「Don't  leave  me , please」1




 名探偵「江戸川コナン」が忽然と消えた。


 ある日、小学校に転校の申し出があり、簡潔に手続きがなされたということだ。
 海外にいる両親のもとに行くというのがその理由である。
 もともと毛利探偵事務所預けられていた少年であるから、誰も疑問にも思わないだろう。 両親と一緒に暮らすことになって良かったというのが大旨の意見である。
 しかし突然決定され、挨拶もなくコナンは去ったらしい。


 そして、彼の痕跡はどこにもなかった。
 どこに行ったのか、誰にもわからなかった。


 KIDがその事実に気付いたのは、コナンが転校して2週間経った後だった。
 KIDとしても絶えずコナンを見張っていた訳ではないので、何時の間にか消えたとしかいいようがない。


 彼がまず取った行動は、阿笠邸を見張ることだった。
 毛利探偵事務所は全く詳しい事情を知らないようだったので、頼みの綱はここしかなかった。
 普通に阿笠や哀に聞いても教えてもらえる訳がない。
 その上、小さな女医にはめっぽう嫌われていた。

 そんな中で情報を仕入れるには盗聴器などを仕掛ける以外なかった。
 少々、阿笠邸に仕掛けるのは反則のような気がしたが………KIDが怪我をした時に手の内を見せるよう手当をしてくれたのだから。そして、KIDが名探偵に逢いに行ける場所は阿笠邸が多かった………そこしか名探偵との接点がないのだから、彼は探してもいいと言ったのだから、この際許してもらおうと思う。

 阿笠邸での二人の会話、電話、郵便物をチェックしても何も出てこない。
 パソコンのメールのやり取りを探ってもそれらしき人物からは連絡がない。
 あらゆる情報網を駆使して捜索してる最中、名探偵が消えてから2ヶ月ほど過ぎた頃、今度は小さな女医、灰原哀が消えた。
 学校には転校ではなく休学届けが出されていた。

 もしかして、と用心していたというのに、忽然と消えてしまった。
 盗聴器などが仕掛けられていることなど予測の範疇だったのかもしれない。
 その時点でKIDは最も有力な手がかりを失った。


 一体、どこに名探偵は行ってしまったのか?
 こんなにも見事に存在を消してしまう。
 その手腕も対応も、とても小学生が持つものではなかった。それに、必ず身を潜める場所があるはずであるし、活動資金だって必要だろう。それはどこから出資されているのか?
 毛利探偵事務所に預けられた時も1千万円の振り込みをするほどの親と名乗る人間がいるくらいだ。彼は自分で多額の資金を動かすことができる人間。

 KIDにとって名探偵は名探偵でしかありえないが、彼の存在が、7歳の小学生を裏切っている。中身は、普通の大人が束になってかかっても適わない程の知識と決断力、行動力、洞察力、財力を備えた上、容姿まで群を抜いていた。

 なんと不可思議な存在であることか。
 そして、人を惹き付ける存在であることか。

 必ず見つけてみせると思う。
 そうでなければ、怪盗KIDの名が廃るでしょう?名探偵。
 約束はできないと言った名探偵は本当に自分を置いて消えてしまった。
 それを享受できるほど、大人ではなかった。
 傍にいたいと、その瞳と魂を見ていたいと思った存在を忘れることなどできる訳がなかった。






 コナンがまず身を潜めたのは郊外の別荘だった。
 工藤優作と有希子が所有する隠れ家的要素の強い物件は多くあった。
 互いに有名人であるから、名義人を探っても表に出てこないようになっている。あくまで全くの別人。購入する時どのような手続きを取ったものなのか誰にも知られていない。その場所を知っているのは3人だけである。
 いつか困った時のために、とたった一人の息子に教えたのだ。別荘などは遊びで使うこともしばしばであったが、マンションなどは存在は知っていても、実際に行ったこともない場所もあった。

 生活に必要なものはあらかじめ手配してあり、極力外に出ないでも過ごせるように準備がしてあった。
 最初は誰とも連絡は取らない。
 そう、決めてあった。

 コナン一人でできることも限りがあるが、それでもできる事をやる。
 2ヶ月後、哀が姿を消し母有希子が女優時代の使用していた秘密のマンションに潜伏する。
 二人は別々の場所でまず活動することにしてあった。

 もしもの時のために。
 共倒れにならないように。


 連絡はメールが主だ。
 電話線は後が付くので使用しない。

 必ず、携帯やカードを使う。それらの使用者を探っても全くの別人になっているため、コナンや哀の名が出てくることはなかった。
 内容も打ち合わせた暗号でやり取りしているため、普通の人間が見てもただの文章に見えるだけだ。
 メールもデータ以外は受け取れば削除する。
 データもパソコン本体には保存しない。フロッピーなど別のものに入れる。
 万が一パソコンに進入されたらお終いだから。
 あらゆる可能性を考えて対処している。



 しばらく後に一度コナンと哀は合流した。
 詳細を報告打ちあわせ、大きな行動を起こすためだ。
 暗躍、といえるだろう活動。

 パソコンで何十にもロックされた組織のメインコンピューターにハックをかけ、証拠になるだろう資料などを奪い、警察に送る。誘導して踏み込ませる。製薬会社や住宅会社、普段は表の顔で隠された組織の一部。
 踏み込む材料が足りない時は、少々爆薬を仕掛け強引に踏み込む状態にした時もある。

 そして、関連会社を倒産させたり、立ち入りで力を削いだりと、資金源を潰し活動や逃走を押さえる。

 収賄で捕まる政治家。
 贈賄で捕まる大企業。
 本当の理由は組織に属するものだから。





 「まずまずと言ったところかしら?」

 明日にはまた別の場所に移動する哀がお茶の入ったカップを持ち、パソコンのディスプレイに映るニュースを眺める。

 「そうだな。ここまでは予定通りだ………」

 その横に立ち、同じくディスプレイを睨むように見つめていたコナンが言う。

 「油断は禁物よ、江戸川くん」

 哀はコナンを見上げた。

 「わかってる。これでも命をかけているんだぜ?」
 「何度も言うけど、死んだら許さないわよ?」
 「………死なないさ。死んだら負けだ。あんな奴らのためにこの命をやるのは惜しいだろう?」
 「そうよ」

 哀はきっぱりと言う。
 その瞳は、絶対に死ぬな、と雄弁に語っていた。

 これ以上、大切な人間はなくせない。唯一の肉親である姉を失い、もう大切なものなどこの世になくなった彼女が見つけた希望の光。保護者代わりの家族、娘のように大切にしてくれる阿笠博士と自分をこの光の世界に止めていてくれる唯一の存在工藤新一。罪にまみれた自分に逃げるなと、守ってやると言ってくれる自分より大切な人。

 彼のためなら、命など惜しくない。
 本当ならどれだけ責められてもしかたない事を彼にしたというのに。
 こんな身体にしたのは自分の研究のせい。けれど彼は哀を責めることもしないどころか、組織から守ろうとしてくれた。幾度も危機に陥ったけど、彼のおかげでこの命は生き延びている。彼がいなければ、とうに自分は組織に殺されていた………。

 だから。
 私ができうる限りで貴方を守るわ。
 そう決めているの。

 なぜなら、彼の存在が自分をここに留める枷だから。
 自分には縁のないものだと諦めていた、目映いばかりの光の枷。
 でも、それは決して知らなくていい。貴方は知ると負担に思うから………。

 哀の強い瞳を見つめて、コナンは不敵に笑った。
 哀の決心などコナンは知らなかった。
 それでも、これ以上身近な者の死は彼女を苦しめるだろうと簡単に予測は付く。
 だから安心させるように言うのだ。

 「大丈夫だ。絶対に。俺はお前のホームズなんだろ?解いてやるよ、お前の謎を全て」

 哀は瞳を一瞬見開き、歪めた。

 「貴方って、やっぱり馬鹿ね。女性の秘密は解いては駄目なのよ?」

 自分の謎を解いて、つまり自由にしてやるというコナンに泣きたくなるほど嬉しかった。
 どうしてそんなに優しいの?そういつも思う。
 けれど、そんな気持ちは押し隠して、表面は苦笑いを浮かべる。

 「………お前な」

 少し不服そうなコナンに今度は本当に哀は笑顔を見せた。

 「ま、ありがたく頂いておくわね、気持ちだけ」

 茶目っ気たっぷりに哀が言うのでコナンもまあいいかと思う。
 これから、また続く戦い。
 今だけでも、笑えた方がずっといいから。

 「それより貴方、ちゃんとご飯食べてる?独りだからって適当にしてるんじゃなくて?」

 実は合流した時、若干痩せているコナンを見て哀は眉を潜めたのだ。
 一緒にいる間哀がまめにご飯を作って食べさせたが、こらからまた個人で動くことになる。心配するなというのが、無理な話だ。

 「食べてるって」
 「嘘おっしゃい。いい?最後は体力勝負なのよ。ちゃんと食べてちょうだい」
 「わかったって」

 哀のお小言をくらってコナンはしぶしぶ頷く。
 ここで反論してはいけないと経験から知っていた。確かに食べてはいるが、ちゃんと3食かと突っ込まれると、イエスと言えない自信がある。だから、コナンとしても神妙に、

 「善処する」

 としか言いようがなかった。
 そんなコナンを疑わしそうに哀は見つめ、やがて仕方なさそうに微笑んだ。
 今度から、今日何を食べたか報告させてみようかしら?と主治医である哀は思った。
 




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