「探偵と怪盗のRondo」1−8







 いつものように、鳩が飛んできた。
「ブラン」
 コナンは自分が付けた名前を呼んで手を差し出す。
 するとその手に鳩はちょっんと止まり、腕を伝って肩までたどり着くと、そこで頬にすりすりと懐く。
 自分に懐く姿はとても可愛い。コナンは頭を撫でてやり蘭からパンをもらって公園へ向かう。脚に結んである紙は今度の予告状だ。それを嬉しそうに見る反面コナンは寂しそうに顔を曇らせ持っていた小さな紙にさらさらと文字を書いて折り、鳩の脚に結び付ける。
 そして、ご褒美にパンをやる。
 コナンの手からパンをくちばしで食べる鳩は、まるでコナンが主のように慣れていた。
 KIDが主であるはずなのに、こんなに自分に慣れていいのだろうかと疑問に思うほどだ。
 
「おまえにも会えなくなるんだなー」
 残念だ、とコナンは呟く。
 コナンの言葉を理解したとは思えないが、鳩は頬に擦り寄りもっと構って欲しい訴えた。コナンはこれが最後かもしれないと、頭をずっと撫でてやった。
 鳩の脚に結んだ自分からの珍しい手紙。これを読んだKIDはどうするだろう。律儀だからきっと来てくれると思うけど。
 せっかくだから、会っておきたいとコナンは思う。
 そして、ぎゅうと鳩を抱きしめた。
 
 
 
 
 
「ああ、よく来たな」
「いいえ。名探偵のお呼びであれば、どこへでも」
 コナンがKIDを呼び出すことはとても珍しいことだ。鳩に持たせた簡素な手紙でビルの屋上を指定した。初めてKIDと相対した場所だ。思い出の場所だからこそ、ここで告げておきたかった。
 
「あのな。組織との戦いに本腰入れることになった。だから、江戸川コナンは消える」
 コナンは一気に言った。
 春先とはいえまだ肌寒い中、子供の高い声が冷えたビル風にあおられながらも響く。KIDはコナンと一歩離れた場所で佇む。
「戦いに赴かれる?」
「ああ」
「FBIと協力体制で?」
「ああ」
「CIAやICPOとも連携を取って?」
「ああ。……よく知っているな」
 秘密裏に進めているはずなのに、どうしてKIDが知っているのかとコナンは疑問に思う。そして、簡単に知られる危険性を考える。実力のある他者に知られてしまう危機。
「あなたのことですから、当然ですよ。私が知らない訳がありません。ああ、ご心配なく。私だから気づくことです。他の人間は全く気づきませんよ」
 KIDの場合コナンの周りを見ているからわかることなのだ。前提の情報がなければ、コナンの存在を知ることは不可能だ。コナンの存在はしっかりと隠匿されている。
 小学生低学年の子供が組織崩壊のための「頭脳」だと誰が想像するだろう。
 名だたる組織にも賢い人間は多数いる。実践が一級品の人間もいる。天才的なコンピュータの使い手もいるだろう。記憶力が抜群にいい人間、弁護士、医師の資格を有するもの、人材は豊かだろう。
 それでも、これほどの探偵はいない。
 そう、彼は生粋の探偵だ。探偵以外になれない生き物だ。
 小さな欠片のような事実を見逃すことなく拾い上げ、頭の中でピースを繋いでいく。
 たとえ、わずかの情報からでも最上の答えを導き出す。彼が引く道筋は完璧に近い。その時、それ以外は選べない。
 彼は、被害者を増やさないように尽力し、加害者の命させも救う方法を選ぶ。
「KID。俺は消える。元の姿になって戻って来るつもりだけど、絶対なんて言えないしな」
 コナンは自嘲気味に苦笑した。
「そのようなことをいわないで下さい。危険性もわかっています。保証がないのも知っています。博打のような賭であることも知ってしいます」
「組織を潰すとは簡単じゃない。今まで各組織が全力で当たってきたが、果たせなかったことだ。それでもやらなければならない。これ以上、組織によって悲しい思いをする人間をなくすために」
 戦うことは、死が隣りあわせと言っていい。
 今までの犠牲を考えると、命を守れる保証はない。彼が子供の姿であることは守護の対象となりえるか。希有な頭脳を危険には晒さないだろうか。子供の姿では機動力に欠けるから、実行部隊からは外れるか。もし元の姿を取り戻したら自分から突っ込んで行くのだろう。元に戻ること事態賭のようなものだけれど。その資料は手にはいるのか。解毒剤は完成するのか。服用して大丈夫なのか。健康体に戻れるのか。
 KIDがざっと考えただけで、安心できる要素なんて一つもない。
 それでも行くのだ、彼は。
「……隣のお嬢さんも?あなたの主治医の」
「灰原もだな。置いていくのは拒否された。自分にもできることはあるし、アポトキシンの資料は自分が確認するのが一番だって。ついでに俺の体調管理も仕事だそうだ。俺の主治医だからな」
 コナンは母親が毛利探偵事務所に預けているというスタンスを取っている。だから母親が引き取りに来た事にすればいい。海外へ行くといえば通常連絡も取れなくて不思議ではない。
 これは有希子に変装して母親の役をやってくれるように頼んである。
 哀も今は阿笠が保護者をしているが、実際は他人だ。遠縁が見つかり引き取られることになったとすればいい。時間差で姿を消す。不審をもたれることがないように。自然に、誰も疑いの目を向けないように。
「江戸川コナンも灰原哀もここから消える。戻ってくることはない。戻ってこれるなら、別の人間だ」
 それが決意。
 戦いが終わっても元の姿に戻れなかったら、その姿のまま生きていかねばならない。が、よく知る人間が多いこの町で再び生活することはない。組織と相対した人間が残党に狙われない訳がない。子供の姿でもそれは避けることができない。友人知人をそれに巻き込むことはしたくない。
 本当の姿を取り戻したら、帰ってこれる。家もある。そして、無事なのだと知らしめる必要がある。まるで組織とは関係ない振りをして。
 変わらない生活をアピールする必要があるのだ。
 ただ、いずれはそこからも離れなければならないだろう。コナンも哀もそう思っているが、今はそこまで誰にもいう必要はなかった。
 
「ご帰還をお待ちしております、名探偵」
 万感の思いをこめてKIDはコナンの手を取って甲に口づけを落とす。騎士が主に敬愛を示すように。
「……KID」
 コナンが困ったように名前を呼ぶ。
「今度会う時は、真実の名前を呼べることを祈っています。もっとも、どのような姿でも名前でも、名探偵は名探偵ですけれどね」
 気障にウインクしてKIDはくすりと笑う。
 KIDにとって、彼が彼という存在であればいいのだ。
「そうか」
 何の保証もなく、誰かと約束することもできない。負けるつもりはない。勝って組織を崩壊させる。その心意気がなくては不可能だ。やり遂げることなどできない。
 だが、こうしてすべてに許容を示されると照れくさくなる。
 まるで、ほかには何も望まないと言われたようで。
 どんな姿でも、名前でもKIDの態度は変わらない。そして、元の姿に戻れたら喜んでくれ、たとえ戻れなくても失望しない。
 それなら、すべてが終わったら、KIDの前に立ってもいい。
 
「なら、すべて終わったら。会いに来る。約束だ」
 コナンは晴れやかに明言した。
 誰にもしないつもりだった、約束。KIDとならしてもいい。
「ええ、お待ちしております」
 KIDはコナンの真意を読みとって、にこやかに答えた。
「それから、これ返しておく」
 ぽいとコナンはKIDに何か投げつける。KIDは放物線を描くものを落とすことなく受け取って、手の中にものを確認すると顔色を変えた。
「誤解するな。これからの戦いで付けておく訳にはいかねえから。だから、返しておく。…………また、帰ってきたら、仕方ねえから受け取ってやるし」
 コナンは弁解して、最後は小さな声で付け加えた。
 KIDの手の中にあるのはコナンの携帯電話に付けてもらっていたストラップ型の発信器だ。これでKIDはコナンの位置がわかる代物だ。
「では、お預かりしておきます。これは名探偵のものですから」
 KIDは嬉しげにコナンの言葉を受け取った。また、受け取るなどコナンとしては、破格である。
「……ぁぁ」
 返す声はとても小さかった。照れているのが丸わかりだった。
「今日も阿笠博士がお待ちですか?」
 そろそろ暦の上では春でも寒空の下、子供の身体を持つコナンをおいていけないとKIDは聞いた。いつも阿笠博士の車で送ってもらい、待っていてもらうのだ。
「いや、ちがう」
 困ったように下を向いてコナンが言いよどむ。KIDは首をひねって再び問いかけた。
「では、おひとりですか?」
 コナンは頷いた。
 珍しい。あり得ない。KIDは心中でそう思って不思議に感じたがやがてコナンの態度でピンときた。つまり、彼は、一応の別れのために時間を作ってくれたのだ。ほんの一時だけではないように。KIDが家に送る時間も今日は与えられている。
「では、私がお送りしても?」
 コナンは再びこくんと頷いた。恥ずかしそうに目を伏せているのが、いつになく可愛かった。生意気でも可愛いが、こんな風に素直に甘えてくれたら、嬉し過ぎる。
 KIDは胸中で小躍りしそうになるのをポーカーフェイスを張り付けて平静を装い、コナンに手を伸ばす。コナンもその手に捕まって腕に収まった。
「折角ですので、夜空を楽しみましょう。しっかり捕まっていて下さいね」
 KIDはコナンを大切に抱えたままフェンスに飛び乗り夜空へと羽を広げて飛び立った。
 
 
 
 
 
 そして、元の姿を取り戻した探偵がKIDに会いにやってくるのは、しばらく後のことだ。
 



                                                                  END




 


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