「金蝉様、お迎えですわよ」 金蝉付きの女官が扉の前に立ち柔らかな声で告げる。 「ああ、わかった」 それに返事をして、金蝉は私室の窓から夕闇色に染まった空を見上げた。 そこには上弦の月が輝いている。 冴え渡る月。 雲もたなびかない空。 「お月見」には最適の日よりだ。 金蝉は窓を閉じると、部屋を出た。 「こんばんは、金蝉」 「天蓬!!」 金蝉が嬉しそうに駆け寄ってくる。 「今日はお元気そうですね?」 天蓬は体調の良さそうな金蝉に安心する。 時々熱を出し寝込んでいるから、いつも大丈夫だろうかと心配になる。 上級神は、特に子供はとても身体が弱い。 そして、汚れに弱い。 いつでも、彼のことが気になる。 天蓬は微笑みながら金蝉の手を取った。 「それでは、参りましょうか?」 金蝉は大きく頷いた。 二人は観世音邸から天帝の大宮殿から城内を通っている中央の大きな道を進み、脇道に入り高台にある「月水宮」を目指す。 この月水宮は目の前に大きな池があり高台に位置するため、「真珠の間」と呼ばれる部屋から望む景色が絶景とされているのだ。 闇の中、振り仰げば上弦の月が輝く。 見下ろせば、下弦の月がぼんやりと輝く。 天の月と池に映された月、双月は幻想的な世界に漂う。 真珠の間と呼ばれる部屋は昼間見るとただの白い壁なのだが、月の明かりが照らす時、白く浮かび真珠のように透明な光で皓々と輝くのだ。 「月の涙」と言われる真珠。 そこからいい伝えられているのか、この部屋で流した涙は真珠になると言われている。 それも純粋な涙でなければならない。 偽りも、私欲も、何もない、一切の曇りない心・・・精神を持つ者の涙でしか真珠にはならない。しかし、その真珠は高価な南洋真珠であろうと到底及ばない輝きを放つと言われている。月夜にあれば、光を放ち、持つ者を守護すると言われている。 古い、言い伝えだ。 天蓬は夜道を歩きながら金蝉にそんな話をする。 いつでも入れる宮ではないけれど、今回はしっかり許可を取ってあった。 天蓬の話に耳を傾ける金蝉はじっと聞き入っている。 不思議な話。 本当に、涙が真珠になるなんて思わないが、そう言われるということは昔何かあったのかもしれない。自分が生まれるずっとずっと昔。 「ほら、あれですよ!」 天蓬が指差した先にある「月水宮」。 ここから見るだけでは、普通の宮に見える。 「行きましょう」 天蓬の言葉に金蝉は頷いた。 「すごい!!!!」 「真珠の間」の淡い光。 そこから望む双月。 金蝉は瞳を輝かせる。 こんな絶景見たことがない。 「月水宮」と呼ばれるだけのことはある。 目の前に広がる景色。頭上には月が銀色の細い光を降らせていて、下方にはきらきらと揺らめく月が浮かんでいる。 このように美しく池に映る月が輝くには理由がある。 池の透明度が高いのだ。 水底まで見渡せるほど澄んだ水。だから、同時に映し鏡になるのだ。 昼間は天界の景色と青空を映し。 夜は暗闇と月を映す。 天界の一番大きな宝鏡である。 「お気に召しましたか?」 「うん。ありがとう!」 金蝉は素直にお礼を言う。 その顔には微笑みが浮かんでいた。 「良かった」 天蓬も笑う。 見つめる金蝉は月の光に照らされて輝いている。 金の髪が煌めいて、紫の瞳が反射して、身に纏う白い衣装がより幻想的に。 その様がまるで月の化身のように見えた。 だから、 「貴方の涙なら、真珠になるかもしれませんね?」 天蓬は囁くように言う。 その言葉に金蝉は瞳を瞬いた。 「俺の、涙が?」 呆れたように呟く。 時々天蓬はものすごい台詞を言うと思う。 ぽかんとして、金蝉は天蓬を見るばかりだ。 「ええ。そう思いますけど、おかしいですか?」 天蓬は思ったことを言ったに過ぎないので、首を傾げる。 「おかしいだろ・・・。お前の頭の中、絶対変だ!」 「そうですか?これでも頭脳は誉めて頂いてるんですけどね・・・」 「誰もそんなこと言ってない。お前の頭がいいことくらい知ってる!俺が言ってるのは感性だ」 「あ、誉めてもらえたんですか、一応?でも感性って、すごくいいと思うんですけどねえ・・・?」 「もう、いい!」 天蓬に口でかなうわけがないのだ。 口だけでなく、全てだけれど・・・。 結局思い通りになっているようで、少し悔しい。 金蝉はくるりと天蓬に背を向けた。 「金蝉?」 天蓬は後ろから金蝉を優しく抱きしめた。 「機嫌直して下さいよ、金蝉・・・」 「・・・」 「金蝉?」 金蝉は首だけ後ろを向けて、天蓬を見上げた。 こんな場所に連れて来てもらったことに、とても感謝しているのだ。 ここで、へそを曲げて怒ってもいいことないし・・・。 せっかく楽しんでいたのだ。 「ごめん」 小さな声で謝る。 「なんで、金蝉が謝るんです?僕が言い過ぎたんでしょう?だから、金蝉がそんな顔しなくてもいいんですよ」 ね、と抱きしめる腕に力に込める。 とことん、金蝉を甘やかす天蓬だ。 金蝉は心の中で「ありがとう」と言いながら腕の仲に収まっていた。 「少し遅くなってしまいませたね。急いで帰りましょうか」 「ああ」 二人は月の照らす夜道を歩いている。 見上げる月はどこまでも付いてくる。いや、自分たちが月に向かって歩いているのか? 暗闇の中にいると、この世界に二人だけになったような錯覚をしそうになる。 不安だろうか?何だろう、これは。 金蝉は隣を歩く天蓬の上着の裾をを引っ張った。 天蓬はそれに気付くと、金蝉を見つめて自分の手を差し出した。 二人は手を繋いだ。 手のひらから、指から暖かい気持ちが流れてくる。 金蝉は先ほどの不安が消えていることを知る。 簡単なことだったのだ、実は。 だから金蝉は月光に照らされた天蓬の顔をそっと見て微笑んだ。 「どうしました?」 「・・・何でもない」 でも、教えてなんてやらない、と金蝉は思う。 無言で、でも楽しげに二人は歩いていた。 しかし、天蓬が突然繋いだ手を引っ張って金蝉を自分の背後に庇うようした。 どうしたんだろう?と金蝉が思っていると、二人の前に数人の男達が姿を現した。 天蓬はすばやく気配を感じて金蝉を庇っていたのだ。 「何者だ?」 聞いても名乗るとは思えないが、一応言ってみる天蓬だ。 「・・・金蝉童子をお渡し頂きたい、天蓬元帥」 「否」 天蓬はきっぱりと言う。 「それでは、しかたありません」 そう言うと数人の男達が天蓬目がけて剣を振りかざす。 「天蓬!!!」 金蝉は叫ぶ。 天蓬は一人の男の剣を避けると、一瞬のうちに相手の首に一撃を加え身体が揺らいだ隙に男から剣を奪う。 すぐさま、剣を握り直し、向かってくる男達と渡り合う。 キン、キンと剣の立てる固い音。 金蝉は身を竦ませながら、不安そうに天蓬を見つめていた。 天蓬が男達とやり合っている時、一人の長身の男が金蝉に近寄り腕を取った。 「嫌・・・!!!」 「金蝉?」 天蓬は一瞬金蝉に気を取られた。 そこを男達が見逃すはずがない。 天蓬の腕に切り込んだ。が、ぎりぎりの所でかわす。少しかすったようで上着が紅く染まっていた。 実は、天蓬は手加減して男達と闘っていた。なぜなら金蝉が汚れに弱いから。血など流れると彼が倒れるからだ。斬りつけるのではなく、叩いて気を失わせたり、動けなくしようと努めていた。 けれど、それどころではない。 金蝉を守ることが最優先事項である。 天蓬は目の前の男を一振りで倒し、金蝉の元に走る。 ガシーンと音を立てる二つの剣。 長剣同士なので、鈍く音が響く。 月光に照らされ長剣が光る。 しかし、天蓬の方が断然上手だった。さすが元帥なだけはある。 何打目かで男を倒し金蝉を奪い返す。 倒れた男には目もくれず、金蝉の無事を確かめる。 「金蝉、大丈夫でしたか?」 うん、と金蝉は頷いた。 「天蓬、怪我したのか?」 そして、瞳いっぱいに涙を貯めて天蓬を見つめる。 瞳から、いくつもこぼれる涙。 ああ、確かに真珠のようだ。月夜に照らされる宝石。 「大丈夫ですよ」 安心させるように微笑む。 すると、金蝉が瞼を閉じたと思ったら身体から力が抜けて、ふわりと倒れた。 あわてて抱き留める天蓬。 月光の中、青白い顔。 やはり、「汚れ」に「血臭」に当てられたようだ・・・。 苦い思いがわき上がる。 怪我をしている自分では血臭がして、金蝉を運ぶのはまずいかもしれないが、事は急を要する。 天蓬は金蝉を抱き上げると、急いで観世音邸へ向かった。 |
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