「作家 川瀬直美の誕生」2



 チリン。


 朝から青年以外誰も来なかった店内に来客を告げる小さくて軽いベルが響いた。

 「「いらっしゃいませ」」

 条件反射のように、マスターから声をかけ新一も視線を向けた。そこには、明らかに怪しい人相の男が立っていた。
 男は派手なシャツに明るい色の背広姿だ。30半ばくらいだろうか、目尻に皺が寄っている。男は店内をぐるりと見まして4人掛けの席に怠そうに腰を下ろした。新一はその席に歩いていく。

 「いらっしゃいませ。ご注文はいかがしますか?」
 「………へえ」

 新一がウエイターのマニュアルのような言葉を口にすると男は口元を上げて笑う。新一の顔を見て値踏みするような視線で全身を舐めるように1周すると徐に新一の手を掴んだ。

 「あんた、相手しろよ」

 手を掴まれて男の方に引っ張られた新一は倒れ込まないように踏ん張り手を振り払う。

 「なあ………」

 しかし男は諦めない。今度は手だけでなく腰に手を伸ばそうとして、新一にばちりと音を立てる程叩かれた。

 「客に対して、失礼じゃないのか?ああ?」

 男は大声で怒鳴る。

 「責任者呼べよ!」

 男は机を蹴り上げて新一を睨み上げた。

 「そちらこそ、言いがかりでしょう。地上げのやり方として典型的ですね。いつも嫌がらせに来ると聞いていましたが、芸がない」

 新一は男を真っ直ぐに見返えす。その綺麗で強烈な引力を持った瞳で見られた男は縫い止められたように一瞬動けない。その隙に新一は男の腕を取り逆手にひねる。

 「い、いって………!!!離せっ」
 「離せませんね。貴方の行為はあきらかに店の営業妨害だ。………このまま警察に行きますか?」
 「離せ………!」

 男は痛みに顔を歪めて訴える。新一は手から力を抜いた。

 「っつ………」

 男は慌てて捻られた腕を押さえて逃げるように飛び出した。

 「これで済むと思うなよ!覚えてろ!」

 捨て台詞まで聞き飽きたものだった。新一はそれを聞いて吐息を付く。
 新一は松井から地上げ屋の嫌がらせにあっていると聞いて協力したいと申し出た。他の客に絡んだり、松井に絡んだりテーブルや椅子を蹴ったり、営業妨害にあっていた松井は、法律や警察に詳しい新一に相談したのだ。新一は自分の大好きな場所がそんな目にあっているのが許せなかった。
 絶対、金輪際嫌がらせなどする気にならないようにしてやると決めていた。

 「新一君、大丈夫?」

 心配そうに松井が寄って来た。

 「大丈夫ですよ。………今度は仲間を連れて来るはずですけど」

 その方が手間が省けるんですよねと新一が笑うので松井は苦笑する。父親に似て実は売られた喧嘩は倍返しで買うタイプだ。怒らせたら怖い人間、というよりとことん報復するタイプの人間だ。

 「………新一君が無事ならいいよ。ま、やり過ぎないようにね」
 「はい」

 その裏の意味がこもった言葉に新一はふんわりと笑う。
 さすがに、生まれた頃からの付き合いの松井に自分の性格や本性はばれている。新一は男が机を蹴ったせいて乱れた位置を直して持ち場に戻る。
 それから少しだけ穏やかな時間が流れたが突如として乱す音が店内に響いた。ある意味待ちかまえていた歓迎しない来客だった。

 「よう!さっきはやってくれたな」

 案の定逃げ帰った男が仲間を連れて姿を現した。男の後ろには屈強そうな柄の悪い男が3人立っていた。4人は靴音を鳴らし、近くにあるテーブルや椅子を蹴り新一の方まで歩いてくる。

 「可愛い顔してやってくれたらしいな、お嬢ちゃん」

 左右になでつけた髪が特徴的な男達の中でも一番年輩な感じの暗い色の背広を着た男が新一の前に立ち見下ろした。男が物騒な目で見ても、新一は無言で反らさずに見上げる。見据えた深い色の目。それは男からすればこんな青年がもっている瞳ではなかった。

 「ふうん、なるほどね」

 男は新一の顎に手をかけて仰向かせる。

 「………何か?」

 新一は挑発するような上目使いで男を睨み付けた。

 「ただ者じゃないな、お嬢ちゃん」
 「生憎、僕はお嬢ちゃんではないので返事はできません。珈琲を飲みにいらしたお客さまなら僕も相当の対応をさせて頂きます。が、不法進入の嫌がらせですか?どちらです?」
 「客だと言ったら?」

 男は片眉を上げながら新一を観察するように見つめる。

 「いらっしゃいませ。どうぞこちらへ」

 新一はにこりと笑い近くのテーブルを勧めた。
 男は苦笑しながら新一の勧めたテーブルへ行き椅子に座る。

 「珈琲一つ。お前らはどうする?」
 「へ?鹿山さん?………珈琲お願いします」

 鹿山と呼ばれた男に声をかけられ背後にいた雑魚らしき男達は向かいに座る。

 「珈琲4つですね。畏まりました、しばらくお待ち下さい」

 新一は鹿山に一礼してカウンターまで戻り松井に注文する。

 「マスター、珈琲4つ」
 「………はい」

 松井は困ったように苦笑して、手早く注文を作ることにした。湯は沸いているから、豆を挽いてドリッパーにセットしてお湯を注ぐだけだ。そうはいっても丁寧にいれるのが松井の信条だったから、いつも通り美味しくなるように心を込める。

 「はい、できたよ」
 「はい」

 新一はトレーをもって鹿山のテーブルまで運び一つずつ音を立てないようにカップを置く。入れたての珈琲からは湯気と良い香りが漂っていた。

 「ごゆっくりどうぞ」
 「ああ」

 鹿山はカップから珈琲を一口飲む。味わうようにして、一言呟く。

 「美味しいな」
 「ありがとうございます」

 トレーをもって去ろうとした新一は振り返って、誇らしげに笑う。
 その新一の表情を認めて苦笑しながら、本当にうまいと誉めた。
 鹿山はしばらく無言で珈琲を楽しみ、前の席で下っ端の男達は鹿山を伺うようにしながら自分達も珈琲を飲んで、どうなるのかと待っていた。
 鹿山は珈琲を飲み干し、片手を上げてカウンターの前にいる新一を呼んだ。

 「はい。何でしょう」
 「うまい珈琲の店をなくすのは俺も惜しいとは思う。が、こちらもビジネスだ。早々諦める訳にもいかない。………俺の一存で勝手に決めるにはなあ、下っ端達の示しも付かない。それで、どうだ、賭をしないか?お嬢ちゃん」

 鹿山は面白そうな色を瞳に浮かべて新一を見上げた。

 「俺はお嬢ちゃんではありません」

 しかし、ぴしゃりと新一ははね除ける。

 「お嬢ちゃんが駄目なら、別嬪さんでどうだ?」
 「………」
 「間違っちゃいねえだろ?それ妥協しておけや」
 「………わかりました。それで、賭とは何ですか?」

 無表情で新一は了承した。

 「乗るのか?」
 「乗りますよ」
 「言っておくが、賭るのは店だけじゃない。別嬪さんも入る。………こっちとしては別に賭けなんてものしなくていいのに賭けるんだから、相当のものがいるだろ?」

 くくっと喉の奥で鹿山は笑う。

 「構いませんよ。その代わり、金輪際この店に関わらないで下さい」
 「新一君!」

 松井がさすがに青くなって新一の名前を呼んだ。しかし新一は大丈夫ですからと手を挙げて微笑む。松井は奥歯を噛みしめて、黙る。
 ここで止めても駄目なのだ。新一の性格上余計に酷い事態になるだろうと松井には予想がついた。売られた喧嘩は実は10倍返しな新一。もっと過激な事態は避けたかった。

 「………度胸があるな別嬪さん。気に入ったぜ?」
 「それで、何で勝負するんですか?」
 「別嬪さんと博打ってのも違うしな。カードでどうだ?」
 「わかりました。ポーカーですか?ブラックジャック?それともバカラ?」
 「………ただ者じゃないと思ったけど、カードは得意か?」
 「それほどでもありませんよ。いつも父親に負けてばかりです」
 「ふむ。生憎俺もカードは苦手じゃない。まあ、サイコロが一番なんだがな」

 鹿山はにやりと片方の口角を上げて楽しそうに獲物を見つけた瞳を輝かせる。新一はその目を見ても冷静な態度を変えず、それではとっととやってしまいましょうと即した。

 「いいぜ?じゃあ始めるか」
 「ええ」

 二人の強い視線が絡んだ。
 




 「………完敗だな」
 「………」
 「別嬪さん、本当に素人か?」
 「素人ですよ。これでも真面目な学生ですから」
 「惜しいな………。うちに来ないか?」
 「結構です。では、約束通りこの店から手を引いてもらいますよ」
 「ああ………。二言はないさ」

 店内で始まったカード、ポーカーの勝負は緊迫感の中新一が勝った。鹿山が弱い訳では決してない。強い役を出してくる。が、新一がその上手を行った。対戦中、こんな役が揃うなんてそうそう見る事なんてできないなとこぼす鹿山があった程だ。
 あまり強い役を揃えるといかさまと疑われるが、急に決まった賭はそこら辺に転がっている普通のトランプで尚かつ場所は明るい光が射し込むテーブルで皆の前で正々堂々と行われていた。誰も疑いようがないのだ………。
 鹿山は立ち上がりレシートを持ち上げて聞いた。

 「ああ、珈琲はいくらだ?」

 レシートには金額が書いていないのだ。珈琲4と数が書いてあるだけではいくらかわからない。

 「1800円です。………でも、いいですよ。奢りますから」

 新一はいけしゃあしゃあと言い放った。

 「それは、ありがとう」

 鹿山は片眉を上げて受けると、いくぞと男達に声をかけた。

 「でも………!」
 「鹿山さん!」
 「兄貴!」

 男達は声を張り上げた。こんなに簡単に引き下がるとは思わなかったのだ。

 「うるさい。行くぞ」

 しかし鹿山が一括すると、しぶしぶながらその後を付いて店を出ようと後に続いた。が、その内の一人最初に店に来て絡んだ男が腹の虫が納まらなかったのかナイフを取り出して新一に向かって行った。

 「っつ………!!!」

 新一が身構える一瞬。
 横から新一の身体を引き前に出た人物がいた。その人物はナイフを持った男の手を捻り上げてナイフをたたき落とし、その身体を蹴り上げて床に沈めた。ぐしゃりと鈍い音がする事から骨が折れたのかもしれなかった。

 「失礼しました、大丈夫でしたか?」
 「………ああ」

 床に沈んだ男など見向きもせず、新一を腕に抱き止めながら青年は見つめる。新一は、邪魔しないって言ったんじゃなかったか、と心中思いながらそれでも一応助けてくれたのだと思い直す。自分だけでも避けられたと思わないでもなかったが、一瞬であったため絶対ではないだろう。

 「一応、サンキュー。礼言っとく」
 「どうしたしまして」

 青年は眼鏡の奥からにっこりと微笑んだ。

 「お前ら、こいつ引っ張って行け。………どうも、すまん」

 鹿山が床に伸びている男の処理を指示して新一に頭を下げた。青年は鹿山を冷たく見つめる。殺気さえこもったただ者ではない存在感。鹿山は青年の視線ももろともせず、新一に謝った。

 「いいえ。貴方のせいではありませんから」

 新一はふわりと何も含む事なく微笑む。大丈夫ですから、と付け足すので鹿山は頷いて新一にまたな言いながら手を挙げて去っていった。

 「新一君、大丈夫みたいだけど、本当に怪我ない?」
 「ええ。そんなに心配しないで下さい」

 松井が殊更心配そうに見るので新一は安心させるようにほらと手をあげてみせた。その様子に安堵を浮かべて松井はほっと吐息を漏らす。

 「ありがとう。もう、今日はいいから。ゆっくりして。あ、新一君よろしくお願いします」

 松井は隣に立つ青年に、新一の承諾も聞かず勝手にお願いする。

 「はい。お任せ下さい」
 「おい!」

 青年は満面の笑みで承諾すると新一の反論を聞きもせず腕を引っ張った。あっという間にエプロンを取り去り松井に渡し、では行きましょうと出口へ向かって歩き出す。

 「ちょっと待て」
 「待ちません」
 「キッド………!」

 まるで風のように連れて行かれてしまった新一の声が切れ切れに聞こえて二人は姿を消した。
 台風みたいだと松井は思う。
 青年がいたテーブルにはしっかりとお代が置いてあるのを確認して、さすがだなと感心する。
 
 (あれが誰でもいいし………新一君さえ幸せならさ)

 新一が聞いたら反論をするだろう事を思いながら松井は今日は店じまいだと決めた。


 
 その後、新一だけでなく青年も共に店に来るようになる。加えて蛇足だが、鹿山まで常連になった事を新一が知るのはまだ先の事だ。



                                                    END













 (完成だ………!これ以上書けって言われても何もできないわ!)

 川瀬は書き上げて、大きくため息を付いた。
 
 (これで締め切りは守れる。努力はした。結果は、全くわからないけれど………)

 何もしないで最初から、できないと言うのは嫌だった。
 川瀬は自身の努力をしないで、諦めることが大嫌いだった。小さな頃から一度決めた事はやり通す意志を持っていた。その意志は、石をも通すと言われた程なのだ。テレビ局に務めたのも、昔ドラマを見て感動したから。あんな仕事に就きたいと思ったから。だから難関を突破して○○テレビに入社した。
 川瀬は番組を作りたかった。
 別に花形であるアナンウサーになりたいとか、有名になりたいとか有名人と知り合いにないたいとか全く思わなかった。自分は裏方が向いているし、それが楽しいと思っている。その欲があるんだか、ないんだかわからないが、真面目な態度は誰にでも評判が良かった。
 邪気のない笑顔と愛想と明るくて猪突猛進な性格は特に年輩に受けた。食堂のおばさんでも上層部のお偉いさんのおじさんでもおじいさんでも好かれて、時々奢ってもらえるというラッキーな星の下に生まれていた。その呼び名は「川瀬」「川瀬ちゃん」「直美ちゃん」「なーちゃん」と限りなく変則的だ。それなのに同僚にも嫌われない、正しく人格で得している見本みたいな人間だった。
 
 (よし、早速ちーちゃんに送ろう)
 
 川瀬は知加子にメールで原稿を添付することにした。これが一番簡単で安全な方法だった。
 川瀬は送り終えると安堵して、翌日まですっかりと熟睡した。
 
 



 「なおちゃーーーーーん!」

 携帯から声が、知加子のアルトの大きな声が響いた。いつにも増して強烈にテンションが高い。

 「ど、どうしたの?ちーちゃん」
 「読んだわよ!!!素敵だわ〜〜〜、いいわ〜〜〜。なおちゃんこんなの書けるのに今まで隠してたの?うふふふふふふっ」

 その声音はかなりおかしい。異常だ。

 「………えっと、いいの、あれで?」
 「いいに決まってるじゃないのーーー。もちろん、春号に載せるわよ。当たり前じゃない!」

 知加子の声は弾んでいた。

 「ねえ、こんな小説書けるなら、今度はちゃんと書こうよ。中編集めた本に執筆してよ。先生方にも中編の企画出すからさあ!」
 「はあ?………中編?それは無理なんじゃないかな。これでも初めてのチャレンジだったんだよ」
 「大丈夫だって!任せなさい!」

 知加子は心強く言い放つ。どこが任せなさいなのだろうかと川瀬が疑問に思う間もない。

 「ということで、今度詳しく話すからね!ああ、楽しみね!」

 知加子はさすがに売り子の責任者であるだけでなく編集者としても有能だった。川瀬の同様などモノともせず勝手に決める。

 「なおちゃん、今度いつ暇?時間ある?打ち合わせしましょ!」
 「え?えっと、明後日。お休みだけど」
 「よし、それだ。決まりね。うふふ、小説書きが増えたわ。嬉しいわ。ラッキーだわ。幸せだわ」

 知加子は舞い上がっていた。声しか聞こえなくても手に取るように表情さえ川瀬にはわかった。

 「ちーちゃん」

 しかし、名前を呼んでも駄目だった。こうなった知加子は困ったことに手が付けれないのだ。

 「じゃーね!」

 プチと無情にも切れた。
 
 (ちーちゃん!本当にあれでいいの?良かったの?………それなら、いいけどさ………)

 川瀬は小さくため息を付いた。それでも会員としての役割を果たせたため安堵はしていた。

 

 それは、川瀬直美が作家としての第一歩を刻んだ最初の出来事である。
 

 

                                                  おわり。





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