「探偵と怪盗のRondo」2−1






 暦上は9月に入ったが、まだ暑い日々が続いていた。
 残暑とはいうが、連日夏日で熱帯夜もざらだ。
 そんな夜。
 白い鳥がビルの屋上に降り立った。
 世間を騒がす怪盗KIDだ。今時予告状を出して派手なマジックを披露し宝石を盗んだ後でなぜか返却する怪盗紳士。人を傷つけない、殺さない窃盗だけを繰り返す犯罪者。
 純白のマントにスーツ、シルクハット。片眼鏡を付けたKIDは確保不可能と言われ、どんな警備もすり抜けて犯罪をおかし警察の手を振りきって逃げ切る。彼の正体を知る者はいない。
 貯水棟の上に降りて羽を畳み、見やった先。
「……!」
 KIDは珍しく顔色を変えて、コンクリートに飛び降りた。
 
「名探偵!」

 叫び、急ぎ側に近寄った。
 そこには、ぐったりと身体を横たえている青年がいた。そばにはペットボトルや荷物らしきものがある。この暑いのに長袖のシャツの上にパーカー、ジーンズ姿だ。タオルらしきものが手からこぼれ落ちている。
「名探偵?」
 そっとKIDは呼びかける。
 未だ出会ったことのない真の姿の探偵。いつ戻ったのだろうか。
「……ん?」
 睫毛が揺れて、蒼い瞳が現れる。白い額にはうっすらと汗がにじみ黒髪が張り付いている。
「あ?KID」
「はい。大丈夫ですか?」
 身体を支えてKIDは探偵の顔を覗き込む。触れただけで細いとわかる肢体。顔色が白いというより青白い。
「ああ。まあ、平気」
 まったく平気そうには見えないが探偵はそういって薄く笑った。
「いつ戻られたのですか?」
「この間。……やっと解毒剤が完成して元の姿に戻った。で、動けるようになるまで時間がかかたし」
「でも、まだ体調が安定していないように感じます。……暑いのに。こんな場所で。倒れていたではないですか」
「約束しただろ?すべてが終わったら会いに来るって」
 彼は帰ってきたと誰にも知らせていないはずだ。家にも戻っていないし、幼なじみも知らない。気にかけていたがそんな情報は入っていない。
 
「……名探偵」
 誰より先に会いに来てくれた。とても嬉しいが無理は厳禁だ。
「よく、こんな身体でドクターからお許しが出ましたね?」
「……渋かった」
 自身も渋い顔をして新一は肩を落とす。
「元の姿に戻るとはいっても、幼児化していた身体だ。子供から大人の身体に変化するのは明らかに無理がある。それに解毒剤とわかりやすく言っているけど正確には違う。俺が飲んだのは毒として利用されていたが、研究していた本人は毒なんて作っているつもりはなかったんだから。たまたま利用できるから組織が毒薬として利用しただけで。つまり、なぜ子供の姿になったのか解明しないと話にならない訳だ。詳しいことは割愛する。俺も説明されたけど、専門じゃないから理解が苦しい。で、この姿に戻ったというというか成長したというか、大人の身体になったけど、それで無事解決でよかったな、では終わらない。簡単じゃないんだ。リスクがあるんだ。子供の姿になるというのは、そういうことだ。無理矢理大人の身体にするのだから、心臓から始まって内蔵、筋肉、骨。一気に成長するのは身体が耐えられない。ふつうは死ぬな。だから、徐々に成長させる必要があった」
「ええ」
 KIDも理解できる。それがどれほど危険かは。第一、幼児化などどこのファンタジーだとふつうは思う。KID自身がファンタジーとしかいえない女神を追っているから、最初から否定はしなかったが。
「副作用ありまくり。無理なんて厳禁。やっと動けるようになったから、KIDと約束したから出かけていいかと聞いたら、すげー顔で睨まれた。でも、条件付きで許可してくれた」
「条件?」
「そう。こんなに暑いから、水やタオル、緊急のための酸素に携帯は手放すな、等々な。暑いから起きているのが面倒でちょっと転がっていたけど」
 転がっているというのは、具合が悪いということではないかとKIDは思う。
「そうですか。今、私はドクターに感謝と謝罪でいっぱいです」
「なんで?」
 小さく首を傾げる目の前の探偵が不服そうだ。感謝なら自分にしろと言わんばかりだ。もちろん、主治医には感謝はしてるのだろうが。
「今ここに名探偵がいることができるのはドクターのおかげです。ドクターがダメだといえば、お会いすることは叶わなかった。謝罪は、限りなく心労をおかけしたことですね。体調の不安定な名探偵を外出させなければならないのですから。きっと今頃心配されていることでしょう」
「心配はしているな。確かに」
 細々とした注意事項を聞かされて送り出された身である。自覚ぐらいはある。
「私の気持ちがおわかりですか?」
「ああ」
「もちろん、名探偵が約束を守ろうとして下さったことが一番感謝していますけどね」
 にこりと微笑むKIDに新一も満足そうに瞳を和ませる。
 
「名探偵。少しお聞きしてよろしいですか?」
「いいけど、なんだ?」
「元の姿に戻ってもお身体が昔のようにいかないことはわかりました。きっとドクターはたくさん警告や注意をしていらっしゃることでしょう」
「よくわかるな。山ほどあるぞ。仕方ないけど」
 新一はふと思い出す。自分の主治医は死にたくなければ、守りなさいと厳しい顔で言った。
 とにかく、無理は禁物だ。
 内蔵や心臓、神経、様々なものが弱っている現在、今後もどんな副作用が出てくるのかわからない。
「よろしければ、その警告や注意事項を教えてもらえませんか?」
「……おまえに?」
「はい。だめですか?」
「まあ、いいけど。たくさんあるからな、一度にはちょっと難しいな。おまえに関係があることといえば、探偵業は俺の性みたいなものだから許してもらえたんだけど、それ以外はくれぐれも無茶はするなって言われた。だから、せっかく自由のきく大人の体に戻っても、おまえの逃走経路に答え合わせにはいけないな」
 夜遅く、こんなビルの屋上など行くな言われた。季節によっては体調を悪くする。風邪一つとっても新一の身体には負担が大きいのだ。
「わかりました。では、私が答え合わせに参りますよ。今まで通り予告状はお届けします。名探偵のことですから、予告状の答えが気になるでしょ?」
「……おまえな」
「これからは工藤邸にお届けすればいいのでしょう?」
「ああ。まあな。……そろそろ家に戻るけど」
 現在は、工藤邸にはいない。別の場所で療養している。
「他にはありますか?」
 KIDに問われて新一は考える。
「……うーん、風邪一つ厳禁だそうだ。二例しかないから、どんな副作用がこれから出てくるかわからないし、俺と主治医が同じ症状が出るとも限らない。俺の方が無理しているからな、元々。急激に元の姿に戻って、子供の姿にまた戻る。よく考えればいいわけないんだが、事情が事情の時があったから何度かあるし」
 探偵である新一にとって、ふつうの生活というのは無縁だった。子供の姿になっても毛利探偵事務所にいる時事件によくぶち当たった。毛利小五郎が疫病神と言われるほどだ。
 おかげで、偶発的や主治医の作った試作品で一時元の姿に戻ったことが数度ある。
「規則正しい生活。十分な睡眠と栄養、ストレスなんてもってのほか。基本は普通の一般と一緒だ。健康診断が出来れば毎日、悪くて週に二度。そこで悪い結果だと外出禁止。一日ベッドの上だ。免疫力も低いし、自律神経もなー。不整脈に、貧血。内蔵系は弱ってるし。あれだ、『無菌室に放り込んでおきたい!』て言われた。冗談に聞こえかったけどな」
 苦笑しながら新一がつらつらと並べる。
 新一が細かく言っていないだけで、志保から言われた警告はもっと専門用語がいっぱいである。
「それでも落ち着いてこればいいんだ。今は安定していないから、用心に越したことないだろ?」
「はい。では、くれぐれも無茶はしないで下さいね」
 それしかKIDには言えなかった。心中では、絶対に気をつけようと決めている。風邪一つ引いたら、命取りなのだ。
 いつか、新一の主治医に話を聞いておかねばならないとも思う。
「わかってるって。耳にタコだってーの。守るけど」
 小言に注意ばかりいわれ続けた新一は少し唇を尖らせてぷいと横を向く。
「心配なんですよ、それだけ」
「それも、わかってる!」
 ますます機嫌を損ねた新一にKIDが優しく微笑む。
「名探偵。無事のご帰還、おめでとうございます」
 そして、真摯な声で、KIDは新一の手を取り甲にキスを送った。
「……KID」
「今まで、お待ちしておりました。が、これは予想より早かったというべきか、長かったというべきか。組織に戦いを挑んで消滅させるなんて何年もかかることです。ですから、時間がかかるものだと自分に言い聞かせておりました。けれど、半年で戻っていらっしゃるとは、嬉しい限りです。長期戦でおりましたけれど、名探偵なら短期間で挑むのではないかと思っておりましたから」
 KIDの口調と表情から本心だとわかる。
 新一は、ここに帰ってきたのだと実感が沸く。愛すべき、自分の日常。
「俺は一応終わった。次はお前の番だ」
 新一はまっすぐにKIDを見上げた。嘘偽りなど許さない意志の強い蒼い瞳だ。
「ええ。そうですね」
 KIDの事情など話したことはなくとも新一にはある程度の予想は付いているのだ。KIDは否定せずに、頷いた。
 KIDの目的を果たす。いつになるかはわからないが、いつか必ず。
 目の前の新一が不可能だと思われていたことをやり遂げたのだから。勇気もわいてくる。
「探偵の俺が祈っても御利益はあやしいが、一応完遂を祈っておいてやるから。適当にがんばれ」
「……名探偵なら御利益ありまくりだと思いますが、なぜ適当なんですか?」
「そんなの決まってるだろ?命の危険に晒さない程度にってことだ!」
「……はい」
 まさか、そんなことを言ってくれるとは思わなかったKIDは唖然としてしまった。じわじわと心が暖かくなる。
 命の危険など考えていたらKIDなど出来ないのだけれど。それでも、それをふまえて告げられた言葉だ。嬉しくないはずがない。
 だから、はいと答えた。
 
「そういえば、今日は、どなたかお待ちですか?それとも私がお送りしましょうか?」
 暑いこの場所で話している状況は著しくよくない。KIDは名残惜しいが話しを切る。
「絶対待っているって博士と志保が言ったから、ちょっと離れた場所で待機してくれている」
 予想通りである。新一を一人行かせる訳がない。
「わかりました。では、そこまで。おひとりでは危ないですから」
 KIDはおもむろに探偵を抱え上げる。
「KID!」
 文句を言う新一にKIDが微笑する。
「だめですよ。私がこのままお返したら逆に怒られます。みなさん心配されているのですから。ここまで来て頂いて最初にお会いできて嬉しく思いますが、だからこそ責任があります」
 自分を信用して送り出してくれた人たちの顔が思い浮かぶ。新一は仕方なそうに暴れるのをやめた。いつの間にか新一が持参したものはKIDの手の中にあるし。
「では、しっかりつかまっていて下さいね」
 そうKIDは言うと、白い翼を広げた夜空に飛び立った。
 
 
 
 
 


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