愛の劇場 「華の嵐」3




「俺と、来てよ」
「快斗?」
 底の見えない目で、切羽詰ったような声で快斗がいた。
 新一の前に立っていた。
 この屋敷に堂々といる快斗。新一は現実が信じられなかった。

 (これは、どういうことなのだろうか?)

 最近様子のおかしかったキッド。新一がどれだけ問い詰めても口を決して割らなかった。 今まで新一に隠し事なんてしたことがなかったのに‥‥。それが悲しくて悔しくてやり切れなかった。
 それでも、後で必ず話してくれると言った言葉を信じた。
 待っていて下さいと言うなら、どれだけでも待とうと決めた。
 けれど。
 それは、快斗のことだったのか?
 でも、なぜ。
 キッドは教えてくれなかったのだろうか。
 同じ顔をした男達に何があったのか新一は知らない。それでも、どこか疑っていたことがある。血の繋がりなくして、これほどの相似点はありえない。新一が見間違えるほど似た容姿を持つ男達。
 目の前が晴れていく恐怖。
 新一は恐怖で振るえる身体を叱咤した。
「どういうことなんだ、これは。‥‥快斗?」
 喉から搾り出した声はどうにか快斗に届いた。
「どういうも何も」
 動揺を隠すように白い顔から表情を消す新一は、こんな時だというのにやたらと綺麗だった。それは、まるで獣の前に無防備に白い首を晒す獲物のようで、快斗はおかしそうに笑う。
「俺は、キッドと双子だっただけだ。これだけ似ているんだから、当然だろ?新一はそう思わない?」
「‥‥」
 なんと答えて言いか新一は迷う。
「だから、これからは俺がキッドの立場に成り代わる。その権利が俺にはあるから。俺が俺の権利を取り戻すだけだ。何の問題もないだろ?」
「快斗?」
 快斗が何をいっているのか、わからなかった。
 新一が知る快斗はこんな傲慢な台詞は言わなかった。暖かくて朗らかで一緒にいると暖かい気持ちになる人間だった。得意の手品で新一を笑わせてくれた彼は、誰にでも笑顔をもたらす稀有なる存在だった。
 それなのに。
 こんな、こんな、欲望に満ちた底光りする目はしていなかった。
 何が彼を変えたのか。新一は快斗の禍々しい目にぞっとする。
「新一‥‥」
 快斗が新一に一歩近づいた。新一は後ずさる。その新一の怯えたような態度が気にいらなかったのか、快斗は一気に新一に近づき身体を寄せた。そして、新一の細い腕を引いて己の胸に抱こうとするが新一は抵抗した。
「嫌だっ」
「新一!」
「離せ‥‥っ」
 新一は身をよじる。
「許さない!これ以上、俺から離れるなんて‥‥」
 きっぱりと拒絶する新一に快斗は怒りを露にする。そして、自分から離れようと抵抗する手を片手で掴み、もう片方は腰に回して力の限り抱きしめた。
「快斗‥‥!」
 嫌だ、と首を振り髪を乱す新一に、快斗の理性が切れる。
「い、嫌っ‥快斗!」
 絨毯の上に押し倒されて、身体をまさぐられながら首筋に感じる快斗の唇。濡れた感触が薄い肌を伝い、熱い息が耳にかかる。新一は暴れた。無我夢中で。
 こんな、快斗は嫌だった。
 怖いと思った。
 キッドを裏切る気もなかった。
 何より、変わってしまった快斗が悲しかった。
「嫌、だっ。やめて、快斗。快斗っ。‥‥‥‥キッドッ」
 キッドを呼んだことが一層欲望を煽ったのか、快斗は新一のシャツを引き裂いた。布地の破れる悲鳴のような音が耳に届いて、自分の心まで引き裂かれた気がした。
 新一の瞳から涙がこぼれる。
 なぜ?
 どうして?
 渦巻く心に見たこともない嵐が吹き荒れた。

 ガターンッ!

 衝撃の鈍い音が響くと、自分に覆いかぶさっていた体重と圧迫感が消えた。目を開けるけれど、涙で滲んでよく見えなかった。
 瞬いて、涙がこぼれて。見えてきた光景は、キッドが快斗を殴っている場面だった。
「やめっ‥‥、やめろっ!!!!!」
 新一は心の限り叫んだ。
 
 (誰か、止めて‥‥!)
 
 祈る気持ちで。天に叫ぶ。
 その心が通じたのか、二人が新一を見た。快斗は殴られながらも新一に拒絶されながらも、諦めないで新一へ手を伸ばす。それを止めるようにキッドが快斗に掴みかかる。
 目前で取っ組み合う二人を止めたいのに、身体が振るえて動かない。新一は嫌だ、と気弱に小さく首を振る。
 目の前が真っ暗になる気がした。
 
 (自分がいるせいで‥‥?兄弟が憎しみあうのか?)
 
 心が出した否定しようがない答えに、絶望感が襲う。
「やめろっ‥‥」
 呟く声は二人には届かない。
 新一はふらりと後ずさって。
 何かに突き動かされるように、部屋の両開きの窓まで走りレースのカーテンを開けた。新一の部屋の窓は陽光が入り込むようにとキッドが作らせた大きなガラス窓だ。まぶしく差し込む光の中乱暴に窓を開けると二人の見ている前で窓枠に足をかけて、新一は身体を伸び上がらせた。
 今にも落ちそうな瞬間、新一は振り向いた。
 綺麗な蒼い瞳に涙をためていて、一滴スローモーションのように流れた。
「ごめん」
 寂しそうに微笑んで、新一は飛び降りた。
「新一‥‥!!!」
「新一?駄目だ‥‥!!!」
 我を失うほど叫んだ男達の絶叫がこだました。


***


「キッド?快斗?早く来いよ」
 新一が二人を急かす。
 先に駆け出そうとする新一をキッドも快斗も後ろから見守っていた。
「新一、走ったら駄目だよ。まだ全快じゃないんだから」
「もう、平気だって。事故の後遺症もほとんどないってお医者さまからも言われてるんだから」
 ほら、と手を広げてどこも悪くないと新一は意思表示をする。
「そうだけどね、用心に越した来ないないだろ?」
 快斗は苦笑しながら新一の傍まで歩いてゆく。そして、上着のボタンをきっちりと一番上まで留めた。それを新一は唇を尖らして見つめる。
「快斗の言うとおりですよ。後遺症がないとはいえ、半年も意識がなかったんですから。お医者様の言うことはしっかりと聞かないといけませんよ。無茶はしてはいけないといわれているでしょう?」
 キッドが快斗の後からやってきて新一の背後に回る。
「だって‥‥」
「だって、何ですか?」
 新一の顔を後ろから覗き込みながら、細い背中へ白いロングコートをかけた。その自然な仕草に新一は小さくため息を付く。
「‥‥過保護過ぎだ、キッド」
「そんなことありませんよ。新一の体調を考えたら当然のことです。ほら、やっぱり冷えていた」
 ついでのように首にマフラーを巻いて結び、冷えている黒髪に口付けた。
「‥‥」
 新一は照れたように微笑んで、ありがとうと早口で呟く。
 そして、完璧な防寒を施された身体を自分で見下ろして、うんと満足そうに頷くと顔を上げて双子の男達を見上げた。
「帰ろう」
 半年前に事故に巻き込まれてずっと寝ていたらしい自分は全ての記憶を失った。何もわからない新一に同じ顔をした男達、キッドと快斗が自分達がいるから何も心配ないと言ってくれた。
 とても、ほっとした。安堵した。
 知らないのに、なぜだか信用できる人たち。そして、その笑顔が好きだ。
 心配そうに病院でもずっと付いていてくれて、やっと今日退院して家へ帰ることができるのだ。嬉しくないはずがない。
「早く!」
 新一は嬉しそうな微笑を浮かべた。
 その微笑を見た二人の同じ顔をした男達は眩しそうに目を眇めると、頷いて自分達も新一に微笑み返した。





 あの日から、新一が再び目を開けたのは半年後のことだ。
 生死の境をさ迷った新一は、しかし何もかも忘れていた。
 辛いことは全て記憶から失くして。
 快斗のことも、キッドのことも覚えていない新一に、二人は事実を何も言わなかった。
 ここから、新たに初めればいいと腹をくくった。
 新一は事故にあったと思っている。怪我をして入院しずっと意識がなくその事故のせいで記憶がないのだろうと伝えた。

 今度選ぶのがどちらでも、もう構わなかった。
 ただ、新一が生きて、その目で見てくれるだけで良かった。

 だから。
 一生。記憶が戻らなくてもいい。
 彼の幸せをずっと見守っている。多分、今度は二人で。




                                                 END






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