「聖ミカエル学園物語〜JUNE 6月〜」2




 新一はキッドの瞳を覗き込むようにして、視線をあわせた。それを受けてキッドは目を細めて新一がしたように室内をぐるりと見下ろし天井や床へと視線を移す。

 「金庫の大きさはわかりますか?」
 「わからない。とりあえず、小さなものが入っているはずだから大きくなくてもいいんだがな」

 どんな金庫を置くかなど校長の気持ち次第だ。
 気分的には小さなモノの方が隠しやすいから好まれるとは思うけれど。

 「よほどのモノでしたらすぐにわかるような場所ではないと思います。天井とか床などね。けれど、普通に考える程度でしたら、戸棚の中とか本の中とか、案外机の引き出しにあるかもしれませんよ?」

 引き出しの二重底というのもありますし、でも探しているモノにもよりますが、とキッドは続ける。

 「………机って、そんな簡単な場所に?」

 (………ありえるかもしれない。だってお気に入りの文鎮だったら普通使うよな、クリスタルだし高価じゃないし)

 新一は机まで回り込み引き出しを一段ずつ開けてみる。
 すると中段の引き出しに何の変哲もない小さな鍵付きなんておこがましい程の金庫が出てきた。すぐに開きそうな簡単な代物。新一はそれを机の上に置いてピンを差し込もうとするが、ふと手を留めてフックになっている部分を押す。
 パチンと軽い金属音を立てて開いた箱。
 
 「「………」」

 (鍵なんて掛けるようなものじゃないって?確かにこれも金庫と呼ぶのかもしれないけどさあ………)

 新一は少し肩から力が抜ける思いがした。
 金庫にあるクリスタルの文鎮と書かれていた、嘘ではない指示。
 誰が思うだろう、これがこんな場所にあるなんて。それともゲームだからしっかりした金庫に入っていると思いこんだ自分が悪いのだろうか。
 
 (食えない親父だ………)
 
 新一は面白がって笑っている父親の顔を思い出して、一度だけ眉間にしわを寄せた。すぐに気を取り直して金庫の中身を確認する。中にはきらりと光るクリスタルの文鎮が入っていた。それ以外にも何だかどうでもいい印鑑らしきものとか、先ほど開けた金庫の鍵とか………。
 不用心にも程があると新一は思ったが、そんな事を暢気に考えている暇はないと結論付けて文鎮を掴むとハンカチで包んでポケットに入れた。
 ふうと一度だけため息を漏らすとキッドを見て顎をしゃくって出口である扉を示す。それに軽く頷いて扉の外に出る後ろ姿を見て新一は先ほどの金庫に再び鍵を掛ける事にする。しかし、開いていたはずの扉は閉まっていた。

 「………出過ぎた事かもしれませんが、掛けておきました」

 扉に背を持たせかけながらキッドが新一の無言の疑問に答えた。一瞬目を丸くして次いで眉を寄せる。

 「サンキュー」

 小さく新一はお礼を述べて急いでその場を後にすることにした。
 部屋の扉を閉めて再び鍵を掛ける。それはすぐに完了した。新一はキッドと顔を見合わせて頷きあうと寮に戻ることにした。





 「新一………」
 「何だ?」

 寮の部屋に戻って荷物を置き、インスタントのコーヒーをいれて喉を潤し高揚した気持ちを落ち着かせているとキッドが口を開いた。

 「なぜ、こんなことを?」
 「………」

 すぐに聞かずに、新一が落ち着くまで待っていたらしいキッドの口調は無理矢理問いつめる厳しさはないのに、拒否できない何かがあった。

 「新一?」

 名前を呼んで新一を真っ直ぐに見つめてくるキッド。
 その視線を受けて新一は大きく吐息を付く。
 キッドはとても勘がいい。例え何も言わなくても新一の様子や性格から核心の部分だけ伝わってしまうだろう。観察力に長けているというよりマジシャンを目指しているからなのか、そういう才能があるからなのか、天性の勘が殊更利く。
 黙って説明をせず、いつまでも隠しておくには新一の今後の行動に差し支えるだろう。
 それに、彼はきっと自分の味方だ。キッドは自分を妨げたりしないという予感が新一にはあった。
 新一は一度だけ目を閉じて真剣な表情に変え、端的に事実だけを告げる。

 「………父親と賭をしたんだ。この学園でゲームをする。送られてくる手紙に指示された事をクリアするんだ」
 「その賭は何を賭けているか聞いてもいいですか?」

 新一がそんなことをするためにわざわざこのような全寮制の学校に転校してくるなんて、よほどのことである。

 「自分の未来をかけて………」

 目を眇めて顎を上げた新一はその言葉を自分に言い聞かせているようだった。

 「未来?新一の未来を?」
 「ああ。将来の自分。これに勝てば俺は自由だ。けど、負ければ………」
 「ひょっとしてお父上の決めた道を歩むとか?」

 新一の続く台詞をキッドは予想する。新一の口振りからすれば、勝てば自由が得られるのだろう。この学園は実家が有数の資産家である子息が多い。将来は当然家が持つ会社に入らねばならないし、後を継ぐ事も義務として必然だ。その中で家から離れた自由を勝ち取ることは難しい。
 ゲームとはいえ、家から縛られることがなくなれば新一の未来は明るいだろう。
 新一の家がどれほどのものかキッドは知らないけれど、そこにある枷は重く絡み付くものだろうと想像に難くない。
 己の自由な道を生きる………。
 キッドは父であり師である父親を尊敬し自ら同じ仕事に就きたいと思った。それは実際とても幸せな事だ。
 キッドはそう考え至る。

 「ああ」

 新一はこくりと頷く。
 しかし、胸の内は安堵していた。
 キッドが自らありがちな資産家の子息の自由などという理由で納得してくれたのだ。
 未来を賭けるとはいえ、負けたら誰が嫁に行かねばならないと思うのか。そんなこと口が裂けても誰にも言いたくなかった。
 きっと事実を知ったら驚くに違いない。
 笑われるか?それとも同情されるか?
 そんなキッドの反応を新一は見たくなかった。
 折角手に入れた全うに話ができる興味深く知識も豊富な友人を、こんな事でなくしたくはなかった。
 
 (絶対、嫁になんて行ってたまるか!)

 そんなことになったら、卒業しても友人に恥ずかしくて逢えないではないか。
 父親の賭の相手がどこの誰かなど知らない。知りたくもない。それでも父と賭をするほど親しい間柄であることはわかる。その息子がどんな相手かなんて興味もない。逢いたくもない。
 
 (意地でも、何が何でも賭に勝ってやる!そうすれば、関係などないのだから、知る必用なんてない………!)

 「その賭はどれだけあるのですか?」

 新一の口振りから、今回の指示でゲームが終わったとは思えなかった。

 「在学中に全部で10回指示がある。これで3回は済んだ………」
 「私も手伝ってはいけませんか?」
 「………」

 新一はキッドの申し出を眉を潜めて受ける。
 多分、そういう事になると思ったのだ。
 この話を聞けば彼ならきっとそう言うだろうと考えるまでもなく予測が付く。
 ………自分の賭。他人に助けてもらう気はなかった。けれど、父はそれに関して何も言わなかった。人を動かすことも自分の裁量といったところか。協力者と言わなくても指示を完遂するために様々な情報を仕入れることが必用であれば、当然それとなく該当者を調査する訳であるし。

 それに、今後のゲームがどんな内容になるか検討もつかなかった。まして、同室のキッドに何も気取られずになど、いられない。せめて、見て見ぬふりをしてもらえらばそれだけで助かったのだが………。
 キッドを巻き込むのは、あまり気が進まない。でも、新一にとって味方であってこれ以上心強い人間はいない。
 ゲームを実行するためには種まきというか準備が必要だ。この学園には父親の手の者が何人かいるはずである。そうでなけれど、暗号を隠したりと様々な下準備ができない。
 自分にもこの学園に協力者が必用であろうと頭ではわかっているのだ。

 「新一?」

 答えない新一にキッドが再び名前をよぶ。

 「………お前を巻き込む気はなかったんだ」

 ため息と共に吐き出す新一の真実。

 「私が新一のために何かしたいだけなんです」

 だめでしょうか、と新一を真剣に見つめるキッドに唇を噛みしめる。

 「………見て見ぬ振りをしてもらえれば、良かった。でも、お前がいたらお前がいてくれたらどれだけ心強いかと思った。………俺はずるいだろ?」

 自嘲気味に新一はキッドを見返す。

 「そんなことないですよ。私は新一に頼ってもらえるだけでとても嬉しいのですから。それに普段貴方はそんなこと全くしないのですから、いいのですよ」

 キッドはにっこりと極上の微笑みを浮かべながら新一の髪に手を伸ばしさらりと撫でる。そして指からこぼれ落ちる絹糸のような髪を楽しげに何度も繰り返し梳く。

 「お前、俺の髪好きだよな」

 新一は自分の髪を撫でるキッドの指の上に自分の指を重ねて、くすりと微笑む。
 何かあると、自分の髪を触るキッド。まるで気障な彼に似合いの癖のようだ。
 でも、そうされるのは嫌いではなかった。新一は頬にあるキッドの指を上から押さえながら目を閉じる。

 「………好きですよ。触っていると気持ちいいですから。でも、髪だけではありませんけれどね」

 キッドは反対側の手を新一の背に回して自分の方に引き寄せる。華奢な身体は難なくキッドの腕の中に納まった。
 抵抗もしない新一は、ある意味キッドのスキンシップというか仕草と暖かさに慣れていた。今までの新一にしては珍しいことである。
 子供の頃から大きくなった今でも、両親はかなり新一に溢れんばかりの愛情表現をする。抱きしめたり、頬擦りしたり、腕を組んだり………子供なら喜んで受け取るが大人の新一が嬉しいはずもない。しかしそんな新一の気持ちなどお構いなしで親が子供を可愛がってどこが悪いと言うのだ。結局諦めて好きにさせている新一は当然ながら余計な過度の接触を嫌った。触れられると鬱陶しいのだ。特に下心めいた視線も手も大嫌いだった。過去に新一の黄金の右足の餌食になった者は数え切れない。
 それだというのに、キッドには抱きしめられても平気である。
 新一自身不思議だが、きっと彼から嫌なオーラも感じない上、安心できる存在だからだろう。

 「髪だけじゃないのか?」

 小首を傾げて新一はキッドを見上げる。

 「もちろんです。新一の全てが好きですよ」

 にっこりと新一にしか見せないような笑顔のキッドだ。

 「へえ。俺もキッドは嫌いじゃないな、うん」

 キッドの本心からの言葉を新一はさらりと受け取って流した。わざとではないく、本当に普通に受け取ったのだ。
 友人に好きだと言われて嬉しくて、自分もだと同意した。新一の認識はそれだけである。
 キッドが大層新一を大事にして想っているかなど、この時点で新一は全く知らなかった。普段の気障さ加減と、好きですよと言い続けている台詞が失敗であったのかもしれない。
 キッドは内心苦笑しながらそれでも新一を腕に抱き留めながら、ありがとうございます、と返した。


 
 それが、彼ら二人が協力者となった日のことである。
 そして、新一の運命、未来にキッドが加わったのと同じくする日である………。
 
 



                                                     おわり。







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