「クイズでBOM」後編



 それから暫くして新一と合流を果たしたKAIは身体の何処かに怪我を負っていると言う事はなかったが酷く気力も体力も消耗したようで二人の…特に新一の姿を認めると凭れ掛かるようにそのまま気を失った。
 当然クイズは中断、一度番組側が急遽とったホテルで皆待機する事となる。
 KAIは救急車を呼ばれかけたところ新一の「休めば大丈夫ですから」の一言でそのままスタッフの車で同じくホテルへと運ばれていた。
 KAIの身体は機械で出来ている為当然医者になど診せる訳にはいかない。
 そして内心番組としても救急車を呼ばれる騒ぎになるのは困る事と何よりそれを言ったのが名探偵の工藤新一であった事から一も二もなく頷いてそこまでの手配を一気に整えてくれたのだった。

 新一はベッドに横たわるKAIの姿に蒼の瞳を伏せると唇を噛み締める。
 多分彼の内側ではあらゆる損傷箇所の検索と修復とテストとを恐ろしい早さで繰り返し行なっている最中であろう。
 それが粗方済めば自ずと目を覚ますと思うのだ、これまでもそうであったから。
ただボディーそのものの損傷とは違う筈であるから、優秀で繊細な彼にそこまでの負荷を与えた精神的ストレスなど、そちらの方が心配だった。
 色々と理屈は理解していても感情はそうもいかない。
 乱れたままの心。
 しかし今はその全てを押し込めねばならない、まだ自分にはやるべき事がある、それを終えなくては彼のトモダチなど名乗っていられない。
 新一は一度だけKAIの髪を梳いてやると部屋を後にした。
 そして扉の直ぐ脇で待機していた明に目で合図すると二人はまず屋上を目差した。
 単純にそこなら人がいないだろうとふんだからである。
 基本的に公共の建物の屋上というのは解放されていないものだが新一は躊躇いなく立ち入り禁止のロープを潜ると先にたってもう半階分階段を昇った。
 古びた感の強い扉前の小スペースで彼は立ち止まる。
 全体に埃っぽいそこはあまり人の出入りはないのか空気全体が淀んでいた。

 「俺が何を言いたいのかもう分かってるよな」
 まるで金縛りを解く呪文のように新一が呟けば明はピクリと肩を揺らした。
 「これは昨日の夜、おメー等と別れた後ホテル近くのコンビニのゴミ箱で見つけたもんだ」
 ポケットから出て来たのは透明なビニール袋に入ったコンビニのネーム入り袋であった。
 それを少し掲げて突き付けるような姿勢で新一は希有な双眸を鋭く細めた。
 これが同じ歳の少年なのだろうか?
 冴える美貌、それだけで取り巻く空気の全てが鮮やかな蒼に染めあがっていく感覚に今ここに居る人物が紛れもないあの名探偵であると明は思い知る。

 「おメーは袋が破れたから仕方なく手で運んで来たって言ってたな?確かにこの袋は破れていて使いものになんなかった」
 「…それが?」
 自分の声が何処までも遠い。
 「けどこれってよく見るとおかしかねえか?この破れ目は何か鋭いもので引っ掛けて切れちまった跡でしかねえけど、昨日のおメーの持ってたものでこんな傷を入れられるような品物はなかった筈。つまみの入ったパックの角でもこんな鮮やかに切れたりしねえ」

 新一はそこでビニールから中身を取り出すと鋭利な切り口を提示する。
 明は顔色を変えた。
 一応おざなり程度に冷房は効いているが扉を隔ててすぐ太陽の照りつける灼けたコンクリの屋上があり、そこは暑いくらいであったが汗まみれの明に対し新一は殆ど汗もなく涼しい顔を崩さない。

 「つまりは、おメーはまだ他にも買ったものがあったって事だ」
 まるでこの世に彼と自分しかいないかのような錯覚に囚われ明は何度も息をのんだ。
 喉がカラカラだった。
 「俺はそれが何なのかどうしても気になってそれからコンビニの中にも入ってみた」
 「買ってないよ」

 明はそれだけはハッキリと主張した。
 なだらかな頬を伝って汗が数滴足元に滑り落ちる。
 レンズ越しの必死な眼差しに新一はゆっくりと微笑を刻んだ。
 まるで天使のように美しい…しかし見る者によっては悪魔のように狡猾な、笑み。

 「そう、おメーは<何も>買ってなかった」
 呆れる程明快に語られた言葉にもし彼が誰であるのか知らぬ者が万一いたとしたら憤慨していただろう。
だが彼はそう…、<工藤新一>なのである。
 「…だ、だったら問題ないだろ」
 「問題?大アリだね。おメーは何も……あのジュースや御菓子ですらそこで買ってなかったんだ。じゃあ、あれを何処で買ってきたんだろうな?」
 新一はそこで一度言葉を切ると再び真正面から眼鏡の少年を見据える。
 そのあまりの美しさと迫力に明は目眩がした。

 「大抵の場合、人間後ろ暗い事があると足がつくのを恐れて離れた場所を利用しようとする。…俺はその後、そこから結構離れた同じ系列の店にも行ったぜ」
 「……」
 「そしたら今度はバイトの店員がよく覚えてた、おメーの特徴と全く一致する奴がそのくらいの時間に大量のジュースや御菓子、そして花火セットを買っていったのを。花火セットのパッケージは角のあるしっかりした厚紙にプラスチックでコーティングされてる。あれだけ沢山のものと一緒に詰めれば、そりゃ、ビニールくらい破っちまっても不思議じゃねえよな。そしてその後おメーはあたかも近くのコンビニで買ったかのようにこのビニールだけを捨てに走った。その店に寄った証拠に出来るだろうし何よりこれだけ鋭く割けてんのを見られた日にゃあ何買ったんだか怪しまれるに決まってる」
 「……もしかしたらただ本当にしたかっただけかもしれないじゃないか」

 花火、と小声で告げられる。
 彼は花火を買ったという事自体否定はしなかった。
 いや、…元々あまり積極的に何事をも隠す意欲に欠けているのかも知れない。
 それを新一も悟ったか僅かに目元から力が抜ける。

 「…まあな、正直言えば今回の事は半分は偶然て奴だった。たまたまおメーが目についてたからって事もあるし、あの時のおメーの態度と一番気になったのは買ったばっかにしちゃ随分と汗を掻いていた缶ジュースの事と、あれだけ近くのコンビニに行っただけってのにやけに濡れてたおメーの体、…その時から一寸勘に触ったものがあったんだ」
 新一はこれまでさり気なく観察していた結果を事もなげに提示してみせた。

 「そしてかなり決定的だったのはおメーが遠くのコンビニで<二度>買い物をしてたっていう事実だ。途中雨に降られて傘を買いに戻ったろ?そしてついでに代わりのビニール袋を貰った…。火薬が湿気っちまったらどうにもなんねえし、あんまり体が濡れてても後で不審に思われるしで買ったんだな。その後新しい袋に花火を包み途中植え込みに傘と一緒に隠した」
 明は少しだけ柔らかくなった空気を敏感に感じると苦笑混じりのため息をついた。
 「……凄く…降ってきたからね。でも結局荷物が多くてうまくさせなかったから大分濡れちゃったんだけど…。それにしても傘を持って行ったのは工藤君だったんだ?誰か雨に困った人が勝手に借りたのかと思ってた」

 新一が昨夜傘を持っていたに関わらず濡れて帰ってきた訳はそこにある。
 あの傘は証拠品でもあり使う訳にはいかなかったのだ。
 「あれ、結構目立ってたからな。けどまあその時点じゃ確信持てるとこまではいってなかったから取り敢えず静観を決め込んだんだ。俺がそのまま花火の方まで持ち帰って問い詰めたところでおメーの気持ちまでは変えられねえんじゃ、意味ねえし。……特に…あいつはおメーの事気にしてたから」

 あいつとは…黒羽快斗の事でしかないではないか。
 だが何の面識もない、ただあの時が個人として初顔合わせであった自分を何故?
 良く分からないというように明は目を剥いた。
 「会ったばっかでおかしいと思うか?でもあいつはそういう奴なんだ」
 その反応分からなくないな、という表情で新一は口元だけで笑う。
 「……それって…同情?」
 「バーロ、同情なんかであんなヤバい真似出来るかってんだ」

 言われてみればごもっとも。
 と言うかそれ以前に何故彼が誰より早くそれに気付いてしかもあんな…普通ではとても説明し切れない驚愕のアクロバットを見せる事が出来たのかそれを誰も追求しなくて良いのだろうか?
 だが明を始め全員がKAIの異常な力以上に今回の騒ぎに意識を奪われ誰も気に止めていないのが現状であった。
 <彼>ならば、夢のような美貌をもった彼ならばどんなに非現実的な事を披露しても人は何となく納得してしまうのだ。

 「じゃあ一体…黒羽君て何者なの?」
 だから明の質問はKAIの内面に対しての事であった。
 彼が何故そこまでしてくれるのか。
 「…さあ、何なんだろうなホント」

 あまりにもそれは意外な答だったのだろう、明が目を剥いている。
 関わらない方がいいと彼に言ったのは自分。
 今も、そう思わなくもない訳で。
 「でもこれだけは言えるぜ、あいつは俺の自慢の友達だってな」
 そこで初めて探偵の瞳に酷く人間臭い光が灯った。
 浮かんだ、苦笑ともとれる美しい笑みに空気が一気に緩み始める。
 これもここにいない<彼>の力なのだろうか。

 「あいつ等に普段どんな仕打ち受けてんのか知んねえけどKAIが…煙に包まれて様子がおかしくなったとこを見ておメー封筒をあいつ等に渡すの躊躇っただろ?あれで俺は取り敢えずおメーと話がしたいって思ったんだ」
 「あれは…だって思った以上に大変な事になってたから一寸まずいかと思って…」
 「でも普通そこまで嫌な奴相手だったらほっとくもんじゃねえ?逆に後でそれが原因で疑いかけられる事だってある訳だし。俺だって万一の時にはこうじゃねえかって仮説は立ててたけど実際に少しくらいあいつ等は痛い目みた方がいいんじぇねえかとも思ってたくらいだからな。だからあの時おメーに感謝しろって言ってやったんだ」
 「え?そ、そうなの?」
 「…つまり、おメーは自分で思うより度量もデカくて勇気もある奴なんだよ」
 クスリと笑った新一に明は呆然とする。
 「……工藤君…」

 あの騒動の後当然全ての封筒を検分した彼はKAIの持っていたものと明が持っていた二つの分にだけ同じ発煙の簡易装置が仕掛けられているのを確認した。
 花火の煙幕をもう少し強力にしたものが封を切る事により発煙するよう仕組まれたものだ。
 それは全てに施す必要もまたその余裕もなく何者かの悪意の存在を知らしめる為のものであり、一応突発のクイズイベントのお陰で何時も以上にバタバタしていたスタッフの目を盗んでまずは一つに細工をし、後はクイズが始り手元に届いた分だけにでもやっておけばそれでも充分な効果を得られる筈であった。
 準決勝までの工程を思えば毎年のパターンと照合して今日辺りがヘリを使ったクイズであると、ここまで来れば想像に難くない。
 そして勿論使用された部品などからあの脅迫状を送った時に仕掛けられていたものと同一人物の仕業である事が分かっている。

 「…その袋が僕のじゃないなんて言えないね、指紋調べれば一発だし。工藤君の事だからあの時の傘も証拠品として保管してあるんだろ?」
 「多少の牽制になると思ったんだよ」
 「じゃあその指紋もみればバレバレだ、この暑いのにまさか手袋嵌めたりして逆に注目される事の方が恐かったから…」
 今どき指紋は多少素人が拭き取ったところですぐに復元されてしまう、ベストな形としては初めからつけない事であるのはある程度の常識だ。
 変なところでまた小心者だね僕は、と明は俯いて力なく笑った。
 不思議だった、こうして人前でこんなにも己の言葉を話している自分が。
 きっと世の犯罪者も彼にならこうして追い詰められながら、それでも最後には何でも自分から話してしまうのではないだろうか。
 彼はきちんと受け止めてくれるから、変に笑ったり茶化したりしないで真実だけを聞き取ってくれるから…。
 「僕、何時も思った事ハッキリ言えなくて。嫌だって思う事まで全部押し付けられてさ、受験の時も成績はいいのに面接で落とされて今の学校に入ったんだけど…どうしてもうまく馴染めないんだ。今回のクイズもそう、嫌だったのに僕…頭だけは良かったから。でも失敗すれば絶対に僕のせいにされるし出来るならクイズには出たくなくて、だったらクイズ自体が中止になってくれたらいいなって……」

 新一はため息をついた。
 やはり、難しい問題なのだと思う。
 価値観や育つ環境も異なる人間が集められているのだから当然起こりうる事。
 そう言う自分だって集団には馴染めない、又、無理に馴染まずとも良いとすら思っているきらいがある。
 「まあ何つうか、そういうのも個性って言うんじゃねえ?」
 新一は結局感じた事をそのまま口にしてみた。
 ため息混じりであったのはどうしてだか彼にも分からないようで、整った眉根を僅かに寄せている。
 少なくともKAIに会う前の自分であったら出てこなかった台詞である事は承知しながら。
 「…個性って…そんな風には考えた事なかった」

 明は先程の彼の発言の事もあり動揺も露に何度も目をしばたいている、…勿論そこにあるのは純粋な驚き。
 否定しなかった、黒羽快斗も工藤新一も、自分という存在を。
 容姿も頭脳も人より遥かに秀でてどんなに奢った奴等かと思えば、どうも思考パターンも並外れているらしい。
 彼と…彼等といると驚いてばかりだ。
 あれだけ周囲から浮き立って、それでも怯まず逆に周囲に気を配る事まで出来る彼等が素直にカッコ良いと思える。
 初めて足場を得た感覚に立つ事を忘れていた赤子のように明は両足を震わせると煤けた壁を頼りに寄り掛かった。

 「ま、でもせめて嫌な時は嫌って言えるくらいにはなっといた方がいいぜ、でねえと損だからな」
 そんな彼の様子を見た新一は苦笑しながら話はそれでお終いとばかりさっさと階段を降り始めた。
 「え?!一寸工藤君、僕の事警察に通報しなくていいの?」
 まるで霧が晴れたように目の前が開けてきた明は今頃になって新一の美貌を意識し顔を赤くした後、ハッとして慌てて追い縋った。
 「さっきも言ったろ?俺はおメーと話がしたかったって。それに俺は別に警察の人間じゃなくて、この番組のプロデューサーからクイズが無事に進むよう協力してくれって依頼されただけだ。これでこの先安心してクイズが続けられるって保障は出来たし、匿名で報告だけしといてやるよ。あ、その代わりおメーはあいつに着いててやってくれな」

 -------- ……特に…あいつはおメーの事気にしてたから
 明はその時これらの行動も言動も全ては彼が探偵としてという以前に友達の為にした事なのだとようやく悟る事が出来て、何となく深く長いため息をつくとそれでも最後には羨まし気に小さく笑みを洩らしたのだった…。




 KAIが目を覚ますと意外な事に最初に目に入ったのはトモダチの顔ではなく小柄な眼鏡の少年の顔であった。
 「…あ…れ……何で?」
 どちらにしても頭がハッキリしない。
 ショックが強かった為か演算がきつくなっている。
 「大丈夫?黒羽君」
 「う…ん、まあ。でも俺どうしてこんなとこで寝てるんだっけ?」
 それでも喋りだせば何とか言葉は出て来るようでKAIは内心でホッとした。
 「覚えてないの?」
 「………クイズが始って封筒をキャッチしたとこまでは覚えてるんだけど…」

 まるでコマ落としのように記憶のデータが見事にとんでしまっている。
 紫の瞳を困惑に揺らしているKAIに明は唇を噛み締めた。
 自分のせいだ、今思えば酷い事を企んでしまったものだ。
 全部に仕込むのは流石に無理な為なるべく見た目派手に驚かせてやろうと煙幕を仕込んだだけのつもりであったのに…煙自体人体に全く無害と言う訳ではないのだから。
 あの探偵のお陰でスッキリした今の頭では以前のドロドロした自分勝手な感情が恐ろしくさえ思えた。
 でもきっとこれを未然に防がれていたらこんな気持ちには一生なれなかったに違いない。
 「…ごめん、ごめんね黒羽君、それからありがとう」
 KAIは増々困惑の色を強めたが何も言葉が見付からない。
 明の瞳が熱く潤んでいる。
 そこにみるみる溢れるものが何なのか、何故自分は礼を言われているのか、彼には全く理解する術はなかったからだ。



 控えめなノックの音がすると新一が顔を出した。
 明は彼と局側の交渉がどうなったのか身を固くしたが微笑んだ新一がグッと親指をたてれば言葉以上に伝わるものに胸が熱くなる。
 今溢れた涙はきっと温かい。
 「ありがとう工藤君も」
 「……シンイチ?何がどうなったの?」
 「取り敢えず、もう大丈夫、特にはお咎めなしでクイズも明日には再開だ。これもあの時KAIが誰よりも早く危険を察知してくれたお陰だよ」
 もしもたった一つの演出として紛れ込んでいた例の封筒を拾ったのが地上の誰かであったならもっと事は大袈裟になっていた筈だ。
 そしてKAIが皆の目を惹き付けてくれたお陰で明達の事を見咎めた者はいなかった。
 これから局側は間違って別で使用予定であった演出用の煙幕が紛れ込んだとの説明を謝罪と共に発表する事となっている。
 「俺のお陰??」
 その言葉に?となった新一に明が彼の事件後の記憶が混乱している旨を伝える。 
 微かに身じろいだ新一はそれでも笑顔は崩さずそのまま安心させるようKAIに微笑んだ。
 「…ああ、だから安心して休んでろよ」
 今のKAIは新一の微妙な変化に気付く余裕はない。
 「うん、そうする。もう少し内部データの処理だけにメモリを多く割り当てたいから」
 そこで再び顔色の悪くなった彼に新一は思わず眉を顰めた。
 「…ごめん、大丈夫だから…ただ一寸、少しでも早く記憶から抹消したいものがあって」
 「…KAI?」
 「………俺、名古屋嫌いかも。あんなデカいレプリカなんて、凶悪過ぎる…」

 何を思い出したのか小刻みに震える身体に新一は心配半分、更に眉根を寄せると言葉の意味について考える。
 そして難無く辿りついたあまりにらしい答えに彼は思わず吹き出した。
 これまでシリアスで悩んでいた分のツケは大きかったらしい。
 「酷いよシンイチ…!笑わなくたっていいだろ」
 「ご…ごめ、…はは、そういう事か。じゃああの煙がどうだとかそんなんじゃなかったんだな」
 思えばクイズが始る前から下ばかり見ていたKAI、その意味も含めやっと分かった。
 名古屋名物(?)金の鯱鉾。
 彼はその優秀な機能が仇となりあのデカイ金色の二匹の魚を誰より正確に感知してしまい大打撃を喰らっていたのである。
 たまたま例の封筒を追い掛けた時それを更に間近からまともに見てしまったのだろう。
 不憫過ぎるが……笑える。
 それも彼が無事と分かったからこそ生まれた感情なのだけれど。
 「工藤君…?」

 一人話が見えずオロオロした明が思わず口を挟んだ。
 まだ少し笑いの治まりきらない新一は酷く幼気な笑みを向ける。
 これが本当の彼?明はあまりに無防備なそれに呆然とする。
 「いや何でも…。こいつ、あの時無茶したから、後々あまりの高さに貧血起こしたんだとさ」
 無茶という範囲なのか激しく疑問だが新一がそう言うのだからそうなのだろう。
 「心配かけてごめんな明」
 事情を何も知らないKAIはただ申し訳なさそうに、そして内心では己のおかしな弱点を新一がうまく誤魔化してくれた事に安堵しながら目を閉じた。
 どうして明がここに居てくれるのか分からないし事件の詳しい結末はやっぱり分からない。
 でもそれを尋ねてみるつもりはなかった。
 だって他ならぬ名探偵のトモダチは「大丈夫」と晴れやかに笑っていたのだから。





 だがしかし、やはりと言うか運命は事件体質の名探偵に容赦がなかったのである。
 そのままKAIに付き添って部屋に泊まっていた明は午前二時を廻った頃まず頭を芯から揺さぶるベル音に飛び起きた。
 歪む視界を矯正するべく眼鏡をかけると途端きな臭い空気に軽く咳をする。
 「何だ?」
 隣のベッドで並んで寝ていた筈の二人が居ない。
 部屋の照明はスイッチを入れても付かなかったが向かいのビルのネオンのお陰で視界には不自由ではなく、咄嗟に着替えた彼はまさかこの重大事に一人置いていかれたのではと不安と哀しみと怒りとをない交ぜにして唇を噛み締めた。
 現在鳴っているのは火災報知器、このホテルで火災が発生したのだという事は小学生でも分かるだろう。
 折角あの二人を見て友達というものを少しうらやましく思えるようになっていた矢先にこれではがっかりだ。
 きっと自分はあっさり見捨てられたのだ。
 別に仲間になったなどと自惚れたつもりは全くなかったがせめて起こして欲しかったと思う。
 ところがいざ扉を開けようとしたその時、ノブが勝手に向こうから廻って明は驚いた。

 「く、工藤君」
 「明、起きたか?!悪ぃな遅くなっちまって!他の客誘導するのに時間掛かってたんだ」
 突然顔を出した彼は一体ここまでどれだけ体を張ってきたのか、既に衣服のあちこちに煤のようなモノを付着させ肩で息をしていた。
 それでも損なわれる事のない美貌に感嘆の吐息が漏れたが、その反面あまりに自分勝手であった先程までの思考を恥じ入るように目を反らす。
 「一体何が?」
 「ホテルの客の中に一寸ヤバい奴が潜んでたらしくてな、追手みたいな奴等と一悶着起こした挙げ句おかしな薬品で途中の階に火ぃつけていきやがった…!KAIがそれにすぐ気付いたんだけど火が廻るのがあっという間で」
 説明しながら新一に引かれて廊下へと出た明は立ち篭める煙と炎の色に愕然とした。
 まるで映画だ。
 まさかこんな凄絶なシーンに自分が出演する事になるなど思いもしなかった。
 「シンイチ!こっちはもう駄目だ、上へいくしかない」
 煙の向こうから駆け寄って来た同じ顔の少年に新一は頷くと明の腕を取りながら反対方向へ歩き出す。
 「頭の位置を低くしてハンカチかなんか口元に当ててろ、そうすると少しは楽になる」
 新一はあくまで冷静で自身は慣れているのか先頭を行くKAIの後を疑う事なくなぞっていく。
 KAIにはこれくらいの熱も煙も関係なく正確に周囲の状況を見極める事が出来る、こんな時彼という存在は非常に便利であった。
 そして途中彼は立ち止まると階下から階段などを通じて立ち篭めた煙が人に耐えうる限界を超えて先を塞いでいる事実を進むまでもなく感知し、急遽新一達と共に傍にある部屋へと入った。
 当然客は逃げた後でもぬけの殻、乱れたベッドだけが残されている。
 「このホテル、防火シャッターがただの飾りになってる」
 「手抜き工事だな、後で問題になるぞ」
 二人は焦った様子もなくそんな会話を交わす。
 なので余計に映画の感覚でボ〜っとなっていた明はその部屋の窓を持ち上げた椅子で手際良く割っていくKAIの姿に顔を青くした。
 その仕種から推測される事は一つ…。

 (本気なのか?!だってここはまだ四階…)

 何処かに取っ掛かりがあるでもなく下はただのアスファルト、叩き付けられれば即死である。
 吹き込んできた新鮮で生温い風に明はようやく覚醒する。
 これはやはり現実なのだ!
 「一応これで間に合うよな」
 辛うじて未だ無事な廊下から何を持ってきたかと思えば新一は消火栓のホースをバサリと足元へ落とした。
 「上出来、ほんの数秒もってくれれば後は俺が何とかするから」
 KAIは平然と答えるとホースの端を窓枠に括りつけた。
 「悪いなKAI」
 「全然!シンイチの役に立てて嬉しいよ♪」
 ニコリと笑った少年は不安な色など微塵も見せず心底嬉しそうにしている。
 そして同じ顔の少年もまた心底信頼しきった顔で笑みを浮かべるとイソイソ準備を始めた。
 「ん?何やってんだ明、早く来いよ」
 一人この状況に固まっている明に新一は笑顔で手招きした。
 今は美しい分だけそれが恐い。
 「…も、もしかしてこれで皆で身体を縛って無事な階までバンジーでもやろうとか……?」
 冗談だろ?と懇願するような目と声で必死に言葉を紡げは当の二人は笑顔のまま

 「「何言ってんだよ、当り前だろ?」」

 そう爽やかに即答してきた。
 ハモっているところが何とも双子の天使のようだ…。
 逃げ出したいが足が既に言う事を聞かず、何故救助を待つという基本的かつ穏便な方法を思い付かないのだと明は口をパクパクさせる。

 「無事に戻ったら、優勝だ!」
 「副賞の旅行に行こうね〜」
 「おう!海なんていいな」
 「……海は駄目。避暑地にしよう!温泉なんてどう?」
 「温泉…おメーが錆びないなら」
 「俺を誰だと思ってんの?今更硫黄ごときにやられる柔なボディーなんて持ってないよ♪」
 「よし、じゃあ温泉だ!!」

 額に汗びっしょり浮かべた明はこれらの会話を気の遠くなるような恐れと共に聞いていた。
 違う、何だか違うだろう。
 彼等は確かに凄い、カッコ良い、優しい、感謝もしている、……しかし、こんな友達は御免だ。
 まだ奴等の方が馬鹿だが人間らしい。
 「明?早く縛らないと」
 まあなくても落とさない自信はあるけどさ、とKAIは呟いて新一と自分を結んだ後立ち尽くす明へと手を差し伸べた。
しかし反応がない?彼の血圧が一気に下がって一気に上昇するのを感じるが……。

 「…だ…」
 「「ん?」」

 「……やだ……」
 「「何が?」」

 「……い…嫌だ〜〜〜〜〜〜!!!絶対に嫌だ!そんな馬鹿みたいな事やるもんか〜〜〜!!正気じゃないよ!僕は平凡な人間なんだ〜!真似出来るかっっっっっっ!!!」

  「「…………え?そ、そう??…………ごめん(;;)」」

 大絶叫を放った明少年の迫力に押され、新一とKAIは彼等にとっては完全に予想外のリアクションに目を点にするとただそう答えるだけで精一杯であった。
 そして当の明は興奮のあまり今自分が生まれて初めて言いたい事を言っているという事実に気付いていないようだった。
 ただもう必死であるのだろうが、ここで新一とKAIもまた初めて己の世間一般からすれば非常識極まりないらしい常識ぶりを思い知らされる事となる。
 その時何故か二人の脳裏に浮かんだのは練習していてあっと言う間にリタイアした新一のクラスメイトの顔。
 もしかして自分でも気付かぬ間に非常識な事を強いてしまったのだろうか……。
 心当たりがあるようなないような。
 だが今更であった、全ては。
 結局そのまま明は思いきり泣き喚き、とうとう二人はその方法での脱出を断念した。
 そのまま消防とレスキューが駆け付けるまで何とか篭城で乗り切った三人は、それからギリギリ無事に帰還を果たしたのであった。





 「え?!クイズは中止なんですか??!」
 「は…?だって当り前でしょう、あれだけの火災があって一応皆あなた方の素早い対応のお陰で怪我人もなくてすんだけどチームの中にはショックで寝込んだ人も居るし。何より機材の幾つかは駄目になって予約入れてた次のホテルや会場、それからヘリのキャンセル代、……もう予算的に続行は不可能だよ」
 翌朝番組のプロデューサーに呼び出された新一は昨晩の活躍に対する礼の言葉と共に衝撃的な言葉をも受け取り思わず沈黙した。
 新一は明にも指摘された通り常日頃こんな出来事とは懇意の仲である、こんな事くらい何でもないからクイズは続行当たり前と思っていたのだ。
 誰もが中止は仕方ないなと考えていたというのに。
 優勝したらKAIと二人で温泉、…本当に凄く楽しみにしていたのだが…。
 そりゃ、旅行くらい行こうと思えばいけない事もないのだが二人で協力して勝ち取ったというところがポイントだった。
 きっとKAIはがっかりするだろう…。
 彼の紫の瞳が哀しみに沈む様を想像すると胸が痛い。
 「仕方ありませんね、こんな事があった後ですから」
 言いながらやはり釈然としない新一はしかしそこは完璧なポーカーフェイスで心から痛まし気な顔をして見せる。
 そんな憂いに満ちた美貌にプロデューサーは頬を染めながらゴクリと喉を鳴らすと肩を落として去って行く名探偵を思わず呼び止めた。
 もしかしてこうなる事を予想しての新一の演技だったのだろうか。
 「あ〜!一寸待ってくれ工藤君、もし良かったら…」

 「それでここを紹介してくれたの?」
 「ああ、ホテルからの慰謝料を見込んでプロデューサーさんが少し自腹切ってくれてな。とびきりの温泉と最高級の飛騨牛が楽しめるってさ」
 「…そう?でもなんかココってお化けでもでそう……」
 二人が見上げるのはかなり歴史深いと推察される純和風の温泉旅館。
 JR高山駅から今オンボロワゴンに乗ってようやく辿り着いたところである。
 由緒だけはありそうだが…何と言うか車と同じく凄まじくオンボロな建物と手入れの行き届いていない雑然とした庭に、はしゃいでいた気分は吹き飛び二人は同時に眉を顰めていた。
 ただ古いだけなら情緒があって逆にいいななどと思ってしまうところだが、そうでなく寂れたと言う単語がぴったりくるその風情。
 思い出を提供する筈の旅館が客を暗い気持ちにさせてどうすると言うのか。
 おまけに迎えに出た従業員も愛想は最悪。
 何だ、あの男は?銜えタバコすらしているではないか。

 「ようこそ森の湯へ、私がこの旅館の女将で森野尚子と申します」
 挨拶した女将は美人と言えなくもないが窶れた感の強い、目の下にくっきりと隈を残した女であった。
 今にも疲労で倒れてしまいそうなその様子に新一は思わず引き攣った愛想笑いのまま社交辞令で話掛ける。
 「お世話になります。……ところで…あの…何か心配事でもお有りなんですか?」
 その言葉に車を降りてきた男とどうやら夫婦らしい女将は二人寄り添いながら目を見交わした。
 「初対面のましてお客様に大変不躾ですが…あなたをあの有名な名探偵の工藤新一さんと見込んでお願いしたい事が…」
 「実はもう十日程前から一人息子の太郎が行方不明で……」
 夫妻が交互に答えた。
 それは大変な話ではないか、彼等の窶れようはその為だったのか。
 新一とKAIもまた目を見交わした。
 折角のんびりとしに来たのだがこれを聞いて放っておける筈もない。
 KAIが新一の心情を察したように頷いた。
 そして新一もまた。
 だが彼等は知らなかった、この後とんでもない事件と関わる事になるなどと…。

 何処か遠くで犬の遠ぼえがこだましていた。


 そしてその頃二人に対して言いたい放題言って帰路についた明少年は、それからというもの思った事をハッキリと言える人間になり、周囲を酷く驚かせたとか。
 更に放送中止と相成った幻の「高校生クイズ2002」はスタッフの間でビデオ編集され、今何故か口コミで広がったマニアから一般の奥様の間まで大人気であり、局の裏帳簿をかなりの高額で潤おわせているという…。

 

 おかしなところでも役に立っている、時に傍迷惑な名探偵と機械人形であった。

<END>


 2002/11/8 by 流多和ラト

 ………と言う訳でした(爆)
 今何から言い訳していいものかそれすら分からなくなっております(汗)
 この話は元々日記でやった突発妄想SSSに春流様のメールが切っ掛けで書き始めたものでして、
 途中お約束(?)な映画を意識したホテルの脱出シーンでの彼等の微笑ましい会話(笑)は
 殆どが春流さんのアイディアを 採用しています(苦笑)
 そして更にそこから発展して考えたもう一つのオチ、これは「空のあお」を読んでいないと
 分からないという凶悪な代物ですが妙にしっくりきたので使ってみました//////
 それでもこちらの世界は向こうの世界と少し設定が 違う事になっているので微妙に変えてありますが;
 何時も楽しませて下さる春流様に少しでも恩返し出来てたら幸いです><
 ありがとうございました!!




 ラトさま、後編ありがとうございます。
 大層楽しませて頂きました。
 問題の、あのシーン、入っていましたね。台詞もあれで・・・。(笑)←微笑ましいというか、天然というかあやしいけど。
 自分の妄想がラトさんの手によって形になっているなんて、嬉しすぎです。私、幸せ者〜。
 そして、あの常識外れの二人とトモダチ?になってしまった明少年。笑えました!
 そうですね、誰が一緒にバンジーなどしたいものですか。一般人は決してしません。
 「高校生クイズ2002」私も欲しいです。新一とKAIの素晴らしい活躍が収まったビデオ見たいです!!
 売ってくれないかな?とっても羨ましい限りです・・・。

 ラトさん、恩返しだなんてとんでもないです。こちらこそ、いつもありがとうございます。
 かなり妄想につき合わせているような気がします・・・。でもでも、これからも、よろしくお願いします。


                                        小川春流




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