砂海に浮かぶ月 2




 船着き場には、辺りを見渡せるような円柱型の背の高い建物があり、その先には大きな明かりが灯っていた。ここでは明かりに朱蝋燭が使われている。船旅で使われるのが朱蝋燭だが、港もそれに準ずる場所だと思われているせいだ。それに、よく目立つ。遠目に見える明かりを目指して船は海路を取るのだ。
 
 灯光に照らされて桟橋には大きさもばらばらな多くの船が見える。
 小型で人を乗せ短距離を行き来するだけの船が数隻停泊している。陸路であれば何日もかかるが、砂海を渡れば1夜で着くため人々にとって便利な足なのだ。
 中型の船は、積み荷を運ぶものだ。行く先が同じなら旅人も乗せてくれる。
 大型の船は遙か遠くの国とを結ぶ。積み荷も多く、訪れた国で荷物を下ろすと今度はその国で荷物をまた積み再び戻る事を繰り返し、利益を上げている。商人が一番利用するのがこの船だ。積み荷をいかに多く乗せるかが鍵となるため、人を運ぶために作られていない。
 どの船であろうとも、船乗りは屈強な体躯をした男達がほとんどだ。航海に適した夜ならいいが、昼間の直射日光が降り注ぐ中砂海を越える事もあるのだ。並の体力しかない人間では死んでしまうだろう。
 港の片隅で浅黒い肌をした男達が酒を飲みながら、話し込んでいる。
 珍しい異国の料理や風土、自分が見た様々な旅の話しや、異国で待っている妻の話し、うわさ話と続いている。
 陽気な笑い声と、低い声が辺りに響いていた。
 
 
 そんな船乗りに、背の高い青年が声をかけた。
 旅の話を聞きたがる人間や、これから行く場所を聞いて同乗を求めるため交渉したりする人間が結構あるから船乗り達は、疑いもなく話を耳を傾ける。
 目的地、次の船は決まっているか、今空いている船はないか等質問する青年に、それも商売である船乗りは答える。
 どうやら彼らは大型の船に乗っていて、これから南の国々へ回るらしい。この国の蝋燭や薬草、果物、硝子製品を積み込み南で売るのだ。同様に南からは果物、香辛料、銀製品を積みこの国に売る。西方面へは行かないようだ。
「そうか、わかった」
 青年がふと顔を上げた拍子に、布に隠されていた瞳の色がくっきりと見えた。
「……っ」
 声にならない、驚愕が船乗りを襲った。
 風使いだ、と心中で皆叫ぶ。顔がひきつり緊張が走る。
 船乗りの中で畏怖と尊敬の対象である風使いに出逢った時の、これが普通の反応だ。
 彼自身は特別隠す事もしないし、彼らの反応にも慣れている。軽く手を振ってもう用はないないと背を向ける。
「か、風使い」
 しかし、その内の一人が焦って声をかけた。
「誰かが風使いを捜している。少女を連れている風使いを見つけたら報告しろって。あれは、多分この国の司官だ」
 地に降りて、すぐ聞かれた事だ。
 もし、そのような連れが現れたら知らせろと。
 けれど、船乗りは風使いを裏切る事はしない。絶対に、だ。
 船乗りで居続けるのなら、裏切ってはいけない者がいくつか存在する。そのうちの筆頭が風使いだ。
 青年は、その言葉を聞き振り返ると、小さく笑う。
「……風の加護があらんことを」
 祝福の言葉を賜うと走り去る。
 残された船乗り達は、次の航海が必ず無事に終わるだろう事を知った。
 
 
 


 少年は、ぼんやりと頭上にある赤い光を見つめていた。
 青年に、ここで待っていろと言われて腰を下ろしたところは岩の影になった場所だ。誰かに見られないように、とすっぽりと白い布を被っている。
 船の交渉に自分が付いて行くのは、足手まといだ。
 契約をしたからには、風使いに信じて任せるのが道理というものだ。だから、少年は口を挟むことをしない。

(まさか、風使いに逢うなんて思わなかったけどな)

 逢わなければ一人で動くつもりだった。
 嘘みたいだ、と少年は自嘲気味に笑う。
 まさか、二度も魔法使いに逢うなんて思わないだろう、普通。
 自分の転機、動かし難い運命の瞬間に巡る出会い。
 あの時出逢った魔法使いは、今頃どうしているのだろうか。とても優しい人だったけれど。
 古い記憶が蘇る。
 目を閉じて、まだ小さくてよくわからないながらも、彼が必ず無事にお届けしますと誓った刻を思い出す。
 己の白い手に刻まれた青い文字印。
 少年は目を開けて、そっと古い文字印に触れた。
 その時。
 風が動いた。
「巫女様」
 耳に馴染みすぎる程知っている声が、己を呼んだ。
 日中、もういい年だといいうのに追い掛けてきた老人と、彼の次官である痩身の若者が目の前に立っている。
 港から国を出ると予想を付けて張っていたのだろうか。
 傍目には、顔も身体も見えず己だとわかる者はいないはずであるのに。
 幼き頃より見知った存在には、ばれるものなのか。
 少年はそんな事を思いながら、不味い状況だと自覚する。対峙するように岩から立ち上がり、二人を見つめる。
「お帰り下さい、巫女様」
「否」
 穏やかだか堅い声音で老人は一歩近付く。拒否の答えは、予めわかっている。
「巫女様、お見捨てになるのですか?この国を」
「笑止な。見捨てるというのは、己のものであるのが前提だろう?この国がいつ、私のものだった?利用していたのは、この国の方だ」
「……」
 老人は深い皺を眉間に刻む。
「違うか?」
「……しかし、貴方様をこの国はなくせないのです」
 次官である若者は、重い口を開いた。自分より上位にある人間達の会話に容易に割り込むような不作法はできないのだ。
「それはお前達の理論だな」
 少年の拒絶の声に、どうあっても話し合いは成り立たない事が明らかになり老人は次官に頷いて指示を出す。若者は足早に少年に近付き腕を取ろうとする。が、少年は腕を払い落とした。
「触れるな」
 白い布がはらりと落ちて、少年の姿が月明かりの中露になる。
 長い漆黒の髪に星のような蒼い煌めきを閉じこめた瞳、白磁のような肌がくっきりと浮かび上がって希有な存在を知らしめる。
 威圧するような、鋭い瞳に貫かれる。
 城内にあっても触れるなどできない尊き存在だ。
「いつまで、利用するつもりだ?いい加減、諦めた方がいい。傍系からでも跡取りを迎えろ。それが最善だ」
 命令だった。
「しかし、だからといって引き下がる訳には参りません。巫女様がこの地から去れば、確実に国は干上がるでしょう。利己的だと罵られても、この国は貴方を必用としているのです」
「あれを井戸に入れればしばらくはもつと言っただろ?……その間に、見つければいい。今の恩恵は望めなくても、血は絶えない」
「それでは、駄目なのでございます」
 切実さを込めて老人は訴える。
「繁栄に驕ると、衰退の一途を辿る。それは長い歴史からもわかる事だ。……贅沢にしがみつくのは、愚かだとわからないのか?」
「巫女様。この国が滅んでもいいとおっしゃるのですか?」
「それを止めるのも早めるのも、お前達次第だ。私の一存ではない」
 諭すような言葉を、受け入れられない。
 老人は、わかっていても、わかっているからこそ、目の前の「巫女」を国として手放す事を許せなかった。
 例え、「巫女」の主張が正しくても。
 偽りを繰り返しても。
「失礼を」
 老人は、懐から小さな袋を取りだし紐を引き中身をぶちまけた。白粉が辺り一面に広がる。自身は服の袖口で鼻と口を覆い、白い粉が舞い散るのを見守る。次官も老人が何をするかわかっていたのか、すぐに口元を押さえた。
 少年は、視界を染めた白粉に目を見張り慌てて息を止め口をふさぐ。
 多分、これは身体を麻痺させるか眠らせる薬だ。少し吸い込んでしまったらしく、ふらりと身体が揺らぐ。力が入らない。
 駄目だ。
 ここで、掴まったら、今度こそ絶対に閉じこめられる。

(魔法使い……!)

 少年は自分を助けるだろう唯一の人を呼んだ。必至に、それだけを心で思い描いて。

(助けろ……、俺はここだっ!)

 絶叫する。
 すると。
 一陣の強風が吹き抜けた。
 突風とでもいえばいいのか。
 舞っている白い粉を瞬時に吹き飛ばす。
 少年を捕まえようとしていた次官も伸ばした腕を止めて目を見張る。どこから現れたのか、少年の背後に青年が立っていたのだ。
 紫暗の瞳だけが強制的に視界に入りぎらりと輝く。挑戦的な色を浮かべて楽しそうな冷たい顔で笑う。
 老人も次官も風使いが現れた事を理解した。
 老人は昼間に少年を青年に連れ去られた時、その瞳の色と身軽さと己が追い付いた場所に砂金が舞っている事柄から青年が風使いであると判断していた。だから、それ自体は驚く事ではない。ただ、風使いという人間をよく知らなかっただけだ。
「主に危害を加えるものは、容赦しない」
 青年は薬により身体の自由が奪われている少年の腕を引き寄せ、軽い身体を抱き上げた。覆うものがないせいで、長い黒髪が揺れる。辛そうに潜められた貌を胸に寄せて自分が身につけている白い布で覆う。
「一生、酬われるがいい。風はお前達を守護しない」
 紛うことなき、呪詛だ。
 風の加護を得られない。砂海へ出れば、二度と戻る事はないだろう。それどころか、恩恵にあずかるはずの風が敵意を向ければ、暮らしに支障が出る事は必至だ。
 呪詛を受けた二人は、青ざめる。
 青年は、にやりと笑うと興味を失ったように背を向けてまるで飛んでいるかのように、岩を翔け姿を消した。
 
 
 


 青年は港から随分離れた砂海の辺まで来た。
 腕の中の少年は、まだ怠そうに目を閉じて身体を預けている。青年はそのまま腰を下ろし、砂海から吹く風を受けている。
 砂塵を含んだ風だが、風使いの青年には限りなく優しい。
 人目から隠れて待っているはずの少年の元へ向かう途中、少年の声が聞こえた。
 契約を交わした主の心からの声なら、どこにいても風使いには届く。手の甲に刻まれた文字印が媒体となって、主がどこにいるのかもわかる。
 契約したばかりの、美貌の主。
 まさか、本当に逢うとは思いもしなかった。
 この地に己を必用とする者がいる、と既知の占い師が言った。それを信じた訳でもないのだが、契約をする者が滅多に見つからないため気が向いたのだ。
 必用としている者があったのしても、己が主として気に入るかどうかは、逢ってみないとわからない。
 果たして、己を必用とする者はいた。
 己の興味を引き、契約してもいいと思わせるものを持っている人物だった。
 あの占い師は、本当に、滅多に占いを外さない。己が望まなくても大切など思うことは勝手に告げてくる。あの男とは長い付き合いだから、互いに言いたい事を言い合う間柄だ。
 今度逢う機会があれば、結果を報告しておこう。
 きっと、人好きのする顔で酒でも持って来いというのに違いないのだ。
 青年は知らず口元に笑みを浮かべた。
 風使いは通常定住しない。気の向くままにどこへでも行く。だから、親しい知人は意外に少ないのだ。第一、畏怖の対象である風使いを恐れずただの友人として対する人間は希有だ。
 そういった意味でも、占い師は青年にとって貴重だ。
 
 ふと、腕の中で、少年が身じろいだ。
「主?」
 顔を覗き込むと、少年は顔を上げて青年の腕の中から身体を起き上がらせる。
「……船はまだ用意していないな?」
 ふるりと首を一度振り、眠気を追い払うようにして少年はいきなり本題に入る。
 追手が港にいたことから、そちらにも話しが行っていただろうと少年は聞く。
「そうだ」
 青年が認めると、少年はそうかと頷く。
 そこには、責める口調は全くなかった。事実を聞いたに過ぎない。
 少年は、覆っていた白い布をその場に落とし、立ち上がると砂海へ近付く。
「主?」
 長い黒髪が歩く度に揺れる美麗な後ろ姿に青年は声をかけるが、少年は足を進める。
 ゆっくりと流れるような砂の波が寄せる中、少年は歩み続け一定の深さまで来る。そして、己の残っている耳飾りを手に取った。乳白色の月を半分にしたような形は、耳飾りにしては少々変わった形だ。
 少年はその石に一度唇を寄せると、そっと砂海へ浮かべた。
 みるまに、その石はどんどんと大きくなる。
 半月の形が優美な曲線に変わり、先が細長く伸びる。
 そして、舟になった。
 月色をした舟は、まるで天にある月を模したようだ。微弱に発光している。
 月光の下、小舟はゆらりと砂海に浮かんでいた。

(月の舟……)

 月のある夜、その船は砂海を滑るように走り、百海璃進むと言われている。
 青年は話しに聞いていたが、見るのは初めてだった。
 なぜなら、月の舟と言われている月天舟を出現さえる事ができるのは、ある国の王族だけと伝えられているからだ。西にあるセレンテスを治める王族。信仰の対象となる月を頂く一族。恵みの月はあらゆる国や人々から崇められる。

(月の王子だ……)

 舟を前にして、青年を振り返った少年は紛れもないセレンテスの王子だ。
「風使い?」
 少年は、青年に向かって歩いてくる。
 少年を守るように降り注ぐ月光が、腰まで届く長い黒髪をきらきらと反射させ白い貌を彩っている。蒼い瞳が真っ直ぐに青年を見つめる。

(己が、契約するはずだ……)

 あの、ほんの僅かの瞬間、己が主となる相手の顔もよくに見ず契約に応じた理由。その存在で人を惹き付けるものを持っていた。
 この世界で月の王子に惹き付けられない者などいない。
「この舟で砂海を渡ればいい。月夜なら普通の船より何倍も早い」
 少年はふわりと青年に淡く笑う。
「御意。それでは、主をセレンテスまでお連れしよう」
 青年は、頭上から胸の上まで弧を描くように手を翻し、正式な礼を取る。そして、少年を抱き上げると、砂海に入り舟まで歩き少年を乗せた。己も荷物だけ取りに戻り舟の淵に手をかけ飛び乗る。
「船出だ」
 青年は進行方向に、手を伸ばす。舟はゆっくりと旋回し切っ先を青年の指先方向へと変える。
 
 そして、月光の下、月の舟は出航した。
 



 
                                                  完。
 
 




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