「邂逅」4



 部屋は最上階にあるスイートルームだった。
 一人で泊まるにしては少々広すぎはしないかと新一には感じた。

 「珈琲でも入れるから座ってて」

 スイートくらいでは驚かない所詮おぼっちゃま育ちである新一は全く気後れもせず、言われるままにリビングの中央にあるソファに腰を下ろした。窓からは街の明かりが星のように輝く景色が広がる。遠くに見える月の輝きは皓々と照らす。

 「はい」

 声に振り向くと湯気を立てるカップをテーブルに置いて、黒羽快斗が立っていた。白い魔術師はもういなかった。姿も白いシャツにズボンというカジュアルな出で立ちで………。

 「快斗?」
 「うん」
 「何で?」

 新一の問う「何」はあらゆるものを含んでる。でも、きっと、一番知りたいことは一つ。

 「新一に知って欲しかったから」
 「どうして?」
 「新一が探偵として活躍していることはずっと知ってた。俺がKIDになって、だから逢いに行けなかったけど。そんな時、俺は探偵の新一に出逢ったんだ。嬉しかったけど、絶対に言えなかった。どんなことを言っても犯罪者には変わりがないし、新一は「探偵」としての約束を叶えているのに、俺はマジシャンには成れていなかった。だから、快斗として出逢う時はマジシャンに成った時って決めていたんだ………」

 新一は黙って快斗の話を聞いている。
 真剣に瞳を見つめて一言も聞き逃さないように。
 だから、快斗も勇気を持って続ける。

 「アメリカで修行も兼ねて活動して、やっとマジシャンとして認められた。これで新一に会いに行けると思った。だから、優作さんにもお願いしたんだ。でも、だからといってKIDであることを隠したままではいられなかった。新一には真実を知っていて欲しかった。自分の口から伝えたかったんだ。だって、いつか新一は真実を見つけてしまうだろ?」
 「窃盗は管轄外だ。だから通常俺が関わることはなかったと思う。KIDに会う確率なんて、今後どれだけもなかったんじゃないか?」
 「それでも、新一は見つけるだろう。だって、「快斗」に逢ったんだから。「快斗」を知っていて、KIDに逢えば、わかるよ」
 「そうか………。お前がそう思うんなら、そうなんだろう」
 「俺はKIDだ。新一はどうする?」
 「………別に。どうもしない」
 「それでいいのか?」
 「俺は謎に興味がある。真実を知りたいと思う。でも、犯罪者を狩る趣味もなければ義務もない、それは警察の仕事だ。俺は探偵なんだから。それ以上でもそれ以下でもない。違うか?快斗」
 「新一………」
 「何て顔してる?」

 ふん、と新一は笑う。快斗は安堵の混じった苦笑を浮かべて、次の瞬間嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。

 「新一に真実を知って欲しかった理由がある。今の俺だからやっと心から言える。一緒にアメリカに行こう」

 新一は瞳を見開き無言で快斗を見つめた。

 「一緒に、居たいんだ」
 「快斗………」

 困ったような顔で瞳を揺らす。新一の心情を余すことなく伝える蒼い瞳。
 とても綺麗で、魅力的。どんな些細な事でも見過ごすことなく見つめて、見通して、見透かす真実。同じものを見ても、彼の瞳にはどのような風景が映るのか、どんな世界が映るのか不思議で、ついついその瞳を覗きたくなってしまう。

 その彼の気持ちが雄弁に語る蒼い宝石のような瞳。誰にでもわかるという訳ではないのだろうが、彼を大切にしている人間からすれば一目瞭然である。
 どう伝えていいか答えていいか困惑している。
 優しいから、人を傷つけることを何より嫌いだから、快斗の言葉に真剣に返そうとしているのだ。

 「優作さんに言われたからじゃないんだ。それは本当は口実。俺が新一と一緒に居たいから、だから誘ったんだ」
 「快斗…」
 「俺はね、新一が好き。初めて逢った時から恋してた」

 潤んだ瞳で新一は快斗を見上げた。何かいいかけて、口を開くが言葉にならない。
 そんな新一を優しげに見つめて快斗は新一の頬に手を伸ばす。羽のようにそっと触れて、ゆっくり首筋に降ろす。

 「新一は、俺のこと嫌い?」

 新一は首を横に振る。
 嫌いなんてあるわけがないのだ。そんなこと、思ってもいないくせに、聞くなんてずるいと思う。

 「じゃ、好き?」

 好き?
 そんなこと俺が聞きたい。

 再会できて、とても嬉しく………。快斗の顔を見れて、幸せで。
 逢ったのなんてたったの1回なのに、どうしてこんなに安心できるのか不思議だった。
 子供の頃の記憶の快斗と現在の快斗の間にある隔たりを感じないのは、なぜ?
 大人になった快斗がどこか懐かしくて、既視感に襲われたのはどうして?
 何となく、わかって来た気持ち。

 ひょっとして、KIDに出逢っていたから?快斗だと知らなかったけれど、その存在にすでに出逢っていたからなのだろうか?
 KIDは決して嫌いではなかった。
 ただの愉快犯ではないと気付いていたし、頭の回転のいい人間だとわかっていたし、彼の作る暗号を解くのはとても楽しかった。そう、数度対峙した時の高揚感は忘れられない。

 「新一?」

 これは、どんな気持ちなの?
 「好き」なの?

 呆然と快斗を見つめ続ける新一に、快斗は首を傾げる。

 考え込んでいるらしいことがわかってしまう。告白している最中に自分の思考の中に入っていってしまうなんて新一らしいと思う。返事が欲しい自分には少々恨めしいが………。

 くすりと笑むと、快斗は「新一」と耳元に唇を寄せて囁く。
 びくり反応してやっと快斗を認識してくれたので、そのまま唇に軽く触れるだけの口付けをする。

 「好きだよ」

 そして唖然として固まっている新一に気を良くすると、もう一度唇を寄せた。
 啄むように、柔らかく、優しく、甘い愛の行為。

 「快斗………!!!」

 真っ赤に頬と首筋を染めて、抗議の声を上げた。
 それが可愛くて、益々華奢な身体を抱きしめた。ぎゅっと離さないように、それでも壊さないように細心の注意をして腕に力を込める。

 「ね、3日後に、またアメリカなんだ。その時までに返事を聞かせて?」

 ついでだから、と渡された「クイーン・オフ・ナイト」は無事に加賀谷の元に届けた。何やら言いたそうな顔で、でもどう言っていいのか、聞いていいたのか困惑の瞳を向けてきたが、新一は気づかない振りをした。無言の拒絶を感じたのか、「貴方が無事で良かった」と言うだけだった。





 好きだという感情はどこから来るのか?
 それが自分の中にあると気付いた時、恋は始まるの?
 それとも、その気持ちが芽生えた時から、すでに始まっていたの?
 一緒に居たいと思ったら、恋?
 出会えて良かったと思えたら、恋?

 亡くしていた、探していた破片を見つけた時のような安心感と幸福感。自分を救ってくれる唯一の存在は、貴方なの?
 判断する気持ちは自分自身しかありえないけど、それがあっているなんて誰にも、自分にもわかりっこない。
 だったらどうしたらいい?
 好きって認めたたらいいの?
 らしくなく、ぐるぐると悩んでしまう。 

 どうやら、隣家の少女にも心配をかけているようだ。瞳で何かあったの?と聞いてくる。
 だからといって、こんな相談できやしないと思う。
 恋愛相談………。
 まさか自分が「好き」ってどんな気持ちなのかと、問う日が来ようとは夢にも思わなかった。

 「工藤君?」

 ちょうど、頼んでいた資料を届けに来たついでよと、玄関で話していたら健康診断にいらっしゃいと隣家連れて行かれてしまった。お茶を入れられて、ソファに座るがどうも居心地が悪い。

 「何があったかなんて、聞かないけれど寝不足ですって顔をしてるのは止めなさい。悩むなら、体調だけは気を付けて、しっかり睡眠取って、いくらでも苦悩してちょうだい」

 そんな慰めなのか、よくわからない台詞で心配を覗かせない志保は新一の隣に居てくれる。運命共同体。そんな陳腐な言葉では言い表せないくらい大切な少女だ。

 「ありがとう」

 だから新一も素直に感謝を述べる。
 彼女に取り繕っても無意味だ。

 悩むなんてばからしいと思えてくるから不思議である。
 己は所詮自分のしたいことしかできない。
 自分に必要な人間しかいらない、利己的で排他的な人間なのだから。
 一度でも、親しい人間を危険に晒せてしまったら二度と同じ過ちはできない。これ以上他人を自分の中に入れることなどできない。

 でも、例外があるとしたら、それは必然だろ?

 志保は先ほどより少しだけ雰囲気の変わった新一に気づいて、微笑した。
 見守る姿は、母か姉のように穏やかで優しいものだった。





 その、人の多さも行き交う空気も独特な雰囲気がある。
 出会いと別れが同時にある場所。
 空港である。
 探す必要のない、どこにいても目立つ気配を纏った青年が居た。

 「快斗」

 新一は長身で端正な顔と優美な指先を持つ稀代の奇術師ににっこりと微笑んだ。

 「新一」

 快斗は返事を聞かせてくれるために、来てくれたたことがわかり嬉しくなる。
 一方的に、返事が聞きたいと言っただけで、無視されても何も言えなかったのえだから。
 新一は快斗の目の前に立つと、迷いのない瞳で見上げた。見惚れるほどの蒼い澄んだ瞳だ。

 「俺、アメリカへは行かない。逢いたくなったら会いに来い」

 新一は高慢に言い放つ。
 彼にしか許されない、ひどく傲慢で尊大な台詞。
 そして、極めつけに花のように微笑んだ。その笑顔は透明で美しく、花のように艶やかで圧倒的な「美」であった。
 そして、快斗の胸を打った。
 己にとって、何者にも代え難い至上の宝石。
 ああ、囚われている、この存在に。
 自ら進んで囚われる、哀れで愚かな人間だ。それでも、不幸だなんて思えない。側に居られれば、とても幸せ。

 「参ったな………」

 快斗は苦笑を浮かべる。

 「快斗!」

 新一はそんな様子を面白そうに見ていたが名前を呼ぶと、自分より背の高い快斗に伸び上がるようにして首に片手をかけて体重を支えると、耳元に唇を寄せる。

 「好き」

 小さな声だったけれど、確かに聞こえた。

 「え?」

 快斗はぽかんと滅多にみられないだろう驚愕で瞳を見開いて止まっている。
 それに満足したように新一は満面の笑顔を見せた。

 「了解。逢いに来るよ、すぐに」

 快斗はやられたなと思いながら、それでも幸せそうに微笑んだ。

 「ああ、待ってる」

 新一の答えは快斗の心を「幸福」で満たしてくれる。

 「待ってて」

 ね、本当にすぐに逢いに来るよ。
 一緒に来てはくれないと君は言うけど、逢いに来ても良い許しをもらったのだから。それで、我慢なんてできるはずない。
 もっと話したいけれど、そろそろ出発時刻のようで、アナウンスが入っている。

 「それじゃあ、行って来ます」

 新一に快斗は手を振った。

 「ああ、気を付けて」
 「はい」


 ここに帰って来るね。
 貴方のいる場所が、私のいる場所だから。
 だから、待っていて。
 どこにも、行かないで。


                                                      END




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