「クイズでBOM」前編



 何かおかしな事が起きているなあとまず最初に理解したのは、その映像を客観的に見る立場にあったADの一人であった。
まず、画面が動かない。
 いやいや、正確には動いているのだがそう…数カ所に設置されたカメラが一様に同じ対象を追っているからそう思ってしまうのだろう。
 大勢の中に囲まれて、それでもモノクロの中にある唯一の色彩のごとく浮かび上がる鮮やかな美貌はカメラマンならば誰しも本能的に追わずにいられない。
 絹の黒髪、白く滑らかな肌、そして奇跡の造作と配置を齎す端整な顔立ち、そして何より万人を惹き付けてやまない深い蒼の双眸。

 だがこうしてカメラ越しに彼の姿を拝む機会は実は少なくはなかった。
 普段はこの硬質な美貌に相応しい氷の空気を纏い血生臭い事件現場に凛と咲き誇る人。
 しかし今このカメラの中にいる彼は東都における地区予選でダントツトップで最後の難問中の難問をいともあっさりクリアし、チームメイトと抱き合っている最中である。
 しかもこの上なく無防備に晒される笑顔は酷く優しくて…その辺のアイドルなど裸足で逃げ出す凶悪なそれに思わず集っている、今度はディレクターを入れたスタッフ全員がタバコの灰が落ちた事も気付かずポカンと画面に見入っていた。
 しかも、そんな彼が笑みを向ける少年もまたまるで双子のように同じ顔をしているのだとしたら……これはなんと例えたら良いのか。

 紫紺の双眸を柔らかに細め茶色の猫毛をくしゃくしゃに乱されながら見せるもう一人の少年の全開の笑顔は、蒼い目の少年の何処か艶めかしいものと違いただ心洗われる天使の微笑みのようで、負けたチームの者達までが我が事のように誰もが顔をクシャクシャにして歓喜に涙ぐんでいた。
 人によっては後光がさしてすらいたかも知れない。
 ブッチぎりで地区優勝を果たした異例の二人組混合チームの美貌の少年達は、今度は茶色の髪の少年がチームメイトを一人で胴揚げして周囲の度胆を抜いている。
 何処をどうしたらあの細腕でそんな事が出来るのか?
 だがこれをそこで指摘する者などある筈もなく、TVスタッフも他の出場者もただ感動と恍惚にむせび泣いているだけで全ての謎は美貌の中に溶けていく。

 こうして工藤新一と黒羽快斗を名乗る少年達は日本の伝統ある『高校生クイズ』本選出場権を獲得したのであった。





 新一の元に一つの依頼が持ち込まれたのは学校が夏休みに入って間もなく、これからの長い休みをどう過ごすか同居人で家族でトモダチのKAIと相談していた頃だ。
 番組を担当しているプロデューサーを名乗る男が名刺を片手に工藤邸を訪れ一枚の封筒を差し出したところから始る。
中身もシンプルな、そして今時では少しレトロな感じのする脅迫状。
 何処にでもある白い便箋に新聞を切り抜いて貼付けた大小様々な文字が踊っている。

 <高校生クイズを中止しろ さもなくば恐ろしい事が起こる>

 プロデューサーは初め馬鹿げた悪戯と思ったらしい。
 ところが更に同封されていたものが実によく出来た小さな小さな爆弾のようなもので、それがその場で爆発を起こしスタッフの一人が軽い火傷を負った事で事態は一変した。
 もしもこの脅しが本物であったなら取り返しのつかない事になる。
 番組は信用が一番、しかも出場するのはタレントではない一般の未成年。
 ある程度の視聴率はキチンと稼げる息の長い看板番組の一つである事から警察沙汰にはしたくないと、そこで秘密裏に探偵に依頼する事となったらしい。
 彼は幸いにも高校生であり、出場者の一人として参加して煢スの違和感もない。
 おまけにこれは口にはしていないがあの有名な高校生名探偵が参加すると噂がたった途端、応募が鬼のように殺到したのだから儲けものだ。
 予選から調査の意味を込めて出場した二人は、初め三人だったところ一人が病欠というハプニングがあり急遽二人での参加を特例で認めて貰ったのであった。
 そしてこれも余談ではあるが映像をかなり片寄った形で編集したビデオを逸早く観た局の社長は一言、「こりゃ、いけるな」と史上最強の視聴率獲得が夢でなくなった現実にほくそ笑んだという。

 「ねえシンイチ、例の調査って結構難しいね」
 「まあな、何たってマークする人数が多過ぎる。でもよ、探偵がクイズに参加してるって事は知れ渡ってる訳だから勝ち残ってるだけで立派に牽制になってるだろ」

 カタンと音を発てて上から落ちて来た物体をつかみ出すと新一は優美な仕種でプルトップを引き上げた。
遠くとも言い難い程には近くに見える狭い玄関先のガラス扉の向こうでは闇の中で突然の豪雨が猛威を奮っている。
まあこの手のものはそのうち止むだろうし、このまま少しでも涼しくなってくれれば良いなと新一は自然のBGMを楽しむようにソッと耳をそばだてている。
 無糖のブラックを一口飲み下し、当然のごとく家で自分やKAIがいれるものとは雲泥の差のコーヒーに眉を顰めつつも乾いている喉を潤す為だけに新一は続けてグイとやった。
 それに頷く同じ顔の少年はやはりこれも同じくアルミ缶をグイと空けて眉を顰める。
 因に彼のはミルクココア、即座に成分分析した鋭い舌は余計な添加物が多過ぎると注意を促すメッセージをメインコンピュータへと送信している。
 体が機械で出来ている彼にはあまり関係ないのだろうがそれが習慣となっているのだから仕方ない。
 だがこの機能のお陰で万一不純物が混入されていたとしても逸早く気付く事が出来るのだ。
 しかしまあ、やはり家でトモダチと囲むお茶のなんと美味しい事か。
 住み慣れた家を離れて数日、寂しいなんて思えるあたりそこがもう自分の<家>になっていると実感してKAIは少し嬉しそうに笑った。

 「KAI、次からはおメーのレーダーももっと範囲を狭くして精度を上げた状態でやってくれねえか?人数もここまできてそれでも大分絞れてきたし」

 新一はそんなKAIの様子に訳は分からないながらもつられるように微笑んでそう言った。

 「じゃあやっぱり…?」
 「ああ、これまで何も起こらない事を考慮すればまず間違いなく犯人は参加者の学生の中にいる、もしくはいたって事だな。理由は二つ。一つは元々あの脅迫状は前もっての中止を目的に出されたもんだ、ここまで進んで何もないって事はそいつは局の関係者とは違う。関係者ならそれなりに他の方法を使ってでも中止に追い込む事が出来る。二つ目、だから元々全くの選択権を持たずなおかつ突発でしか仕掛けられないくらい先の情報を持っていない奴…つまり学生が犯人て事になる。でもまあこの場合もう諦めてるか途中で敗退しちまってるか分かんねえけど」

 雨音と混ざって透き通るテノールが淀みなく流れる。
 優しくふざけている時の新一も好きだがこうして蒼の瞳を理知の輝きで満たしている彼もKAIは大好きだ、凄く誇らしい気持ちになれる。
 現在このロビーには二人の姿しかなく、昼間の喧噪を思えば今のうちに少しゆったりとした気分に浸りたいと思ってしまうのは雨のせいだろうか。

 「もしかして、俺達このまま何も起こらなきゃ順調に優勝出来るかもしんねえな」
 「そうだね、予選の時もそうだったけど皆なんでだかシンイチ見ると固まっちゃうんだもんなあ。あんなに過去のビデオ見て早押しとかの特訓もしたのに」

 実際にはKAIにも原因の一端はある。
 何しろ彼の頭脳は正真正銘のスーパーコンピュータであり知識など瞬時に引き出せるのだ。
 司会者が最後まで問題を読み終える前にある程度のポイントを満たしてしまうと答えは導きだされた。
 おまけに早押しは本当に速いのである。
 皆が止まっているように見える程彼の反射と反応は凄まじい。
 流石の新一にもそれは真似出来なかったが当然彼の知識も一般の高校生など問題にならぬ程に特出している上運動神経も並ではない。
 新一は自分ではあまり気付いていないが彼の身体は傷付き易いものの体力はばっちりあり、しかもここ最近はKAIとの規則正しい食生活のお陰で増々美貌も冴え渡る。
 だが不安がない訳ではなかった。

 チームは普通で三人、実は初め新一のクラスメイトで頭も良い運動部に所属中の少年がその三人目のメンバーとして決まっていたのであるが連日チームメイトとして特訓に参加したところ、一体何が悪かったのかある時突然「お前等にはついていけない!」と熱を出して倒れてしまったのである。
 そしてKAIはと言えばこれまであまり表舞台に立つ真似をした事はなかった為周囲から及ぼされる影響を思うと心配だった、何かあって傷付くとしたらそれはきっと彼の方だろうから。
 以前通っていたという学校の事など情報操作もどうやったのか記憶の隠蔽も完璧と聞いているが……。
 しかし蓋を開けてみれば皆が彼の美貌とKAIの美貌、これだけで戦意喪失する者続出、初めの○×クイズこそ彼等の後をゾンビのごとくくっついて回った全員が全問正解するハプニングこそあったが一度チームごとの戦いに移ってしまえばどんどん快進撃を繰り広げていく。
 今回は二人だけのチームを思い局側でもクイズ形式を三人でなくとも出来るよう改正してくれたので何の問題も発生する事はなかった。
 例の脅迫状通りの恐ろしい事もまた…。

 二人は各々飲み終えて専用のゴミ箱に缶を片付けた後、ホテルの狭いロビーを並んで歩いた。
 KAIはともかく流石に新一も多少は疲労している事もあり、他の殆どのチームがそうしているようなるべく早く休む事としたのだ。
 安い造り、安物の小豆色の絨毯はあちこちにタバコの焦げ痕が目立つ。
 現在地は東都を飛び出し名古屋へと会場を移している。
 東都とは違い都会でありながら何処か下町然とした雰囲気の抜け切らない街。
 安くあげる為であろう数あるビジネスホテルの中でもかなりお粗末なところが本日の宿であるが、それも番組の奢りとなれば仕方がない。
 しかも新一とKAIは調査という名目も兼ねている為一般の参加者達と同じ階に部屋を持ち特別待遇という事はなかった。
と、そこで裏からやって来た一人の少年の姿が二人の目に止まった。

 「シンイチ…あれって一人じゃ厳しいよね」

 KAIの言葉に新一は少し難しい顔をした。
 両手いっぱいに余る程の缶ジュースやスナック菓子やらの袋。
 小柄でかなり華奢である事からその足取りも少々危うい。
 バランスを必死にとろうとしている努力は認めるが近いうち全てのものを床にブチ播けるのは時間の問題のようだ。
現に今、彼はなけなしのバランスを崩した。

 「うわっっ」

 眼鏡を掛けた少年は自分の失敗にビクリと肩を震わせる。
 何と言う事だろう、これで炭酸は粟立ち御菓子は中身が粉々になるかも知れない。
 また戻って買って来いなどと言われたら最悪だ。
 どうして何時も自分はこうなのだ、思わず真っ暗になった思考と同じく目を瞑る。
 だが安物の絨毯のくせに物音一つ発たなかった。
 不思議に思い目を開けてみると信じられない豪華なビジュアルに目が眩む。

 「大丈夫?今ギリギリでセーフだったから心配いらないよ」

 柔らかに細められる紫紺の瞳に人なつこい美貌、確か彼は黒羽快斗と言ったか。
 そして呆然としていれば彼の傍らに立つのは蒼の瞳を持った少年…こちらは知らぬ者などない天下の名探偵工藤新一。
彼はただ無表情にこちらを見ている。
 だがよく見ればその白い手元に幾つかの菓子袋と缶ジュースがあって少年を瞠目させた。

 「幾ら何でもこれだけの量一人で運ぶのって無理だと思うけど…」
 「コンビニで袋くれなかったのか?」

 名探偵が喋った。

 「と、途中で破れちゃったんだ」

 ただそれでけで何となくドキリとして答える声が上擦ってしまう。
しかも彼はその中身の豊富さや限定の商品を見てホテル内にある高い売店でなく外のコンビニで購入したものと理解しているようだ。

 「ふ…ん、そっか」

 新一は僅かに目を細めて彼の持ち物を見遣ったがそれ以上は何も言わなかった。

 「気の毒だったねそれは」

 気がつけば紫の瞳の少年が直ぐ目の前に立っていて眼鏡の少年は思わず一歩退いてしまう。

 「じゃあ行こうか」
 「…え?」

 言われている意味が分からない。

 「だってこのままじゃまた同じ事繰り返すよ。どうせ同じ階に戻るんだしこのまま手分けして運ぼう」

 屈託なく笑うその顔が夢のように綺麗で数瞬見蕩れてしまう。
 それに対しあの名探偵は何処か硬質な空気を保ったままこちら…ではなく相棒を見ている。
 それには彼も気付いたのだろう、少し不思議そうに同じく相棒に視線を巡らせている。
 その時彼の瞳が不可思議な色に瞬いた気がして少年は目を丸くした。
 気の…せいだろうか。

 「シンイチどうかした?」
 「………いや、随分と濡れてんなと思って…」

 髪から背中から濡れ細って体に衣服が貼付いた眼鏡の少年の姿が蒼の瞳に写っている。

 「雨にやられたんだね、突然だったし」
 「……ああ」

 KAIの言葉に新一は少し素っ気無く答えた。
 彼は一体何を憂えているのだろう。
 新一の事を気にしながらも取り敢えずKAIは歩き出すと傍らの少年を見遣った。
 自分より背も低い彼は標準の高校生にしては小柄である。
 顔の造作は並、眼鏡が一応は特徴というくらいでこうして三人で並ぶ姿は王子様二人にお付きの従者といった風情だ。
 彼の何処かオドオドした態度もそれに拍車を掛けていたかも知れないが、時折すれ違うサラリーマン達は皆一様に前を行く二人にだけ視線を奪われているようで彼はある意味助けられていた。

 「俺、クロバカイトね、それでこっちはトモダチのシンイチ。君の名前は?」

 いきなり初対面であんた呼ばわりは流石にしない。
 狭いホテルなどエレベータまでの距離はしれていて、ボタンを押して待つ間KAIは好奇心旺盛に目をキラキラさせていた。

 「……僕は…笠井明」

 少年、…明が一瞬怪訝な顔をしたのはクイズの参加者ならば知らない者のない有名過ぎる彼と参加者でなくとも知らぬ者のない名探偵がわざわざ何故今更自分など相手に名乗る必要があるのかと思ったからである。

 「アキラか、よろしくな」

 元気に言い放ったKAIに対し明は黙りこくってしまった。
 視線は下を向き二人とは目を合わせようとしない。
 KAIはその反応が意外だったのか僅かに目を見開いている。
 だってまだ…挨拶しただけではないか。



 そこで電子音を響かせ待っていたエレベータが到着した。
 開かれた扉の奥から出て来た人物達はラフなTシャツにハーフパンツスタイルと夏定番の服装をした高校生であった。
 彼等も同じ出場者であろう、このホテルは通常長期滞在型のビジネスマンを中心に客を集めているのだから。
 因みに新一とKAIは同じ色のジーンズにそれぞれKAIが白、新一が黒のTシャツ姿だ。
 目が合った途端その二人は明と同じくギョッと目を剥いていた。
 何と言ってもいきなり強烈な美のビジュアルが二つも揃っていたのだから。
 しかしそこに埋もれるように明の存在に気付くと彼等はまた何時ものペースを取り戻したらしくあまり大きくもない目が細められた。

 「明、てめえ随分と遅かったな」
 「待ちくたびれぜ」

 そのまま肩をいからせて目前に立った二人は新一達よりも頭一つはでかい身体で明を牽制するようににじり寄る。

 「ごめん、…何か混んでて手間取っちゃって…」
 「それで近くのコンビニまで30分か?本でも読んでたんだろお前!?んだよ折角てめえが俺達の役に立てるチャンスを作ってやったってのに」

 随分と傲慢な台詞である。
 下を向いたままの明の姿に、しかしKAIは勘違いしたのか現れた二人の少年にニコリと笑うと己の持っていた荷物を差し出した。

 「アキラを迎えに来てくれたんだね、はいこれ、一人で大変そうだったから預かってた」

 屈託のない美しい笑みに呆然としていた彼等は暫しその姿勢で固まった後爆笑する。
 KAIは意味が分からずキョトンとしていた。
 そして差し出した缶ジュースの類いを振払われる。

 「あっ…っと。危ないなあ…何すんだよ?!」

 しかしそんな事くらいで落としたりするKAIではない、一度は手元を離れたそれを床に落ちる前に瞬時に拾い集めてみせる。
 その早業に目の錯覚か?と何度か目をしばたかせた彼等は何となくバツの悪そうな顔をしながら乱暴に明を退けて廊下を進もうとした。

 「ちょ…待てよ!あんた達何処行く気だ?」
 「何処って、言っただろ待ちくたびれたって。だからもうそんなもんいらねえ、今からどっかの店に喰いに行く事にした」
 「じゃあこれはどうすんだよ、折角買って来てもらっておいて」

 KAIは二人に追い縋った。

 「…お前って確か黒羽だったよな、何でそんな関係ねえ事で熱くなってんの?」

 まるで不思議なものでも見るような目でKAIを上から下まで眺めるその仕種はかなり無礼である。
しかしKAIはそんな事には微塵も気付かず焦ったように手の中のものを指し示していた。

 「関係ないって…確かにまあそうだけど……」

 現状の把握がうまくいかないKAIは僅かな動揺を瞳に乗せている。
 しかしそれも束の間、思い直したように息を付くとまだ余裕のある片手を明に向かい差し伸べる。

 「じゃあこれは俺達が預かっておくからアキラ行ってきなよ」

 その言葉に目を丸くした明とまたも爆笑した連れの少年達。

 「…傑作!何で俺達がこいつなんかと一緒に仲良くお出かけしなきゃなんない訳?」
 「そうそう、確かにこいつの奢りで飲み食いしてくるつもりではあるけどな」

 笑いながら彼のポケットから出て来たものに明の顔色が変わった。
 どうやらそれは彼の財布から抜き取ったお札らしい。
 だがそれを見ても明は唇を噛み締めたまま何も言う様子はなかった。
 KAIの目が次第に厳しいものに変わる。

 「……何だよそれって、大体明はあんた達のトモダチなんだろ?なんでそんな事するんだよ!」

 彼のトモダチという単語に増々彼等は声を発てて笑った。

 「………」

 KAIは思わず言葉をなくした。
 この反応が分からない、どうしてそんなに彼等は笑うのか。
 耳障りな声とノイズに酔ったように何だか酷く気分が悪くなってきた。
 狭くなりつつある視界に戦慄するようにKAIは顳かみに指を這わせる。

 「……例え知り合いであっても本人の了解もなしに他人のものを使うのは窃盗、立派な犯罪だぜ」

 まるで淀んだ空気を払拭するかのように凛と響いた声はこれまでずっと沈黙を保っていたトモダチのもので…。
 肩に触れた温もり。
 KAIは途端楽になった身体に目を見開いた。

 「…な、何だよ、大袈裟なコト…」
 「本当の事だぜ?何なら俺の知り合いの警部に今ここで聞いてみてやろうか。ついでに言えば今日は午後九時以降は外出禁止、それが何故かと言えばまあ俺達の年齢と状況からして世間一般的にはそうして当然の門限のような気もするけど、多分確率的に突発的なクイズイベントがあり得るからだ。万一出掛けて不在の間にそんな事があったら今までの苦労はその瞬間にパアだな間違いなく」

 新一が何者であるのか、クイズ参加者でなくとも日本中の人々が知っている。
 そんな彼の言う事は酷く説得力があり、実際に繊細な手元に握られた携帯電話に少年達は目に見えて狼狽した。
 彼なら本当に通報しかねない。
 だがその前に、その深い蒼の瞳に見つめられるだけで思考そのものが溶かされそうだ。
 白皙の美貌…、彼の相棒も同じ顔をしているのにその瞳一つだけで独自のインパクトを放つ。
 KAIを日溜まりとするなら新一は月光。
 凛と冴える空気と存在感は既にただの高校生ではありえない。

 「こういう事は他人があんま口出す問題じゃねえと思ってたけど、今は事情が変わった。……大事な友達の事よくも笑いやがったな。こいつをバカにする奴は誰であろうと容赦しねえぜ、この俺が」

 彼は別に語気を荒げた訳でもなかった。
 寧ろ恐ろしい程平静に言葉を述べ、ほんの少しその双眸を細めただけだ。
 しかしそれだけで凄みを増した美貌に少年達は小さく声を洩らしたままその場で固まった。
 クーラーが効いているというのに額に汗を掻き始める。
 それを暫く眺めていた新一は自分の分とKAIの分の荷物を各々彼等に押し付けた。
 既に大量の水滴を纏いつくしたアルミ缶が腕を伝わり絨毯に染みを作る。
 新一は濡れた手を軽く振払う仕種をすると

 「いくぞ」

 KAIの肩へと手を置き身を翻した。
 もう既にその対象達など微塵も興味がないとばかりの態度である。
 これまで彼の一連の動作と言葉をぼんやりとデータに残していたKAIは新一の声にようやく我に返ると促されるままに階段へと向かう。
 エレベータはとうの昔に次の誰かに呼び出されていた。

 「…ねえシンイチ、いいの?」
 「いいんだよ」

 階段を昇りながらKAIの視線は目の前をいくトモダチに注がれている。
 流石にわざわざここを利用しようという人間もいないらしく狭いそこに人の気配はない。
 染みの残る床に脂で汚れたような壁。
 薄暗い照明が辛うじて各階の表示を示している。

 「だけどさ、明もしかしたらあいつ等にこの後虐められるかも」
 「半分は自業自得だな」

 その台詞にKAIは息を詰める。

 「…シンイ…」
 「KAI」

 言いかけた言葉を飲みこんで振り返った新一をKAIは自然見上げる形となった。
 真直ぐに飛び込んで来る蒼の瞳は何処までも深い色をたたえている。

 「KAI、ああいうのは変に他人が口出しすると余計にこじれるもんなんだよ」

 ため息にも似た、苦い言葉。
 彼の秀麗な眉が僅かに顰められている。

 「でもだからって放っておけっていうの?」

 シンイチだってこんな苦しそうなのに。

 「じゃあ考えてみろよ、このままあいつ等のとこから明を引っぱり出してきたとしてどうする?明日には…いや、夜のうちに次のクイズがあったらあいつ等はチームなんだ、どっちにしても合流するしかなくなるだろ」
 「…じゃあ今からあいつ等に仲良くしろって言ってみる。頑張って説得すればきっと……」

 そこでゆるゆると頭を振った新一にKAIは瞳を揺らした。

 「そんな事で分かるような頭持ってるかよあのバカ共が。それにそんな事したら明はプライドも傷付いて完全に逃げ場をなくす。そうなったら逆にあいつは……いや、ともかく俺達は無責任に首を突っ込んだらいけない」

 逆にあいつは俺と何よりKAIの事を恨むかも知れない、その言葉を新一は飲み込んだ。
 彼は未だ色々な事を勉強中で、いきなりこんなドロドロした感情の事までは覚えて欲しくなかった。
 何より彼が誰かに恨まれるなどそんな事を思うのも嫌だ。
 新一がそんな風に考えているとは知らずKAIはトモダチの言葉を反芻している。
 言われてみると尤もな気がした。
 だからか、明に構う事に彼があまり良い顔をしなかったのは。

 「一番良いのは明自身が自分の意志をハッキリさせる事だよ」

 KAIはそこで頷くしかなかった。
 やがて無言のまま進んだ先にあてがわれた部屋を見つけると新一はふと考える素振りをみせた。
 何時もの、顎に指を絡めて思考に耽る仕種。

 「シンイチ?」

 自分に鍵を渡し踵を返した新一。

 「一寸ヤボ用。まだ一寸ばかし時間もあるしやっぱ俺もコンビニで何か欲しくなっちまった。おメーにも買ってきてやっから先に入っててくれ」

 それは沈んでいた自分を労っての事だったのだろうか。
 KAIがキョトンとしていると新一は少し笑って背を向ける。

 「………」

 追い掛けて一緒に行こうと声を掛けるのは簡単なのだが、それが出来なかったのは最後に見た彼の瞳が探偵のそれになっていたようにKAIが感じたからかも知れない。



 それから少しだけ時間は掛かったが戻って来た新一はびしょ濡れになった身体をKAIに諌められていた。

 「何でこんなに濡れるまで…しかも傘持ってるのに!」
 「悪ぃ、買ったはいいけど暑いし面倒になって」
 よくコンビニで見かける透明なビニール傘を新一はさっさとクロークの中へと片付ける。

 「シャワー浴びてきた方がいいよ、表面温度がかなり下がってる」
 KAIは新一の頬に手を寄せて心配げに眉を顰める。
 「ああ、じゃあ先にこいつ食べててくれ」
 公言通り持っていたお土産のアイスにKAIの顔が一瞬綻んだが彼はそれをさっさと冷蔵庫へとしまった。
 「待ってて、後でシンイチと一緒に食べる」
 KAIの言葉に新一は小さく微笑んだ。
 彼が不意に与えてくれる温もりが今はほんの少しだけ痛い気がしたのだ。


 その夜は新一の予想した通り突発でクイズイベントがあった。
 これを先にクリアした上位五チームに次のクイズの出場権が与えられる。
 寝ている最中に事件などで叩き起こされるのは日常茶飯事の新一は以前までは睡眠機能すらなかったKAIと元気にクイズに参戦し見事トップでクリア。
 明のチームもまたかなり危なかったものの何とか勝ち残っていた。
 一応あまり剣呑な雰囲気は見られないが水面下ではどうだか分からない。
 KAIの機能を持ってして明の身体に暴行を受けた形跡がないのは明白で、新一に睨まれ毒気を抜かれてしまった可能性もあった。
 そして朝が来ると朝食の後で向かうはやはり豪華絢爛名古屋城。
 昨夜の雨のお陰でほんの少しだけ風が優しい気もするが未だ九時だというのに気温はとっくに三十度を超える猛暑。
 夏休み中という事で普段ならば名城公園は人で溢れ返っているが今日は番組が一部貸し切ったとの事で関係者以外の人の姿は見あたらない。
 新一は額の汗を拭いながら木陰でため息をついた。

 「今日もうんざりする程暑いな、人が減った分だけましだけど」
 「…う、うん、そうだね」

 返事がワンテンポ遅れたKAIに新一は眉根を寄せた。
 何だか彼の様子がおかしい。
 まだあの明の事を気にしているのだろうか。
 昨夜のクイズではそんな素振りは見せなかったのだが…。

 「今日で準決勝、これで大体の動向が来まる。取り敢えず何が起こるか増々気を抜けない。…頑張ろうな、それに俺はおメーと旅行に行けるのも正直楽しみだから」

 気持ちとは裏腹に笑顔を浮かべてみせればKAIもまた応えるように笑ってみせる。
 しかし顔色は悪く伏し目がちで、勿論彼に血が通っている訳ではないが身体的機能を司る部分の処理速度が何らかの障害 により普段通りスムーズに行なわれていないようであった。
 こんなに繊細な彼をいきなり色々な思考を持った人間が一度に集う場所に連れ出してしまって本当に良かったのだろうか…しかも事件絡みとなれば負の感情に触れるのは必然だと言うのに。
 初めに抱えた葛藤が今更のように蘇る。
 しかしKAIは事件とは別にこのクイズに参加して優勝者が手にする事の出来る副賞の国内旅行クーポン券をそれは楽しみにしていたのだ。
 それに彼が自分に協力出来る滅多にない機会だと張り切っている事も知っている。
 一旦友達に目をやり、新一はそのまま静かに視線を滑らせた。
 そこには同じく木の影に入り無言でクイズが始るのを待っている明達のチームがある。
 新一が貰っていた資料の中から探し出したものによれば彼等は埼玉の工業高校のチームらしい。
 茶パツにピアスをしているのが清水徹、金髪に派手なネックレスをしているのが太田清、そして明とはクラスメイトで新一と同じ学年だ。
 だがここまで勝ち残ってきたと言う事は知識としての頭の良さだけは持ち合わせているという事か。

 (工業高校ねえ…)

 嘆息する新一はそのままもう一度視線をKAIへと戻した。
 何時も元気で明るいKAIを見るのが普通な分だけそちらへの心労も激しい。
 どうかこのままアレが自分の思い過ごしであって欲しい、そう願わずにいられない新一であった。

 そして始った準決勝は残り五チームだと言うのにかなり大掛かりなスケールで名古屋城上空からヘリでバラ播かれるクイズの問題入りの封筒を拾いそれを司会者に直接手渡しクイズに答えるという形式である。
 やる事が意味もなく派手だがこの訳の分からなさがなんともらしい。
 やがて轟音と共に現れた赤のヘリコプターが静止状態に入ると扉を開いて白い箱が傾けられた。
 地上からでは空の青に溶け込む紙吹雪のようにとりどりのカラーの雪が降ってくるように見える。
 身構える高校生達。
 しかし今回あまりに相手が悪過ぎる。
 KAIは実際にクイズが始れば新一の役に立とうと懸命であった。
 少々表情は固いが笑いかけてくれる彼。
 そこでKAIの表情が動いた。
 目付きが険しくなる。
 新一はつられるように視線の先を追った。
 まだ地上に届く様子もない問題達。
 皆が今か今かと空を仰ぐ姿を横目に一人KAIは走り出した。
 目まぐるしく変わる取り巻く景色と空中の物体との距離を計算しつつ彼は助走で得た勢いをそのままに一気に身体を高く持ち上げた。

 「お、おい、何だあれ??」
 「マジかよ、どうなってんの??」

 カメラも当然のようにKAIを追う、が、しかし信じられない事に彼を追うには角度が足りない。
五m程の高さを一気に飛び上がった少年は途中城の屋根に二・三度足をかけるとそこから更に高く天守閣の屋根まで乗り上げたのだ。
 あっという間の出来事であった。
 司会者は解説を忘れただポカンと口を開けている。
 上がり過ぎた首は後々傷める可能性もあるだろう。
 新一もまた何が起きたかと思ったのも束の間、彼程の確信はないが理由は分かった気がした。
 沢山の封筒に混ざって一つだけ微かではあるが動きのおかしなものがある。
 KAIはそれに気付いたのだ。
 そしてその予想に違う事なくKAIは動いていた。
 既に中身について更に詳しく知っておこうとスキャニングを開始している瞳のレンズが陽光にキラリと人工の反射を繰り返す。
他のものより30グラム重い。
 その元となっている物質の形状は平べったい直方体。
 外壁の物質と内側の物質に予測されるあらゆる組み合わせパターンが一瞬にして数百種頭を過るがその規模からして自分にとっては危険度は極めて低そうだ。
 KAIは躊躇う事なく児戯に等しい気軽さで目標物をワンハンドキャッチする。
 そして封を切ってみると…突然黒い煙がかなりの勢いで吹き出した。

 (KAI!!)

 銃に撃たれたとして理論上は平気な彼だ、あの煙が想像通りのものであったとしてもなかったとしても世程の事がない限り無事と分かっているが…それでも不安は消えない。
 皆が遠い頭上を見上げ突然のアクシデントに騒いでいる中次々舞い落ちる封筒の雨。
 それが足元に降りても拾い上げようとする者はいない。
 怯えて避けている。
 彼の二の舞いになるのはごめんだった。
 しかし中には当然それをチャンスと捕えた輩もいる。
 何より脅迫状の事は参加の高校生達には伏せられているのだから。
 明のチームの清水と太田は、拾ったはいいがそれでも呆然と立ち尽くしたままの明の手から強引に封筒を各々奪い取った。
 その一寸した刺激に我に返った明は二人を見ると顔色を変えて咄嗟に取り返そうと足掻いた。

 「何だよこいつ…!」
 「殴られてえのか?!」

 凄まれ沈黙してしまった明はそれでも必死の形相は隠さない。
 そんな彼等に元々注視していた新一は舌打ちすると走りだした。
 彼は探偵、心にどんな葛藤があったとして今は優先すべき事を知っている。
 何よりKAIはその為に危険な目にあったのだからそれを無にしてはいけない。
 初めから動向に気を配っていた事もあり新一の行動は素早かった。
 誰もが、カメラまでもがKAIに注目する中三人の元へ彼はフリーで駆け付けると二人が封を破る寸前にひったくる。
 それには向こうも驚いたようで突然間近で対峙する美貌の迫力に圧倒される。
 そして今度は無言のままゆっくりと巡らされた視線に明が身を震わせた。

 「…て、てめえ工藤、昨日の事といいどう言うつもりだ…!」

 なけなしの勇気と虚勢を振り絞ったつもりが震える声で太田は新一を見た。
 勿論正視する事は出来ず若干下を向いたまま。

 「横取りする気かよ」

 もつれる舌が恥ずかしいと思う余裕もなく同じく清水が喰ってかかる。
 実は同じ封筒でも色により難易度が違うのである、明が持っていたのは一番難易度の低い黄色のもの。
 その数は一番少ないがゲット出来ればとても有利なものだ。
 新一は彼等の言葉と視線を眉一筋動かす事なく受け流すと瞳に一転して熱い…しかし何処までも冷たい炎を宿す。
 その煌めきに空気が音もなく凍った。

 「馬鹿かおメー等は、このままじゃクイズは仕切り直しになるに決まってんだろ。…それよりも」

 これまで裏社会の実力者達とも対等以上に渡り合って来た彼の探偵としての眼差しにただの高校生が叶う筈もない。
瞳の見えない圧力に押されるように沈黙した彼等を他所に明の腕を取った新一は

 「明に感謝しろよ」

 そう言い残して去って行った。



 遅くなりました春流様、ようやくまずは機械人形シリーズにおける高校生クイズ(笑)という事で
 前編からお届けです(汗)何だかもう何を言ったらいいのやら…高校生クイズとウルトラクイズの
 区別が記憶の中で全くつかなくなっていてあれ?という感じです(爆)
 クイズの問題全く出て来ないのは一重に私の頭が悪いから…うう、すみません;;
 しかも何が言いたいのかもよく分からない話でますますすみません(泣)
 取り敢えず次で完結するのであと一回だけおつき合い下さいませ;;


 ラトさま、ありがとうございます。
 KAIシリーズで高校生クイズという、とんでもないリクエストですのに、叶えてもらえて嬉しいです。
 そう、あの煩悩のままですね。
 情緒を育てているKAIにとって人間の醜い心や複雑な問題は理解するには難しいでしょう。
 でも、それを理解することは別に人間の心に近づくことではないと思えます。
 純粋なKAIの心そのままにいて欲しいと望んでしまう、どろどろとしたものを知って欲しくないと思う新一さんの
気持ちがよくわかります。その綺麗な心を守りたいんだなって。
 新一さんがKAIを馬鹿にされて怒るところがなんとも言えず、ツボです。そう、大切な存在を馬鹿にされたら
誰だって怒りますよね?

 後編がとても楽しみです。あの、シーンは入るのか?(笑)


                                        小川春流




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