「作家 川瀬直美の誕生」1



 (………どうしようか?)
 
 川瀬は机に向かって大きなため息を付いた。
 今度のK新ファンクラブの本に寄稿する文章に頭を悩ませているのだ。
 前回春準備号で川瀬は情報提供というか報告を書いた。クラブが愛する探偵、工藤新一の屋敷を尋ねた時の事を、その場にいた黒羽快斗なる人物についても加えて詳細を書き記した。それはクラブからとても反響が大きくて、もっと聞かせて欲しいとクラブが誇る大作家達にも詰め寄られた。
 川瀬としても、そういったルポ的な文章の方が仕事柄書きやすい。
 が、今回はそうはいかなかった。
 書くことがないのではない。その全く逆だ。

 先日川瀬は新一から電話をもらった。
 バレンタインのチョコレートを寄付したいのだが、寄付先を教えて欲しいというものだった。今までもあまりの数に寄付していたらしいのだが、賞味期限の短いものもあるし、何分量が増える一方で処分に困っているらしく、もっと寄付先を増やしたいらしい。
 川瀬はすぐに調べて老人ホームや孤児院、養護院などの電話番号や所在地をファックスした。川瀬がテレビ局に務めていて、そういったことに詳しく顔が効く事を頼ってもらえたことが嬉しかった。
 つまり、川瀬は新一の電話番号を知ることとなった。自宅だけでなく、携帯の番号を知ることになったのだ。ファックスが届いた後にはお礼に電話ももらった。ついでに隣にいたのだろう一度逢ったことがある若手マジシャンとして有名な黒羽快斗氏からも一言、ありがとうございますと言われた。

 川瀬としては天にも登る程嬉しく、恐縮した。
 このような体験をファンクラブ会員は是非知りたいだろう。
 しかし、川瀬はそれを明かすことをしようとは思わなかった。何も勿体ないなどという理由ではない。人間として、許されないと思うからだ。
 個人の情報、携帯電話などは公表してはならないのだ。絶対に。
 それはファンだからといってしていいことではない。ファンならファンのルールがある。
 それに、新一が快斗が川瀬にお礼を伝えた行為は、川瀬だけのものだ。それを、いいだろうと自慢したり誇る気は一切ない。
 
 (でも、締め切りが来るのよね………)
 
 川瀬が得意とするレポートが書けないとなると、どうしたらいいのか。

 (私はそれ以外書けないし。専門じゃないし)
 
 先日購入した本は全て読み干した。ファンクラブが誇る大作家先生のお話はどれも素晴らしかった。感動した。泣けた。浸った。うっとりした。
 それ以外にサークルを回って購入した知加子お勧めの本も素晴らしかった。是非続きが読みたいと思う。マンガも絵がどても綺麗だったり可愛かったりして、楽しめた。
 自分には絶対絵は描けない。
 絵心がないのだ、こればっかりは無理だった。
 しかし、そうすると文章しか書けないのなら、下手だろうがなんだろうが小説というのもおこがましいが、そういったモノを書く以外道はないのだ。
 
 (どうしようか………、ああ、困った)

 しかし、それ以外道がないなら、チャレンジするしかなかった。
 書いたモノが酷かったら知加子に笑われるだけだ。それでボツになっても一向に構わない。
 川瀬は心を決めた。
 
 (書いてやる………!!!)
 
 しかし、川瀬は新一と快斗の実物を知っているだけ本当なら有利なのだが、反対にそれを書いてしまうのは躊躇われた。
 あくまで、想像物でなければならない。
 川瀬ははそう決めて、取り組むことにする。長いモノが書けるとは思わないから、短いモノで、舞台と人物設定とちょっとしたお話の構成。
 今だかつて仕事でも頭を悩ませた事がないくらい、脳味噌をぐるぐると巡らして川瀬はパソコンに向かいキーボードを叩いた。
 
 
 舞台設定 街のカフェ
 登場人物 青年1 ウエイター
      青年2 客
      中年 マスター
      不審人物1 ?
       

 あらすじ  

 青年がカフェの窓際で新聞を読んでいる。
 朝一番から席を陣取り、珈琲を飲んでくつろいでいる。店のウエイターは注文の度に呼ばれて青年に珈琲やサンドウィッチを運ぶ。
 ウエイターの青年はどこか憮然として、愛想がない。慣れていないのだろうか。
 しかし、憮然とした顔をしようとも彼の美貌には遜色はなかった。
 そんな午後。
 事件は起こる・・・。


 事件は、これから考えよう。
 私に事件が上手に書ける訳がないんだから、適当だ、適当………。
 タイトルも決めないとね。
 タイトルは「午後の光がカフェに運ぶ幸運」?「午後のカフェの一時」?………「午後のカフェの一考察」だ!決めた。
 川瀬は大きく頷いた。













 『午後のカフェの一考察』


                                                会員番号703  川瀬直美

 パサリ、パサリ。
 室内に響くのは新聞をめくる紙が立てる音とお湯の沸騰する音と静かに流れるジャズだけだ。
 大きなガラスの窓から差し込む太陽の光は午後らしくとても明るい。
 その上室内の温度も上げていて窓際にいるとじっとりと汗ばむ程である。が、このカフェの開店時間から窓際の一番いい席を陣取り新聞をめくっている青年は、涼しげな顔でそこにいた。
 二人掛けの小振りな木の丸テーブルには店自慢の珈琲がある。
 青年はその珈琲をすすりながら広げた英字新聞に目を走らせていた。細い銀色のフレームの眼鏡をきらりと輝かせながら、青年は端正な顔を室内のある一点に向けた。その先にいる黒いエプロンを付けた青年に手を挙げて呼ぶ。
 呼ばれた青年は軽く頷いて窓際の席までやってきた。
 銀縁眼鏡の青年は長い足を組み直して、黒いエプロンの青年を見上げ微笑む。

 「サンドウィッチセット、下さい」
 「畏まりました」

 頭を軽く下げて青年はカウンターへ向かった。その後ろ姿を楽しそうに銀縁眼鏡の青年は見つめていた。
 
 「マスター、オーダーです」

 青年は奥にいるこの店のマスター松井に注文を伝えた。

 「はーい。新一君もお昼ご飯にする?お客さんほとんどいないから、今のうちに食べておきなよ。作るから」

 若干前髪が薄くなって来ているが、肩まである髪を後ろで一つに縛った松井は顔に皺を寄せながら子供みたいな笑顔で笑う。実は巨人ファンである松井は、その厳つい顔と身体から友人から密かにゴジラと呼ばれている。
 黒いエプロンの青年は、マスターの知り合いである工藤新一という。こんな場所でアルバイトをするような人物では決してないのだが、訳あって今日だけウエイターをしていた。

 「はい。ありがとうございます」
 「とんでもない。こっちこそ、悪いね、本当に」

 松井は頭をゴシゴシとかきながら、注文を作るために手だけは動かす。パンを取って薄く切る。挟む具のきゅうりやトマトとハムを切ってレタスを千切る。

 「いいえ。ウエイターなんて初めてで、ちゃんとできているか僕の方が不安ですよ」

 新一は片目を瞑ってみせた。

 「十分だよ。慣れだしね………、まあ新一君がいるだけで本当なら人が寄って来るだろうけど、そうはいかないんだよなあ」

 松井は一度だけ窓際の青年に視線を向けた。
 普通であったらもう少し客が入るはずなのに、彼以外誰も来ないのだ。
 青年のようなハンサムがガラスから見えたら街を歩く女性が入ってきてもおかしくはいのだが、如何せん人っ子一人入ってこなかった。
 
 (その理由がわかるようで、困るんだけど………っていうか、その方が問題ないのかもしれないな………)

 松井は心の中で突っ込む。
 まさか、日本警察の救世主がウエイターしてるなんて誰も思わないだろう。しかし、ばれたらとんでもない。そのためか、しっかり番犬がいるし………。

 (本当に、有希子ちゃんに似てるんだよなあ………)

 松井は子供の頃から知っている新一の顔をそっと見返して吐息を付いた。
 新一は困ったことに、そんじょそこらの女優やモデルが束になっても適わない、足下にも及ばない逆立ちしたって敵いっこないほどの美人さんだった。母親が伝説の大女優、世の男性の心の恋人と言われた藤峰有希子であり彼女の美貌を色濃く受け継いだ新一は、父からもその素晴らしい頭脳を受け継いだいいとこ取りの子供だった。
 成長した新一はこれまた日本で知らない者がいない程の有名人になっていた。

 「ほい、できた」

 頭では思考しながらも手は勝手に動く、さすがこの道20年のマスターである松井は出来上がったサンドウィッチと珈琲とデザートのフルーツのヨーグルトかけを銀のお盆にセットしてカウンターの上に出す。

 「はい」

 新一はそれを慎重に持ち上げて、客である銀縁眼鏡の青年のテーブルへ運ぶ。

 「どうぞ」

 そっと盆を置いて去ろうとする新一に青年がふと視線を向けた。

 「ありがとう。………昼ご飯食べるなら、一緒にどうですか?」
 「結構です」

 誘いの言葉にきっぱりと新一は断る。

 「………ったく、何でいるんだよ。早く、帰れ」

 そして、小さく呟く。それを青年は苦笑しながら受けて新一の手を軽く掴んだ。新一は眉をひそめて青年を睨む。

 「つれないですね。………そこがまた、よろしいのですが」
 「………悪趣味」

 ぼそりと新一は毒づく。

 「趣味がいいと誉めて下さらないんですか?」

 くすりと笑いを込めて青年は柔らかく新一を見つめる。新一はその視線を受けて憮然とする。

 「………どこが。こんな所にいるなんて、お前は暇なのか?ああ?」
 「これでも多忙な身の上なんですが、ここにいるのはとても重要で有意義な時間ですよ」
 「どうだか」

 新一は見せつけるように肩をすくめて吐息を付く。

 「お昼が駄目なら一緒に珈琲はいかがですか?奢りますよ」
 「お前に奢られると後が怖い………」
 「私はこれでも紳士ですのに、おかしいですね」
 「似非だな」
 「………本当に、手強いですね」

 そんな事をいいながら青年はさも嬉しに笑う。
 新一は眉根を寄せて睨み付けるが青年は涼しい顔だ。

 「新一君、昼ご飯、そこで食べる?持っていこうか?」

 しかし、微妙な雰囲気が漂っている二人の間に松井から声がかかる。どちらに気をきかせているのか、カウンターには青年と同じような銀のトレーにサンドウィッチセットが乗っている。

 「いらなっ………」
 「お願いします」

 新一が断ろうとすると、すかさず青年は肯定した。松井は頷いてカウンターを出るとすたすたとトレーを運んできた。

 「マスター」

 新一が恨めしそうに名前を呼ぶが松井は読めない微笑みを浮かべて机にトレーを置いてごゆっくりと言い置いて去った。さすがに年の功なのか、幼い頃からの知人のせいか新一はマスターには逆らえなかった。

 「どうぞ」

 青年は立ち上がり向かいの椅子を引いて新一を促す。そのまるで青年がウエイターの見本のような優雅な仕草に渋々新一は座る。青年は見るからに機嫌良く自身の席について新一を見つめてくる。

 「いただきましょうか」
 「………」

 無言の新一を気にせず、青年はカップを持ち上げて珈琲を飲む。
 サンドウィッチを掴んで口にする様が、午後の光に煌めいて大層絵になった。普通だったら手で掴んで食べる様子はあまり様にならないというのに、どうしてだか青年がするだけで優美でさえあるのだ。
 それが新一の癇に益々障る。ふんと横を向きながらマスターが折角用意してくれたのだから口にする。
 この店は珈琲専門店であるため、軽食といわれるものがサンドウィッチしかない。それ以外は精々トーストだ。珈琲は種類が豊富で注文がある度に豆を挽き一杯一杯丁寧にいれるためとても美味しい。珈琲にあわせてケーキとクッキーがあるが、それは近くにあるケーキ屋から仕入れているためこれまた美味しい。オーソドックスに生クリームと苺が美味しいショートケーキ、酸味の効いているアップルパイ、洋なしのムース、チーズケーキ。チョコチップクッキー、カントリークッキー。そしてマフィン。
 新一達が食べているサンドウィッチは唯一昼用の軽食だ。しかしながら、今作られたばかりのそれはきゅうり、レタス、トマトの野菜は新鮮であるし何枚も重ねられた生ハムが食欲をそそる出来映えだった。

 「美味しいですね」
 「まあな」

 青年が率直に誉めるので新一も頷く。身内を誉められたようなものなのだ。なにせ、母有希子が若かりし頃から父とデートに使っていた場所なのだから。いわば、新一発祥の地といっても過言ではないだろう。

 「やっぱ、ケチくさくない具の使いっぷりがいいんだろうな。生ハムこんなにいれてさ。商売上がったりじゃねえか………旨いけど」

 パンに挟まったハムを見つめながら新一はそんなことを言う。青年は柔らかな目で新一を見ながら、楽しそうにからかうように聞く。

 「そこがここのマスターのいい所なんでしょう?」
 「そうだけど………」
 「ここが、お好きなのでしょう?だから、守りたいのでしょう?」
 「………お前、何で知ってる」

 青年の示唆する言葉に新一は疑わしそうに見上げた。

 「私は、何でも知っていますから。これでも、悪戯好きな子供ですからねえ………」
 「どこが、子供だって!」

 よく言うよ、と新一は肩を落とす。しかし釘を刺す。

 「邪魔するなよ」
 「邪魔なんてしませんよ。する訳ないじゃないですか。信じてもらえないんですか?」
 「信じてもらえると思ったのか?おこがましい」
 「おかしいですね、本当に。私はこんなに真摯に生きていますのに………」

 青年が至極真面目な顔で訴えるので、新一は瞳を眇めて顎を引く。付き合っていられるか、とその顔には書いてあった。
 青年はくすくすと笑みを浮かべて目の前の食べ物を平らげる。
 新一もそれに異存はなく、自分もマスターの力作を食べた。そして、珈琲を飲み干しトレーを運んで仕事場に戻る。

 「ご馳走様でした」
 「お粗末でした」

 松井はいつもの彼らしい笑顔でトレーを受け取って午後もがんばってと言う。新一もはいと返した。
 







BACKNEXT