子校生はくらりとくるだろう。運動部長をしている朱泱は学校内の噂や風紀に対して詳しかった。その情報からしても、三蔵はかなり注目されていた。お願いだからその優秀な頭脳に少しでいいから客観的に自分を見ることを認識させて欲しいと朱泱は思う。 「相変わらず鈍感だよな、三蔵」 朱泱は大げさに嘆いて見せた。 「どこが、鈍感だ!」 向きになって反論する三蔵。心を許した相手でないとこんな反応は返さない。 「全部だよ、全部」 優しげに笑いながら、 「いいから、気にしておけよ。何でもいいから、お前は目立つってことを理解しておけ」 そう言いながら、じゃあなと手を振って去った。 隣で二人の会話を黙って聞いていた八戒は一応ぺこりとお辞儀をした。上級生なのだから、当然の挨拶だ。 「全く、あいつは……… 三蔵はぶつぶつ文句を言う。 「昔からの知り合いなんですか?」 八戒は気になっていた疑問をぶつけてみた。 「ああ、朱泱か?結構昔からだな、小学生の頃からか………」 三蔵は昔を思い出すように遠くを見つめた。懐かしそうに、薄く笑う。 その表情にどこか感情が落ち着かない八戒だった。八戒の知らない三蔵の過去を見たからだろうか?八戒は思った。 なんというか、それは反則。 八戒は思う。 5月も半ばとなれば、体育も当然半袖となる。今までは学校指定の紺色のトレーニングウエアだったけれど、さすがに長袖は暑くなり半袖の白いウエアに紺色の半ズボン。とても普通のことだ。 なのに。 なんだか、目のやり場に困るような、もっと見たいようなそんな気分にさせられる。 きっと自分だけではない。授業を受けている生徒と、たまたま通りがかった人間、窓から見てしまった人間全てが釘付けである。見てしまったら、視線を外せない。困ったな……と青く澄んだ空を見上げる。 こんなに空は綺麗なのに、自分の心はどこか邪な気がしてならない……。八戒は大きくため息を付いた。 「八戒?」 なのに、その元凶である人物は八戒に無邪気に声をかけた。 「はい、何ですか?」 それでも、表面は微笑みながら八戒は答えを返す。 「準備体操だぞ?」 「ああ、一緒にやりましょうね」 良かった、と笑顔が言う。ここで笑顔ってのも反則ですね、と思う。 彼は人に触れられるのが苦手なようで、準備体操のような人と触れ合わなければならない時は嫌そうだ。だから絶対八戒と一緒に行動する。それだけ、友達だと思って信頼していてくれるのだろうとわかる。嬉しいことだ。が、問題はそんなことではなかった。 目の前に立つ、三蔵。 太陽の光に照らされて、きらりと光る金髪。 生き生きと動く紫の瞳。 小さくて白い顔に唇の紅が映える。 爽やかな風が彼の柔らかそうな髪を揺らす。 それはいつも見慣れた風景。 けれど、半袖の白いウエアから覗く白くて細い腕。露になった、脚。 薄着になったせいで、華奢な身体が際だってしまう。まだ成長途中の少年の微妙な身体は、瑞々しさと危うさとを備えて惹き付ける。 ………。 八戒としては、秋になるまでこれでは目の毒だと思わずにはいられなかった。だからと言って、他人に三蔵と組ませる気も更々ない。朱泱の言葉が蘇る。 「控えめにしておけ」 「これ以上注目を浴びてどうする」 「鈍感」 「全部だ、全部」 「いいから、気にしておけよ。何でもいいから、お前は目立つってことを理解しておけ」 そう言いたくなる気持ちが手に取るようにわかってしまった。けれど、三蔵に理解させることもまた難しい。さらに、例え本人が理解しようとこの存在感は変わりようがないのだ。目立たない訳がない。控えめにしても目立つだろう。どこにいても、その存在を意識せずにはいられない。これはどうしようもないことだ。 八戒は思う。三蔵は変わらない。 準備体操をそつなく終えると、バスケットが始まる。4月末から始まったバスケットの授業。最初はルールの確認と基礎練習だったが、中学でも当然経験しているということで、ゲーム中心に授業は進むことになった。部活などの経験者がリードするので、1チームに何人も経験者が固まらないように配慮してチームを作る。三蔵と八戒は同じチームになった。 リーグ形式でゲームが行われ、優勝チームメンバーはその後に予定されている水泳のためのプール掃除免除が約束されていた。 プール掃除は1年生の仕事と決まっているから、これで免除になれば3年間やらなくても済むのだ。それも、掃除する日は土曜日の午後となっているから、貴重な時間を割くことになる。当然だが、皆やる気である。 もちろん二人とも、プール掃除などしたくないので闘争意識が燃えていた。その闘志に火を注ぐ試合開始のホイッスルが鳴った。 警戒に走り抜け、俊敏に動く三蔵。 リズムカルにドリブルを続けて、パス。あっという間にゴール下に入り込み、パスを受け取る。柔軟な身体は綺麗にそらされて、ボールをゴールに入れる。 その瞬間はやけにゆっくりと見えた。 ピピーというゴールの笛の音。 歓声。 窓からふわりと入ってくる風に八戒の前髪が揺れる。 同じように斜め前にある金色の髪をさらりと揺らしている様をぼんやりと見ながら、八戒は先ほどのバスケットの時間を思い出していた。 現在は授業中だ。教師が黒板にチョークでカツカツと板書する音が教室に響く。黒板には数式が並び、下方に長く式が連なり答えがあった。数学の時間である。 壮年の教師は説明を加えながら数式を解いて見せ、例題を3、4人の生徒に当てた。順番に一列ごと当たるため(ほぼ決まっている)、皆予想済みである。当然のように席を立って教壇に登り問題を解く。その中に三蔵も入っっていた。すらすらとよどみなく数式を書く。答えを書き込むと、カツンと音を立ててチョークを置いた。 パンパンと手を払い振り返った姿は窓から差し込む正午の光に照らされてとても神秘的だ。光は埃までも映しているほど繊細に反射する。それに汗を光らせながら動いていた三蔵を思い浮かべる。 どうしたって先ほどの体育の時間が頭から離れない。 三蔵の白くて華奢な身体が、軽やかに動く。 髪をかき上げ汗を払う仕草。 白くて細くい指が描く軌跡。 もちろん今日の試合は勝った。その時の満足そうな笑顔が溜まらなく可愛かった。きっと、そう思ったのは自分だけではない。あの場にいた全ての人間が綺麗な三蔵を記憶に刻み込んでいるに違いない。三蔵ほど魅力的な人間が人目を集めてしまうのも、魅了してしまうのもしかたのないことだとわかっているのに、なぜだか気分が悪くなる。 焦燥感? 独占欲? 大切な友達だから。 友達にこんな感情を向けることが悪いことだとか、おかしいとは思わない。そう思うのに、どこか自分で違和感がある。 何なんだろう。八戒は思う。 「八戒?」 自分を呼ぶ声に驚いて顔を上げる。目の前には三蔵が立っていた。 いつの間にか授業は終わっていたらしい……。思考の波に浚われて、気付かないなんて自分で信じられない。 「すみません、ぼーとしてました」 「そうみたいだな、何度か呼んだのに気付かなかったぞ」 三蔵はどうかしたのか?と心配そうに見ている。 「いい陽気だからでしょうか?何だか勝手に意識がどこかに行ってたみたいです」 「お前でもそんなことあるんのか?」 「ありますよ」 八戒はにっこりと微笑んだ。 へえと不思議そうに三蔵は八戒を見つめる。 「だったら、いつものように木陰でお弁当を食べて昼寝でもしておけ」 面白そうに軽く笑う。穏やかな表情に八戒は見とれた。 |
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