「星に願いを 5章 3」






「……」

 新一は衣装を見て、なんとも言えない気になった。
 これは、なんだろう。いい加減慣れてきてはいるが。
「ケイ。おはようございます。昨日はよく眠れたました?」
「うん。フジカも。お疲れさま。……それより、これ。……なに?」
 新一は自分用の衣装の裾を持ち上げてぴらぴらと振った。そのどこか唖然とした戸惑った顔を見て、フジカが小さく笑う。
「セイのそんな顔見るのはきっと貴重ね。とても可愛いわ。いつも綺麗だから。……これはね、さっき仕上がって来た衣装よ。CM撮影が急に決まったから何もかもが急ピッチで進んだの。ショーと同時進行でね。CMスタッフとショーのスタッフは違うけど、重なっている人材もいるから。ちょっと最近の中で一番働いたのではないかしら?」
「……」
 そんな悲惨な苦労話を聞かされたら、着るのが嫌だなんて絶対言えない。新一は心中で困った。
「園子さんの、イメージなんですって。デザイン画は他の人が描いて、超特急で作ったのよ。なんでも、花の精。もちろん、人間だけど雰囲気はそういう感じなんですって。だから、後でスタジオに行けばわかるけど、すごいわよ」
 にっこりと邪気なく笑うフジカに、新一は観念した。自分は専属モデルだ。拒否なんてできるはずがない。
 新一はその衣装に着替えることにした。すぐにヘアメイク担当の女性が控え室に入ってくる。そして、衣装を着た新一を椅子に座らせて自分の仕事に取りかかった。フジカはそれを背後で見守っていて、小さく手を振って退出した。
 新一はきっと快斗の方に行ったのだろうと思った。フジカとはそういう人だから。快斗もリラックスさせてくれるだろう。
 
 一方の快斗は、さっさと衣装に着替えた。快斗の衣装は相変わらずスーツだからだ。ただ、フロックコートらしい衣装だが。上着の丈が長いく釦も大きめで多い。腰も共布でゆたりと結べるようになっている。それを横で緩く結ぶ。
 色は今回明るめのグレーだ。隣の紺色も用意されていて、それはもし二人が並んであわなかった場合のスペアだそうだ。
 ヘアメイク係に髪をいじられていると、部屋の扉が開きフジカが入ってきた。それを鏡に写った姿で快斗は確認する。小さく片手をあげる。それにフジカも笑って返し、
「セイも準備中なの。時間が少しかかると思うから、待っていて下さいね。もしよければ、先にスタジオに案内しますよ」
「そうだな。……いいよ。セイを待って行くことにする。俺の準備が終わったらあっちに顔出すから。そう伝えておいてくれる?」
 鏡越しに快斗がフジカを見ながらそうお願いすると、フジカは頷いた。
「わかったわ。ケイ。伝えておくわね。ケイも後で。……飲み物を用意しておくわ」
 そう言ってフジカは部屋から出ていった。
 こんなお願いができるのも、フジカだからだ。しみじみと気心の知れたフジカがいてよかったと快斗は思った。
 いくら英語に困らなくても、誰にでも個人的なお願いができる訳ではないのだから。
 
 
 
「すごい……」
「フジカが言った通りだ」
 スタジオに二人で顔を出すと、そこには花畑が出来ていた。
 スタジオの一角に色とりどりの花が咲いている。正確には中央部分は空間が空けられていて、周りを花が囲んでいる。花びらが溢れんばかりに広げられている。
 見ればわかると言った通りだ。
「用意できた?じゃあ、始めるわよ。ニック!」
「はい。はい。では照明用意しておいて。まず最初のシーンは花の中で目を閉じているセイ。そこに、男の足下が写る。近づく男はセイの手をそっと取って、その指にリングをはめる。ここで、手のアップ。次のシーンはセイの瞼が動く。目を開き、眠りから覚め半身を起こし、両手を何かに包むようにして覗き込む。そこに花があって、飛び散る。飛び散るところは合成するから。で、花びらの後にリングが手の中にある。次のシーンは、別のセットだけど。男が手を差し伸べる。その手に手を乗せるセイ。手を取りリングに口付ける男。ここで、アップ。その後は祝福するように花びらが降り注ぐ。こんな感じで撮りたいんだ」
 ニックと呼ばれた前回もカメラマンをしていた無精ひげを生やした男が、説明する。
「そうよ。それで、セイは花の精のつもりなの。ちょっと現実味を薄くするためにね。相手の男は人間。花の精に求婚するのね。イメージは騎士かしら。伝説とかでもあるでしょ?異種間の結婚。とはいえ、見ている人には別にそこまで伝えるつもりはないの。普通にプロポーズしたんだなってわかってもらえたらいいわ。了解?」
「「Yes」」
 ニックと園子の力が入った説明に二人は是の言葉しか返せない。言われるように、求められるようにやるしかない。
「で、セイ。その花の中に寝てもらえる?」
「……はい」
 新一は花の中に進む。新一が歩くために少しだけ通路が空けてある。中央まで来て新一は上向きに横になる。
 花の精の衣装は、純白だ。
 そして、全体的に、ひらひらしているという印象の服だ。下はズボンだが、そのズボンも裾がカットされている。靴も白い編んだサンダルのようなものだ。上は何枚か薄い上着を重ねて……一番下はノースリーブ、二枚目三枚目は七部丈、その上に膝まで長い丈の上着を着る。その上着は腰から裾までがひらひらとカットされていて、動くと揺れる。袖は手首より少し長くゆとりのある作りで、袖口もひらひらとカットされている。
 自然、新一が普通に横になるだけでは、妖精さながらのひらひらは上手く広がらないため、スタッフが手で美しく直す作業が必要なのだ。スタッフは、裾や襟や袖口などを細かく直す。アップになった場合、美しく映るように。それが仕事だ。
「OK。セイそのままでいて。次、花入れて」
 ニックの合図と共に新一が寝るために空けてあった空間と新一との空間を花で埋める。スタッフは衣装との兼ね合いを考えながら、乱さないように花びらなどをまいて隙間がないようにする。新一の身体の上にも花びらをぱらりとまく。
「できました」
 スタッフは準備ができた報告をする。
「よし。セイ目を閉じて。静かに寝ているように。でも、花の中にいるから安心している感じでね」
「カメラ回すぞ。……照明、もう少し上げて。……。OK。セイもう少しそのままで。上のカメラから撮るぞ。照明、もう少し横からの絞って」
 セイのカットを何度も撮って、次は快斗だ。
「ケイ。そこの印が付いてるところから、歩いてきて。セイの少し前で止まって」
 快斗がスタンバイしている場所は、花の円の外側だ。歩いて行く角度は決められていて、スタッフからこの位置からどうぞと言われる。
「花びらを踏みながら、でも優雅に。そうそう。そうやって歩いて……止まる」
 快斗がやってみせると、それでいいからもう一度、と言われる。
 何度か、快斗は指示の通りに歩く。
「次は、その位置から膝を付いて、セイの手を取って、指にリングをはめるシーン。慎重に、丁寧に、それでいて愛おしそうに、手を取る。で、すっとリングをはめる」
 快斗は何度かリクエスト通りにして、OKが出てからそのシーンを撮影する。
 そして、次は、寝ていた新一のシーンに変わる。
「セイ。目覚めるって感じで、瞼をふるわせて。ゆっくりと目を開けて。半身を起こすんだけど、セイは花の精だから。そのつもりで」
 なんとも難しい注文だ。新一は花の精に成りきるしかなかった。目覚めのシーンは、瞼を少し動かすようにしてから、ゆっくりと目を開ける。そのまましばらく覚醒して、やがて半身を起こす。だが、人間が起きるのではなく花の精が、ふわりと起きあがるつもりで。
 新一も満足のいくものが撮れるまで何度も繰り返す。
「胸の前で、手をこう重ねて。中に何かあるように膨らみを持たせて。目を閉じて」
「そのまま、手を広げて。手の中を見つめて」
「おい、セイの手の中に花を!」
「次は、リング!」
 次々に声が飛ぶ。指示が交差する。照明だ、小道具だ。カメラ回せ、と。
 
「で、今度はこのセットの前で撮影だけど。後ろの小道具を入れて撮影とブルーバックで撮影と二通りやってみるから。祝福されるから、バックに合成でそれっぽいお城とか入れてみたい気もするけど、ぼかしてみてもいいからさ。その処理は後で考える」
「絵コンテ見ると、お城とか合成で入れてみたいんだけどねー。ロマンティックに」
 園子が、絵コンテだろう紙の束を見ながら首をひねる。
「だから、2パターン撮っていい方にしますよ。今回煮詰める時間がなかったんですから。じゃあ、セイ、ケイ。そこに立って」
 ニックの指示に二人はブルーバックのセットの前に立つ。
「まず、ケイ。セイにそっと手を差し伸べる。そこで一度アップで撮るから。その後でセイはケイの手に手を添える感じで乗せて。何度かカット割って撮るからさ」
 了解と二人は頷く。はい、という合図で快斗が新一に手を差し出す。何度か途中で止めて撮影する。次に快斗の手に新一がそっと手を添える。
「もっと、委ねるように!相手を信頼して!」
 注文がいくつも飛ぶ。
「ここでは、二人は互いに想ってる訳だから。ケイも手を添えてもらった時の嬉しさを手で表して」
 難しい。とても難しい。手だけで表現するのだ。
 だが、快斗はマジシャンだったから手の動きは誰よりも得意だった。その難しい指示にも応える。新一も懸命に手で表情を作る。
 次は快斗が新一の手の中にあるリングに口付けるシーンだ。
「愛おしそうに。約束の成就で。これで、自分のものって感じが伝わってくるように」
 快斗は、その何通りもの意志が画面から伝わるように、口付ける。何度も。そっと、柔らかに、時には優雅に。
 OKが出ると、やっと最後のシーンだ。
 二人が並んでいる上から花びらが降ってくる。頭上ではスタッフが花びらがたんまり入った籠を持って待機している。
 二人は結婚を祝福されて、嬉しそうに微笑むシーンだ。
「嬉しさを表現してくれればいいから。花が降ってくるのを見上げたり、二人で微笑みあったり、腕を組んだり、手を繋いだり、ケイがセイの肩を抱き寄せたり。とにかく、仲睦まじい姿をよろしく。でも、初々しくね。わかる?」
「自由に動いていいってことですか?」
「おう。自然の動きがいいから。あんまり、最後のシーンは作らない方がいい」
「わかりました」
「カメラはここからと上からと横から全部回しておくから、カメラの方向は考えなくていい。……じゃあ、動いてくれな!」
「「Yes」」
 是の返事をして二人は覚悟を決めた。
 二人は恋人だ。結婚が認められた。晴れの日だ。
 頭上から花びらが降ってくる。ひらひらと。白、ピンク、黄色。オレンジ。赤。紫。
 きれい、だ。
 とても、きれいだ。
 そう呟いて新一が快斗を見上げる。そうだねと快斗も視線で微笑む。
 快斗はそっと新一に腕を伸ばして引き寄せる。そして、降ってきた花びらを手で受け止めて新一に差し出す。それを目を瞬いて新一は受け取る。手の中の花びら。それを、ふっと息を吹きかけて飛ばす。新一の一息で花びらはふんわりと飛び上げる。
 それを見送り、小さく笑いながら新一は快斗の髪に積もった花びらを背伸びして、手で取り払う。幾重にも髪に絡まった花びらが快斗の髪から落ちる様がなんとも愛おしい。そのまま乱れた髪を整えて、満足そうに新一は目を細める。
 快斗が、ありがとうと言うように、新一の頬を指で優しく撫でた。その感触がくすぐったいのか、新一は身をすくませる。
 快斗が新一の手をそっと持ち上げ、指先にキスを落とす。
 そして、リングにもキス。目を見つめて、にっこりと愛おしげに笑った。
 快斗が小さな声で何か囁く。
 それに、新一が極上の笑みを浮かべた。演技ではない、美しい笑みだ。そして、その快斗の胸に嬉しげに一瞬抱きつく。
 すぐに新一は身体を離すが、支えるように背に回された快斗の腕が、見るものに心情を訴えてくる。
 
 カメラを回しつつ、ニックはかなり当てられていた。自由にしていいといったが、なんだこれは、という気分だった。カメラマンとしては大歓迎だけれど、なんとなく、そうなんとなく独りものは辛いと思った。
 園子にとっては、予定通りである。予定の上限いっぱいいっぱいだが、元々新婚なのだから、このラブラブっぷりは必然だ。そんな風に理解していた。
 フジカが一番強者で、とても微笑ましそうに見るだけだ。
 スタッフの面々は、見惚れる者、顔を赤くする者、びっくり眼で時が止まっている者。様々だった。
 だが、彼らは決してこの目にした光景を口外することはない。
 
 結局、二人を止めると折角の雰囲気が壊れるので、2パターン撮るつもりだったが、そのまま続行した。スタッフに小物を後ろからそっと入れてと指示して姑息に背景を変えたりしながら。
 その選択はとても正しく、後に作られたCMは大反響を呼ぶのだが、それは少し後のこと。
 
 
 
 
 
「お疲れさま。ありがとう」
 園子が疲れを見せない笑顔で、お礼を言う。
 撮影が終わってから二人をホテルまで送ってきたのだ。園子はこれからまだ仕事があるので、本店の方へと行かなければならない。
 だが、玄関ではなく泊まっているホテルの部屋まで園子は付いてきた。ちゃんとお礼を言いたかったからだ。
「いいや。これで、いいものができて、園子ががんばれるなら構わない」
 新一はそう朗らかに笑った。
「俺も。忙しかったけど、面白かったよ」
 自分がまさかショーに出るなんて思わなかったと快斗が苦笑しながら付け加える。
「そう言ってもらえると、すごく嬉しい。無理を承知でお願いしたんだもん。新一君も、黒羽君も、本当にありがとう」
 園子は頭を深く下げた。それが園子の感謝の現れだった。無茶をいっぱい言ったと自覚がある。
「頭、上げろって。いいさ、友達なんだろ?困っている時くら頼れよ」
「うん」
「園子が成功するの、この目で見るのが楽しみなんだからさ」
「うん。がんばる」
 嬉しそうにはにかんで園子が肩から力を抜く。そして、撮影時から気になってことを聞いた。
「あのね、最後のシーンで新一君、なんであんな笑顔になったの?黒羽君が何か言ったみたいだけど」
 演技ではない極上の笑みは決して普通の撮影では撮れない表情だった。あれは、園子だってお目にかかるのは難しい。もちろん、親しい友達なので見たことはあるけれど。
 だから、その希少価値がわかるのだ。
「いつのだ?」
「あれだよ、あれ。クリスマスケーキ」
 全く自分の笑顔に自覚のない新一は首を傾げる。が、それに快斗が助け船を出す。
「ああ。あれな。快斗がさ、今回作れなかったクリスマスケーキ、帰ったら作ってくれるっていうから。デコレーションじゃなくて、ブッシュ・ド・ノエルを!嬉しくて。クリスマス出来なかったから」
 満面の笑みで新一はそう白状した。
「……そう。クリスマスのケーキね」
 園子の肩から余分な力はすべて抜け落ちた。これは、誰にも言わないわ。そう園子は心に決めた。
「それから、どうしよう。部屋はひとまず連泊できるようにしてあるの。疲れただろうから、ニューヨークでゆっくりしていってくれてもいいし。帰るなら飛行機の手配をするけど」
 園子はここで別れなければならない。二人が望む通りに手配をするつもりだ。
「そっか。……快斗」
「ああ。うん。……帰るよ」
 新一の視線を受けて快斗が切り出した。
「帰るの?今日は時間がないから明日でいいかしら?」
「うん。明日でいいよ。なあ、快斗」
「ああ。それなら間に合うと思うよ」
 安堵させるように目を細める快斗に、新一は頷く。園子の方が疑問だ。
「なにが間にあるの?」
「お正月。今から帰ればおせち作り間に合うだろ?クススマスは無理だったから、お正月は二人で迎えたいなって」
「……そうね。今からならおせち作れるわね。お餅も間に合うわ。門松も、注連縄も大丈夫でしょう」
 園子は太鼓判を押した。数日あれば、この二人ならなんとかしてしまうだろう。きっと、素晴らしく美味しいおせちができあがるに違いない。
 ああ、残念だわ。園子はしばらく多忙だ。おせちを食べに行きたい。正月には顔を見せなさいと言っていた父親を思い出して、仕方ないから一日だけ日本へ戻ろうかと思う。そして、新年の挨拶に行っておせちにありつこう。
 そんな事を心中で考えると、園子はにんまりと笑った。
「また、連絡するわ。飛行機のチケットは届けるから、後で受け取って。今日は疲れただろうから、ゆっくりして明日日本へ帰国すればいいわね。うん。……ところで、私出汁が利いた卵巻きが好きなの。黒羽君、得意?」
「……まあ、それなりに」
「OK、問題なし!じゃあ、またね。日本で!」
 園子はそういって手を振り去っていた。それを新一と快斗が見送る。
 
「あの、最後の何だ?」
「……出汁の入った卵焼きね。おせちじゃない?」
「催促か。……まあ、園子らしいな。仕事ばかりじゃなくて、ちゃんと正月は日本に帰国するならいいさ」
 そう新一はまとめた。やはり、仕事に追われて睡眠もろくに取れていない園子を心配してるのだ。快斗は、小さく笑って、そうだねと同意した。
「いっぱいおせちを作ろう」
 快斗の言葉に、新一は大きく頷いた。絶対、必要な気がした。
 
 
 明日には帰れる我が家を思い浮かべて、二人は嬉しい気持ちになった。
 





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