「星に願いを 3章 6」





「そこで、こう憂い顔で視線を斜め前方へ向けて」
 カメラマンの指示に応えるように新一は表情や視線を変える。その度にカシャンカシャンとシャッターが切られる音が室内に響く。
「OK!セイ、その顔で!」
 ファインダーから被写体を見つめながらカメラマンが声をかけ、シャッターを押す。
「指をこうもっと顔に近づけて。頬を包むように!照明は絞って」
 照明に指示を出し、写真を撮りながら少し時間が経つとメイク担当の女性が新一に寄っていて汗ばんだ肌を押さえる。
 空調は効いていても照明を当てられていると暑いようだ。真剣に撮影しているカメラマンの額にも汗が浮かんでいる。
 園子は一部始終を見て時々スタッフと話をして指示を出している。総責任者である園子のやらなければならないことは多い。不手際がないか気を配り、変更部分があればすぐに決断して指示をする。
 できる女性の顔をした園子はどこから見ても社長でしかなかった。
 
 快斗は一歩離れた場所でそれを見ている。
 このような撮影にしては、スタッフの数は意外に少ない。園子が信用できる人間しか集めていない証拠である。
 おかげで、快斗に不用意に話しかけてくる人間はいない。座っていたらどうですか、飲み物はいかがですか、等気遣う言葉だけだ。それを撮影が見ていたいのでと丁重に断って快斗はずっと眺めていた。どれを見ても興味深いことばかりだ。撮影がどうやって進むのか快斗は知らなかったし、普段は関わることがない職種のプロの卓抜した技を見ることは感心することばかりだ。
 
「うーん、やっぱりもう少しプッシュが欲しいよな」
「ああ、贈り物だから?」
「そう、エンゲージは自分で買うのではなく贈られるものだから、そういった雰囲気というかメッセージを出したい」
「なるほどねえ」
 煌めくばかりのエンゲージの蒼い宝石を指にはめた新一がいろいろ注文通りポーズを取っていたが、カメラマンがうーんと唸った。それに園子がすぐに反応して応えた。
「……ねえ、こう相手の手が添えられていたら、いいんじゃなくて?」
「つまり、もらった相手に手を添えてって?いいかもな」
 園子のアイデアにカメラマンは指を鳴らす。
「それでいきましょう。……で、ケイ、ちょっといいかしら?」
 いきなり振り返ると園子は、にっこりと笑い快斗と視線をあわせ強い目で見つめる。
「何です?」
「あのね、ケイ。出てくれない?」
「俺が?」
 突然の申し出に快斗は自分を指さして確認した。
「ええ、顔を出せとはいわないから。手だけ、駄目かしら?」
 切実に、見つめる園子に快斗は黙った。
「手だけ?」
「そう。手だけどうしても欲しいのよ。ケイ、マジシャンらしく綺麗な指してるじゃない。長くて節立ってなくて、爪も整えられてるし。なにより形が綺麗ね」
 よく見ている。さすが園子であるといえるだろう。
「そうかな?」
「……確かに、そうかも。ケイの手や指は俺も綺麗だと思うよ」
 新一が横から誉めた。常々新一は快斗の手や指は美しいと思っているのだ。マジックをする時が一番滑らかに動き素晴らしく優雅で、二番目は料理をしている時に器用に動く。
「でも、素人だよ」
「平気平気。前回なんてユキさんがちょっとだけ出てくれたんだもの」
「ユキさんって誰?」
「俺の母親」
 快斗の問いに新一が耳元に小さな声で囁いた。工藤有希子、新一の母親であり、元世界的美人女優である。
「……セイの?」
「そう」
 目を見開いて快斗は新一に聞いた。新一は不本意そうに肯定する。
「それは、また。なんというか……」
「私にとっては幸運ね。助かったわー」
 どう返していいか困る快斗に園子は茶目っ気に笑った。社長としてはありがたいことだったに違いない。
「前回はユキさんが見学にいらしていて、後ろ姿だけ登場してくれたのね」
 そう、前回の撮影時に母である有希子がたまたまこちらに旅行へ来たからとスタジオに遊びに来て、園子に請われ出演したのだ。
 世界的元美人女優の友情出演である。スタッフも喜んだ。後ろ姿だけでも美しいし、血のつながりがある二人は確かに美貌の親子だった。
「ね、だからやってくれないかしら?」
「……わかりました。手だけですよ」
 マジシャン然として話す快斗は園子に対しても丁寧だ。このスタジオ内ではそのまま通るつもりなのだ。
「ありがとう。じゃあ、ニック!OK出たから、よろしくね!」
 園子はカメラマンを呼んで、手を挙げた。
「Yes!」
 カメラマンはウインクしてサムズアップすると破顔した。
 
 
 
「ケイ、こうエスコートするみたいに、ね!」
 快斗は要望に応えようと、手のひらや指に神経を注いで新一の手をエスコートする。
 手だけとはいえ、さすがに腕の部分も映るため快斗はジャケットを羽織っている。急いでスタイリストが用意してきたものだ。漆黒のジャケットは映像にも映えるものだ。
「セイ、軽くね。添えて!」
 新一も快斗の手に手を重ねるように置く。
「じゃあ、視線はケイを見つめて。そこに愛しい人がいるつもりで、笑って!」
 愛しい人のくだりで新一は一瞬困ったように眉を寄せた。そして、声には出さず口だけで、愛しい人ね……と呟いた。
 指示に従い快斗を見上げる新一に、快斗は薄く笑った。
 そして、小さく新一以外には聞こえない声音で囁く。
「愛しい人が駄目なら、共犯者として見たら?」
 快斗は手しか映らないから多少声を出しても問題はない。新一は口を動かす訳にはいかないから話せないけれど……。
 新一は目を少しだけ見張り、やがて笑った。
 視線で、そうすると応えて。
 愛しい人を想って見つめる、瞳は案外正直だ。演技ができないことはないかもしれないが、新一はその点プロではない。母親の血が流れているとはいえ、それほど訓練していないから、完璧に演じられるはずがない。
 それでも、二人の間には優しい空気が漂った。一緒に暮らしている夫婦である。そこに恋愛感情がなくとも、互いに理解し合ってきた。料理一つにしても、夕食を作るために新一は快斗に習ったし、できる方が洗濯や掃除を担当した。共に暮らすためには妥協も必要だ。無理ばかりでは続かない。
 二人の間に信用や信頼や友愛や家族愛など、表現できない感情が生まれて当然だった。
 新一が快斗を見つめる視線の中に確かな信頼が透けて見えて……そこには共犯者である秘密を共有する人間の密接さも加わっていて……二人が醸し出す雰囲気はカメラマンや園子が求める愛する人に向けるものとぴったりあっていたから、そのまま撮影は進んだ。
 人生を預けるくらい快斗を信頼しているのだ、新一は。それは快斗にしても同じで。二人が見つめあっていると、まるで恋人同士に見えたなんてスタッフは思ったが口にしなかった。ここで起こったことは、口外無用。鉄則である。
 
 
 
「お疲れさま」
「休憩にしてね」
 撮影が進んで少し休憩を挟むことになった。ずっと撮影していては神経が持たない。集中力がもたないといいものが撮れないため、一定の間に休憩を入れるのだ。
「よかったわ、ありがとう。ケイ。それからセイも!あの瞳は綺麗でうっとりしたわよー。この後もよろしくねー」
 休憩のため、部屋の隅に置かれている椅子に座った二人に園子がやってきて話しかけた。手前のテーブルには飲み物が用意されている。新一には機能性飲料である。モデルであるから、当然だ。快斗はアイス珈琲だ。
「ああ、ケイ。少しだけだけど、手タレの報酬は払うから。銀行口座を後で教えてね」
「手だけですから、報酬はいりませんよ」
 快斗は即刻辞退した。
「馬鹿ね。何でも出演には報酬は付き物よ。友情出演でも、ギャラを払わないって訳にはいかないのよ。これはビジネスですもの。まあ、微々たるものだから、期待してもらったら困るけどね」
 園子はばちり、とウインクした。
「……わかりました」
「ええ、もらっておいて」
「……おまえ、本当に俺の時と変わってない。らしいけどさ」
 そのやり取りを聞いていた新一は口を挟んだ。
「そう?いいのよ、これが私のやり方なんだから。そうだ、セイ。……こっち向いて」
「は?」
 園子はポケットから透明な小振りのボトルを取り出すと、新一に向かってスプレーした。
「……なんだ?これ」
 驚く新一に園子は全く悪いことはしていませんという顔で、澄まして説明する。
「香水の試作品。のうちの一つ。どう?」
「試作品?」
 新一は香りがする自身をくんくんと嗅いでみた。ふわりと香ってくる匂いを分析するように首を傾げつつ、目を伏せて思考する。
「これは、どこか甘い?でも、フローラルとも違うし。爽やかな部分がない訳じゃない……」
「セイは好き?嫌い?どっち?」
「……嫌いじゃない。好きかと聞かれれば好きな方だな。甘すぎないから」
 新一の返事に園子は、うーんと腕を組み思案するように斜め上を見上げた。どこか遠くを見ているようで、やがて戻してから口を開く。
「どんな香水にしようか本当に迷っているの。市場は何を求めているのか、私達は何を目指せばいいのか。どんな人にこの香りをまとって欲しいのか。どこに視点を置くかによって何を選ぶのか決まってくるのよ。試作品がいくつか上がっていても、その中でどれを選ぶか。頭が痛いわ」
 珍しく弱きな園子である。それだけ難しいということだろう。
 初めて出す香水はその店のイメージになる。適当にいくつも作る訳ではないので、確固たる存在感が欲しいところだ。
「トップからミドル、ラストノートに変わるから。後でまた香りが変化したら感想聞かせて」
 香水は時間によって香りが変化する。その上、付ける人によって微妙に変化してその人の香りになるのだ。
 香水を身につける理由が人にはある。
 一つ、好きな香りを身につける。
 二つ、理想を身につける。こういう女性になりたいというあこがれだ。
 三つ、自分のイメージに役立てる。香水はすでに一定のイメージがあるから、これを付けている人はこんな人ではないかという偏見がある。
 ジュエリーはこの二年間がんばってきた成果が現れているように、園子には見る目もデザイン力もあったのだろうとわかる。だが、一つ分野がずれるだけで、どうしてらいいか迷うなんて思わなかった。
 園子の中で結論が出ていないのだ。
 個人的な意見では、今回あまり参考にならない。
 なぜ、人は香水を身につけるのか、という命題からスタートしているのだから。
 シトラス、フローラル、オリエンタル、グリーン、フルーティ、ウッディ、アニマル、スペシャルノート。
 香りはいくつにも分類される。そして一つの香りは約百種の香料から出来上がる。
 調合はプロに任せるとはいえ、迷いだしたら切りがない。
「わかった。後でな」
「お願いね」
 ボトルの試作品もあるのよ、と園子が鞄からいくつもの器を取り出して見せ始める。それに、これは綺麗だな、これは形が面白いと新一が感想を述べる。
 その二人のやり取りを快斗は隣で見ながら、面白いものだと感心していた。
 この『ビビ』シリーズは新一に基準点があるのだ。デザイナーがデザインもする時も。社長である園子の商品チェックも。モデルであるので、カメラマンの撮影時のイメージも。
 それに、気付いていない新一が一番面白いのだが。
 なんとなく思うのだが、園子は新一とのつきあいが長いと言った。毎日この顔を見て過ごしたら、センスというか好みというかそういったものが新一基準で形作られても不思議ではない。それをどこまで園子自身が認識できているかは、あやしいと思うが……。
 
 
 
 そろそろ撮影に戻ろうかとスタッフが次の準備に取りかかり始めた時、スタジオの扉が開いた。視線をそちらにやると。
「……ジジイ?」
 新一の地平線を漂う低い声が響いた。不機嫌極まりない声音だ。
(なんで、こんな所に現れやがる?)
 新一は心中で思い切り突っ込んだ。
 こちらに歩いてくる老紳士は工藤一成。新一の祖父である。
 ダークな色合いの背広姿で背筋はまっすぐに伸びているし頭髪は白いがふさふさしているせいで、それほど老人には見えない。
「やあ」
 片手をあげて気軽に挨拶されても、新一は困った。だが、一成は全く気にしない。我が道を行く。
「撮影に間に合ったね、よかったよ」
「……良くない」
 新一は呟く。
「今回サブちゃんは都合がつかなくて、私だけだよ。否、残念だ」
「「……」」
 サブちゃんとは黒羽重三郎、快斗の祖父だ。当事者二人は瞬間息を止めた。そして、新一は眉を寄せ勢いよく聞いた。
「で、どうしているんだ?誰に聞いた?」
 新一は掴みかからんばかりだ。そして、一気に質問した。だが、一成は穏やかな表情を崩さす素直に口を開いた。
「それなら簡単だよ。園子嬢に教えてもらったんだよ」
「園子?」
 新一は傍らの園子を瞬時に振り返った。
 園子はふんと鼻で笑って、腕を組みながら新一を見やってから、にこりと笑い一成に頭を下げて挨拶する。
「いらっしゃいませ、一成様」
「こんにちは、招待ありがとう」
「いえいえ、こちらこそ。じっくり見ていって下さいね」
 殊更愛想良く園子は微笑む。
「どういうことだ?ああ?」
 新一は園子に詰め寄る。セイとしては、少々柄が悪くなっている。
「え、どういうもないでしょう。セイにモデルお願いした時なんて十六歳なんだから、未成年に仕事をさせるんだから保護者に許可をもらうのは当然だわ。だから優作さんも、有希子さんも知ってるでしょ?一成様にもお知らせしたの。前にお問い合わせ頂いたから。それ以来、セイのポスターもテレビ用のCMも全部送らせてもらっているのよ」
「毎回毎回、素晴らしいね。セイの美しさが写し取られているよ」
 一成は自然に新一のことをセイと呼んだ。慣れている。
「そう言って頂くと嬉しいですわ。こちらこそ、ご贔屓ありがとうございます」
「商品もいいものばかりだからね」
「……なんだって?ご贔屓ってなんだ?」
 新一としては聞き逃せない台詞だ。
「一成様、うちの顧客よ。毎回ご購入下さっているんだから」
 衝撃的な園子の言葉は新一の機嫌を底辺まで落とす。綺麗な顔を歪めて新一は一成を鋭く睨んだ。
「ジジイ……。なんでそんなものを買う?」
「そんなもの、って失礼だよ。セイ。このシリーズは私の目から見てもいいものばかりだと思うから買ってもおかしくないだろ?」
「でも、爺さんが使う訳じゃないだろ?」
 いくらユニセックスとはいえ一成が使うには少々若すぎるデザインばかりだ。
「そうでもないよ」
 一成はとても柔らかな笑みで、新一を見た。新一は、なんとなく嫌な予感がした。この祖父があのシリーズのジュエリーを本当に身に付けるのだろうか。それとも、一成は買うだけで他の人間が身に付けるのだろうか。
 それとも、この孫馬鹿な部分がある祖父は収集しているだけなのか。
 どれもこれも嫌だが、もし本当に一成があれを身につけてどこぞのパーティやら公の場に出るのならそれが一番嫌だ。日本では発売していないはずなのに、こんなところで買って日本に持ち込まれた日には、どうなることやら……。
 新一は怖い思いに捕らわれた。
 やめて欲しい。切実にやめて欲しい。
 でも、新一がどんなに言ってもきっと止めないのだ、この祖父は。
 可愛がっていると公言するくせに、孫である新一の言うことを聞いちゃいない。困った爺なのだ。
「ところで、元気かね?ケイ」
 一成は、快斗のことをケイと呼んだ。飛行機の中で決めた名前であるのに、どうして知っているのだろうか。園子が情報をリークするにも早すぎる。電話したのか、それともメールか。どちらにしても、園子は決めてから即刻一成に知らせたに違いなかった。
「元気ですよ。一成老。こんなところでお会いすることになるとは思いもしませんでした。うちの爺様を連れてこなくて正解ですよ。あれは、なかなか公害ですから」
 快斗はさらっと嫌みを言った。我が祖父の悪口くらい訳はない。別にそれが伝わっても怖くもない。
 それより、ここに現れたかもしれないという事実の方が恐ろしい。
 新一ではないが、なんでいる?と問いつめただろう。新一には申し訳ないが、自分の祖父でなくてよかったと思う。きっと事態はもっと深刻なものになっていただろう。自分だったら、こんな穏やかな雰囲気にはならなかった。新一からすれば、不機嫌になって低い声で祖父を睨んでいるくらい怒っていると訴えるだろう。どこが穏やかだと反論するだろうが、自分と重三郎だったら、もっと冷え切った空気が漂うだろう。
 あの祖父は自分からすれば天敵だ。
 似た部分があることが、鬱陶しい。思考がわかるからこそ、嫌なのだ。
 新一と一成はなんだかんだ言っても仲がよい。しかし、快斗と重三郎は決して仲は良くない。嫌いとは言わないが、好きではない。
 新一がそれを聞いたなら、複雑なんだなと、これまた複雑そうな顔で言うに違いない。以前、互いの祖父について話したことがあるが、その時も微妙な顔をしていた。
「ケイはサブちゃんから聞いている通りの人柄だね」
 何を聞いている。何をこの老人に語っている。
 快斗は、そう言いたい気分になった。だが、そう聞いてもまともに返してくれるはずがない。この老人も食えない人物なのだから。
「そうですか?あの人もそろそろ年を考えればいいのに。年寄りの冷や水はいけません。こんな海外に来なくて本当に、正解です」
「……ケイ君は面白いね。うん、本当に。セイにぴったりだ」
 にこにこと笑って一成はそう告げた。
 面白いと言われても、そこにどんな意味が含まれているのか。新一とぴったりだと誉めているのなら、今の状況で爺共は満足していると思っていいのだろうか。
 読めない人達である。これ以上、何も行動を起こさないで欲しいと心から思う。
「誉め言葉として受け取っておきますね」
「ああ、そうしておいてくれていいよ。で、セイ。今度また実家に顔を見せにおいで。珍しい本が手に入ったからね。見に来るといいよ」
「……うん」
 快斗の話に片を付けると一成は新一をにこやかに誘った。すでに、穏やかな表情に戻っていて孫馬鹿になりきっている。新一も本につられて素直に返している。
 やっぱり食えない。絶対食えない。まだまだ敵わないことは承知の上だが、いつ見返してやれるのか。この調子だと、当分先だな。
 快斗はしみじみと思った。
 深く考えれば、今回園子が快斗を誘った時点で、爺共の計略が始まっていたのかもしれないのだから。すべてお膳立てされていたと考えても不思議ではない。園子は社長として一成と付き合いがあるようだ。そこで、どのような話がされているか想像に難くない。
「では、しばらく見学させてもらうよ。といっても、一時間ほどしか時間が取れないのだけれどね」
「一時間?わざわざそのために来たのか?爺さん」
 新一が思わず聞いた。
「そうだよ、と言いたいが別に用事もある。半分がセイの綺麗な姿を見るためかな。目の保養くらいしたいしね。がんばっておいで。……園子嬢、お仕事の手を止めさせてしまいましたね、申し訳ない。続けて下さい」
 一成は、前半新一に満面の笑顔で返し、後半は園子に向かって詫びた。
「いいえ、構いませんわ。それほどでもありませんし。では、撮影を始めます!準備してね!……一成様は、お好きな場所でご覧になって下さい。前の方ならセイがよく見えますし、ここで椅子に座って見学されてもいいですわ」
 園子は顧客優先の態度で一成を優遇しながら、スタッフに叫んで準備を促した。それを聞いてスタッフは手を止めていた準備をすぐに再開した。
 
 一成はその後一時間で名残惜しそうに帰っていった。
 今度はもっとじっくり見たいものだよね、と呟いていたのが恐ろしい。


 
「お疲れさまー」
「いいのが撮れたな!また、今度もよろしく」
 撮影が終了して、スタッフから口々に声をかけられた。新一もそれに笑顔で応え、手を振る。
「お疲れさま」
 そう言って、挨拶や労りの声をくれる一人一人に言葉を返した。
「セイ、お疲れさま。今回もありがとうね。いいものが撮れたわ」
「それならいいけどな。園子もお疲れ。忙しくて寝てないだろ?おまえの方が目の下にクマがあるぞ」
 新一は園子の目の下を指さしながら、労る。
「若いから平気よ。一仕事終わったらゆっくり睡眠取るわ。それまでは、がんばる」
「そっか。倒れない程度にしておけよ」
「うん、ありがと」
 一つ仕事が終わったせいか、園子の顔色も明るいし柔らかだ。新一も仕事をがんばる園子を応援しているから、少し安心したように優しい笑みを浮かべた。
「ケイも、ありがとう。助かったわ」
「いいや。こっちも楽しかったよ」
「それならいいわ。……それでね、二人にプレゼントがあるの。受け取ってもらえる?」
 園子は予め用意していたのかポケットからビロードの小箱を取り出して蓋を開けると新一と快斗に向かって差し出した。
「なんだ、これ?」
「なに?」
「マリッジよ。二人のサイズはあわせてあるから、大丈夫なんだけど」
 ウインクしながら園子は悪戯っ子の輝きを目に浮かべた。
「「……」」
「二人とも持ってないんでしょ?だったら私からプレゼントさせてもらおうと思って。ちなみに、これは非売品。この世に二つとないわ。二人の趣味にあわせてとてもシンプルにしたの。飾りなんてほとんどついてないわ」
 確かにビロードの小箱に入っているリングは余計な飾りが一切ない至ってシンプルなリングだ。プラチナで少々流麗なフォルムになっている、好感のもてるものだった。一見見えないのだが、実は内側にしっかりとブルーダイヤモンドがはめ込まれている。
「園子……」
「園子ちゃん……」
 園子の気遣いに新一も快斗も声が出ない。純然たる好意には、好意でしか返せない。これを受け取らないなんて選択肢はどこにもなかった。
「ありがとう、園子」
「園子ちゃん、ありがとう」
 新一も快斗も、ありがとうとしか言えなかった。本当はもっと気の利いたことを言えればいいのだけれど、こんな時は何も出てこない。
「どういたしまして。気に入ってもらえれば、私も嬉しいわ。じゃあ、今日はお疲れさまでした。そして、たくさんのありがとう。私はもう少しやることがあるけど、ホテルまでは送らせるから心配しないで」
「わかった。じゃあ、がんばれよ」
「うん。またね!」
 
 


 二人は園子に手を振って別れた。
 着いたホテルで二人のために新婚仕様さながらのスイートが用意されていて驚くのは、この二十分後だ。
 
 


                                                         END




BACKTOP