ふと目覚めると、天井の白い壁があった。 身体が熱い、そしてだるくて重い・・・。 ぼんやりしている意識を引き寄せるように、記憶を手繰る。 「天蓬は?」 金蝉はいきなり起き上がったため、ふらりと目眩がしてもう一度寝台に倒れた。 思い出した場面は天蓬が闘って怪我をした所。 腕から血が流れていた・・・。 天蓬が安心させるように金蝉を見た顔で記憶が途切れている。 あれからどうしたのだろうか? 金蝉は不安になった。 天蓬は? 怪我はどうなのか? 自分がここで寝ているということは天蓬が連れて来たとしか思えない。だったら、事情はわかるはずだ。 「誰か!!」 金蝉は掠れる声で、女官を呼んだ。 部屋の中は白い煙で充満されていた。 大量の本がある部屋は重圧感があるが、白く霞んでいるせいでよりこの部屋には近づきたくないと思わせた。 窓際にある執務机に肩肘を付いて、ぼんやり煙草をふかしているのはこの部屋の住人である天蓬元帥だった。 彼にしては珍しく本に夢中になっているわけではない。 けれど、どこかに心がいっているようだ。 なのに、顔色は冴えない。 瞳が暗い。 あまり常の彼と違うので、下士官達は上司の部屋に近づかなかった。 なぜ天蓬がここまで落ち込んでいるのか? そう、彼は皆にはわからないけれど落ち込んでいたのだ。 守りたいと思っていたのに、結局泣かせて倒れさせてしまった。 どうしようもない状態で、襲ってきた者達を倒さないと金蝉が連れ浚われてしまうかもしれなかったのだ。 けれど、そうではなくて。 自分の考えの甘さに嫌気がさしていた。 観世音から話を聞いていたのだから、絶対に外出するべきではなかったのだ。 観世音邸にいれば、絶対に安全である。 外門、内門があり、両方に番人がいる。 金蝉が居るのは、外からなど入れる訳もない内宮の奥。滅多な者など近づけない場所なのだ。おそらく、忍び込むのは無理だと判断して、外出する機会を狙っていたのだろう。 外出すれば、手の打ちようがあると。 それでは護衛を連れていけば良かったのか? けれど、襲われたら闘わざるを得ない。 どちらにしても、血臭が漂う。 行き着く先は、外出などしてはいけなかったのだ、ということだけだ。 倒れた金蝉を観世音邸に届けて、自分が血臭がするから立ち去ろうとすると観世音が別室で手当をしてゆけと言う。辞退したかったが、この血に染まった服で少しでも長くいることはこの観世音邸に汚れを落とすことになるため、好意に甘えた。 そう、汚れが多いと金蝉の身体にさわるのだ・・・。 ことの顛末を聞いた観世音は「俺に任せろ」と厳しい顔で告げた。 天蓬は頷いた。 自分にできることがあれば何でもする。が、事が大きすぎる。 あの後、観世音邸にも顔を出していない。 出せる訳がない。 怪我がある程度直らないと、あの館には行けなかった。 そして、天蓬の心にも暗い影が差していた。 実はもう、怪我も観世音邸に入れるくらいには直っている。天界人の治癒能力は高いのだ。 ・・・金蝉はどうしているだろうか? 熱は下がっただろうか? 想うのは金蝉のことばかり。 彼を守ることを一番に考えてきたのに・・・! 自分の不甲斐なさに、情けなくて・・・。 「おい、何だこの部屋は?」 天蓬が自分の気持ちに沈んでいると、突然近くで声がした。 慌てて顔を上げるとそこにはなんと観世音が立っていた。 「観世音?」 天蓬は驚いた。観世音がなぜ、こんな軍の庁舎にいるのか。 「あの、どうしてここにいらっしゃるんですか?観世音」 そう聞く天蓬に観世音は、 「なんて面してやがる。ふん、どっちもしょうがねえな・・・」 と違う答えを返す。 ふふん、とどこか面白そうに笑うと、腰に左手をあてて右手は顎を掴み思案しているような態度を取る。 「天蓬、いいかげん来い」 「え?」 「え?じゃねえだろう。全く何を悩んでいるかしらねえが、手前のせいじゃねえんだから悩んでないで会いに来い。金蝉が待ってる」 天蓬の杞憂もお見通しの観世音は発破をかける。 「金蝉は来たくても、お前に会いにこれないんだから、お前が来ないでどうする?」 そう、絶対に金蝉は来られない。 そして、身体が回復していても、外出など以ての外だ。 「・・・そうですね。金蝉元気になりましたか?」 「ふん。そこまで親切じゃねえよ。自分で確認しやがれ!」 「はい」 自分を押してくれる観世音に感謝した。 わざわざこんな場所まで来て。 天蓬は迷いを振り切るように微笑んだ。 「馬鹿!!」 顔を見るなり金蝉は叫ぶ。 天蓬が観世音邸を訪れて、金蝉の部屋に入った途端金蝉は立ち上がり、天蓬の前まで来た。 「怪我なんてして、これじゃあ、逢う事もできないだろう?」 金蝉は天蓬の服をぎゅっと掴み真剣に見つめる。 随分心配させたらしい。怒っているのに瞳は辛そうに揺れている。 「すみません・・・」 「大丈夫なのか?」 心配げに、聞く。 「大丈夫ですよ。かすり傷ですから」 にっこりと安心させるよう天蓬は微笑む。 「良かった・・・」 金蝉はほっと息を吐いた。 「心配させるな・・・」 そのまま天蓬の胸に顔を埋めた。そして、背中に手を回してしがみつく。 その仕草に、天蓬は優しく金蝉を抱きしめた。 「守れなくてすみません」 「馬鹿!馬鹿!馬鹿!」 金蝉は天蓬を見上げて、睨む。 「お前は本当に馬鹿だ。俺が怒るのはお前が怪我をしたことなのに、どうして謝る??」 「貴方が大切だから、何からも守りたいんです。これは僕の正直な気持ちです。貴方の側にいたいから、だから、そう自分に決めているんです」 「でも、お前は守ってくれただろう?だから謝る必要なんてないじゃないか」 「でも、貴方を血臭に、汚れに晒して倒れさせてしまいました・・・」 「そんな・・・」 「僕は、全てのものから貴方を守りたいんです。そう、決めています」 金蝉は天蓬の言葉に当惑する。 天蓬はこんな風に言うけれど、自分は怪我なんてして欲しくないのだ。そして自分が倒れたことで責任を感じて欲しくない。 どうしたら、伝わるのか? 「お前が怪我をするのは嫌だ」 だから、正直に伝えることしかできない。 「それは困りましたね。できるだけ怪我はしませんから、・・・だから、許してもらえませんか?」 天蓬はできるだけ、と言う。 自分がどれだけ言っても変わらないだろう・・・。それが金蝉にはわかっていた。 「態度で示せ」 だからせめて、そんな誓いをしてみせろと金蝉は言う。 信じさせろ、と。 「はい」 天蓬は優しげに微笑むと、金蝉の頬に手を伸ばしそっと顔を近づける。 桜色の柔らかい唇に触れると、わずかに華奢な身体がふるえた。 閉じている瞼と長いまつ毛がかすかに、揺れる。 背中にある指がぎゅっと天蓬の服を掴んでいる。 愛おしくて、もう一度口付ける。今度は先ほどより長く、しっとりと。 甘い誘惑。 麻薬のような甘美な感触。 天蓬は蜜のような口づけを吐息とともに味わった。 初めての口付けは「誓約」の証。 |
![]() |