頭上に輝く銀色の月が闇夜に煌々と輝いている。 吹きすさぶ強風は、ビルの屋上を木枯らしのように駆け抜けて行く。 時刻は、今日という日が始まったばかりの深夜、そろそろ眠りに付く人々がいれば夜中精を出し働いている人々もいる時間だ。 所々にネオンの瞬きを眼下に見下ろす高層ビルの屋上は通常であるなら誰もいない場所だ。オフィス街は昼間人々が集まる分だけ、夜は人の気配が消えるものだ。 だが、今日は月に誘われたように白い鳥が舞い降りていた。 純白のシルクハットに背を覆うマントと洋服に靴。片眼鏡をかけた鳥は巷で評判の怪盗だった。 予告状を出して宝石を盗む今時珍しい怪盗紳士、人は彼を怪盗KIDと呼ぶ。 今日も容易く盗んだ宝石を誰もいないビルの屋上のフェンスに危なげなく立ちながら、月に翳す。まるで儀式のようなその行動を知る人間はほどんといない。 「よう、しけたツラしてるな」 そこへ、一人の少年が現れた。屋上へと続く非常扉を開けてそこに怪盗を認めると、不適に口の端を上げて笑う。 怪盗はその少年を見て取ると慌てることなく、こんばんはと返事をした。 怪盗にそんな軽口を叩き、逃走経路を割り出してひょっこり顔を出す人間など一人しかいない。 「お久しぶりですね、名探偵」 フェンスの上から重力を感じさせないほど身軽に飛び降り着地すると、優美にそして慇懃無礼に会釈しながら怪盗は幾分親しさを込めて声をかけた。 「まあ、久しぶりだな」 名探偵と呼ばれた少年は面白そうに目を眇めた。 久しぶりと言われ、久しぶりと返す怪盗と探偵は普通に考えたらかなり変な関係である。探偵に会ったというのに逃げもしない怪盗と怪盗を捕まえようともしない探偵。 しかしながら、二人は別段気にもしてないため、何の問題もない。 「今日はどうしました?」 「月が綺麗だなー、と思って月見がてら散歩している途中での寄り道だ」 「それはまた、とてもタイミングの良い寄り道ですね」 警察が怪盗を見失い取り逃しているというのに、探偵は散歩の寄り道で逃走経路に来るのだから、二課の警部や警察官達は立つ瀬がない。 「ああ。夜空を飛ぶ白い鳥を見かけたからな」 「わざわざのお越し、ありがとうございます」 非常階段を上がって来たのだろう探偵に怪盗は感謝を示しシルクハットを取りお辞儀をすると再び元に戻す。 深夜のビルに立ち入ることは難しい。エレベーターで上ればあっという間だが、非常階段を登ってきたとなると時間も体力もかかったはずだ。 「いい運動になったがな。……それで、どうしたんだ?」 怪盗の言いたかったことを理解し肩をすくめてみせると、探偵は小さく首を傾げて問う。 「どうしたとは、何がですか?」 質問で返す怪盗に探偵は、大きく吐息を付いて口を開く。 「今更、何に憂いているんだ?しけた面してさ」 探偵の指摘に怪盗は無表情を保ちながら、それでも若干眉を寄せた。そして、まっすぐに見つめる探偵の瞳を見返してしばらくすると諦めたように肩から力を抜いた。 「名探偵は、この世に永遠はあると思いますか?」 怪盗が口にしたのは、至極抽象的な問いだった。探偵はその言葉を吟味するように顎に指を当てて軽く目を閉じて思考する。そして、瞼を開けるとどこか真剣な眼差しで怪盗を見つめた。 「永遠なんて、ものはないな。不変なものなどこの世界のどこにもない。幻想だ」 きっぱりと言い放つ探偵の声は決して大きくはないのに、やけに響く。 怪盗の心に届いた探偵の答えは、見かけよりずっと怪盗を深く抉るようにふるわせて打撃を与えた。もちろん探偵にはそんな気はない。探偵なりに正しい答えを返しただけなのだが、それによって心を痛めるのは怪盗の勝手だ。 「生き物には寿命があり、人間もいつかは死ぬでしょう。地球さえ、星の寿命が尽きる時消滅する。すべてが移ろいやすく、形あるものはいつか壊れる。そんな世界に永遠なんてものがあるはずがない。不変であるものなど一つもない。私もそう思いますよ」 怪盗も読めない顔で探偵の意見に同意する。 「高々百年生きる寿命を持つ人間でも、絶対なんてあり得ないのです。人の気持ちなんてものはすぐに変わる。人間は、移ろいやすく何でも忘れるものだ」 「……罪深い?そう言いたいように聞こえる」 怪盗の言葉を探偵は受け取って続ける。 「お前は、永遠がないことを真理としているのに、ないことが不満そうだな。本当は、あるって言って欲しかったのか?」 「違いますよ」 怪盗は首を振る。 「……永遠はあり得ないのです。あってはならないのですよ、名探偵」 怪盗が求める永遠の命を与えるという、パンドラ。 その宝石から溢れる滴を飲み欲せば、不死が手に入るといわれている伝説を持つビッグジュエル。嘘か誠か、月に翳せば中に赤い輝きを秘めているという。 なぜ、人は永遠の命を望むのか。 何不自由なく暮らせる資産、地位、名誉を手に入れても、満足できない。それらを手に入れた後には、それ以上のものが欲しくなる。 誰にも平等に与えられた、たった一つの命が惜しくなる。 今手にしているものを死して手放すのが惜しくなる。 昔から不老不死を望む人間は後を絶たなかった。時の権力者になっても自らを神と名乗っても、その望みは叶わない。 怪盗の瞳にどこか陰りが帯びる。探偵はその様を見て片眉を上げた。そして睨むように目を眇める。 「あってならないものなんてない。確かに、永遠なんて夢幻だと俺は思う。求めても手に入らない、そう月に手を伸ばすようなものだ。人の心も移ろいやすく、愛しているといった人を簡単に殺す。犯罪は後を絶たない。絶対なんてこともないな。絶対って約束をして守れる人間がこの世にどれだけいることか。そんな保証は誰にもできない」 探偵は否定するような言葉を吐き、一度息を吸うと表情を改めて続けた。 「あのさ、俺の母親が言う訳。例えば、親父が浮気をしていたとする。もちろん母親はそれを許すような人間じゃないし、親父もそんな甲斐性はないんだけど。それでも、もし、そんなことがあったとするなら、上手に嘘を付き続けて自分を死ぬまで騙してくれればいいんだってさ。それは本当の真実じゃないけれど母親にとっての真実だから。そうすれば、一生自分だけの親父に代わりがないんだってさ。……例え真実ではなくても、構わないんだ。人によって事実は違うんだ。弱い人間に「絶対」なんて簡単に実行できる訳がない。不変なんて約束できない。でも、人によって真実は違う、つまり不変も実行可能ってことだ。まあ、思いこみの産物ともいうがな……」 苦笑しながら言葉を切ると探偵は自分を反らさずに見ている怪盗に悪戯そうな顔でウインクした。 「だから、お前が思いたい方でいいんじゃないか?永遠も不変もないっていうんなら、ないし。あるといいと思えばあるんだろ」 そう思いこんでおけ、と探偵は茶目っ気たっぷりに諭した。 「……そうですね」 そういうのが怪盗の精一杯だった。 怪盗の心を抉るほど傷つけることができると思えば、憂い惑う心を救いもする。 誰が、こんな答えを返してくれるなんて思うだろうか。 永遠なんて、どこにもない。 不変のものなんて、この世に存在しない。 そう思ってきたのに。 そう思っても永遠をもたらす宝石を探しているという己の中の矛盾。 その矛盾ごと、認めてもらえたような気がする。 「ありがとう、ございます」 厳かに、怪盗は礼を述べた。ご大層に感謝を表す気にはならなかった。だから、目だけ伏せて感謝を伝える。 もっとも、胸中はかなり感情が沸き上がり爆発しそうに溢れていたのだけれど。 ポーカーフェイスが信条の怪盗紳士だから、滅多なことでは心情を露になんてしない。人に心を読ませることなんてしない。ただ、探偵にはばれている可能性が高いけれど……。 「んじゃあ、帰るわ」 探偵は怪盗の顔の変化をを見て小さく笑うと、片手を上げて気軽に挨拶し背を向けてさっさと屋上を後にした。余韻もあったものではない、颯爽とした後ろ姿だ。 「……」 もしかしたら、わざわざこのために来てくれたのだろうか。 最初からしけたツラしていると言っていた探偵だ。誰にも見せないはずの怪盗の迷いを読みとることなど探偵である彼には造作もないことなのだろう。 (本当に、ありがとうございます。名探偵) 怪盗はもう見えない探偵の残像に丁寧に頭を下げた。 END |