「聖ミカエル学園物語〜JUNE 6月〜」1



 風が通り過ぎて行く。
 大きな木の根本で幹に身体を預けて、目を閉じてその爽やかな風に身を任せる。
 早めに梅雨が過ぎ去りそろそろ初夏を向えるだろう太陽は照りつけるような強い光をまき散らそうとしているが、緑茂る大木の影の下では、ただ気持ちいいと感じるだけだ。
 さらさらと音を立てる葉擦れと囀る鳥の声が遠くに聞こえる。
 
 「新一………」

 自分が良く知る優しい響き。新一はふわりと目を開けた。そして、覗き込む男の顔を認めて苦笑する。

 「邪魔するな………」
 「また、さぼりですか?」
 「こんなにいい天気なのにかったるい授業なんて聞いてられるか」
 「貴方は、またそんな事を言って」
 「いいんだって、煩いぞ、キッド」

 ふんと横を向く新一にキッドと呼ばれた青年は肩をすくめながら苦笑する。
 確かにこんなにいい天気だというのに、教室にこもっているのは勿体ない。その上、例え授業をさぼったとしても新一には痛くもかゆくもないだろう。学年一の秀才は首席の位置を独走していた。

 「どうせなら、お前、肩を貸せ」

 そう言って新一は自分の横をぽんぽんと叩いてキッドを呼びつけ、その肩に頭を乗せて目を閉じた。やがて安らかな寝息が聞こえてくる。
 
 (相変わらず、気を許した相手には無防備で、そして傍若無人なんだから………)

 キッドは新一の髪を撫でながら、その寝顔を見つめる。
 彼がこの学園に転校してきて早2ヶ月少し。その姿を始めてみた時は全校生徒は衝撃を受けた。その姿は見たこともない程美しかった。漆黒の髪に蒼い瞳、象牙の肌に色づく唇。その身体は優美でしなやか。この世の者とは思えぬ美貌に、その日から『ミカエル様』『大天使様』と呼ばれるようになった。そして、その頭脳は言うに及ばず優秀だった。正に欠点などどこにも見あたらない彼なのに、どうゆう訳か授業態度はあまり真面目ではなかった。授業など受けるのが馬鹿馬鹿しいという感じではない。何より推理小説が大好きで、昼寝が好き、自分の時間を有意義に使っているだけという感じだ。
 実は学園一の人気者で崇拝者が数多いるというのに、崇拝者には素っ気ない。
 なかなか一筋縄でいかないいい性格をしていた。
 そんな彼となぜか気が合うキッドは、同じクラスの3年生である。

 彼も学園では人気者の一人だ。端正で物腰柔らかで、将来有望なマジシャンの卵。父親は世界有数のマジシャンで彼は父を師として尊敬している。人当たりが良い愛想と希有なる特技はキッドを学園内で有名にした。
 新一とキッドは実は同室だ。全寮制の緑豊かと聞こえはいいが田舎にあるお坊ちゃん学校。4月を半ば越えた珍しい時期にいきなり転校してきた新一は2人部屋に一人でいたキッドの部屋に入ることになった。たまたま割り切れない人数で一人だったのだが、今ではその出会いに感謝している。
 キッドは新一の隣で彼の睡眠を見守りながら、次の授業をさぼることに決めた。
 




 「あの、くそ親父!!!」

 新一は自分宛に届いていた手紙をぐしゃりと握り潰して、忌々しげに悪態を付く。

 「何が、がんばってるか、だ。今度は校長室の金庫から彼が大切にしているクリスタルの文鎮をもってこいだと?ふざけるな………!!!」

 同室のキッドがいないことをいいことに、新一は足をどんどんと踏みしめる。あまりの怒りに我を忘れそうだ。
 新一がこの学園に転校してきた理由。それは父親とのゲームのためだ。
 ミステリ、推理小説は好きだ。頭脳戦も好きだ。暗号など好物だ。しかし、誰が好きこのんで父親とこんな大がかりなゲームなどするものか。それも自分の未来を賭けて………。
 忌々しい記憶。
 忘れもしない、あれは4月の事。

「実は友達と賭をして負けてしまったんだ………」などと笑いながら告げてきた父親に、それがどうした?と思った。正直自分には関係がない。何を賭けたか知らないが、それは自分が悪い。
 ところが、あのくそ親父は、「新ちゃんを賭けて負けちゃった。ごめん。ということで、嫁に行って来れ」と宣った。新一は、馬鹿か………と叫んだ。そんな賭に自分の息子を賭けるな、と。それに、どうして婚約が決まった、娘をもらうことになったから、結婚してくれと言うならともかく、男の自分が嫁に行かねばならないのか。その腐った頭は役に立たないのかと罵った。が、何を言っても、「だって、賭けた相手が新一を息子の嫁に欲しいっていうんだ。大丈夫、新一美人さんだから!」などと笑うのだ。
 しかし、新一だとて聞ける訳がない。

 そこで持ち出されたゲーム。
 新一は自分の未来を賭けた。
 勝ったら、そんな賭など知らない。自分でまいた種は自分で刈り取れ。
 負けたら、嫁に行く。

 人生を賭けたゲームはある学園に入って月に一度届ける手紙に書かれた事を遂行するというものだ。初めの指示は学園の聖堂にある古い鐘に隠された暗号を解け。ちなみにその鐘は大層高い場所に設置されたものだった。二度目は、手紙自体が暗号だった。それの指示で図書館にある一冊の本に挟まれた地図を探し、その地図にある場所へ行き写真を撮れ。今度が校長室の金庫の中からクリスタルの文鎮をもってこい。
 
 (俺に盗みを働けっていうのか?あの、くそ親父は!)

 馬鹿馬鹿しい指示ばかりだ。もっとも新一は送られてくる10回全ての指示をクリアしないとならない。これから難解な指示が来るのかもしれない。そう思うと、今は父親に遊ばれている気がする。
 腹立たしいことといったらない。
 しかし、校長室へ盗みに入るということは、夜だ。同室のキッドに内緒で出かけるというのは大層難しいことだと新一は思う。校長室や金庫くらいの鍵は新一の実力からいえば、簡単に開けられる。

 決行は今夜。とっとと指示をクリアしてしまいたい。
 指示の制限時間は手紙が届いてから1週間である。
 今日届いた手紙だから余裕があるが、そんな指示に時間をかけるのも馬鹿らしい。
 どうにかキッドを巻いて、夜の校舎に忍び込むしかないな、と新一は決めた。キッドに見つからないで出かけることは無理だ。だったら、最初から普通に出ていってやる。そして、もし付いてきたら巻く。それこそ、ゲームだといってかくれんぼしてもいい。この年になってそんなものしたくもないが、それで誤魔化されてくれるなら、儲けものだ。
 
 (あいつは勘がいいからなあ………)

 自分の未来のために、新一は心を決める。
 しかし、予想外にキッドにばれてしまうのだが、この時はもちろんまだ知らなかった。
 




 その夜、新一は計画を実行に移す事にした。
 夜中、点呼が終わり消灯を迎えた寮。廊下の明かりは消されて非常灯が付いているだけだった。
 新一はそっとベットから起きあがった。時刻はすでに12時を回っている。
 夜中隠れて本を読むことも多い新一だが、毎日6時起きではなかなか夜更かしもできない。もっともそういった時は授業をさぼり昼寝を決め込むのだけれど………。
 音を立てないようにベットから足を付いて降り立ち、予め用意しておいた服に着替える。夜目にわからないよう、黒いシャツにジーンズに上着。軽くて動きやすいものを選んである。
 そして、様々な便利グッズというかスパイグッズのようなものが入ったナイロンの鞄を肩にかける。
 全て用意し終えて、さあ行こうかとう段階になってみると扉に背を向けてキッドが立っていた。じっと新一を見ている。

 「………」
 「こんな夜中にどうしたんですか?」

 声は穏やかだが、逃げを許さない声音だった。
 不審がられて当然だった。それは予め予測していた。いつ自分が起きたことを感じてこちらに様子を見に来るかと思っていたのに、声も掛けずに見られているとは………。
 寮の部屋は2人部屋が基本である。各部屋にシャワーの付いたお風呂、トイレが付いている。入り口を入ると真ん中に仕切のように机や本棚が向かいに並び空間が別れるようになっていた。その別れた空間にはベットとクローゼット等があり最低限のものが揃っている。

 テレビは食堂と談話室に一つ。
 もっとも金持ちが多かったから小型の液晶テレビを持ち込んでいる者も当然いた。
 そんな同じ部屋でも一応寝る時などは見えない場所にいるはずであるのに、キッドは人の気配に敏感だった。以前新一が風邪を引いて体調が悪く夜中に高熱で困っているとすぐに駆け寄って来た。
 そんなことから、キッドが気付くことはわかり切っていた。

 「………散歩」
 「散歩ですか?わざわざそんな格好で?」
 「そうだ」
 
 全く新一の言葉など信じていないキッドは、ふむと顎に手を当てて考える振りをする。

 「それでは私もご一緒しましょう」

 にっこりと微笑み同行を申し出た。

 「こんな夜中、いくらここが田舎の山奥でも危険に変わりはありませんから。それに、いい月夜ですしね?」

 三日月であるが、遮る雲がないせいで比較的明るい月夜だ。窓から細く差し込む月光が二人を照らしている。新一はキッドの読めない顔を見つめて諦めたように肩をすくめて申し出を受けることにした。

 「わかった」

 キッドは付いてくるなと断ったとしても、きっと私も別の用件で出かけるだけですと言って結局新一の後に付いてくるに違いなかった。そういう奴だ。それなら初めから一緒に行った方がいい。ただ、新一の奇妙な行動をどう思うかは別だが。

 「言っておくが、俺のやることに口を出すなよ」
 「心得ていますよ。では、参りましょうか」

 キッドはそっと音も立てずに扉を開いて新一を廊下へ促す。新一は軽く吐息を付いてそれに従った。
 



 
 夜中の校舎はわずかな非常用の明かりがあるだけだ。
 こんな田舎の山奥の学校では当直もない。広い敷地に学生や教師、用務員、食堂で働く人間が住んでいるのだから。
 正門から真っ直ぐの道に校舎が並びその横手に各寮が3つある。普通であったら各々寮は学年が均等に振り分けられるのだが………もちろん寮長である責任者が3年になる………ここは、その年に入学した者ごとに分けられている。つまり学年事で寮が違うのだ。はっきりいって、振り分けも入寮の手間も一括で行うという学園のいい加減な都合のためだ。当然、寮長は3学年一人ずつ。だからといって3年生が幅を利かせている訳でもない。そこのところは考慮されている。寮対抗で何かすることもない。各寮が対するのは寮監や用務員、校長である。
 新一とキッドは誰もいないことを確認しつつ校舎へ向かった。寮から校舎までの道のりはそれほど遠くない。樹木に覆われた小道を歩いて5分といったところか。

 月の明かりだけを頼りに、無言で歩く。音のない空間はほんの少しの話し声も響いてしまう。
 校長室がある校舎の棟の1階にある窓を一つ、新一は放課後に開けておいた。そこの窓に近付いて音を立てないように、ゆっくりと開ける。手を付いて軽く飛び上がり窓枠に足をかけて中に入る。それまで無言で付いて来たキッドを振り向いて、ここで待っていろと目で訴えるが、キッドは口の端を上げると新一と同じように中に入った。身軽な身体は着地する時ももちろん音など立てない。そんなキッドを見て、やっぱりなあと新一は思う。
 彼は、きっと最後まで付いて来るだろう。
 ここで巻くことは難しい。新一がこれからやろうとしている事を見てキッドはどうするだろうか。止める、ことはしないだろう。新一に何か理由があるとキッドはわかるだろうから。多分、後から追求されるに違いない。
 
 (本当に、厄介なくらい鋭いんだよな………)

 仕方ないか、と諦めて新一は廊下を歩いて行った。その後ろをキッドが付き添うように歩いて行く。
 
 非常灯だけの明かりの暗闇を、足音を極力立てないように歩く。
 古い年代物の床は思いの外、靴の音を響かせる。
 この校舎は外壁は年月を感じさせるレンガ色をしていて所どころに緑の蔦が巻き付いている様はまるで一昔前の洋館のようだ。昔から資産家の子息が通っていた学園は歴史が古く校舎は立て替えや改築を行って込み入っているため配置図を描くと複雑になり、実は入ったことのない秘密の部屋があるのではないかと言われている。その中でも敷地の西側の角にある聖堂のてっぺんにある鐘は学園創立初期当時のままであると言われているが確かめた者がいないため不明である。
 昔は有能な学生が多く高水準であった学園のレベルであるが、現在は時代に添ってそこそこというところだ。それでもお金持ちの子息が通っているから寄付が多く、設備自体は決して悪くない。
 新一とキッドは廊下を真っ直ぐに行き、角を曲がる。校舎が4階建てコの字型をしていて、職員室の真横にある目当ての校長室は日差しの良い南側に面していた。

 新一は校長室の扉の前に立ちかがみ込むと、もってきた鞄から細長いピンのようなものを取り出しそれを鍵穴へ差し込み、カチリ、カチリと回し出す。耳を鍵穴に当てて、小さな錠の音を聞き漏らさないように、慎重に回す。
 その様子をキッドは背後で見つめていた。
 しかし、新一は無言で様子を見守っているキッドに構わず自分の行動を実行する。やがて扉の錠がカチリと鳴ると、扉を内側へ開けて中に滑り込む。中は月の明かりだけが照らされていて暗闇だった。新一は目立つ訳にはいかなかったから、そのままゆっくり金庫まで歩み寄り錠の差込口に鞄から取り出した小さなペンライトの明かりを向けた。これくらいの明かりなら目立つ心配もないだろうと踏んでいた。
 先ほどより細かいそれでいて突起があるピンのような金具。それを差し込んで再びカチリカチリと音を確認しながら回す。それほど大きな金庫ではない。いくら金持ちが通うといってもたかだか高等学校の校長の学校内に置かれた金庫だ。確かに大事なクリスタルの文鎮でも、所詮クリスタルである。こんな場所に置かれている分からすると、金額的には高価ではないのだろう。
 
 (この分なら、楽勝だな………)

 新一は心中呟きながら錠の音に耳をすます。
 カチン。
 鍵の開いた音が無音の室内に小さく響く。
 新一は厚みのある金庫の扉から大きな音を立てないように、殊更ゆっくりと引いた。
 ペンライトで中を照らす。
 しかし、それらしきものは見あたらない。書類の束やフロップー等と多分お金が入っている紙袋があるだけだ。
 
 (どういうことだ………?)

 今まで父親から指示されたものがその場所にない、といった事はなかった。
 父はゲームのために、絶対にこの学園に協力者や監視役を置いている。そうでなくて、準備などできないだろう。新一がどう動いているか父が興味のない訳がなかった。さぞかし楽しく見物していることだろう。
 つまり、文鎮がないのはアクシデントであるのか。
 それとも、隠してあるのか?
 新一は細い顎に手を添えて思考する。その仕草は物事を考える時の新一の癖だ。

 「………どうしました?」

 それまで口も挟まないで背後に立ち見守っていたキッドが心配そうに聞いてきた。

 「………う、ん。………なあ、キッド。こういう金庫でなおかつ開けてもわからないように隠すとしたらどこだと思う?二重底にするには下に厚みがないんだよな、奥か?」

 新一はキッドを振り返って真っ直ぐに見上げた。

 「そうですね。簡単なものならもう一つ小さな隠し場所があるはずだ。奥に手を伸ばして触ってみて何か凹凸がないか………」

 新一がペンライトで奥を照らしながら指で撫でるように触ってみる。

 「上に操作する場所があるかもしれませんし、どうですか?」
 「………何も当たらないな………」
 「新一、新一が何を探しているのかはわかりませんが、それは本当にここにあるのですか?」
 「あるはずなんだよ、これが間違いなく」

 新一は吐息を付く。
 
 (なければゲームにならない。それにあの父親がそんなヘマする訳ないし………)

 校長室にある金庫に入ったクリスタルの文鎮を取って来い、という指示を思い出して、ふと思い当たる。
 校長室にある金庫、は普通に考えたら目の前にあるこれだ。が、この部屋にある金庫がこれ一つだと誰が言った?いかにもな金庫に隠せば盗まれる確率が高いだろう。
 
 (ひょっとしたら、どこかにもう一つ金庫がある?)

 新一は立ち上がり闇に慣れた目でぐるりと室内を見渡す。
 大きく立派な机と背もたれと肘掛けのある椅子が窓際に。その上にはノートパソコン。
 学園の歴史が書かれた書籍や賞状や楯があるガラス枠の棚が壁の端。
 真ん中にソファーセット。
 背の低い棚には細々としたものが入れてありその上には花瓶。小振りな白い花が生けられている。
 一目でわかるものはない。
 時間がないなと新一は思う。
 1週間という制限時間がありその初日である今日、できなくても問題はない。事前の調査が必用な事だってあるだろう。今まではすぐに完遂できたが、これからは時間がかかる指示だって来るだろう。わかってはいるのだが、再び忍び込むというのは避けたい。第一この男がいるしな、と新一は隣に立つキッドを見上げた。

 「この部屋に金庫を隠すならどこだと思う?」







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