冬のソナタ 1






 師走は昔から先生も走るという程忙しい。猫の手も借りたいくらい、睡眠時間が短縮される程、とっても、極悪に修羅場だ。
 それは、どこの業界も同じだと思う。
 製造業は長期の休みに入るため、その前は残業続きになる。その分休みは確実で長い。
 サービス業は、スーパーでも百貨店でも、お歳暮、クリスマス、年末、正月と延々休みもなく働き詰めでまともな休みは1月中旬だ。成人式を過ぎる頃からどの業界も売り上げが落ちる。散財した後、財布の紐が締まる時期なのだ。
 公務員、まして警視庁は最悪を極める。
 年末になると些末的な犯罪が増える。
 年の瀬にお金がないのが、侘びしいのだろうか、強盗も増える。
 警視庁に勤める友人は、あまりのストレスか先日電話口で愚痴っていた。
 かく言う、自分も特番や年始番組などのスケジュールが立て込んでいて、寝る間が惜しいほどだ。
 でも、どうしても、年末に1日だけ休みが欲しい。それも、29日。
 他の日に出てくる事を仲間に掛け合って、どうにか休みは確保した。
 これで、冬の祭典に行けるわ。行けなかったら、悔やんでも悔やみ切れないから、宮本先輩にも念を押してお願いした。
 ついでに、食堂で隣り合った本部長にお茶をいれながら、お愛想しておいた。
 休みを取るためなら、手段は選ばないわ!
 そうして、確保した冬の祭典に間に合わせるために、現在原稿三昧に陥っている。
 ちーちゃんから、言い渡されている締め切りは1週間を切った。
 今回は、中編1本。
 大先生二人と私と他にも数人が中編を書く中編集の原稿だ。
 大先生二人は、それ以外にも連載ものの続きがある。仕事をやりながらの大量の原稿はきついだろうに、ちゃんと上げるんだからすごい。
 私は書けばいいけど、ちーちゃんは送られてきた原稿を短期間で編集しなけらばならないから、これまた大変だ。
 つくづく、好きでなければできないことだと思う。
 ああ、もうひとがんばりしよう。
 終われば、天国。怪盗×名探偵の本がざくざく買える!
 パソコンのキーボードを打つ速度も、早くなるってものだわ。
 
 
 
 
 
「ちーちゃん!」
「直ちゃん!」
 12月も半ばを過ぎ、冬の冷たい風が吹き付ける街角で、川瀬と知加子が抱き合った。電話でやりとりはしても、実際逢うのは久しぶりだった。
 原稿を終えているという事実が、二人を感動させている理由として一番大きい。
「元気だった?直ちゃん、なんだだか顔色が良くないわ。忙しい?」
「うん。でも、それはちーちゃんも一緒でしょ?みんな同じだもん、このくらいでへこたれてられないって!それにちーちゃんだって、編集作業とか大変だったでしょ?お化粧の乗りが良くないよ、ちーちゃんなのに!」
 川瀬は知加子の頬に手を添えて、覗き込むように見上げた。
 知加子は普段お手入れを欠かさない女性だ。それなのに、肌が荒れている。
 いかに、大変だったのか推測されて川瀬の心が痛む。
「私も、編集とか手伝えればいいんだけどねー。年末は忙しくって駄目だね」
「直ちゃんは、ちゃんと自分の分担は果たしてるじゃない。私は皆ががんばった後に分担があるだけだから、気にしないで。それに、今回締め切りぎりぎりだったのは、ユリコ先生だから。風邪引いたみたいで、布団の中にPC持ち込んで書いたんだって」
「ユリコ先生、すごい!大丈夫なの?」
「あんまり、良くない。でも、個人誌の原稿は最終で上がったみたい。メール着てたから。今頃ベッドの中じゃないかしら……」
「……私、今度果物でも差し入れようかな。ビタミン風邪にいいみたいだから」
「そうねえ。冬は来るから、渡せるんじゃないかしら。まあ、直ちゃんが逢いたいって言ってたと伝えれば、先生は絶対来るよ。気に入ってるから」
 相変わらず、小さくて可愛いものが好きだから。病気だし変態だし、と知加子はさりげなく扱き下ろす。
「……」
 川瀬は散々構われた時の記憶が甦って、一瞬困ったように眉根を寄せた。
 確かに、抱きつき癖はどうにかして欲しい。苦しいのだ、本当に。
 また、子猫ちゃん呼ばわれされたのも、初めてだ。一緒にご飯を食べに行く時も結局川瀬とは呼ばず子猫ちゃんと呼び続けた。
 すでに、これは諦めの境地だ。
「夏も逢った途端、抱きしめてたしね。ああ、夏は駄目ね、暑苦しいもの。冬なら暖かいかもしれないわ」
 知加子はその光景を想像したのか、的確だがかみ合っていない言葉を返す。
「透子先生のフェロモンも夏の方が強烈だし。冬はその分増しよね?」
 知加子の言葉に今年の夏の祭典を記憶から呼び起こし、川瀬はめまいを覚えた。あれは、地獄のようだった。倒れるかと思った。
 なにより、暑かったのだ。猛暑で、暑いというより、熱くて溜まらなく。汗が滴り体から体力を奪った。
 体力にはそれなりに自信があったが、あれは予想外だった。
 翌日は寝込んだ。
 あの熱気の中売り子をするのは、狂気の沙汰だと思った。なにせ、延々列が切れなくて、休憩が取れないのだから。水分を取らないと脱水症状になるので、水やお茶ではなく、スポーツ飲料を絶えず飲んだ。睡眠不足だったのも疲れを加速させた。
 夜は、先生達に連れ回され気力を使い果たした。
 あの時、川瀬は思った。有明の祭典は夏は地獄だと。冬の寒さなら厚着すれば、まだ凌げる。多分。間違いなく。
 実は、冬は冬で壁サークルは開いたシャッターから吹き込む冷気を含んだ外気に晒される事を、まだ川瀬は知らない。
 彼女がイベントに参加してまだ、1年は経っていない。最初は2月のイベントだった。冬の祭典は初めてなのだ。
「どこか、移動しようか」
「そうだね、寒いし」
 ふと、立ち話に力が入っていることに気づき暖かい場所へ避難することにした。
 
 
 
 
 
「美味しい」
 しみじみと熱いカフェオレを飲みながら知加子が息を吐く。
「ほんとうに、ねー。生き返るわ」
 川瀬もココアのカップを両手に握り暖をを取りながら、ほうっと息を付いた。
 多忙な中の休息とでも言えばいいだろうか。
 そんなまどろんだ気分だ。
「ああ、凝ったなー」
 川瀬は肩を片手で叩く。気を抜くと疲れがどっと押し寄せる。
「肩こりなら、マッサージより針に行きなよ」
 知加子は自身の肩も思い出したように回しながら、助言する。
「針?……怖いだけど」
 ぴくりと肩をふるわせて、川瀬は怯える。
「大丈夫よ、全然痛くないわ。第一寝ているから刺してるとこ見えないし、見えなければ刺してるってわからないくらいよ。最初だって言えば浅くしてくれる。慣れてくると深く入れてくれるのよ」
 にっこりと笑う知加子に川瀬は半信半疑だ。
「本当よ、嘘じゃないって。騙されたと思って行ってごらん。効くから」
「一緒に行ってくれる?」
「いいわよー。お勧めに連れていってあげる。……そうねえ、どうせなら温泉行きたいわ。疲れを癒したい。原稿終わったし、イベントも無事に終えたらゆっくりと休養なんていいわー」
 知加子は肘を付いて顎を乗せながら遠くを見つめる。川瀬はその眼差しを見つめながら頷いた。
「……そうだね。行こうか」
「近場でいいの。伊豆・箱根なんて、どう?」
「うん。私まとめた休みはたぶん1月中旬だと思うの。都合どう?」
「いいわよ」
 二人は満足そうに微笑んだ。
 
「ああ、けど。冬が終わっても、3月末のHARUがあるし、5月のGWもあるし。4月始めはオンリーがあるわ!がんばらないと」
 知加子は気合いを入れた。
「オンリー?」
「そうよ。『怪盗×名探偵』だけのイベントよ。『怪盗×名探偵』の本しかないのよ?並んでないのよ?会場は中くらいの会館の2ブロック借りてやるんだけど、そこには私達の同士しか集まらないのよ?」
「すっごいわ。……でも、4月は駄目。春の特番があるから忙しいし……」
「そっか。仕事じゃ仕方ないわよね。残念だけど」
「それに。私、春は駄目なの。仕事も忙しいけど、桜が咲いたら私追いかけるから。桜前線と一緒に歩くのが夢なの!」
「はあ?」
「いつか日本中を制覇するの。いろんな場所の桜を見に行くの。桜が私を呼んでいるの!だから3月末から4月はじめの私はいないものと思って?」
「……」
 力説する川瀬に、知加子は川瀬の神髄を初めて見たと思った。
 知らなかった、直ちゃんて、まともじゃなかったんだ……。
 たいそう、失礼なことを考えた。
 確かに、普通かと聞かれれば、普通とは言い難かったけれど、こんなに飛び抜けているとは思わなかった。人間奥が深い……。
「そう、そんなに桜が好きだったんだ」
「うん。カメラも持って行くの。写真もたくさん取るの」
「へええ」
 写真撮ってたんだ、知らなかった……。知加子はあまりに驚いたため神経が麻痺した。
「京都の丸山公園とか、哲学の道とか清水寺とか平安神宮とか。奈良の吉野の山桜。中千本とか絶景。以前CMとかでも流れたけど、正にあれよ!……東京の上野にお茶の水。伊豆の桜の里。東北はまだ行ったことないのよ。北海道だともっと遅いし。沖縄だと2月だしねー。寒緋桜は紅色が濃くて艶やかよ。染井吉野が華やかさも儚さもあって一番好きなんだけど、枝垂れ桜も捨てがたい。例えるなら、清楚な美人と妖艶な美人かなー。それから、日本三大桜もいつか制覇したいの!奈良の大宇陀『又兵衛桜』がこれまた桃をバックに綺麗に枝垂れてていいのよー。知り合いのカメラマンから撮った写真貰ったの……」
 川瀬の桜談義はどこまでも続く。
「ああ、原稿はやってね。無理に売り子しなくてもいいから」
 知加子はあっという間に編集者の顔に戻った。知加子が一番困るのは原稿が遅れることだ。売り子の人数だけなら都合が付く。
「……うん」
 がんばるわ、と川瀬は神妙に頷いた。その顔は少しだけ惚けていた。
 
 
 黙っていても、もうすぐ冬の祭典はやって来る。
 
 


 



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