「ごきげんよう、名探偵」 そう言って空から降ってきた白い鳥は、世間で評判の泥棒だ。今時珍しい怪盗は世界に名高い宝石を盗むことを生業とし、その上折角盗んだ宝石を返すことでも有名だ。 その怪盗の名をKIDという。 「何しに来たんだ?こんなところに……」 突然目の前に現れた怪盗に驚きもせず、名探偵と呼ばれた少年は呆れたように尋ねた。 「何しになんて、つれないですね。偶然お見かけしましたからご機嫌伺いですよ」 肩をすくめる姿さえ絵になる怪盗紳士は、口元に笑みを浮かべながら臆面もなくそう言った。 本来なら、偶然見かけたからといって、挨拶するような関係では決してない。 なぜなら、少年は怪盗が呼びかけた通り正反対に位置する探偵なのだから。それも、世間からは「日本警察の救世主」「平成のホームズ」と渾名を付けられるほどの探偵だ。怪盗の捕り物にももちろん参加したことがある。 「お前なあ」 探偵は疲れたように呟いた。 探偵は今日も今日とて事件の要請を受けて現場に赴き、無事に解決してきた帰りである。車で送るよという馴染みの警部の気遣いを断り、一人ぶらぶらと夜道を歩いていた。 三日月が照らす道はそれほど明るくはないが、家々の灯りのおかげでさほど暗くもない。探偵の住まう屋敷は閑静な高級住宅街にあるせいで、喧噪も遠く明かりも優しい色ばかりだ。 「名探偵を見かけて、無視なんてできるはずがないではありませんか」 呆れ顔の探偵を尻目に怪盗はさも当然そうに答える。 「本当に、暇人だな」 怪盗の言い分に探偵は素っ気ない。それでも、苦笑しているところを見ると、気分を害していることもない。どちらかといえば、いい方だろう。 「貴方に比べたら、確かに私も暇人かもしれませんね」 怪盗は思案げに首を傾げ、頷いた。 「私は一応基本的に私の都合で動きますが、貴方は全く予定が立たない。事件が起これば呼び出され、それがどこであろうとも赴き、解決まで決して投げ出すこともせずひたすら事件と向き合う。もし、事件が続けばそれに不平を言うこともなく、その手を差し伸べる。これだけしても、全くのボランティアだ。それによって何かを得ている訳でもない。名探偵が謝礼を目的にしていないことは誰もがわかっていますが、それにしても随分お忙しそうだ。……本当に私なんて足下にも及ばないほど、多忙ですね」 怪盗は他人が聞いたら、己も十分に多忙だろうとつっこみを入れたくなるような台詞を宣った。腕を組み、うんうんと己に相づちを入れながらである。 その様子に探偵も誘われるように笑う。 探偵は確かに多忙だが、怪盗も誰がどう見ても多忙である。 探偵の笑みに、どこか満足そうに怪盗は目を細め口調を改めて続けた。 「それで、どうしたんですか、名探偵」 「……それって、何が?」 「私は名探偵本人の気持ちはわかりませんが、貴方の気分が陰っていることくらいはわかるのですよ」 探偵も怪盗同様にポーカーフェイスが上手い。 感情を押さえ込むことに長けている。私情を捨て事件の全貌を見なければならない探偵は、実のところ演技力にも優れている。それは女優であった母親の影響なのか定かではないが、人を上手に騙すことくらい朝飯前だ。 そんな探偵の内心をどれだけの人間が理解できるというのか。 肉親や幼なじみ。そういった探偵を幼い頃から知っている人間を除けば、相反する立場にあるというのになぜだが付かず離れずの距離を保っている怪盗くらいなものだ。 「……別に、何にもねえよ。いつもの通り殺人事件が起こって、それを解決しただけだ」 探偵は大きくため息を落とし、話を続けた。 「ただ、恋人を殺した男が彼女を保存するために冷凍していただけだ」 「冷凍ですか?」 「そうだ。恋人と別れ話になって男は衝動的に彼女を殺してしまった。しかし、殺人がばれないよう遺体をどこかに埋めるのではなく、男は腐敗しないよう、ずっと自分とともにあるように冷凍保存していた。その上、左手だけは切り取って自分の家の冷凍庫に入れてあるという念の入れようだ。……何で左手かというと、指輪がはまっているからだ。遺体自体は大きな冷凍庫が必要だから、別の場所に保管してあった……」 「……」 淡々と事件のあらましを語る探偵に怪盗も言葉を無くす。 どう返していいか、判断に困る事件だ。犯人の行動はかなり猟奇的だ。 恋人と離れたくない、恋人をそのまま保存しておきたい。 男の願望は決して叶えて良いものではなかった。彼の一方的な願いは罪だ。 「簡単に説明すれば、それだけだ。あんまり気分のいいもんじゃないだろ?」 自嘲気味に探偵は苦笑う。 そんな顔をさせたくて聞いた訳ではないのだけれど、と怪盗は心中思う。前回会った時、探偵は自分では知らずに怪盗の憂いを救った。だからという訳ではないが、怪盗も恩には感じていたのだ。 「私には、とんと男の気持ちはわかりません。恋人を殺して冷凍保存するなんて、正気ではできないでしょう。きっと、普通の人間なら気が狂う。どんなことをしても、死者は誰のものにもならない。まるで、現世に留めて置きたいのだと言わんばかりの行為は男の激情を覗かせていますが、同情も共感もできません」 きっぱりと言い切る怪盗に探偵はああと頷く。 まっとうな人間には、彼の行為は到底理解できないものだ。彼の中だけで、正当化されているに過ぎない。犯罪とはそういうものであることが多々ある。 「今回のことでも、いろいろ考えたんだけど。人を殺す理由は人それぞれで、実は同じ気持ちなんてないんだ。動機として調書に書かれるとどこにでも起こるありきたりな事件に聞こえるけど。分類すれば、怨恨、愛情のもつれ、金のため、自分の利益のためと大まかに分けられる。それに愉快犯もいるがな。……どの現場に遭遇しても、犯人と会っても、いつも思う。なんで、殺したんだろうって。犯人には殺す理由があったのかもしれないが、それに納得できるはずがない。どんなに動機が判明しても、それが何になるっていうんだろう。それは、自分たちが理解するために、単に理由付けしているに過ぎない。民衆の自己満足みたいなものか……」 探偵は細い息を吐く。 「事件の謎は解けても、人の気持ちの謎は一生解けない」 探偵らしい結びに怪盗は微笑した。 自分がよく知る探偵なら、そういう結論に達するだろう。そう、探偵が殺人を犯す人間の気持ちがわかる日はきっと来ないに違いない。そうであって欲しいと怪盗は望む。 自分と相反した場所に立っている人間だからこそ、光に包まれている選ばれた人間だからこそ、ずっとそこにいて欲しかった。 「一つくらい解けない謎があった方がいいですよ?名探偵は、何でも見えすぎですから」 にこりと機嫌良さそうに笑う怪盗に、探偵は目を瞬く。 探偵の自分に解けない謎があった方がいいという。そう言われるとは思いもしなかった。探偵は謎を解くのが仕事なのに……。 数度瞬いて探偵は怪盗をまっすぐに射抜くように強い瞳で見た。事件に遭遇して真実を見極めようとする時にする強烈な瞳だ。 そこには、わずかに彼から感じた陰りはもうどこにも見当たらなかった。 「ところで、いつまで立ち話してるんだ?俺は住宅街のど真ん中で夜目にも目立つ怪盗と世間話をする趣味はないんだけど」 ふと、気付いたように探偵は唸った。 そう、誰に見られるかもしれない公道だ。そして、怪盗の姿は誰が見ても明らかだった。探偵が馴れ合っていていい相手ではない。 「それは、失礼しました」 怪盗も目を細めて笑いを喉の奥でかみ殺す。確かに、探偵の言う通りなのだ。 「別に、謝られる必要はないけど。……まあ、いい。ここで会ったのも何かの縁だ。どうせなら、茶でも飲んで行け」 「は?」 「熱いお茶くらいいれてやる。っていうことで、お前は先に俺の家に行っておけ」 戸惑う怪盗を無視して、探偵は己がこれから向かう先を指で示した。その指の先を怪盗は目で追って、探偵が住まう屋敷を目に映す。そして、半分諦めたように軽く肩をすくめ、畏まりました、と答えると再び夜空へ飛び立った。 反論もなく飛び立った怪盗を見上げ、探偵は家路を急いだ。 わずかばかりの感謝を込めて、怪盗に熱いお茶をいれるために。 END |