「Don't  leave  me , please」2




 ある一定の活動を集中的にこなして、また別の場所に潜む。
 それは、組織壊滅のための防衛手段だ。

 組織も自分たちを、組織を崩壊させようとしている人物を躍起になって探している。まさか外見小学生の子供が相手だとは思わないだろうが、工藤新一であるとばれれば危険度が増す。組織に居場所を特定させないため、一カ所に長期でいることはできなかった。

 何か実行に移す時も、姿を極力潜めている。
 転々としている暮らし。
 生活などに必要なものなど外に行かなくともネットを使えば簡単に手に入る。

 現在コナンは昔父優作が身を隠す時に使用していたマンションにいた。セキュリティもプライベートも守れるような造りのマンションは滅多に人に会わないほど住人は少ない。玄関が決して同じ方向になく住人同士が出逢わない設計になっている上に、エレベーターはそれぞれの部屋の横に1つ、つまり4つあった。更に優作は新一が現在身を潜めている最上階の9階1フロアごと買い取っていた。つまり、人に見られる危険性や他人に迷惑をかける可能性が限りなく低く安心の度合いが今までより格段に上だった。





 コナンはパソコンのディスプレイを見つめている。
 その顔には真剣な表情が浮かんでいた。
 画面から視線は動いていないが、キーを叩く指は滑らかだ。

 テレビも音楽もない静寂の空間。
 作業が佳境に入っているのか、ひどく緊張した面もちで瞳は鋭くディスプレイを睨んでいた。
 早業でキーを叩いて、トン、とエンターキーを押す。

 しばらく微動だにせず待っていたが、やがて、ほうと息を吐いた。緊張のため息を止めていたようだ………。
 肩の力が一気に抜けて、椅子の背もたれに身体を預けた。
 そして目を閉じる。
 酷使した目は頭痛をよび、少々霞んで見える。コナンはこめかみを押さえ、その疲労に耐えた。

 カタン。

 静寂を破る音がする。

 何だろう?

 高層マンションの最上部にある部屋に、野良猫が来るなどありえないから風が吹いて来たのかと思った。上空の方が風が強く煽られるのが常だったからだ。



 しかし、そこには想像もしない人物が立っていた。

 月光を背にした、月の加護を受ける純白の怪盗。
 片眼鏡がその光に煌めいて、彼の表情を隠している。
 いつの間にか窓が開いていて、ベランダ越しに彼が自分を見つめていた。
 怪盗は足音も立てずコナンに歩み寄り、優雅に腰を折ると、

 「ご機嫌麗しく、名探偵」

 と静かな声で言った。

 「KID………」

 コナンは驚愕の瞳でKIDを見上げた。そんな瞳を大きく見開いたコナンの表情を優しげに見つめると厳かにKIDは告げた。

 「やっと見つけましたよ………」
 「お前、本当に来たのか?」
 「探してもいいとおっしゃったでしょう?」
 「………そうだったな。できるのなら、と言ったのは俺だ」

 本当に、よく探し当てたと思う。
 現在の所、誰にも見つかってはいないし、見つからないように万全を期している。
 どこから調べたのか………。

 彼の情報収集能力と行動力、推察力は大した物だ。
 組織には江戸川コナンの存在はばれていないし、もし探すにしても工藤新一を探すだろう。
 江戸川コナンを探す人間がどれだけいるかわからないが、あらゆる危険性を考慮して行動しているのだから怪盗に居場所がわかったことは奇跡だ。
 けれど、それは決して歓迎すべきものではなかった。

 「お前に見つかるようなら、ここも駄目だな」

 KIDを見くびるつもりはないが、彼に見つかるのなら時間の問題で組織に見つかる可能性があるのだ。

 「また、姿を隠すおつもりですか?」
 「………」
 「名探偵?」
 「約束はできないと言ったはずだ。俺はいなくなるかもしれない。存在が消えるかもしれないと」
 「そうですね。名探偵はそうおっしゃいました。ただ、できるなら探しても良いと許可して下さった」
 「………」
 「だから、何度でも探しますよ。探してみせます」

 KIDはきっぱりと言い切る。それは彼にとって当然であるように。

 「………物好きだな」

 そんなKIDにコナンは薄く笑う。
 本当に物好きだとしか、言いようがない。無駄な労力を使って………。
 ここまでこれただけで、誉めてやりたいほどだ。なのに、また探すという彼は、本当に探し当てるかもしれない。

 「折角だから珈琲くらい入れてやる。飲んでいけ」

 コナンはそう言い残すと、キッチンに消えた。



 やがて座る場所がないからと、リビングに即されたKIDは勧められるままソファに座っていた。

 「ほら」

 コナンはKIDにカップを差し出した。
 暖かそうに湯気を立てるカップをKIDは受け取る。
 珈琲の香りが鼻を擽るのに誘われるように、こくりと一口飲む。
 しかしKIDは若干眉を潜めた。

 「どうした?」

 そんなKIDの様子に気付いたコナンは首を傾げた。なんとなく、彼にしては珍しい素直な反応だったからだ。
 少々逡巡していたがKIDは口を開いた。

 「名探偵、お砂糖やミルクを頂けませんか?」
 「………」
 「名探偵?」
 「お前の舌って子供か?」

 コナンは呆れたように呟いた。
 それは、意外な事実だった。自分はブラック派であるから、ついつい砂糖やミルクの存在を忘れがちである。
 だが、しかし………。

 「味覚には個人差があるのですよ?名探偵………」
 「わかった。ちょっと待ってろ」

 本当なら言いたくない台詞を言ってしまったKIDが余りに面白くて、沸き上がった微笑みを堪えながらコナンは続きになっているカウンターキッチンへ行き、戸棚を探りスティックシュガーと粉末ミルクの瓶を持って戻ってきた。

 「ほら、好きなだけ入れろ」

 その声は、どことなくふるえている。
 KIDは不本意そうに、しかし砂糖とミルクを入れて自分好みの味付けにして、やっと美味しそうに珈琲を飲んだ。
 コナンはKIDのそんな様子を見てくすりと笑う。
 久しぶりにこんなに笑ったかもしれない。
 いつも独りで過ごし、戦っている。そして別の場所で哀が戦っている。
 決して独りではないと知っているが、誰かと会話するのは本当に久しぶりだった。
 飲み干したカップをテーブルに置いたKIDは、ごちそうさまです、と感謝を述べると、コナンを真正面から見た。

 「名探偵。一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」
 「何だ?」
 「………いつまで、という期限はあるのですか?」

 どうしても聞いてみたかったこと。
 名探偵はいつまで身を隠して自分の道を進むのか?その小さな身体に重い何を背負っているのか?できるなら知りたかった。もちろん、簡単に答えてくれる訳がなく自分が解くと言ったのだ。解いてみせる………、でもいつまで自分は探せばいい?
 この存在を………。
 KIDは真剣な瞳でコナンを見つめた。

 「目的達成までだ………。お前と一緒だな?」

 コナンは穏やかに、気負いなく言う。

 「………一緒ですか?」

 KIDの目的を伝えたことなどないし、コナンが示唆したこともない。
 ただ、その目的が、信念があることだけ知っている。
 なのに、コナンはどこまでいっても名探偵だ。
 真実を読みとる瞳の前で嘘など付ける訳がなかった。

 「そうだろう?怪盗KID」
 「ええ、そうですね」

 だからKIDは同意した。
 自分の心さえも暴き出す瞳をいつまでも見つめていたい気持ちが溢れそうだ。
 KIDのどこか憂いを秘めた瞳をコナンは見つめる。

 「お前………、そんなに辛いか?」

 孤独が………。

 言外の思いを読み取り、コナンは尋ねた。
 独りは、孤高は、重いか?と。

 「辛いなどという感情はとうになくしていたはずなのですが、名探偵が消えてからは少々その考えを改めました。その点だけは感謝致しますよ」

 無表情で言い放つKID。

 「KID?」
 「けれど、それは想像より随分重いものですが………」

 人に知られることを拒むだろう心情を自分に吐露するKIDにコナンは痛ましげに眉を潜めた。

 馬鹿だな、こいつは、と思う。
 自分になど救いを求めても駄目なのだ。
 期待などさせてやれない。

 お前は俺の真実を知らないだろう?
 今の俺は、この身体は幻だ。
 お前が見ている『名探偵』は偽りの姿だ。

 けれど、それでも、お前は救いを見るのか?
 これほど探してまで?
 決して容易く見つけられたとは思えなかった。
 それくらいの自負はある。完璧に存在を消していたはずなのに、どうしてか探し当てたKID………。
 コナンは一瞬だけ自嘲気味な表情を瞳に浮かべるが、睫毛が作る影でそれを隠すと振り切るように、KIDを見上げた。

 「………そうだな、一度だけ逢いに行ってやるよ。俺が俺でいられたら。全てが終わったら」

 コナンは提案した。

 「一度だけですか?」
 「ああ、そうだ。お前が知っている俺はもういないだろうからな」

 不可思議な笑顔でそう謎の言葉をコナンは残す。



 もう、「江戸川コナン」という名ではないとか?
 わからないように、変装しているとか?
 もう一度出会える機会が限りなく先でこの姿ではないとか?



 KIDが考えつく謎の言葉の答えは精々その程度であった。
 それが、近くて遠いと気付くのはまだ先の話だ。



                                              END





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