その日は、まだ残暑が厳しい日だった。 夏休みが終わり新学期が始まったが秋の気配は一向に見えない暑い日々。歩いているとじんわりと汗をかき、ハンカチが手放せない日がある。 そんな日の、少しだけ風が出て涼を感じた瞬間。 新一は背後から声をかけられた。 「工藤新一?」 「そうですが、何か?」 振り返った先にはゴージャスな美人がいる。一度見たら忘れない類の美女だ。 漆黒の黒髪は流れるように滑らかで腰まで長い。同色の瞳も神秘的に彩られてる。白磁の肌に紅をさしてもいないのに赤い唇。大人っぽい雰囲気を持った美人だが、セーラー服をまとっていることから高校生であろう。 「貴方とお会いしたことは、ないと思うのですが?」 一応、探偵なんてしているから人の顔と名前を覚えるのは得意だ。それでも、彼女は見覚えがない。が、一応事件の関係者であるかもしれない可能性はあるので、新一は丁寧な言葉で対応する。 「ないわ。でも、私は貴方を知っているの。少しつきあってもらえないかしら?」 美女は新一を真っ直ぐに見つめる。 「構いませんが、どうせなら僕の家でどうですか?立ち話も何ですし、込み入った話のようですから」 まだ暑いですからねと新一は警戒心を感じさせない笑みを浮かべた。美女は、新一の提案を無言で考え、やがて頷いた。 「いいわ」 「では、行きましょう」 美女は新一の後ろをついて行った。 屋敷と呼ぶに相応しい家に連れて来られた美女こと、小泉紅子は少々戸惑っていた。 玄関で靴を脱ぎ、リビングへと通されるとソファをすすめられた。腰を下ろすと、 「しばらく、待っていて下さい」 と言い置いて新一はキッチンへと向かった。そこでかちゃかちゃと音がして、やがてお盆にガラスのコップを二つ用意して現れた。 「どうぞ」 新一は一つのカップを紅子へと出す。 中身は綺麗な琥珀色で、さわやかな香りがする。氷が浮いていて冷たそうだ。 紅子は一口飲む。 紅茶だ。多分、ダージリン。 悔しいが、とても美味しい。外はまだ暑いから適度な冷たさも配慮されている。 自分がいれるより、ひょっとして上手いかもしれない。 その気遣いと味とが随分意外で、紅子は自分が想像していた工藤新一とは違い、改めて目の前の彼を見た。 話にしか聞いていない人物像。噂でしか知らない人間性。 「それで、どうしました?」 にこやかな新一の対応に紅子は益々困惑した。 なぜ、こんな見知らぬ他人に親身に対応しているのだろう、彼は。 紅子は、工藤新一が許せなくてここまで来た。許せないというか、腹立たしいというか、認めたくないのだ。 それは、紅子が黒羽快斗に執着しているためだ。 快斗と紅子はクラスメイトだ。快斗はクラスでも目立つ存在でムードメイカーだ。頭脳明晰で顔もいい。その上マジックの腕はプロ並だ。可愛らしく仲睦まじい幼なじみの少女がいても、江古田高校では彼に恋心を抱いている少女がいる。 紅子は最初たいして快斗を意識などしていなかった。ただのクラスメイト。それだけだった。 だが、妖艶な美女である紅子にどんな男も虜になるというのに、彼だけは一向に靡かなかった。それが不思議で、やがて不満になった。なぜ、自分の魅力に靡かないのか。自分の魅力はそれだけなのか。 自分から彼に近づいて迫ってみても、彼の態度は変わらなかった。 屈辱だと思った。 紅子は現代に存在するのが稀である赤魔女だ。 自分には魔力がある。魔王の守護を受ける高位の魔女だ。魔力の力で、ある程度の未来は予想できるし、人を操ることもできる。 誰もが跪く。そう紅子は思ってきたが、自分の思い通りにいかない存在に苛ついた。 どんなに自分の魅力を振りまいてみても、魔力で魅了しようとしてみても、彼は自分を見なかった。 その過程で、黒羽快斗をずっと見ていた。なぜ、自分の魔力が効かないのか。どこか弱みがないのか。他とどこが違うのか。 結果、紅子は彼に執着してしまった。 これを恋と呼んでいいものか自分でも定かではない。そんな純粋な想いとは思えないドロドロした気持ちだ。 自分を見て欲しい。自分に墜ちて欲しい。自分の魅力に気づいて欲しい。 そうして、自分に縛り付けたい。誰にも墜ちない男を自分だけに釘付けにしたら、どんなに気分がいいだろう。今までの不愉快さなど、きっとどうでもよくなるだろう。 自分勝手で、欲深い。自分は魔女だから、普通の少女のような純粋な恋愛などできるはずがないのだ。 その彼が。 誰かのものになった、と聞いた瞬間。自分の自尊心は粉々に砕けた。それは、悲しみより怒りが強い。あの幼なじみの少女なら、仕方ないと思えた。彼女は紅子も好意を持っている。嘘や欺瞞など欠片も持っていない少女は、自分と正反対過ぎて眩しいくらいだった。その少女なら、諦められる。自分を納得させられる。 それなのに。 それなのに、彼は。 今、紅子が対面している青年と結婚したというのだ。信じられるはずがない。信じたくない。許したくない。 だから、紅子は声を掛けたのだ。 一方、新一は自分を見つめる美女の視線を受け止めながら、頭の片隅で瞬時に判断した。 新一は日頃人から悩みを打ち開けられることが多い。それが直接事件と結びつく時も多々ある。事件に好かれるのかどこにいても、例え日常生活を営んでいても巻き込まれる。……つまり、事件体質なのだ。 だからこれはと思った勘は殊更大事にする。 今回は彼女が自分に危害を加えないと感じたし、話をしっかりと聞くべきだと思ったのだ。 「貴方、なぜ知らない私を家に入れたの?不用心ではなくて?」 紅子が気になっていた事をまず聞いた。 彼の人となりを一応調べてはきている。探偵をしていると聞いたのに、よく知らない紅子を無防備に家に入れるなんて、信じられない。 「これでも、人を見る目はあるつもりですから。貴方からはそんな空気を感じませんでしたよ。ですから、お話を続けて下さい」 新一は笑みを浮かべて紅子の苛つきなど軽く流す。 その全く崩れない表情が癇に障り、紅子は鋭い視線で新一を睨み口を開く。 「黒羽君と結婚したって聞いたの」 「ええ。そうですね」 「どうして貴方と?こんなことってある?信じられないわ」 「そうですね」 「なんで、私みたいな美女が振られて貴方なの?」 「もっともですね」 「私の方がずっと彼に相応しいのに!」 「ええ。その通りですね」 「……貴方、怒らないの?」 「怒る必要なんてありませんよ。だってこんな美人を振るのは男としておかしいですから」 この間、新一は穏やかな顔を一切崩さない。紅子の責める言葉を一々相づちを打って聞いた。 「……」 紅子は一向に堪えない新一に、口を閉じた。新一は紅子を優しい目で見ながら慰めるような声音で続ける。 「快斗は趣味が悪いんですよ」 「……」 「ついでに、ちょっと子供だから。貴方の素晴らしさがわからないんです。女性との恋より男同士の友情を大事にするような奴だから。知っているでしょ?」 「……知っているわ」 「俺から言うのは変ですけど、快斗を諦めないでやってくれませんか?」 「それ、どういう意味よ」 紅子は訝しげに眉を潜めた。 「今は俺と一緒に結婚なんてしていますけど、法律的にどうというとはありませんよ、もちろん。日本では認められていないし。でも、いつか快斗が貴方を好きになることだって十分にあるから、その時まで、できたら待ってあげてくれませんか?いつとは言えなくて恐縮ですけど」 「……」 紅子は柄にもなく、絶句する。 まさか、こんな事をいわれるとは思わなかった。 もっと、罵ってやろうと思ったのに。 男なんかに、彼を取られるなんて屈辱絶対に許せないと思ったのに。 自分の方が彼に相応しいって思ったのに。 なんとも、負けた気がしてならない。それに、待ってあげてくれなんて、どうして言えるのだろう。 彼を好きではないのだろうか。そんなに簡単に手放してしまえる存在なのか? けれど、彼のことを、とてもわかっている。理解している。大事にしている。それだけは、わかる。伝わってくる。 紅子は、工藤新一という人物に興味が沸いた。 憎い相手だとう思いこみを捨ててみれば、確かに工藤新一は綺麗だった。そう、男だという理由で諦めてしまうことなどできない美しさがあった。 目を見開いて無言で自分を見つめ続ける美女を新一は慈愛のこもった瞳で受け止めた。 新一と快斗、二人には約束がある。 もし、本当に好きな人ができたら互いに打ち明けるというものだ。その時が来たら別れるつもりだ。 偽りで、共犯者として生活はしていても。自分の未来のために一緒にいても。それが我が儘であることはわかっている。 本当に好きな人ができたら、この生活には終わりを告げようと堅く約束していた。 そして。いつか、その時がきたら一番に祝福しようと。 親友のように親しくなった今、きっと自分のことのように嬉しいはずだ。 そして、何か困ったことがあったら必ず包み隠さず相談することと決めた。 プライベートをすべてさらけ出す必要はない。けれど、この生活を続けるためには、秘密は少ない方がいい。いつ、何が起こるかわからないのだから。どんな問題が起こっても乗り越えるために、絶えず情報交換はしておいた方がいい。 だから言っておいた方がいいことは、必ず言うこと。 第一、親身に相談に乗るに決まっている。自分達は、親友なんだから。運命共同体なのだから。 だからこそ、折角快斗を好きでいてくれる美女に、諦めてなんて欲しくなかった。快斗の可能性を潰したくなかった。 「貴方、黒羽君のこと。好きではないの?」 紅子は、どうしても聞きたかった。だから、はっきりと問う。 「好きですよ。そうでなくて、一緒に暮らすことなんてできません」 「でも。それでは、まるで。離れることが前提に聞こえるわ」 確かに、男同士だけど。紅子は偽りなど許さないという真摯な目で、新一を見た。 「いいえ。ただ、人の気持ちとは移ろいやすいもの。5年後、10年後の保証などない。俺達の生活も、未来にどんな形なるのか、誰にもわかりません」 「……真理だとでもいうの?」 「いいえ。一般論ですよ」 なぜ、恋敵だろう相手に、こんなに穏やかに話せるのだろう。紅子は不思議だった。 でも。これ以上の答えは求められないのだと知った。工藤新一は一切嘘は付いていない。紅子にはわかった。 「……小泉紅子よ」 「はい?……小泉さん?」 いきなり名乗った紅子に、新一は首を傾げる。 「紅子でいいわ」 「……紅子さん?」 「まあ、いいわ。私は工藤君と呼ばせてもらうし。構わないでしょ?」 「ええ。構いませんが」 唐突に友好的な雰囲気に変わった紅子に新一は不思議に思いながら、それで笑って頷いた。 江古田高校の校門に一人の女性が立っている。 肩で切りそろえられた茶色い髪に薄茶の瞳。全体的に色素が薄い。細身だが均等の取れた体つきで十分に美人といえるだろう容姿。 思い切り、目立っていた。 人目を引きまくり、それでも我関せずと立っている姿はいっそ天晴れである。 だが、その美人と評していい女性に目の前に立たれて、 「少し、つきあってもらえるかしら?」 と有無を言わさぬ笑顔で告げられたら、快斗はどうしようもなかった。 幼なじみの青子と並んで歩きながら、今日のご飯はなににしようと考えていた矢先のことだ。隣で、青子が「快斗まさか浮気?もしそうなら言いつけてやる」と叫んでいたので「断固として違う。疚しいことなんて一つもない」と断言しておいた。そうでないと後でとんでもないことになるからだ。 快斗は、ここで美人の誘いを断ることはしなかった。快斗の勘が、付いていった方がいいと告げていたのだ。 美人の後に付いてやってきたのは、駅前のカフェだった。放課後であるせいか学生が多い。そろそろ混んで来るだろう。 さっさと自分のアイス珈琲を注文して、空いている席に座った美人を横目に見ながら、快斗はカフェオレを注文して彼女の向かいに腰を下ろす。カフェらしい木目の丸テーブルだ。それほど大きくはないが、別段困るようなことはない。 「どちら様かな?」 一口、カフェオレを飲んでから、自分を観察するように見つめて来る美人に、快斗は口火を切る。美人は、ストローでアイス珈琲を飲み喉を潤してから、徐に口を開く。 「貴方が黒羽快斗?」 質問したのは快斗の方だというのに、美人は疑問で返した。 「そうだけど……申し訳ないけど、初対面だよね?」 快斗は人の顔も名前も覚えるのが得意だ。一度でもちゃんと記憶していたら忘れることはない。その優秀な頭脳をもってしても、彼女とは初対面だと断言できる。 「……そうよ、初めて会うわ」 美人は心持ち冷たい声音で認める。 だが、そこにはなぜか火花が散って見えた。彼女の瞳には燃えるような炎が見える。 なぜなのか、快斗は甚だ疑問だ。初対面の人間にこんなに敵愾心をもたれる理由が自分にはない。たぶん。 「それで、名前を聞いてもいいのかな?俺のことは知っているみたいだけど」 快斗は様子を伺うように、名前を聞いてみる。答えるかどうかは半々だが。だが、美人はきっぱりと答えた。そして直球を投げてきた。 「宮野志保よ。貴方が工藤君と結婚したって本当なの?」 「……したっていうか、するっていうかねえ。どう答えていいか困るよ」 快斗は苦笑する。 「何が?何が困るっていうの」 「明確に関係を表現するのは、難しいってこと」 そうか、新一とのことが目的だったのだ。彼女は。 快斗は心中で、彼女は誰なのだろうと思う。 「で、それが、どうかした?」 「どうかしたじゃないわ。工藤君を不幸にしたら私貴方を絶対に許さないわ。第一、貴方は彼の隣にいる権利があるの?」 「権利はないんだけど。宮野さんにもないんじゃないの?」 「……」 「俺達の事情をもしかして聞いてる?文句なら爺共に言ってよ。俺に八つ当たりされても困る」 彼女は事情をある程度知っているだろうと快斗は予測を付けた。そうでなくて、「工藤君を不幸にしたら許さない」とは出てこないだろう。その予測は大きく的中する。 「そんなの知っているわよ!あのお爺さまったら私がいない間になんてことを!年寄りのくせに、若者気取りなんてして!なにが、工藤家の悲願よ。昔の因縁で孫を差し出すんじゃないわ。腹立たしいったらありゃしない。……新薬でも作っておくべきだったわ。今からでも、遅くないのかしら。……無味無臭の何も残らない毒薬ってのも世の中にはあるのよ」 ふふふと笑う笑顔がそら恐ろしい。 この宮野志保とう女性は一体何者だろうと新たな疑惑が快斗から沸き上がる。 「……殺す気満々?」 「そんなことしないわ。いやねえ」 ころころと喉を鳴らして志保は笑う。 決して笑っていない目が怖い。奥底にめらめらと燃え上がる黒い炎が見える。 (新一、恐ろしい人に好かれているなあ……) のんきにそんなことを考えた。 女性の嫉妬は恐ろしいから。逆らうと俺も殺されるかもしれない。ぞっとするな。背中に冷や汗が流れる。 「でも、貴方も邪魔よね」 「……」 そんな綺麗な笑顔で邪魔だと言われても困る。ついでに俺まで殺す対象にしないで欲しい。切実に。 「えっと、宮野さんは、新一といつから親しいの?」 話を振ってみた。自分には目の前の女性に対する情報が不足している。 「10年くらいかしら。小学校の時だったわ」 「結構前だね。それで、私がいない間にってさっき言っていたけど、どこかに行っていた?」 「そうよ。しばらく日本にいなかったわ。アメリカに留学しているのよ。そしたら、とんでもないニュースを聞いたのよ、おばさまに!」 悔しそうに志保は唇を噛む。 新一と志保の始まりは、小学生まで遡る。新一の実家である工藤邸の横に阿笠邸というものがある。そこには阿笠博士と呼ばれる人間が住んでいて、工藤優作とも旧知の仲だ。 その阿笠邸に引き取られた子供が、宮野志保だった。 両親を亡くして、母親の知人であった阿笠に引き取られて来たのだ。人付き合いが苦手な志保だったが、幼心にも両親の死は大きく影響を及ぼした。最愛の姉も両親と共に天国へと旅だってしまったことが、よけい志保に暗い陰を落とした。 そんな時、隣人の子供である新一と出会ったのだ。 小さくても探偵を目指していた新一は、なかなか賢い子供だった。仲のよい子供達と少年探偵団なるものを結成していた。研究者であり発明家でもある阿笠は子供達に探偵バッジを作ってやっていた。トランシーバーにもなり、発信器にもなるそれは、妙に本格的で、志保は呆れ半分で見ていた。 でも、真剣に事件に取り組む姿は、好ましかった。 たとえ、それが迷子の猫を探して欲しいという依頼でも、訳隔てなく調査していた。小学生ならもっと背伸びをしたがるものなのに。 志保は、つい聞いてみたくなって質問を新一にぶつけた。 「ねえ、死んだ人にあわせて欲しいって依頼が来たらどするの?」 同じように方法を探すのだろうか。子供が納得する。 だが、新一は青い瞳で真っ直ぐに志保を射抜いて、切り捨てた。 「死んだ人間にあうことはできない。死んだら人間は終わりだ。この世界は生きている生物だけの世界だ。もし、死んだ人間、黄泉の世界があるのなら、自分が死ぬしかあえる方法はない。けれど、宗教によって死後の世界は考え方が違うから。天国で待っているかもしれないし、輪廻転生して別人となってすでに生まれ変わっているかもしれない。つまり、人間は生きている間は、精一杯生きなければならないということだ」 「……最後の、いつのまにそんな結論になったの?」 「精一杯生きるってやつか?そんなの当たり前だろ。生きている価値なんて、適当に生きていて見つけられるものか」 「……」 「宮野。死にたいのか?それとも、生きたいのか?」 「……生きていたいわ。折角もらった命ですもの」 両親が庇ってくれて、自分の命がある。交通事故で、潰された車の中志保を包みかばうように守った母親の手。同じように、姉までもが自分をその手に抱いていた。 生かされた命を捨てることができない。 「なら、そんな顔するな。笑っておけ。笑っておいた方が人生勝ちだぞ」 そういって、新一は志保の頭を撫でた。年下の新一だけれど、志保はその子供に対する態度を甘受した。嬉しかったのだ。暖かかったのだ、その手が。 失ってしまった家族の手を思い出した。 それ以来、新一は志保の特別になった。 留学のためにアメリカに行く時は、側を離れるのが苦痛だった。でも、どこにいても自分は想っているから。彼の健康と安全と幸せを。祈ってるから、旅だった。なにより新一が留学を勧めてくれて、喜んでくれたから。 それなのに。 私が知らない間に、いつの間にこんなことになっているの?ええ? 志保は怒り心頭であった。 「……おばさまって、有希子さん?」 「そうよ。私がどれほどショックだったか貴方にわかる?」 「心中はお察しします。でも、現実だから」 「巫山戯ているの?」 「とんでもない。そんなこと女性に対してしませんよ」 フェミニストの快斗である。いくら、自分に敵愾心を抱いている女性でも声を張り上げたりはしない。 だが、そのフェミニスト的発言が気に入らなかったらしい志保は、目をすがめて快斗を睨む。 「工藤君の相手が、こんなのだなんて。嘆かわしいわ」 首を振り、見せつけるようにため息まで志保は付く。 「宮野さんにそれを言われる筋合いはないでしょう」 「あるわ。工藤君の相手は私が納得できるくらいの人間ではないと許せないもの。私の目が茶色いうちは、絶対に!」 確かに、志保の瞳は茶色だ。全体的に色素が薄いのだ。 あれだ。彼女は新一を殊更大事にしているが、恋愛感情がある訳ではないらしい。自分が新一の隣にたつことなど考えてもいないようだから。 しかし、厄介な人物である。 恋愛感情ならこれほど快斗も困りはしない。 自分は新一に相応しくないと言われては、ほとほと対応に困るというものだ。 どうしようか。 「さてと。じゃあ、行きましょうか」 志保が席から立ち上がる。 「どこに?」 「決まっているわ。貴方達の新居よ」 胡乱げに尋ねる快斗に、志保はにっこりと笑い当然のように告げた。 快斗が帰宅すると、なんとそこには新一だけではなく紅子がいた。快斗は目を見開き、唖然とした。 そこへ、新一の声がかかる。 「快斗、お帰り。……あれ、志保?どうしたんだ?」 快斗の後ろについてリビングへと現れた志保に、新一が首を傾げた。ここにいるはずのない人間がいるのだ、驚かない方がおかしい。 「どうしたんじゃないわよ。どういうことなのよ、これは!」 志保は新一の姿を認めると、食ってかかった。 「どういうって言ってもなあ。……おまえ、いつ帰国したんだ?」 「昨日よ」 志保は現在アメリカに留学中なのだ。新一が不思議に思って仕方ない。 昔から、それはそれは新一を大事にしていた。1つ年上で、姉のように新一に接していた。工藤邸の横に住んでいるため、幼なじみの同類項だ。 蘭と園子とも仲がよい。 志保は小学校の時転校してきて、それ以来のつきあいだ。 「それより、紅子。どうしてここにいるんだ?」 一方、ソファに座り優雅に紅茶を飲んでいる紅子の前に来て、快斗は手を腰に当て怒ったような顔で睨んだ。 「……別に、貴方を待っていた訳ではないわ。私は工藤君に家に入れてもらったんですもの。文句を言われる筋合いはないはずよ」 紅子は、ふんとそっぽを向く。 「新一!」 快斗が思わず叫ぶ。 「そうだぞ、快斗。俺が招待したんだから快斗が怒るのはおかしい。ねえ、紅子さん」 「ええ」 にっこりと紅子は妖艶に微笑んだ。 快斗は紅子を益々睨んだ。そして新一に文句を言いたげに見つめた。だが、新一はその視線を無視して志保を相手にした。 「それで、志保。……久しぶり。元気だったか?」 打って変わって、新一はふわりと優しく志保に笑いかけた。親しい人間に対する無邪気な微笑みだ。 「……ええ。貴方もね」 志保も虚を突かれたように目を丸くして、やがて諦めたように苦笑した。 「元気そうで、嬉しいわ」 そういって志保は新一の頬に指を伸ばして、優しく撫でる。漆黒の髪をゆっくりと梳き艶やかに笑いかけた。 「志保もな。博士にはもうあったのか?」 「顔は出したのよ、ちゃんと。でも研究が忙しいみたいで困っていたわ。一緒にご飯を食べに行きたいって泣きながらそれでも仕事しているの。博士らしいでしょ?」 「そうだな。だったら、俺と食べよう。……なあ、快斗一緒にどうだ?」 新一が当然のように快斗を誘う。 「……俺が一緒だと積もる話もできないだろ?二人で行っておいでよ」 だが、快斗はひらひらと手を振る。自分は遠慮するべきだろうと快斗は思ったのだ。 「そうか?」 「そうそう」 頷く快斗に、新一は首をひねり、うーんと腕を組んで考えやがて手を叩いた。 「大勢の方がいいから、紅子さんも一緒にどうですか?4人ならいいだろう?」 なんていいアイデアだろうと新一は笑った。そんなことを思っているのは新一だけだ。微妙な4人の間柄過ぎて、他の3人は少々困惑した。 「それなら、ご一緒させてもらおうかしら。是非、工藤君とそちらの女性ともお話したいわ」 紅子が首を傾げ長い黒髪をさらりと流しながら一番に了承する。 「私も、もちろんいいわよ。工藤君」 志保が苦笑しながら同意する。 「……それで、快斗は?」 新一が率直に快斗へ問う。 「…………行く。行くよ」 仏頂面をしながらも、是と言うしかなかった。自分を抜いて3人で話された日にはどんな話題が飛び出るやら、恐ろしいものがある。快斗は心中でめいっぱいため息を付きながら、諦めた。 ひょっとして、厄日かもしれない。 それにしても、紅子はなんでここにいるのだろう。もしかして、新一に迷惑をかけたのだろうか。 後で確認しておかないとならないな。 「どこに行こうか。ご飯くらい作ってもいいけど、時間があるからな」 「どこでもいいわよ」 「私も。工藤君に任せるわ」 女性陣は、新一に好意的過ぎた。そして、快斗に冷た過ぎる。 しみじみと自身を省みて、日頃の行いを考えてしまった快斗だった。 |