「Stay with me 」3




 その夜、怪盗は名探偵の元を訪れた。
 昨日からの工藤邸で起こった事態を怪盗は知っていた。
 工藤新一の行方を探していた怪盗は、工藤邸に隠しカメラや盗聴器といったあらゆる装置をこっそり付けていたのだ。
 もし、工藤新一が工藤邸に現れることがあればすぐにわかるように………。

 そして、やっと彼は姿を現した。
 警視庁に挨拶に行きついでのように事件を解決するかと思えば、家に帰ってくると西の探偵服部が彼を待っていた。
 その場で彼を抱きしめる服部を苦い思いで見つめることしかできなかった。
 そして、聞こえてきた内容は。

 ………想像通りであった。
 KIDは工藤新一に出逢ってから、ずっと彼について調査していたのだ。

 名探偵が何かを追っているのは気付いていた。
 警察が踏み込んだいろいろな組織。
 逮捕される大物達。倒産した会社。炎上する製薬会社。
 どれもこれもトップニュースを飾った。
 その根本で糸を引いていた人物が彼である。





 銀色に輝く月が闇夜を照らしている、深夜。
 僅かな音でさえ、まるでその暗闇に吸い込まれているのではないかと思う程の静かな空間。深夜の高級住宅街は、車の音も人の声も何も聞こえない。
 そんな静寂の中、かたり、と音を響かせてバルコニーの扉が開いた。
 
 白い怜悧な存在。
 バルコニーから現れた純白の怪盗。
 巻き起こった風が、ふわりと揺れて白いマントが彼を包んだ。

 その姿を認めて新一は瞳を見開いて動けなくなる。
 優しげに微笑んでいる顔に懐かしさを覚えた。
 数ヶ月前の怪盗の予告日、無事に仕事を終えたKIDが立ち寄った中継地点のビルの屋上で逢った時以来だ。
 あの時、彼と交わした約束を果たしに赴いたのだ。一度だけ、逢いに行ってやると新一はKIDに言った。潜伏しているマンションをKIDが見つけて現れた時に………。

 また姿を隠すのなら何度でも探すと、孤独は辛いと吐露したKIDがあまりにも馬鹿だったから。
 自分を追って欲しくなかった。逢うことなど、忘れてしまえればいいのだ。
 あの時、真面目に活動は佳境に入っていて、絶対に見つかる訳にはいかなかった。

 自分を捜すKIDは自分と哀ばかりでなく、彼をも危険に晒すことになっただろう。だから新一は、約束をしたのだ。
 約束すれば、向きになって自分を捜さないだろうと………、そう計算したことは否定できない。

 けれど、それだけなのだろうか?
 自分が彼にもう一度だけ、逢いたかったのだろうか………?
 そんな疑問が頭を掠めた。



 「名探偵………」

 そっと優しい声で新一に呼びかける。

 「何の用だ?怪盗KID」

 彼がここに現れる理由は一つ。
 コナンではない新一の前にこうして現れたのだ………、正体がばれたのだろう。だって、『名探偵』とKIDは新一を呼んだのだから。

 「答えを見つけたましたよ」
 「………」
 「正解を教えて頂けるのではないのですか?」

 新一は諦めたように小さくため息を付いた。

 「言ってみろ、聞いてやる」
 「小さな名探偵『江戸川コナン』は東の高校生探偵『工藤新一』だった。否、逆ですね。『工藤新一』が『江戸川コナン』であったのです。子供の身体でありながらも、貴方はずっと真実を見抜く探偵であったのですから………」

 「………それで?」
 「ご自分を幼児化させた、命を狙う組織壊滅のため姿を隠し、暗躍されていた。警察に情報を流して踏み込ませたり、ご自身も危険なまねもなさっていたようですね?」
 「そうだな、正解だ」

 怪盗と探偵のただ一つの誓約。

 謎を解くと言った怪盗と謎を持っていた探偵。


 それは今、果たされた………。


 新一に一歩KIDは近付いた。
 そして、誓約の完遂の証に新一の手を取って、甲に口付けを落とした。
 そのまま離さず新一の指を取って自分の口元に持ってくると指先にも唇を寄せ新一をひた、と見つめる。

 「ねえ、名探偵が人を側に置かないのはどうしてですか?」
 「………」

 無言で怪盗を新一は見つめる。
 構わずKIDは続けた。

 「名探偵は優しい。自分のせいで人を巻き込まないように、危険にさらさないように、壁を作る。これ以上自分に関わらせないようにする。それは組織を相手に戦ったから?組織を壊滅させても、残党は残っているかもしれないし、どんな報復を受けるかわからない。組織以外からも狙われることがあるかもしれない。自分の側にいたら危険だと思うから?」

 KIDは一端言葉を切り、自分の言葉を聞いている新一を見つめる。

 「それとも、どうなるかわからない身体だから?全く予測の付かない不安定な身体でいつ消えるか、どうなってしまうかわからないから?」
 「KID………」

 悲しげに瞳を新一揺らした。
 KIDはそんな新一に微笑んだ。

 「私も同じですよ。偽りで塗り固めて………。自分に関わることで危険に晒すかもしれない。もしかしたら二度と大切な人に逢えないかもしれない。命を落とすかもしれない。それならば、自分に関わらせて決してならない」
 「………」

 「孤独でいようとする名探偵と立場は同じです。同じような気持ちで戦っています。『孤独』が唯一の方法だと思ってきました。けれど、名探偵の傍にいたい。貴方の傍にいられて、逢う事ができて、それだけで私は癒されていたのです。心にぽっかりと空いた隙間、まるで埋めてはいけない、埋めたら自分に負けてしまうと思っていた奥底の感情という場所に、貴方がいる。それは決して『負け』ではありませんでした。ただ、私を存在させてくれる力であるのです。貴方の傍らにいたい、………それは許されないことなのでしょうか?」

 真摯な眼差しはKIDの心を見せつける。
 真実の言葉は新一の心を揺さぶる。

 「………いつ、消えるかもしれないのに?それでもいいというのか?」

 新一は苦しそうに唇を噛んで、KIDを見上げる。

 「構いませんよ」

 KIDはそっと腕を伸ばす。
 新一の細い華奢な、それでいてしなやかな身体を自分の腕の中に抱きしめた。
 優しく、優しく、己の気持ちが伝わればいいと願いながら。

 「貴方の孤独を癒せるなんておこがましいことは言いいません。でも、独りでいないで下さい。私を貴方の傍にいさせて………いさせて下さい。黙ってどこにも行かないで………。それでも、もし消えたら………探し出しますけれどね」

 事実、探し出したでしょ?とKIDは微笑む。


 こいつ、馬鹿じゃねえのか?と新一は思う。
 どうして、それほど自分を捜す?


 KIDは優しい眼差しで新一を見る。

 「ねえ、約束なんていらないのですよ。そんなものは必要ないのです」

 だから、そんな困った顔をしなくていいのだ。
 約束をしないから、裏切ることはない。
 貴方が負担に思う気持ちは一つもない。
 そこにいてくれるだけでいい。
 それだけで、救いになるのだ。

 この人はわかっているのだろうか?自分にどんなに力を与えてくれるか、と。
 きっと自分の価値などさっぱりわかっていないに違いない。
 KIDは困ったものだと思う。
 それさえ、傍にいられればこそ、の悩みなのだから贅沢だろうか………?

 「甘やかすんじゃねえよ………」

 どこか柔らかな声音で新一は呟く。
 どうして?
 なぜ?
 こんなにもお前は自分に優しいのか?
 新一は思う。

 こんなに優しくされる資格なんて自分にはないのに。
 いつでも見捨ててくれて構わない。
 答えることなどできない自分なのに………。

 「いいじゃないですか。少しくらい甘やかされて下さい。貴方はこれっぽっちも私に頼ったりしなのですから………。それくらい私に自信をもたせて下さい」

 そう言ってにっこりと笑うと、茶目っ気に片目を瞑ってみせた。

 「どういう理屈だ?」

 新一の言葉も笑いを含んだものになる。

 「そういう理屈です」
 「………そっか」
 「ええ」

 KIDは力を抜いて自分の身を任せている新一に満足そうに微笑むと、抱きしめる腕に少し力を込めて、片方の指で目の前にある絹糸のような黒髪を梳いた。

 「名探偵………、傍にいてもいいですか?また、逢いに来てもいいですか?」
 「………勝手にしろ」
 「ありがたき幸せに存じます」

 是の返事にKIDは幸せそうに微笑んだ。





 翌日、制服姿の学生が工藤邸に現れた。
 新一が門扉を開けるとそこには、学生服を着た少年と青年の真ん中くらいの陽気な雰囲気を纏った明るい高校生が立っていた。
 彼は新一を見るとにっこりと微笑み、自分のくせ毛の髪をくしゃりと掻き回して、

 「俺は黒羽快斗。快斗って呼んで!」

 と笑顔で自己紹介をした。

 「………馬鹿か?」
 「ひど〜い、名探偵!」
 「その姿で、名探偵って呼ぶな。気持ち悪い」

 新一は心底嫌そうに顔をしかめた。
 すごく不本意だ。
 まさか、怪盗がこの姿で真っ昼間に来るとは思わなかった。若いと知っていたけれど、同じ高校生………。
 だいたい、昨夜の至極真面目で真剣な態度はどこへ行ったのだろう?

 「え?じゃあ、工藤って呼んでいいの?」

 快斗は瞳を輝かせて聞いた。

 「………新一でいい」

 顔を赤くしてぷいっと新一は横を向く。

 「新一」

 快斗は思いを込めて、大切にその名を呼んだ。

 「ああ」

 新一は殊更普通を装って頷く。
 心が、とても、くすぐったい………。
 怪盗に新一と呼ばれる日が来るとは思わなかった。
 でも、それが心地よく感じて自分でも不思議だが、まあいいことにしておこうと思う。
 だから、

 「快斗、珈琲でも飲んでくか?」

 新一は照れを隠すように殊更ぶっきらぼうに聞いた。

 「………うん!!!」

 快斗は一瞬瞳を見開き、大きく頷く。
 今まで見た中で、一番嬉しそうな笑顔を新一に見せた。
 「快斗」と呼んでくれる。
 それは偽りでない、真実の名前。
 新一に呼んでもらえる日が来るなんて夢にも思わなかった。
 なんて幸せなんだろう………。じんわりと広がる暖かい思いに快斗は堪らない気分を味わう。
 門を開けて中へ則す新一の後姿に快斗は軽い足取りで付いて行った。


 快斗と新一の物語は始まったばかりだった。


                                              END







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