「この手の中の宝石を」1




 「………やられたわね」

 志保はテーブルの上にぱさりと雑誌を投げおくと、小さく吐息を付いた。

 「………」
 「気が付かなかったの?」
 「わからなかった」

 新一は雑誌を手にしながら、柳眉を潜めた。

 「この角度だと隠し撮りだと思うけど………まあ、黒羽君のファンが大勢いただろうから見つめる視線があってもおかしくなかったかしら。悪意のあるものなら二人とも気付くでしょうしね」

 悪意や害のある視線に怪盗KIDと探偵の新一が気が付かない訳がない。人の気配や視線には敏感なのだ。そうでなければ、今まで無事に生きてこられなかった。安易な生活は送っていないのだ。
 ただ、このマジックショーという興味や熱意を持つファンの人間全てに気を配れというのは無理な話だろう。



 今週発売の週刊誌。
 トップ記事を飾ったのはいかにもありがちな有名人のスクープ。恋人発覚?!と見出しがでかでかと踊る見開きの写真入りの記事は見慣れたもののはずだった。
 ただ、載っている人物が問題だった。
 若手実力者マジシャンとして人気の黒羽快斗と寄り添うように立つ美少女。
 モデルにしてもおかしくないくらいハンサムな男であるのに、今まで浮ついた噂のなかった彼に初めての恋人。
 彼の恋人は映りの悪い写真でもわかる程の美貌。
 長い黒髪に抜けるような白い肌。蒼い瞳が恋人を見つめ紅色の唇が笑みを浮かべる横顔は可憐で清楚。華奢な身体からは匂い立つような色香がある。
 手を差し伸べる恋人に手を重ねる瞬間を写し取ったものらしく、そこには恋人同士の甘やかな雰囲気が漂っていた。

 「これ、どういう状況で撮られたの?」
 「それはショーが終わって控え室で逢った後、車で帰るためにホテル内を歩いていた時だと思う………」





 新一はその夜を思い出す。
 
 それは、快斗と再会を果たしてから初めてマジックショーを見に行った時のことだ。
 今まで、一度も見に行かなかった。だから生で見るのは初めてで、とても楽しみにしていたのだ。是非来てね、と快斗が特等席のチケットをくれた時とても嬉しかった。
 新一に見てもらうことができるから、緊張するよと笑い、俺も魔法をかけてあげると言っていた。
 あまり改まるのも照れくさくて、薄いベージュのスーツに光沢のあるストールという軽装で赴いたマジックショーが行われるホテルはすでに人でいっぱいだった。
 着飾った女性が多く……もちろん夫婦同伴で来ている者もいるが………快斗の女性人気の高さが伺えた。
 そんな女性達から「素敵よね」「毎回来てるのよ」という会話が漏れ聞こえてきて、新一はむっとする。

 (そりゃ、あれだけ格好いいんだから人気があって当然なんだけど………。背が高くて端正な顔立ちに笑顔が優しく、立ち姿は優美で指先が器用なマジシャン。存在自体が華やかで紳士のような物腰は誰をも魅了するだろう………)

 新一は快斗が聞いたら、めちゃくちゃ喜ぶような可愛らしい嫉妬心を燃やしながら周りを観察つつ、その人混みを通り過ぎて会場の入り口まで来た。そろそろ中に入っているもの、ロビーで談話したり飲み物を頂いているものと様々だ。
 新一は受付に立つ男性にチケットを渡す。それを確認した後、その内の一人が、

 「ご案内します」

 といいながら新一の前に立ちどうぞ、と先導して歩く。
 新一も「お願いします」と頷いて後を付いてゆくと、舞台の最前列にある左よりの席に案内された。丸テーブルが余裕をもって等間隔に並んでいる。会場になるホテルの一室は天井が高く豪華なシャンデリアが煌めいている。室内は広いが客席はそれほど多くはない。
 案内人に椅子を引かれたので、ありがとうと返して席に座った。
 ちょうど舞台が見やすい場所。
 舞台中央の目の前などという目立つ場所ではなく、見やすい横側という快斗の配慮が伺えた。

 「飲み物はいかがしましょう」
 「そうね、アイスティをお願いします」

 ボーイがトレーに様々な種類の飲み物を乗せて現れたので新一は選ぶ。
 失礼します、と言いながらコースターをセットしてグラスを置くと一礼して去るのにありがとうと微笑む。
 夜の席であるから、ワインやカクテルなど頂きたいところであるが、残念ながら新一の外見年齢は15、6歳、未成年である。お酒は頼めないのだ。いくら本来は大人でも人前でお酒は慎まなければならなかった。
 グラスを手に取り、冷たい液体を飲み干しながら快斗に思いをはせる。
 そんなどこの令嬢かと思わせる麗しい新一の姿を会場にいる人間が注目していたのだが、新一は知らなかった。


 やがて、明かりが落とされ舞台にだけスポットライトが当てられる。
 黒いタキシードに身を包んだマジシャン黒羽快斗が颯爽と登場して舞台中央で優雅に一礼すると会場中から大きな拍手が送られた。

 「今宵は私のマジックショーにおこし下さり誠にありがとうございます。月も宵闇にかかり魔法を皆様にかける準備が整いました。それでは、紳士淑女の皆様を、夢の一時へお連れいたしましょう」

 挨拶を述べると、腰を折ってお辞儀をするとちらりと新一の方に視線を向けた。確認すすような、優しい目で一瞬目配せをするとすぐに何事もなかったように元に戻る。
 そんな快斗の確認するような視線に新一は知らず微笑んだ。それが合図であったのか、魔術師は手を翻す。
 
 マジックショーの始まりだ。

 幻想的なマジック。
 魔術師の指から生まれる奇跡。
 どこかにタネがあるはずなのに、全くわからない。見ている間にそんなことはどうでもよくなる。
 次は何が出てくるのか?
 どんな不思議を目にするのか。
 引き込まれていく、その世界。
 静まり返った空間には、魔術師の言葉と魔法が奏でる音しかなかった。


 拍手喝采。
 素晴らしい夢の一時に皆満足げに微笑み、あっというまに訪れた現実に少しだけ残念がる。もう少しだけ、夢の中にいたかった。夢を奇跡を見ていたかった、と。
 だから、彼のマジックショーに再び訪れようと思うのだろう。
 それが幅広く、根強い人気の秘密かもしれない。

 新一も惜しみない拍手を送った。
 初めて見た生のマジックショー。
 今までは発売されたビデオやテレビ番組の特集しか見たことがなかったのだ。
 素晴らしくて、目を奪われて、この感動をどうあらわしていいかわからない。
 快斗に、伝いたいと思う。
 こんなにどきどきしている気持ち。高揚している心。

 快斗が何度も優雅に返礼して、やがて舞台袖に消えるとマジックショーは終わりを告げた。
 次々に会場から姿を消し、帰る人々。それでもまだ帰らずこれから夜の街に行くものもあるだろうし、ホテル内で待っているファンがいるかもしれない。せめて、直接花を渡したいと思うファン心理というものは、どんな世界でも存在するものだ。
 新一は予め快斗に言われていたように、楽屋に行くことにした。
 会場を出て、廊下を歩いて楽屋に向かう。関係者立ち入り禁止の札があり、警備に人が立っていたが新一が近付くと話が通っていたようで、どうぞと入れてくれる。
 「ありがとう」と微笑んで、先を歩くとやがて入り口に花があふれている楽屋に着く。

 コンコン。

 軽くノックすると内側から扉が開かれた。

 「待ってたよ、入って」

 快斗が笑顔で顔を出して、新一を部屋に誘う。新一は頷いて快斗に手を引かれるまま部屋に入ると、中はファンから贈られた花で埋もれていた。所狭しと並べられている花達はファンの心を伝えている。洋蘭の鉢植え、薔薇の花束、アレンジさらた花籠………。色とりどりの花々。

 「すごいな………」
 「そう?………ああ、でも花に囲まれてる新一は綺麗だね」

 背後に花を背負う新一を見つめながら、快斗はうっとりと頷く。そして、もちろん花よりも新一は綺麗だけどね?と付け加えることも忘れない。

 「………快斗。馬鹿なこと言って」

 新一は頬を染めて、快斗の胸をぽんと叩く。

 「馬鹿なことじゃないんだけどな。今日の新一はとっても綺麗だし。そのスーツ似合ってるよね」
 「ありがとう」

 照れくさかったから、シンプルなデザインでベージュ色のスーツにしてきたのだけれど、こんなことなら志保や有希子のいうように、ちゃんと装えば良かったとちょっぴり後悔した。とはいえ、元が良ければどんな洋服でも際だつものだ。清楚な美貌に華美な衣装など必要ないのかもしれない。そこにいるだけで、存在が華やいでいるのだから。

 「来てくれて、本当にありがとう、新一。どうだった?」
 「すごく、良かった。胸がどきどきした。快斗のマジックを見られて嬉しい!」

 新一はその感動を伝えようと瞳をきらきらさせて快斗を見上げる。

 「良かった〜。今日は新一のためにマジックをしたんだ。新一が喜んでくれて、こんなに嬉しいことはないよ。………それと花を贈ってくれただろう?ありがとう」
 「気付いたのか?」

 新一は目を見開く。
 まさか、これだけ多くの花がある中で自分が贈った花を見つけるなんて………。簡単なことではないだろうに。でも、どうしてわかったのだろう?花としては普通なのに。

 「もちろん!気が付かない訳ないでしょう?」
 「どうして、わかった?」
 「だって、白い薔薇だけの花束だよ。それも『フラウ・カール・ドルシュキ』。ドイツの汚れなき純白の花。別名が『スノー・クイン』または『アメリカン・ビューティー』。こんな花を贈る人間は一人だけだ」
 「………KIDの時、お前よく俺にこれをくれただろう?」

 新一は照れくさそうに笑う。

 「そう。だってKIDの白というより、コナンだった新一に似合ったからね」
 「やっぱ、お前馬鹿だろ」
 「馬鹿でもいいよ。新一だけだから。それより、俺からもプレゼントがあるんだ。魔法をかけてあげるって言ったでしょう?」
 「プレゼント?魔法って、そういうことなのか?」
 「うん。one・two・three!」

 快斗が指を鳴らすと、そこから現れたのは小さなビロードの箱だった。その小箱を開けて中に納められている銀色に輝く細いリングを快斗は取りだした。

 「新一………」

 優しく微笑みながら、新一の指を取ると薬指にそっとはめる。

 「………快斗」
 「ただ、渡したかったんだ。ずっと一緒にいたいって思うから。離さないって決めたから。受け取ってくれる?」

 新一は自分の手を掲げて、明かりにきらりと反射する指を見つめる。
 銀の輝きはプラチナだろうか?リングに埋め込まれた小さな石は赤い。何だろう?ルビーだろうか………。

 「ありがとう、快斗。受け取るよ。いつもする」

 新一はそのリングを指ごと抱きしめ快斗に微笑む。自分が嬉しいと伝わればいい………。 だから新一は背伸びをして快斗の首に腕を回して抱きついた。

 「大好き」

 耳元で囁くように。思ったままのこころを言葉にして。
 快斗は、突然の新一の行動に目を丸くして、次の瞬間破顔した。抱きついている新一の肢体を大切に、離さないように抱きしめ返してその黒髪に顔を埋める。そこから甘い香りが漂って快斗の鼻をくすぐるため、余計に嬉しくなって力を込めた。

 「新一」

 愛する名前を呼んで赤い花弁に唇を落とす。何度か触れるだけの口付けをしてそっと離した。

 「なあ、これ何の石だ?」

 ふと、疑問を新一は口にした。KIDである快斗は宝石に詳しい。何か、意味があるような気がしたのだ。赤い石だからルビーが一番妥当だけれど、きっと違う。

 「ああ、それはレッド・エメラルドだよ」
 「レッド・エメラルド?」
 「うん。本当は、レッド・ベリルというんだ。エメラルドと同じ緑柱石(ベリル)だから、レッド・エメラルドとして最近宝石業界がプロモーションしてる。ルビーとは違った赤い色が綺麗だろう?アメリカのユタ州の鉱山でしか宝石に使える原石は採掘されないっていう稀少な宝石。たまたま見つけたからこれも縁だと思って手に入れたんだ」
 「………そんなに稀少なのか?だったら、高いだろ?」

 心配そうに快斗を新一は見上げた。

 「安くはないけど………、高価ってのとも少し違うんだ。とにかく産出量が少なくて出逢える確率が低い宝石で、コレクターの間ではレアストーンと言われているくらい。噂では300万人に1人しか手に入れられないって言われてる」

 レッド・ベリルはベリル族の中で小さいカットストーンしか出現しない稀産なストロベリーカラーのベリルである。色の起源はマンガンで独特のインクルージュンの存在が宿命的だ。
 レッド・ベリルが産出される鉱山は全世界でわずかに3カ所、しかも宝石に研磨できる原石が採掘できる鉱山はアメリカ合衆国のユタ州、ワーワー山脈だけしか採掘されない。
 その採掘量も1トンの岩石から1CT未満しか取れず平均は0.2CT未満と小さくその稀少性を跳ね上げる原因になっている。
 過去最大のルースは7CT。1CTを越えるものは年に2、3個程度、大半は0.5CT以下で平均は0.15CTの小さなルースが年に100個程度取れるだけだ。最近になって大手会社が大規模な機械化による採掘を始めたため、生産量は10倍に増加したが元が少ないため供給量が年間300〜400CTになっただけで、稀少性に変わりはない。が、安定した供給が保証されるようになって換えって値段が跳ね上がり、1CTを越える最上品は最上のダイヤモンド並の水準になった。
 リングに埋め込まれた宝石は0.2CT程度であり、十分な希少性と値段だと推測され、一般に手が出せるものでは決してない。
 
 「出逢うのが奇跡みたいな宝石だから、新一に再び出逢えたことを記念にしておこうと思ったんだ。新一に出逢う奇跡はそれこそ300万人よりずっと低い確率だけど………。それを形にしたかったんだ」
 「奇跡なのか?」
 「奇跡だよ。新一は俺にとって世界中のどの宝石より綺麗で価値がある。この世界に一つしかない俺だけの宝石だ………。だから、二度とこの手から離さないけどね」

 快斗は新一を安心させるように柔らかく抱きしめる。
 輝く宝石の新一は誰もが手にいれたいと望むだろうけれど、誰にも渡さない。誰にも触れさせない。そう決めている。

 「………」
 「それで、見えないけど内側に新一の誕生石のエメラルドが入れてある」
 「………」

 何も言えず、ただ快斗を見つめ続ける新一の手を取り薬指の指輪に口付けを落とす。

 「ずっと傍にいるよ、離れない………誓うよ」
 「うん、快斗。………今度は俺がお前に贈るよ。受け取ってくれる?」

 幸せそうに微笑みながら小さく頷くと、新一は快斗の指に自分の指を絡めて胸の前にもってきて何もはめていない快斗の薬指に口付けた。

 「新一からもらえるの?嬉しいな」
 「負けないくらい、驚かせてやる!」

 新一は宣言する。
 こんなにも驚かされて、幸せをもらったら、同じだけ返したい。

 「楽しみだな」
 「待ってろ!」

 そして、顔を見合わせて笑いあう。
 笑顔の二人はどこまでも幸せに満ちている。誰にもこの幸せは壊せないだろう。

 「帰ろうか」
 「うん、この後どうする?」
 「新一、送っていくよ。どこかで食事でもする?」
 「そうだな。そうしようか」
 「決まりだ」

 快斗は新一から贈られた純白の薔薇の花束だけを持つと、新一の肩に手を回して、行こうと促す。新一はそれに身を任せ、二人は楽屋を出てホテル内の廊下を歩いて地下にある駐車場まで移動した。

 そっと添えられる手に手を重ねて。
 




 「………その時に、撮られたのね?」
 「多分………」

 (どこをどう聞いてものろけにしか聞こえないわね………)

 志保は一度大きく吐息を付いた。
 幸せそうで何よりだけれど………。

 「この間から薬指にしてる銀色の指輪が、話に出てきたものなのね?もっと早く教えてくれればいいのに………」
 「だって、照れくさいじゃないか………」

 新一は可愛らしく頬を染めて、俯く。
 一緒に生活している家族であるから、新一が指輪をしていることを志保はもちろん気付いていた。もらう相手も快斗以外いないから、誰から?などと疑うこともないし。聞くだけ野暮ってものだろう………。
 けれど、そこまでロマンチックに「約束」している代物だとは。

 (よりにもよって、レッド・ベリルを贈るの?)
 
 例えばこれが普通の恋人同士なら、誕生石やダイヤモンドが妥当かもしれない。
 そうでなくても、サファイア、ルビー、エメラルドなどの貴石もメジャーかもしれない。
 しかし、稀少さから言えば、ぴか一。レアストーンの中でも格別に綺麗な宝石。

 (少女趣味を地でいってるわね、この二人)

 やってくれることが面白すぎるわ。見ていて飽きない。
 しみじみと志保は思った。





 


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