「そういえば、新一」 「何?」 「18歳になったよね」 「先月、誕生日来たからな」 日曜の朝、清々しい朝食の後、珈琲を楽しんでいると向かいに座る父工藤優作が徐に切り出した。息子である新一は、また何を言い出すのだろうと幾分うんざりとしながら、それでも付き合うって答えた。だが、優作は何倍も上手だった。 「そこで、だ。お前もやっと結婚できる年になったことだし、そろそろどうだろう?」 「そろそろって、何が?」 新一は胡乱げに聞き返した。こういう時の父親はろくなことを言わない。 「結婚だよ」 「待て、結婚だ?いきなり何なんだ?親父、頭おかしくなったんじゃねえのか?」 予想外の言葉に、新一は思わず手にしたカップを乱暴にソーサーに戻し優作を睨んだ。 「いきなりではないよ。お前には生まれた時からの、許嫁がいる」 「……は?そんなの、聞いていない!」 「あれ、知らなかったかな。とにかく、そう決まっているんだよ。それとも、結婚したいくらい好きな人でもいたかな?」 「……」 安易に、嘘は付けない。いるなら、目の前に連れて来いと言うだろう。 生憎、そんな相手はいなかった。どちらかといえば、事件が友達で謎が恋人だ。そこからでも新一の人間関係の淡泊さがわかろうというものだ。 「やっと相手も18歳になるからね。本当に、待った甲斐があるというもんだ」 「……?」 どこか、変な台詞である。待った甲斐とは何か。年齢が足りないというならともかく18歳になるというなら問題はない。 「この結婚は、昔から工藤家の悲願でね。曾祖父の代から続いている因縁だ。当時、誓い合った恋人同士は、残念ながら家の都合で別れる他なかった。まだまだ本人の意志では結婚できなかったからね。だが、だからこそ二人は自分の子供達が結ばれるよう誓った。自分たちのできなかった願いを叶えようとしたのだ。だが、残念ながら生まれた子供は息子同士だった。子供同士は結婚はできなかったが、大親友になった。そして、今度こそ自分達の子供を結び付けようと約束をしたのだが、また生まれた子供は息子達だった。そして、何人もの望みをかけて、お前達が生まれた……」 「……やっと娘が生まれたっていうのか」 過去の因縁に眉を寄せ、女に生まれてしまった相手に同情した。今時、許嫁だからといって会ったことのない相手と結婚など、誰も承知しないだろう。ナンセンスだ。 昔話は可哀想ではあるが、今を生きている新一には関係がない。 「いや、男だった」 「は?」 新一は目を丸くして、信じられない父親の台詞を聞いた。 (今、なんといった?) 「だから、今回も息子だったんだよ」 「あ?息子?だったら、今回だって次に回るんじゃないのか?」 父親はとうとう呆けたのかもしれない。なぜ、こんな馬鹿な事をほざくのか理解できない。 「違うよ。今は同性でも結婚できる時代だからね。日本ではまだ無理だがノルウェー、オランダ、ドイツ、ベルギー、スペイン、イギリスと国籍さえ変えればパートナーになれる時代だ。いやー、本当にいい時代になったものだねえ」 (待った甲斐の、意味が理解できた。したくなかったけど……) 理解できたとしても、何もそこまでして、果たす必要はないのではないかと新一は思う。 「巫山戯るな!勝手に人の未来を決めるんじゃねえよ。俺がそう簡単にはいそうですかと言うと思っているのか?第一相手だって、反対するに決まってるだろ?ここは、日本だ。……や、まさか、相手は外国人?」 新一はふとした疑問に動揺する。 「日本人だよ。それにね、これは私だけではなくお爺さんの悲願だ。お爺さんは自分の意志を通すためなら、何でもする。たとえ、可愛がっているお前でもだ」 「ジジイ」 ぶるぶるとふるえる手を握り、新一は目を細めて呻いた。 「お爺さんからの伝言だ。もし、従わないというなら、警察から一切の事件要請をお前にさせないと。今まで通り探偵としていたいなら、何が大事か考えなさい、だそうだ」 それは新一にとって、致命傷だ。 探偵であるということが、自分の存在意義だと思っているのに。いつも探偵であろとしているのに。 「くそ、ジジイーーー!」 新一は、叫んだ。 「この、くそジジイ〜〜!」 重厚な扉を開け放ち、新一は中にいる人物に向かって叫んだ。 「どうしたんだね、新一。行儀が悪い」 しかし、怒ってる新一など歯牙にもかけない様子で老人は机から顔を上げた。白髪に頭は覆われているが禿げてはいないし、切れ長の眼光は穏やかなように見せて実は鋭いことが伺える、年齢にしては若々しい佇まいをしている。身体付きも衰えた風情もなく、彼のように背広が似合う老人はそうはいないだろう。 ダークな色合いの背広が彼の持つ雰囲気とあいまってよく似合う。 「どうしたんだじゃない。許嫁って何だ?」 足早に机の前まで来て、新一はばんと音を立てて机を叩く。 「許嫁は、許嫁だよ」 その生気溢れる孫である新一の瞳を観察して、老人は口の端を上げてにんまりと笑う。 「だから、許嫁が問題だろ?今時本人達の意志を無視して結婚を勧めるのもどうかと思うけど、男なんだろう?相手も!」 「そうだが、どこか問題か?」 「大ありだ!」 「今までは、息子同士では不可能だったが、今では同性同士でパートナーになることが可能だ。まだ日本では無理だが、他国に行けばいくらでもできる」 「なんでだよ?いくら今は他国で同性結婚ができるようになったとはいえ、無理して息子同士で結婚させなくてもいいじゃねえか。今までだってそれで結婚が流れて来たんだろう?娘と息子が生まれるまで、待てば?」 新一は多分大多数の人間が全うだと言ってくれるだろう意見で説得した。だが老人は全く感銘を受けてはいなかった。 「待てないよ、新一」 「何で?」 「私も、いい年だ。そろそろ悲願を遂げたい」 「悲願っていっても、本当は爺さんのじゃないだろ?俺からいえば曾祖父。爺さんの親父だ」 そんな大昔の人間の願いのために、今生きる人間を巻き込まないで欲しい。切実に。 「けれど、私は必ず叶えると誓ったんだよ、親友とね。この目で願いが成就する瞬間を見てからでないと死ねない」 「だったら、長生きすれば?大丈夫、爺さんなら長生きするって!」 実際、老人はすぐにくたばるとは思えない。もうすぐ80歳に手が届こうというのに、財政界では相変わらずトップに君臨しているのだ。狸爺とも工藤御大とも呼ばれる老人はどんな世界にも顔が効く。 「ほう、そんなことを言うのかね。だったら新一はさっさと結婚して孫を見せてくれるというのかね?見事娘を作り相手と結婚をさせると?」 「……」 自分が嫌だから子供に任せてしまうというのは、ただの逃げだろう。第一、現在新一には好きな人も恋人もいない。まして結婚などしようと願う女性は見あたらなかった。それに、結婚など考える年齢ではない。子供が欲しいから好きでもない女性と結婚など不可能だ。人としてしていいことでは決してない。いくらせっぱ詰まっても、それくらいの人としての尊厳はあるのだ。 「新一。優作から聞いただろう?もし、願いを聞き入れてくれないのなら、相応の対応はするよ。目的のためなら手段は選ばない」 にやりと笑う老人は普段孫である新一に甘い爺ではなく、正しく財政界に君臨する人間の顔だった。 新一は自分の不利に肩を落とし項垂れため息を付いた。 ********** 「快斗」 「何、父さん」 黒羽家の親子は現在キッチンに立ち、お菓子作りに勤しんでいる。 作るものはデコレーション。スポンジを焼いて生クリームをたっぷりと塗り苺を乗せたバースデーケーキだ。 母親の誕生日を祝うため、父と子が共同でケーキを焼くのが近年の常だ。 「これを、オーブンに入れてくれ」 ケーキ以外にもクッキーやパイなどを作るため、手際よく二人は進める。 「ああ」 快斗は父盗一からトレーに乗ったパイ生地を受け取り予熱してあったオーブンに差込みタイマーをセットした。 「こっちは生クリーム塗ったから。父さんが苺乗せておいて。その間に俺コンポート作るから」 広めのキッチンにあるテーブルに所狭しと出来上がったお菓子やケーキが並び、半面にはこれから完成を待つお菓子が置かれていた。部屋中に甘い匂いが充満して、なかなか凄い光景が広がっている。ちなみに、出来上がるまで母親は立ち入り禁止である。 「ところで、快斗」 「うん?」 快斗は作業をしながら顔も上げずに返した。どうせ、次に何をして欲しいという作業の話だろうと当たりが付いているからだ。だが、そう簡単に問屋は卸さなかった。 「実はお前には生まれた時から許嫁がいてね。もうすぐ、お前も18歳になるだろう?そろそろいいと思うんだ」 「…………は?」 快斗は顔を上げて父親の顔を凝視した。 (今、聞こえた話は幻聴だろうか?きっと、幻聴だ、うん、そうに違いない) 「驚くのは無理もない。でも、これは決まっていることだから」 さらっと父は流した。 「ああ?決まっていることって、どういうことだよ?説明はなし?」 とぼけた父親に詰め寄り快斗は、説明を求めた。盗一はのほほんと斜めを見上げ懐かしそうな顔をして語りだした。 「それは、昔。お前の曾祖母からの話だ。昔の話だから好きあった二人がいたが、結ばれることはなかった。家の事情とかあったから、結局二人は別の人と結婚したが、子供に願いを託した。生まれた子供同士を結婚させようと。だが、生まれた子供は男同士だった。息子同士は、夫婦にはなれなかったが親友になったんだ。そして、自分達の子供こそ約束を果たさせようと誓ったが、これまた息子だった。男が強い遺伝子なのかな。そして、お前が生まれたんだ」 「つまり、待望の娘と結婚しろってこと?」 「否」 「え?違うのか?話の流れ的にはどう考えてもそうだろ?」 「違わないよ。違うのは性別だけだ」 にっこりと盗一は笑った。爽やかな微笑みだった。 「は……ああ?……娘じゃなくて、息子?」 「正解だ」 「正解じゃないー!冗談だろう?それって、作り話?」 俺は揶揄されたのだろうかと快斗は思った。表面から伺えないが実際は食えない父親だ。まだ自分ではこれっぽっちも敵わない相手なのだ。 「まさか。真実、本当のことだ。神に誓って、嘘一つない」 神様なんて信じているような人間ではないくせに、真摯な顔をしてそんなことを言う。快斗は天を仰いだ。 「嘘の方がいいんだけどな」 (ああ……本当に、どうしてくれよう) 「嘘ではないから、覚悟を決めてくれ」 しかし、盗一は快斗の希望をさっくりと砕いた。 「あのさ、今まで生まれる子供は息子ばかりだったんだよな。それで、俺も男だし相手の方も息子しか生まれなかった。だったら、同じように次世代に任せるべきじゃないのか?というか、そうだろう?」 「ところがだ、現代は融通が効く。日本はまだ時代に乗り遅れているけれど各国ではパートナー制度ができて、息子同士でも結婚ができるようになった。これほど目出度いことはない。って爺様が喜んでいたよ」 つまり、快斗の祖父が元凶である。 「爺ちゃんが?けど、許嫁なんていつ決まったんだよ。パートナー制度が出来たのは俺達が生まれてずいぶん経ってからだろう。時差がある」 「それはそうだろう。男同士だったから保留にしてあったんだ。時代はどう変わるかわからないから、もしかしたらと願ってもいたし。まあ、いつかあの人達なら日本でも認めさせるだろうくらいの気持ちもあっただろうし、そのうち実行するだろうけど。それでも二人が18歳になっても不可能だったら、諦めるつもりだった。可能性だけで、縛り付けることはできないからね。もし、18歳を過ぎて普通に結婚したいと言い出したら何も言わずに認めただろう。しかし、現実は好転した」 (それは好転じゃない……) 快斗は心中で呟く。全く、余計なことをしてくれるものだ。 「ちなみに、快斗に反論は許されないらしいぞ」 「どういうことだ?」 目を細め、快斗は父親を不審そうに見つめた。 「爺様がな。もしこの話を受けないのなら、プロとしての未来はないと思えだそうだ」 「ジジイ〜〜〜!」 快斗の未来、それはマジシャンになることだ。小さな頃からそれだけを目指して来た。ずっと練習を積み重ね、今では新人のショーやバーでのちょっとした余興でマジックをさせてもらっている。地道な努力がなければ、プロにはなれないのだ。 「文句があるなら、爺様へ」 盗一は人事のように笑い、眉値を寄せ動きを止めている快斗を後目に鼻歌を歌いながら生クリームで白く色づいたケーキに赤い苺を並べ始めた。 「爺ちゃん!」 快斗はバタンと激しい音を立て障子を開く。そこには、広い和室に座り真っ白な紙に筆を滑らせ墨で達者な文字を書ている老人がいた。それが彼独特の精神統一であることを快斗は知っている。 ぴんと姿勢を伸ばし一心に文字を書く姿は他者が介入することを拒む雰囲気が漂う。貫禄があるから、という理由だけでは頷けないくらい威厳を持つ爺様はいつどんな時も紋付き袴姿だ。彼が洋装をしている姿を快斗は未だかつて見たことがない。 「どうした、快斗。珍しい」 通称、爺様は最後の文字を書き切ってから、顔を上げて障子を開けはなったまま廊下に立ち止まっている快斗を見上げた。それに快斗は一礼して、普段ならもう少しは礼儀を弁えているのだが今日は割愛して、立ったまま障子を閉め部屋を大股で歩き爺様の前にそそくさと正座をした。 「お久しぶりです。……じゃなくて、どうしたもこうしたもないだろう?俺が来た理由がわからないとでもいうつもり?」 「はて?」 だが、爺様は首を捻りとぼける。 「許嫁ってどういうことだよ」 快斗は、本心を除かせない爺様の態度には慣れているため、そのまま勢いを無くさず問いつめた。 「ああ、あの話を聞いたのか。だったら、そういうことだ」 当たり前の話、という様子で爺様は上機嫌に笑う。 その態度に、快斗はかちんと頭に来た。 「何がそういうことだ。俺の気持ちはどうでもいいのか?結婚する本人の意志は無視するのか?いくらなんでも、孫は祖父の所有物じゃない。それもわからないのか?これがどんなに酷い行為か……。第一、その考えが諸悪の根元だったはずだ。家の都合で恋人を引き離した。今度また、家の都合で好きでもない相手と結婚させようだなんて……」 憤慨やるかたない。快斗は唇を噛んだ。 「快斗。儂はまだお前を諦めてはいないぞ」 爺様は、そんな快斗を悠長に観察しながら、ふと口を開いた。 「またそんな世迷い言を」 快斗は迷惑そうな顔で切り捨てた。 「世迷い言ではない。快斗には資質がある。奇術師などというやくざな商売ではなく儂の後を継いで欲しいと昔から言っているだろう?」 「だから、俺も毎回断っているだろ?俺が成りたいのはマジシャンであって、企業家でも政治家でもない」 きっぱりと快斗は断言する。 「けれど、もし今回のことを断れば、儂もそう我が儘を聞いてはやれないな。奇術師の夢は諦めるがよかろう」 爺様の実力があれば、快斗の夢を潰すことなど造作もないことだ。プロへの夢は絶たれるだろう。趣味でくらいならできるだろうが、どんなコンテストを受けても入賞することはなくなる。マジックショーの依頼もなくなる。 政治家を牛耳る重鎮、爺様に逆らって生きていける人間はいない。 「言うとおりに結婚するなら、後継は諦めてやるし、プロへの道も邪魔はするまいて」 快斗は普段皆に見せているお調子者の顔を消し、本気の眼差しで祖父である爺を睨んだ。 「この、ジジイ……。脅す気か?」 そのぞっとするような冷たい目と声音は、嬉しくないだろうが快斗と爺様との血縁を感じさせるものだった。 「脅す?お前如きを脅す必要はあるまい。まだまだひよっこだろうが」 対して爺様は、顔色も変えない。快斗の眼光はその年齢の若者が持つものではない鋭さが満ちていたが、役者が違う。化け物クラスの爺様は孫の反抗的な眼差しを面白そうに見るだけだ。 「そう怖い顔をせずともよい。相手は三国一の美人ぞ」 ははははと、爺は声高らかに告げた。 「美人って……」 息子のはずだろう、と快斗は内心突っ込んだ。 「だから、美人だ。儂が後50年若ければ願い出たいくらいの美人だ」 「……今からでも遅くないから、プロポーズしてみれば?」 疲れた声で快斗は試しに言ってみた。 「そうもいかん。儂には5年前に亡くした婆さんがおるしな。今頃天国でのんきに茶でも飲んで儂を見守っておろう。……もっとも、儂が行くのは正反対の場所だがな」 「……」 快斗はそれ以上の反論の言葉を持たなかった。 |