KIDがコナンを連れてきたのは、彼の隠れ家の一つのようだ。 マンションの一室だろうか? 見た限り2LDKのような間取りだ。 KIDはコナンをリビングのソファに座らせて、キッチンで珈琲を入れる。 コナンは先ほどからずっと黙ったままだ。 何を考えているのか、わかりすぎるくらい、わかってしまう。 KIDはコナンが落ち着くのを見計らっていたのだが、もうそろそろ良さそうだろうと判断して珈琲を入れたカップをコナンに渡した。 「はい、名探偵」 「ああ………」 コナンはそれを受け取って、一口飲んだ。そして、細い息を一度吐いた。 やがて、小さいが明瞭な声で聞く。 「お前、何か知っているのか?」 「………私が知っている事は限られていますよ。ソフィアさんの一人娘が亡くなっていること。公表されていないが、彼女が気が狂っていると言われていること。そして、今回の『紅薔薇の花びら』と呼ばれるルビーがどこかおかしいこと」 「どういうことだ?」 「『紅薔薇の花びら』は彼女の一族が所有するもので、以前にも一度だけ公開されたことがあるのです。 その時も今日展示されていたルビーが出展されていたのですが、もともと『可憐な花』であると伝えられ、古に女主人が作らせたと言われているんですよ。 それが、あのルースのルビーとはおかしな話ではありませんか?確かに大きさも色つやも文句なく一級品です。けれど、私にはあれが『紅薔薇の花びら』であると言われているのが腑に落ちない」 「………、つまりお前の感でいえば、あれは偽物なのか?」 「そうなりますね………。女主人が作らせた『可憐な花』である宝石は代々女性に受け継がれていたようです。女性が身につける『紅薔薇の花びら』とは何だったのでしょう?」 「じゃあ、ひょっとして引き継いだものしか本物は知らなかった?一般には別の宝石を公表して隠していた………。当然、笹島も知らなかった………?」 「その可能性は十分あります。もともとイミテーションを造っておくことはよくあること。全く別のモノを造るのは希ですがね。そうすれば、絶対に盗まれない」 コナンは考えた。 じゃあ、彼女の意図は何だったのか? 夫である笹島を殺し、偽物の宝石と一緒に死んだのはなぜ? つまり、『紅薔薇の花びら』はなくなったと思わせたかった? 夫の笹島は娘のリーナを殺した憎い相手、彼女が許せないと思っていたことは知っている。 繋いでいく、ピース。 コナンはまだ、純白のドレスを身につけていた。 レースをふんだんに使った純白のドレスはベールがあれば小さな花嫁になれるだろう。 娘の花嫁衣装? それをコナンに見立てた。重ねていた? 死ぬと決めていたから? そして………? 彼女は自分に一つのペンダントを託した。 もらってね?と。 思い出す、言葉。 『貴方にぴったりね。可憐な花のようだわ………』 『宝石は値段ではないわ。でも、高価でなんかないから心配しないで。………これは私にとって、とても大切な宝石なの。だから受け取って欲しいわ。貴方によく似合って、可愛いでしょう?』 それが意味することは? コナンは胸に下がる赤い石を手の平で優しく包んだ。 宝石に対する鑑定能力はないけれど、おそらく………。 「KID?お前、宝石に詳しそうだな?」 「ええ名探偵よりは詳しいつもりでいますが、貴方の知識も相当ですよ?」 「俺のは知識であって、鑑定する能力はねえよ。お前、本物を見分ける能力は高そうだ」 「お誉めにあずかり光栄至極に存じますが、どうしました?」 「これ、何かわかるか?」 コナンは首の後ろに手を回し、ペンダントの止め鉦を外しKIDに差し出した。 KIDは失礼と断り、ペンダントトップを見る。 赤い宝石。 プラチナで赤い宝石を囲むような細工になっている。さしずめ、赤い宝石は蕾か? 真剣な表情で鑑定の瞳をするKIDをコナンは見つめた。 その視線に気付いたのか、KIDは顔を上げてコナンの瞳をのぞき込んだ。 「これは、ロード・ライト・ガーネットですね。ガーネットは7種類あるのですが、そのうちの一つです。 ギリシア語で「ロード(薔薇)」「ライト(石)」からその名前が付けられ身につけると永遠の友情と信頼をもたらし、己の身を守ってくれると伝えられています。紫みの赤で透明度の高さ、ちょうどいい明度はルビーとは異なる美しさがあります。 グレープカラーと称されるワインレッドの光彩の素晴らしい宝石ですよ。 ルビーなどの高価な宝石よりずっと手軽に買える価格ですが、カラットと美しさにより値段は当然上がってきます」 思った通りとても詳しい知識だ。 コナンは今更ながらに、怪盗KIDの眼の高さに呆れる。 こいつはやはり宝石のプロか?と思う。 「名探偵………、説明していて気が付いたんですが、これ、もしかして………?『紅薔薇の花びら』にぴったりの細工ですね」 「そうだな、………多分そうだろう」 想像するしかできないが、彼女は娘に渡したかったのだ、これを。 公の『紅薔薇の花びら』を葬り去って、誰も探さないように。誰にも渡さないように………。 そして、多分、己の身を守ってくれるという言い伝えを望んだのだ。 逃がしてあげるわ、とコナンに約束した彼女。 なぜ、死ななくてはならないのか? 自分は詳しい事情も知らない。 本当の所、何があったかなどわからない。 それでも、生きていてこそだ。 そんなに憎かったのか?あの男が。 心の支えである最愛の娘を殺した、夫である男が………。 けれど、娘のリーナの元に急いで逝く必要がどこにある? それは天国なのか? 貴女の楽園はリーナの場所にしかないのか? 自分はキリスト教徒ではないが、殺人と、自殺は天国へ行けないのではないのか? 貴方の行く場所は楽園だろうか?それとも地獄? リーナがいさえすれば貴方にとってどこでも、例え地獄であれ楽園となりうるだろうが、リーナがいる場所は天上の『楽園』ではないのか? 身を守る宝石をここへ置いていくことはないだろう? 俺に預けてどうする? これは貴方が持っていくべきだったのだ。 最大の謎はどうして、今であったのか?ということだ。 今まで気の狂ったふりをして笹島の目を欺いてきたのに、なぜ今日、あの男を殺す気になったのだろう?たまたまチャンスだったのか? それとも、自分を拉致までしてきた笹島が許せなくなったのだろうか? これ以上誰にも迷惑をかけたくなくて? どんなに考えても、答えは出ない。 もう、答えてくれる人はいないから。 真実を知っているのは本人だけなのだ………。 秘密も真実も謎も何もかも、彼女はもって死んでいった。 一時しか一緒にいなかたけれど、彼女が幸せになれればいいのに、と思った。 なのに、自分は彼女の決意に気付くことができなかった。 コナンは自分の小さな手を見つめる。 こんなにも自分は無力だ。 足りないのだ、全く。 「リーナのお墓に行くか………」 このペンダントを捧げに。 コナンはそうすることが一番自然なような気がした。 彼女は本来娘に渡したかったのだから。 コナンのどこか沈んだ声にKIDは励ますように、静かに言う。 「名探偵。多分彼女は貴方に持っていて欲しかったのですよ?そうでなければ、自分が身につけて、天国に持っていけばリーナに渡せるでしょう?生きている貴方に持っていてほしかったのですよ? だって、彼女は『貴方に逢えて良かったわ………神に感謝します』と言ったのですから」 そうでしょう?とKIDはコナンに問いかけた。 自分が考えるより、ずっと優しい答えをくれるKIDにコナンは泣きたくなる。 けれど、涙は流れない。 泣いても何も変わらないのだから、今は涙を流す時ではないのだろう。 「お前、これを盗むか?」 コナンは聞いた。 これが、本物のビックジュエルなのだ。 KIDが盗む予定の『紅薔薇の花びら』。 「いいえ。それは貴方のお手元に………。貴方がお持ちでしたら、盗む意味はないと思いますよ?」 例えパンドラでも名探偵が持っている限り、悪用はされない。 この宝石はなくなった事になっているから、組織に狙われることもないだろう。 それに、『紅薔薇の花びら』は殊の外、名探偵に似合っている………。 漆黒の髪に天上の蒼である瞳。雪のように肌が白いから純白のドレスがよく映える。そして、胸元に赤い薔薇。これから可憐な花を咲かせる蕾の宝石。 きっと、彼女も満足だったに違いない。 宝石はそれに相応しい人間に持っていて欲しいものだから。 その気持ちは、きっと名探偵にはわからないだろうけれど………。 KIDには彼女の死の原因も理由もわからない。名探偵から聞こうとも思わないし、必要ない。 けれど彼女が満足そうに微笑んで飛び出した時、わかったような気がした。 彼女は名探偵に救われたのだ。 彼に出会えて良かったと思えた。 きっと思い残すこともなくなってしまったのだろう………。 それを名探偵に伝える気もKIDになかった。 知ればより名探偵は苦しむだろうから。 救われたと言っても、まさか自分に逢ったから決心したなどとわかったら自分を責めるに違いなかった。 「それでいいのか?お前は」 盗まないと断言するKIDにコナンは真意を読みとろうと、真っ直ぐに瞳を見つめた。 お前の求める答えはどうなる? お前には、信念があるのだろう? そう訴えかける、自分の意志を考えてくれる綺麗な瞳にKIDは内心嬉しくなる。 「私の主義に則っておりますから、問題ありません」 だから、KIDは澄まして答えた。 「貴方に、宝石の加護がありますように………」 KIDは『紅薔薇の花びら』に唇を落とした。騎士が姫君に恭しく誓うように。 その気障な仕草にコナンは眉をひそめた。 「ふん、折角の加護も下がりそうだな」 「名探偵、本当につれない方ですね?でも、その方が貴方らしいですよ?」 KIDは優しく笑う。 名探偵の心が少しでも晴れればいいと願いながら………。 コナンはKIDのさりげない優しさが身に染みていた。 絶対に言わないけれど、心の中では感謝していた。 「ありがとう」と言えない変わりに、憎まれ口を叩くしかないけれど………。 それでも、最後には笑って見せた。 これ以上心配はかけたくなかったから。 誰かの悲しみになど、なりたくなかったから………。 そして、名探偵『江戸川コナン』が忽然と姿を消したのは、それからしばらく経ったある日のことだった。 END |