「すみません、ここで待っていてもらえますか?」 コナンは自分に付いている護衛の人物に声をかけた。いい加減慣れた。 狙われている自覚があるから今まではどこにも寄らずに真っ直ぐ帰っていたが、今日ばかりはそうもいかない。 赤井秀一とそろそろ落ち合わければならないのだ。 いつものスタンド・コーヒーで待ち合わせているため、それより少し離れた場所で待機していて欲しい。 「わかりました。お気をつけて」 優雅に一礼して男がスタンド・コーヒーから少し離れた場所まで歩いていく。それでも、店がよく見える位置だ。 優秀な人材だ。さすが白馬家の護衛だよな。その筋では有名なシークレット・サービスを持つ白馬の力をしみじみと感じ入る。 コナンはスカートを翻して、店内に入る。珈琲を頼むが、その間も視線が飛んでくる。目立たないというのは無理だ。女装してなどあいたくない相手だが、仕方ない。 いつもの珈琲を頼み大きな集合テーブルに腰を下ろす。 冷たい珈琲をすすると吐息が漏れる。いい加減、護衛付きの生活も面倒だ。仕方ないとはいえ、精神的に苦痛だ。基本的にコナンは一人でいることが好きだ。家族は論外だが、人が側にいると集中できなくて不快なのだ。 「よう」 秀一が隣にどすんと座る。小さな声で他人には悟らせない。そのくらいの配慮はある男だ。口にタバコを咥えているが、火は付いてないため独特の香りはしないし、煙も上がっていない。 「すげー格好だな。似合うぜ」 喉の奥で笑い、秀一が目を細めた。 「うるさい」 「面倒なことになってるらしいな。それにしてもドイルが美少女で兄貴が美女だろ。生まれるの間違えたんじぇねえのか?」 「帰る」 コナンは立ち上がる。 「待てよ」 秀一はあわてて止めた。揶揄うのも命がけだ。この場合、自分が切り捨てられる可能性が高いのだ。 「悪かったって。その格好だと目立つぞ」 「……ふん」 コナンはすとんと腰を落とし足を組む。短いスカートから白く細い足が露になり店の客から視線が集中する。 「今更だが、他人の目を気にした方がいい」 秀一がそう余計な事を言ってしまうのも、コナンが無防備だからだ。頭脳は優秀で顔は天使、性質は悪魔というコナンだが、時々ふと警戒心が薄れる。常日頃当たり前にある視線だからなのか、今の姿でも同じように感じている節がある。大問題だった。 「……それで」 秀一の滅多にない忠告を流しコナンは先を促した。早くしろという無言のプレッシャーがかかる。 「これだ」 秀一はポケットからメモリを取り出しそっとテーブルを滑らせる。その間コナンは見ない。 「分析を早急に」 コナンはメモリを受け取ってすぐに自分の胸ポケットに納める。そして、唇に指で触れて考える表情を浮かべると、にやっと笑った。 「今、ここで痴漢だって騒げば、おまえは捕まるな」 「……はあ?」 なにを言い出すのかと秀一は慌てた。笑みが悪魔的で嫌な予感しかしない。 美少女のコナンに痴漢と言われたら、即刻通報されるだろう。誰もが自分を疑いコナンの言うことを信じる。第一相手は中学生。別の法律にまで引っかかる。ウイルスなんて生やさしい。 秀一は背中に冷や汗が流れた。 「さすがに、僕も情けある。使える人間を今捨てる気もない。でも、ちょうど今腹立たしい気分なんだ。うっかり口が滑ることもあるかもな」 にっこりと愛らしく微笑む姿は麗しいかもしれないが、言っている台詞は真っ黒で、悪魔さながらだった。 「ほんと、悪かった。謝るから」 弁明にも力入る。やると言ったら絶対に実行に移す。 コナンは秀一のいつにない真剣さが滲んだ瞳を見やって、悪戯が成功したかのよう邪気なく笑うと立ち上がった。そしてスカートを翻して颯爽と去っていった。 その後ろ姿を見つめ、ひとまず危機は去ったようだと秀一は理解した。 本当に、揶揄うのは命掛けだ。 コナンが店から出てくると、男が一礼してから離れて付いてくる。 余計なことは言わないで、対象者を守る。それに視線がイヤではないのは貴重なことだ……誰かがずっと付いているという精神的苦痛とは別に……とコナンは思いながら帰途に付いた。 「それで?」 園子の冷ややかな声音に快斗と白馬も眉をよせ顔を歪ませた。 「結構、焦っているみたいだ。今日は突撃しようとしたから護衛が邪魔して追い返した。それに新一は気付いていないから、安心して」 安心してと言いながら、快斗の顔も苦い。 「コナン君の方がですが、三日前に記者が迫って来たので、すぐに護衛が立ちふさがって、ある程度の反撃をしたそうです。コナン君は車で帰宅させたという報告です。カメラを持っていたようで、データは奪ってきて中身を確認したところ、コナン君の制服姿のものが2枚写っていたそうです。これ、データのコピーです。始末をどうするか決めて下さい」 白馬は園子の前にメモリを滑らせた。 「データがあったの?それだと、もっとあるかもしれないわね」 2枚出てきたなら、もっとあっても不思議ではない。そして、撮られた画像は雑誌に使われる可能性がある。たとえ、それが女の子にしか見えなくても。それを信じるかどうかは読者次第。 「その可能性はほぼありません。記者二人にも人を付けていて行動を見張っていますから。二人に接近すればわかります。望遠で写真を撮ろうしてもわかりますし。今回コナン君に近付いてしまったのは、彼が出かけて、希望で離れて後を歩いていたからで、記者の方の付いている人間もわからないように間を開けていて。ちょうど隙間が出来てしまいました。今後こんな事には二度としません」 二人の護衛を万全で挑むため白馬はいろいろ策を高じていた。 「そう。往生際が悪いわね。あと数日だからこそ、やり方を選んでいなくて面倒ね」 頬杖を付きその上に顎を乗せ、園子はちらりと視線を快斗と白馬にやる。女王どころか女帝か?という為政者の目つきだった。 「どんなことをしても守るけれど、出来るならあと数日は行きも帰りも車で移動して欲しいですね」 白馬が真摯に要請する。守られる側に協力してもらえば、完璧に近くなるのが護衛だ。 「もちろん。そうするわ。家族の誰も出掛けない。工藤邸であれば、セリュリティがあるから安全だもの」 工藤邸は両親が生きていた頃資産家の家として栄えていたから、当然セキュリティが万全だった。今でもそれは引き継がれ、主にコナンの協力の元作動している。 「では、あと数日は工藤邸の周りの護衛も力を入れておきます」 「ええ。お願いするわ。黒羽君、新一君のフォローよろしくね。視線には慣れているけど、護衛に囲まれ視線に晒されるのは精神的に堪えるんだから」 「了解。任せて」 快斗は両手をあげて請け負った。 ご護衛されているという感覚を悟らせることなく新一が過ごせるように。 「じゃあ、あと数日。頼むわ」 「はい」 「もちろん」 快斗と白馬は意志を込めて頷いた。 やっと諦めたらしい、との連絡が来たのはその日の午後だった。 「コナン、折角だから約束通り出かけようか」 「うん、兄さん」 やっと自由に出かけられることになり新一は嬉しくてコナンを誘った。女装していることは棚に上げている。いい加減なれているともいうが。 「何にしようか」 「そうだあ。あの三人なら役立つもの?可愛い感じで」 「ああ。ただ飾るものなんて必要を感じないないもんな。特に園子……」 今回のモデルで収入があるのは、家族の協力のおかげだから女性陣にプレゼントをしようと二人で決めていた。だから、いい機会だと二人で買い物に来た。そうでないと、なかなか二人そろって街まで行けないからだ。 「雑貨店でも見ようか」 「三人お揃いの方がいいよなー。やっぱり」 「好きだからね」 園子と蘭は女二人で双子だ。そして哀を足すと、趣味というのは統一できないから、迷うが、同じものの方が絶対に喜ぶ。 二人が店のウィンドウを眺めながら街中を歩いていると。 「あの」 一人の男性が二人の前に立ちはだかった。 仕立ての良さそうな背広姿で端正な顔立ちの男性は、年の頃二十代後半だろうか。用心していた人種ではないが、どうしたことかと新一とコナンは首を傾げる。制服姿の美少女達は大変絵になった。人目も集めている。声も掛けられず皆が遠めに彼女達を見ていた。そこへ男が現れたせいで、一気に視線が集中した。 「私と結婚して下さい!」 男はいきなりそれだけ言って後ろ手に持っていた薔薇の花束を新一に差し出した。 「……え」 「……」 新一は驚きすぎて二の句が継げない。コナンは厄介なと心中で思い、どうしようかと一瞬迷う。そして、背後に向かって「立科さん」と呼んだ。すると男が姿を現す。コナンの護衛に以前から付いている男だ。いくら三流記者が諦めたとはいえ、さすがに美少女として出かけている今日も姿を隠して護衛をしていた事をコナンは知っていた。彼の気配に慣れているからだ。ある時から名前も聞いていた。 「ひとまず、どこか話ができる場所へ」 「かしこまりました」 立科は新一の横まで来て、プロポーズした男に移動しますと丁寧に諭し、近くに待たせていた車に乗せた。何かあった時のために、車も用意されている。もちろん、立科だけではなく運転手もいる。 一行は、街から少し離れた場所にある静かな佇まいの店に着いた。そして、立科はこちらにどうぞと皆を促した。 「先ほどはいきなりすみません」 腰を下ろした途端、男は新一に頭を下げて謝った。 「私は武田義正と言います。27歳で今は父親の会社で働いています。歳が離れていることはわかっていますが、この間あなたに一目惚れしてしまったのです。どうか、高校を卒業したら結婚して頂けませんか?」 武田は真摯にもう一度プロポーズした。 「すみません!」 新一はぺこりと謝った。そして真実を告白した。 「俺、今、事情があってこんな姿だけど、男なんです!誤解させてすみません!」 「………………ええ?」 武田は目を見開いて戦いた。信じられないと新一をただ真っ直ぐに見る。 見つめ合う二人にコナンが口を挟んだ。 「武田さん?大丈夫ですか?信じられないかもしれませんが、本当です。僕の兄なんですよ」 「…………兄?」 「はい。それから、僕もこんな姿ですが弟ですので、誤解ないように」 コナンはにっこりと微笑んでトドメを刺した。 「…………弟?兄?」 信じられない者を見る目で武田は新一とコナンを交互に見やった。そしてじわじわと実感したのか、がくりと肩を落とす。落ち込んだ様子の武田にコナンは一応事情を説明する。 「少しある人物に付きまとわれていたので、兄と僕はこうして変装していたんです。決して趣味でこんな姿をしている訳ではありません。ああ、今日でそれも終わりですけど。ねえ、兄さん」 「ああ。今日で片が付いたから。元に戻れる」 新一はコナンに同意して、改めて武田に視線を合わせた。 「事情は詳しく話せませんが、理由があってこういう格好でいました。ですから、申し訳ありませんが、お断りさせて下さい」 「……はい。こちらこそ、すみませんでした」 武田は再び頭を深く下げた。 ああ、男だからという理由で諦めてくれて本当によかった。コナンは胸中でそう思いつつ、口には出さない。性別なんて関係なく兄である新一を好きな人間が確実にいるのだから。 今回の男は簡単だ。男だと対象外などと思いこんでくれるのだから。 「兄さん。そろそろ行こう」 「ああ。それでは、失礼します」 二人は立ち上がる。そして、店外へ出た。 「武田さま。ご都合のよろしい所までお送りしましょうか」 項垂れる武田に立科が伺うと、武田は首を横に力無く振った。 「タクシーでも捕まえますので、ご心配なく。しばらくこうしていたいのです」 「そうですか。それでは、そう店の方に申しておきます。一声かけてもらえれば、店員が来ますので飲み物でもどうぞ」 一礼して立科が告げると武田は頷いた。 店から出て待っている車の前でやってきた。車中では運転手が待機している。「中へどうぞ」と声をかけられるが、 「兄さん、ちょっと待っていて。忘れものしたから」 コナンが遮り、そう言って走って店に戻った。 店内には武田がいる。コナンが店内へと戻ると退出しようとしていた立科と目が合い、コナンはにやりと笑った。そして、つかつかと武田の側まで歩き顔を覗き込む。 「武田さん。あなたは常識のある方だとお見受けしますが、金輪際兄に近づかないで下さいね。もし、付きまとったらあなただけではなく家族すべて破滅させますよ。これはただの脅しではありません。事実ですから」 美しく笑う姿は天使のようだが、中身は悪魔の如く凶悪だった。 武田の全身がぶるりと震える。身体中が総毛だって心臓が波打つ。 これは、自分が出会ったことのない人種だ。逆らったらどうなるか考えるだけで恐ろしい。美少女の姿をした悪魔だった。 「行きましょう。立科さん」 怯えた表情を浮かべる武田を満足そうに眺め、コナンは立科を促した。 「はい」 コナンに立科は付き従う。 「このままお送りしてよろしいでしょうか?」 用事があったからこそ、二人で出かけたと立科は知っている。 「いいよ。真っ直ぐに帰った方がいい。兄さんがあれじゃあ、虫が寄ってくるだけだ」 「確かに、これ以上の害虫は必要ありませんね」 「そうそう。白馬さんだってそう思うよ。今日は本当に感謝だな。ありがとう立科さん」 コナンは改めてお礼を言った。先日から使える護衛である立科を気に入っているし、それを護衛につけてくれた白馬にも感謝している。 「いいえ。コナンさまの護衛は有意義です。護衛冥利に尽きますよ」 「もちろん、誉めているんだよね?」 「当然です」 立科が穏やかな表情で笑う。彼にしては対象者にこれほど感情を表すのは珍しい。軽口を叩いたり、笑ったり、常に平常心を心がけているSSにはあり得ない。もちろん対象者を安心させるために、あえて話したり笑ったりして心をほぐすこともするが、自発的なものは大変稀だ。 「では、このまま早急に安全にお送りします。どうぞ」 立科はドアを開けて手で支え、コナンを促す。コナンはうんと軽く頷く急ぎ足で新一が待っている車の前まで移動した。 「ごめん。待たせた」 「そんなに待ってないぞ。忘れものはいいのか?」 「うん。あったよ。ほら」 コナンはキーホルダーをひらひら振った。その先には銀色の鍵が鈍く輝く。 「よかったな、あって」 新一が安堵してコナンの頭をくしゃりと撫でる。それの優しい手を笑みを浮かべて受け取ってからコナンは立科が開けて待っている後部座席へ新一を促す。 「ほら。今日はもう帰ろう」 「……そうだな。また今度にしよう」 新一が納得したため、結局買い物は延期して帰途に付いた。 「ただいま」 「ただいま!」 「おかえりなさい」 新一とコナンが帰宅すると、蘭が朗らかに迎えてくれた。 「疲れたでしょう?お茶にしましょう。美味しいケーキもあるのよ」 二人で出かけるから遅くなると前もって伝えておいたのに、蘭はそんな事をさらりと流して機嫌よく笑う。 「うん。ケーキ?」 「黒羽君からね。白馬君からも届いているよ。ケーキだけじゃなく食材もたくさん!」 蘭の答えは新一の疑問以上だった。 「今日でやっと普通の生活に戻れるからお祝いなのよ。結構長かったでしょ?だから、我が家としては盛大にお祝いするのよ!ご馳走いっぱい作るんだから」 どうりで、新一とコナンが出かけると言った時、折角だから楽しんできてね、と言われたはずだ。そんな計画があるなんて知らなかった。 ちなみに、蘭が早く帰った新一に何も聞かないのはすでにコナンがメールで知らせているからだ。それで、「疲れたでしょう」に繋がる。 「ほら、着替えてきて。お茶の用意して待ってるから」 「ああ」 「うん」 蘭に追い立てるように促されて二人は着替えに階段を上った。 「長い間、お疲れさま!明日からは普通の生活にやっと戻れるわ。ひとまず、新一君とコナンが狙われることはない。まあ、CMは流れているし、しばらく街にはポスターや、旅行代理店にはいろいろ並ぶから万全とは決して言えないけど、今回みたいな悪質なものはないはずよ」 園子が代表して食事の前に乾杯の音頭のように述べた。 東花ルーリストの企画は、大きくCM、街頭ポスター、旅行用パンフレットに実は今回旅行を契約した人に抽選でプレゼントを配るというものがある。その時はプレゼンターをしなくてはならないが、ブレスを呼ばず当選者だけでやるため大丈夫のはずだ。 「もし何かあったらすぐに知らせてね。早めに対処すれば、事態も早く片づし被害は少ないはずよ。協力してもらえるあても増えたしね」 園子はそういってにんまりと口の端をあげて笑った。 黒羽家、白馬家、に加え東花ツーリストの親会社である佐山。どうしてもという事態なら京極家も協力を仰げるだろう。本当ならそれ以外にも実は両親の友人知人がいたりするが、工藤家の兄弟姉妹が危機的状況に陥ったらたぶん手をさしのべてくれるだろう。 「えっと。料理、いっぱい作ったの。食べてね。デザートもあるから。これは白馬君がくれたやつ。美味しいって評判のお店の果肉たっぷりフルーツゼリーよ」 快斗が持ってきたケーキはすでにお茶をした時に完食している。 「では、蘭が作ってくれたご馳走を食べようか?乾杯!」 園子はジュースの入ったコップを掲げた。 「「「「乾杯!」」」」 四人もコップを上に掲げてジュースを煽った。 「美味しいわ」 「うん。蘭姉さん、ありがとう」 「美味しいな」 「ほんとに、美味しいよ!」 それぞれのほめ言葉に蘭も嬉しくなる。食材が豊富で腕を振るう機会は滅多にないが、……常日頃は少ない食費でやりくりしているため、こうやってご馳走を作れると本当にやる気が出る。 「ありがとう。いっぱい食べてね」 蘭が微笑むと家族も笑顔になる。 久しぶりに何の心配もなく、家族で食卓を囲む幸せを皆は感じていた。 |