冬のソナタ 2





「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう……」
 って曲があったけれど、朝には雪だった。
 初雪だ。
 滅多に降らない積もらない東都なのに、よりによって今日この日に降るっていうのは、どうなんだろう。
 寒い。とっても、寒い。
 寒さ対策は万全だけれど……暖かい下着にセーターにコートにマフラーに手袋。タイツに暖かい靴下にブーツ。見た目ではわからないくらい着ている。
 でも、横目に見ている並んだ列の人たちを思うと、天晴れと頭が下がる思いだ。
 この雪空の下、ずっと待っている。
 根性が、忍耐力が、凄い!
 ちーちゃんに聞いたところによると、列として認められるのは朝6時からなのだそうだ。それまでは、列を作ってはいけない。6時にスタッフから号令がかけれて並ぶため、それまで付近でたむろっているそうだ。
 いくら、列として待つのは6時からとはいえ、それにあわせ夜中から集まっているのならとんでもないことだ。
 自分にはできない。
 いや、まあ、仕事ならするけど。
 ついでに、工藤君やKID様にあえるなら、絶対するけどさ……。
 まあ、いい。
 寒いから、早く会場に入ろう。やることもたくさんあるだろうし。
 川瀬は足を早めた。
 
 
「おはようございます!」
「おはよう、直ちゃん」
「「「おはようございます〜」」」
 川瀬が元気に挨拶すると、すでに来ていたいつもお馴染みのメンバーが返してくれる。
 知加子を筆頭に、長谷川良子と園田京子、桜木葉子と続く。
「えっと、どこまで進んだ?何すればいいかな?」
 川瀬は鞄を脇に置きながら、責任者たる知加子に聞く。
「今日の準備は今までになく楽よ。本並べるだけでいいから。今は在庫の確認しているところ」
「そうそう。もう、そんなにやることないよ」
「ねー」
 知加子に同意する長谷川と園田。頷く桜木。
「何で?」
 川瀬の不思議そうな問いに知加子が苦笑する。
「今日は恒例となったコピー誌の製本がないから。ユリコ先生原稿終わった後、風邪悪化させて寝込んでいたから、さすがにコピー誌まで手が回らなかったのよ。透子先生も自分の原稿終わるだけで精一杯だったみたいで。何せ、普通に仕事しながらの原稿だから冬は大変なのよね。もっとも毎年根性でどうにかしてるけど」
「……そっか」
 年末は誰も多忙だ。
 川瀬も己の原稿を終えてから知加子にやっと会えた。その時、ユリコが風邪を引きベッドの中にPCを持ち込んで原稿を仕上げたと聞いたから、大丈夫かと思っていたのだが……。
「ユリコ先生、今日来れるの?」
「来るって言ってたわよ。本買うんだって意気込んでいたわ。それくらいしないとやってられないし、そのために原稿上げたんだからね。透子先生も何が何でも来るって」
「這ってでも来るって雰囲気だね」
「もちろんよ。私だって這ってでも来るわ。だってこのために日夜がんばっているんだもん!来なかったら、本買えなかったら、当分心の栄養が取れないじゃない」
「そうだね」
 こくりと川瀬は相づちを打つ。
「やっぱ、夏と冬が一番本が発行されるから、ここで買わないと女が廃るわ!通常のイベントとは参加サークルの規模が違うもの。夏冬はお祭りよ。そのつもりでサークル側も一般側も参加するし。皆、この日は買う気で来るし!そこしか出ないサークルさんもいるし。少部数発行で売り切り御免みたいなサークルさんもあるしイベント売りのみもある。まあ、イベントのみはうちもだけどね。うちは、作家さんが多いから在庫管理が大変で、どんなに通販対応して下さいって言われてもできないんだよねー」
 知加子の意見にそこにいたメンバーは皆うんうんと頷きながら同意を示す。
 同じ穴の狢だ。
 この日のために、社会人は仕事を片づけ金を貯め休みを取っている。
 学生も本分である試験を乗り越えバイトをし資金を貯めている。近県ばかりではなくこの日は遠方から民族大移動のように人が集まる。おかげで、近隣のホテルはお祭りの間、満室だ。
「さて、準備はほとんど完了しているから、今回新刊の説明をします!」
 知加子は手を叩き、気分を切り替えた。
「まず、年末イベント恒例となっています、徳永れ〜な先生のカレンダー。今年はCDサイズです。このケースに入っていて、ケースは開けて裏返しにするとカレンダー立てになる優れもの。今日売り切るだけしかない、限定ものです。値段は1000円。その説明をして下さい」
 積まれているCDのようなカレンダーの絵は相変わらず、たいそう美しい。人気の絵描きさんだけのことはある。これを机の上に置いて毎日を過ごせたら幸せに違いない。
「で、佐藤ユリコ先生の新刊は、『楽園を求めて……5巻』。飯島透子先生は『星空の誓約』季刊誌『別冊k新ファンクラブ12月号』中編合同誌『運命の糸の先』。今日のおまけは徳永先生のポストカード3種です。探偵バージョン怪盗バージョン、二人バージョンとあります。どれが当たるかは、運ということで諦めてもらって下さい。値段はそれぞれ1000円、700円、500円、1000円です。カレンダーひっくるめて全部で4200円以上、質問は?」
「はい!ポストカードの売り子特典は?3種類もらってもいいですか?」
 長谷川が手を挙げ尋ねる。
 それは、誰もが気になることだった。知加子はにこりと笑った。
「許します。今のうちにポケットに入れておいて下さい。始まったら、そんなことかまってられませんから、全部出してしまいますよ」
「先生方はいらっしゃるんですよね?いつ頃ですか?」
 園田が次に質問する。
「ユリコ先生、透子先生はサークル入場ぎりぎりだと思います。すぐに新刊をもって挨拶に回るだろうから、ゆっくりできるのは、午後過ぎたくらいかしら?先生への差し入れはこのダンボールに入れておいて下さい。あとで分けるから全部一括して入れていいわ。徳永先生はいつも通りいらっしゃいません。スケブはお断りして下さい」
「わかりました。まあ、例年通りってことですね?」
「そうです。では、今日も1日、よろしくお願いします」
「「「はい!」」」
 



 
「ありがとうございます!お釣りは300円になります」
「新刊全部ですか?カレンダーも入れて?はい、4200円になります」
「今日の特典は徳永先生のポストカードです。非売品です。全部で3種類。指定はできません。カレンダーも数量限定です。今日でないと買えません!お早めにどうぞ!」
 売り子たちも慣れたもので、長い列をさくさくとさばいていく。
「全部?全部ですね?わかりました、計算しますから少々お待ち下さい」
「はい、ありがとうございます。次?次は、知加子さん次のイベント参加はHARUコミでいいんですか?」
「HARUコミです。申し込みしてあります!」
「はい。HARUコミです。次回もよろしくお願いします」
 イベントは午前中が勝負だ。フリーになるのは午後過ぎてからであり、人は全て入っていなくても、午前中が殺人的に忙しい。
 列を作り待っていた人たちは、一気にお気に入りのサークルに押し寄せる。走らないで下さいとアナウンスが入る程だ。
 場所によっては、部数の少ないコピー誌を突発的に発行するため、手に入れるために早く目的のサークルに行かなければならないのだ。おかげで、最初に行くサークルは大手と言われる行列ができる人気サークルか、こじんまりした小数部発行の実は密かなサークルか、スペースが取れなくて委託先に一定量しか置いていないサークルか、当日のみ限定発行のアンソロジー等が置いてあるサークルなどだ。
 つまり、買うことが難しい本があるサークルに先に訪れる。多分買えるだろうサークルはその次で、目的の買い物が終わってから開拓するのが一般的だろう。
 ということで、限定商品があり列ができる壁の大手サークルのここは、ファンが先に訪れる場所の一つだ。
 よって、地獄の午前中を終えてからそれぞれ交代で休憩に入るのが常になっている。この時に簡単な食事や水分を取り買い物に出かける。冬場はまだいいが、夏場は絶えず水分を取らないと倒れるため、皆ペットボトルをそばに置いていた。
 
 やっとゆとりが生まれた頃、挨拶周りと買い物に出向いていたユリコと透子が帰って来た。
「ただいまー」
「お疲れ様です」
 二人は行きに挨拶先で配る新刊を入れていた袋に戦利品の本をごっそり持ち帰っていた。
「おつかれさまです、先生」
「おかえりなさい、先生」
「どうでしたか、今日は。新しいサークルとか増えてました?」
 重い袋を隅に置き、ユリコが答える。
「いつもお馴染みさん達は元気そうだった。新しいとこは、ざっと見て少し増えてたかな?夏冬は受かる確率が低いから、難しいんだよねー、運だし。今度の春とかオンリーならわかりやすいかも。でも、減ってはいない」
「そうですわね、スペースが減らされていないなら、良しとしなくてはいけませんわね」
 透子も微笑を浮かべながら付け加える。
 やがて、ユリコは川瀬を見下ろし……二人の慎重さは20センチ近くある……にたり、と楽しそうに嬉しそうに笑った。まるで、獲物を見つけた肉食獣のようだ。
「子猫ちゃん!」
 ユリコは川瀬に抱きついた。両手でぎゅっと小さな身体をめいっぱい抱きしめる。それに慣れてきている川瀬は驚きもせず、対応する。
「ユリコ先生、体調は大丈夫ですか?」
 苦しいなと思いながら、訴えても改善の余地はないので無駄なことはしないし、夏ようりはましと自分で励まし、どうにか隙間を作ってユリコを見上げる。
「うん、もう大丈夫よ。子猫ちゃんにそうやって心配されると格別ねえ。そんな顔もそそるわ……、写真に撮って保存してもいい?」
 ユリコは小さくて可愛いものが大好きなため、川瀬の黒目がちな上目遣いに上機嫌で答えた。これが、おじさんだったら危ない人だと警察を呼ばれるだろう。
「……それはいいんですけど、これ差し入れです。風邪を引いたと聞いたので」
 川瀬はユリコのセクハラ発言をさっくりと流し、果物を差し出した。
「ありがとう!嬉しいわ」
 色鮮やかなオレンジ。ビタミンもそれなりにありそうだ。
「透子先生にも」
 川瀬はユリコだけでなく、透子にも差し入れを持ってきていた。
「あら、ありがとう」
 洋梨、ラフランス。曲線を描く緑色の甘い果物だ。
 片や、オレンジ、片や、ラフランス。その差は何だろう、と知加子は少々疑問に思ったのだが、口には出さなかった。風邪を引いたユリコにはビタミンがあるものを選んだだけなのだろう。多分。
 透子の艶やかな微笑に、川瀬は一瞬惚ける。毎回のことだが、透子のフェロモンに川瀬は弱い。そんな惚けている川瀬をいいことに、小さな頭を撫でながらユリコはすりすりと懐く。
「本当に、可愛いわねえ、連れて帰っちゃいたいわ」
 慣れてはいても少し身の危険を感じたくなる台詞だ。お持ち帰りされては、困る。
「ユリコ先生、私達これから休憩ですから!直ちゃんもずっと売り子していて食事もしていないんです、離して下さい」
 知加子はそういいながら、ユリコの腕から川瀬を救出する。
「あ、そっか。ごめんね、子猫ちゃん」
「あまり可愛いからと言って構うと嫌われてしまいますわよ?ユリコさん」
 全然悪いと思っていない口調のユリコに透子が的確な助言をする。
「それは、困るな。でも、二人の間には愛があるから大丈夫よ」
「「……」」
 そんなものは、これっぽっちも、ない。どこにも、ない。と知加子も川瀬も思った。思わず、冷たい目でユリコを見てしまったのだが、ユリコは堪えるそぶりもない。
 肩を落とした二人は、顔を見合わせて諦めたようにため息を落とす。
「じゃあ、休憩して買い物行きますから」
 知加子が代表してそう告げるとユリコは人の悪い笑みを浮かべて宣言する。
「今日終わったら、皆でご飯食べに行くぞ!」
「いいわね、行きましょう」
「うふふ、今日はこの間見つけたベトナム料理よ!」
 自分たちの都合を無視した予定が勝手に目の前で決められていく。皆、の中に知加子と川瀬が入っていることは間違いない。前回も引っ張っていかれた。
「……私、明日は出勤なんだけど」
「私もよ、交代制なんだから」
 ひそひそと川瀬と知加子は小声で話す。
 が、先生方に敵う術はない。やはり、諦めるしかないのだ、と二人は今までの経験から知っていた。
 
 
 


「お疲れさまー」
「今年もお世話になりました、来年もよろしくね」
「「「「乾杯!」」」
 ベトナム料理がテーブルの上に並んでいる。
 ベトナムの麺フォー。あっさりとした旨味のスープに青菜と鶏肉が乗っている。麺は米でできているため、淡泊だ。
 海老と野菜の生春巻き。付けるたれはぴり辛だ。
 熱々で細長い揚げ春巻き。
 半透明の蒸し餃子。肉汁たっぷりの焼売。
 五目炒めビーフン。
 ベトナム風、お好み焼き。
 黄色い色が鮮やかなチャーハン。
 もちろん、グラスはカクテルだ。それぞれが、色鮮やかな飲み物を持っている。
 まるで、気分は打ち上げか忘年会。だが、ある意味正しいといえる。なぜなら、イベント終了と無事に原稿を上げた打ち上げであり、季節は正に年末なのだ。
 ひとまず、皆は料理に舌鼓を打った。疲れもあるし、お腹も空いていたのだ。
 
 イベントが終了し、後かたづけをしてから4人は有明から銀座まで移動して件のベトナム料理屋にやって来た。店内は奥に長い作りになっていて、4人テーブルごとに区切られていて、ちょっとした個室気分が味わえる。内装もアジアンテイストで統一されていて雰囲気はばっちりだった。
 年末で込んではいるが入った時間がそれほど遅くないため、待たずに座ることができた。
 料理は来たことがあるユリコが美味しいものを代表して選んだ。飲み物はメニューを見て適当に。結構種類があって変わった名前に興味を引かれて頼んだものもあった。
 
 そんな、お腹も満足した頃。
「あのね、オンリーで久々にアンソロジーを出そうと思うの?どう?知加子」
 ユリコはにやり、と企んだように口の端を上げた。
「アンソロジーですか?いい企画ですね」
 対して、知加子は編集者の顔で肯定する。
「でしょ?透子はどう?」
「いいですわね、。最近アンソロ見かけないですもの。やりましょう」
 透子は美しい微笑を浮かべた。
「執筆者はどうするんですか?うちのメンバーだけですか?それですと今回の中編集と変わりませんよね?誰か依頼します?」
「基本的には、うちのメンバーで。ただ出すだけなら今となんら変わらないから、テーマを決めて書きたいと思うの。白とか赤とか色でもいいし、鍵と電話とか海とか夏とか、何でもいいんだけど、それはこれから詰めるとして、……執筆者は私と透子ともちろん、子猫ちゃんもね!プラス短編書ける数人と、れ〜なに表紙描かせて漫画も何ページかやらせよう。れ〜なにはこの間電話して承諾受けてるから表紙は確実にゲットできてるし。今日、知り合いにちょっと声かけてみたんだけど、短編ならいいって言ってたから、数人プラスする予定。だから、執筆者は10人くらいかな。見た感じ、文章多そうだけど」
 すでに、ある程度の予定は立てていたのかユリコは的確に答えた。
「ページ数は?いくらくらいの予定ですか?」
「そうねえ。いくらまでなら、買う?」
 ユリコは目を細めて、編集者の顔を伺う。
「できるなら、本は1000円に押さえたいですけど。買い手も売り手も楽ですし、それくらいがベストな値段です。ページ数が多くて装丁に凝るなら1500円ですね。豪華2000円ってのも駄目じゃないですけど、それなら300ページくらいの厚い本で表紙フルカラー徳永先生、タイトル箔押し、おまけ小冊子付きじゃないと許せませんね。人間ってのはお得さに目がありませんから。限定物にも弱いですし。まあ、値段と本の内容のバランスがあっているなら、大丈夫です。……そうですね、うちのメンバーだと文章がダントツに多いので、なるべく他の先生は絵描きを頼んで下さい。半々とはいえなくても、3分の1は絵にして下さい。その方が買いやすいです」
 知加子は、頭の中で計算をしながら条件を出していく。
 さすが、この集団の編集者だけのことはある。事務的な責任者でもあるから、個人レベルではなくサークルとして何かする時は知加子の了解が必要なのだ。
「わかった、声掛けてみるわ。で、ページ数だけど、透子何ページ書ける?私は30〜50の間であわせるけど」
「そうねえ、30〜40かしら?」
「子猫ちゃんは?」
「私ですか?……テーマにそって書くんですよね?20〜30です」
「うちのメンバーだけで、150。知り合いに依頼して100。フルカラー表紙、250ページ、絵描きを入れるからB5サイズ。おまけ小冊子付き。いくら?」
「…………先生、それだと2000円欲しいです。だって、B5ですよ?それに限定ですからそんなに刷らないの前提じゃないですか!」
「まあいいじゃん、2000円になるならとことん豪華にしようよ。お祭りなんだからさ!大盤振る舞いで!」
「いいでしょう。その代わり、先生その日にあわせて新刊出して下さいね?いいですか、できないじゃ済ませませんからね?マイナスはそこから補わせて頂きます」
「わかりました!……透子もがんばってね!」
 ユリコは殊勝に頷くついでに、透子にも援助を請う。
「……わかりましたわ。貸し一つね」
「はいはい」
 婉然と微笑む透子にユリコは軽く請け負った。
「そうと決まれば、がんばるぞ!」
「がんばって、下さい。でも、お忘れかもしれませんが、その前にHARUコミが控えていますからね?ついでに、GWもありますから。オンリーだけじゃありません。この時期予定は目白押しです」
「知加子、人が燃えてるのに、何でやる気を削ぐかな」
「私は事実を言ったまでです」
「……可愛くない」
「可愛くなくて、結構です。ユリコ先生に可愛いなんて思われたくないですから!」
「うわー、本当に、可愛くないわね、知加子。……いいもん、子猫ちゃんがその分可愛いから、私の潤いになってね」
「……それも、如何かと」
 川瀬は言いよどむ。
「セクハラ発言もいい加減にして下さい、先生!金輪際、直ちゃんに触るの禁止にさせますよ?」
 知加子が目を釣り上げて、冷たく言い放つ。昼間から続くセクハラ発言をとうとう腹に据えかねたらしい。
「それじゃあ、私の楽しみが半減するじゃない」
「楽しみなんて、なくていいんです!警察呼びますよ?私が呼びますよ?セクハラだって!」
 その発言は、大層現実味があった。なにせ、警察にお勤めの知加子である。脅しでも、かなり効く。
「ごめんさい」
 素直に謝るユリコに、しかし知加子は表情を和らげはしなかった。今までに、それが守られたことはない。一時だけなのだ、この態度は。
「今度からペナルティを課しますからね?覚えておいて下さいよ」
 地の底から響く低い声で、知加子が口の端を上げながら冷ややかに笑う。それは、ちょっと怖かった。
「はい」
 ユリコはかつてない程、反省を覗かせてこくりと頷いてみせた。
「いいでしょう」
 知加子はその場は許した。
 その二人のやり取りを見守っていた川瀬は知加子の意外な一面を見た気がした。実は、一番怒らせていけない人だったのだ、彼女は。
 川瀬は本気で知加子に怒られたことは今までに一度もない。いつも彼女は優しい。思わず、自分のことで知加子が怒っていたというのにぼうっと惚けてしまっていると、透子と視線があう。透子は、川瀬にくすりと小さく笑った。まるで、いいのよ、気にしなくてと言っているようだった。それにどこか面白がっているようにも見えた。つき合いの長さは伊達ではないのだろう。
「そろそろ、ベトナムコーヒーで締めくくりとしない?ヒートアップして喉も乾いたでしょう。甘いものも一緒に食べれば脳に糖分が補給されて疲れも吹き飛ぶわ」
 雰囲気が微妙に斜めに落ちていた中、透子がそう助け船を出した。
「そうだね、そうしよっか。オーダーお願いします!」
 ユリコは店員を呼びつけ、さくさくと注文をした。その際に、デザートは何がいいかさらっと皆に聞き手早く済ませてしまう。
 
 

 まだまだ、宴会は続く。
 一つ。彼女たちが帰路に着く頃、電車の最終間際だったと、付け加えておこう。
 
 
 


                                                   おわり。
 




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