「F a c e」2




 しばらくして、犯人を囲む人々の中から従業員に付き添われた、スーツを着込んだ男が歩いてきた。若干髪に白いものが混じる眼鏡をかけた壮年の男性だ。男は前に進み出て、犯人を見つめた。

 「私がここの支配人だが、何が目的だ?」

 支配人と名乗った男に、拳銃をもった男はじろりと視線を向けて、はんと鼻で笑った。

 「香川か?何が目的だって………?わからないのか?」
 「………わからないな」

 香川と名前を呼ばれた支配人の男は、それを否定しないことから本当に香川という名前らしかた。そこから犯人が支配人を見知っていることが伺えた。支配人は不審げに目を細める。

 「俺が誰かもわからないのか?お前に騙されて土地財産を無くした男だよ」

 男は薄いサングラスを外して、にやりと顔をゆがませる。

 「………!!!」

 香川は驚愕で瞳を見開いて呆然と男を見た。
 ははははっと男は乾いた笑いを上げた。

 「わかったようだな?」
 「松山か………?」
 「そうだよ。あんたに騙された馬鹿な男だ」
 「………金か?」
 「金だと?金さえ渡せば済むと思ってるのか?おめでたいな。俺の恨みはそんなことでは治まらないぜ?お前のおかげで一家離散だ。今時珍しい事じゃないかもしれないが、結構酷いもんだぜ?」
 「………どうすればいい?」

 香川の言葉に、松山と呼ばれた男は香川を見下した笑いを浮かべる。

 「そうだな。まず土下座してもらおうか?そして、自分が何をしたかここで白状するんだ。これだけの人間の前で自分がどれだけのことをしたのか、人間として最低のことをしたのか、残らず話すんだ………!!!」
 「それは………」
 「できないっていうんなら、一発ずつ打ち込んでやろうか?最初はどこがいい?腕か?足か?」

 松山は香川に拳銃を真っ直ぐに向けて狙いを定める。

 「脅しじゃないぜ?」

 ズガーン!!!!!!
 
 松山は発砲した。弾は香川の足下近くを掠めていった。
 それを見守っていた人々も身体をすくみ上がらせて怯える。一発でも効果としては抜群だろう。
 支配人は土下座するために、床に座り込んだ。ゆっくりと頭を床に付けて、謝る。

 「すまん。悪かった」

 声が微かに震えている。
 しかし、松山は蔑むように香川を見ているだけだ。香川は顔を上げた。

 「なあ、これからだぜ?どうやって俺を騙したのか残らず言え。全てなくしたせいで会社も倒産の憂き目にあった。こいつも共倒れだ。な、宇都宮」
 「………」

 宇都宮と呼ばれたナイフをもった男は何も言わずに目をふせた。

 「じゃあ、じっくりと聞かせてもらおうか、香川支配人」

 松山は新一が邪魔になったのか、おいと仲間の宇都宮を呼んで腕を掴みながら彼に向かって新一を突き飛ばした。宇都宮は新一をがっちりと掴むと首筋にナイフを当てながら「動くなよ」と囁いた。
 松山は座っている香川に一歩近付くと拳銃を彼の頭に当てる。

 「ほら」

 顎をしゃくって話せよと促した。

 「あ………。私は、出資の話をもちかけたんだ。土地や家屋を担保に資金を借りて将来有望な店舗のオーナーにならないかと………」
 「それで?」
 「それで、出資した外資系の店舗は上手くいかなかった」
 「上手くいかなかった、じゃないだろ?初めから上手くいかせる気がなかったはずだ。違うか?」
 「………けれど、商売だけはやってみないとわからないものなんだ!」
 「あんた、絶対大丈夫だと保証したよな?損はさせないって、違うか?」
 「………言った」
 「だよなあ………。言ったよな?それが、どうだ?」

 松山は香川に顔を近づけてそう言うと、お腹を蹴り上げた。がつんと音がして、香川は倒れる。

 「全然、気がすまないな。あんた、本当に悪かったと思ってるのか?」
 「………、お、もってる」

 痛む腹部を押さえながら、絞り出すように香川は口を開く。

 「伝わってこないな………。そうだ、あんたの代わりに一人ずつ殺していこうか?ああ、まず一カ所ずつ刺して行こうか?」
 「やめろっ」

 香川は悲痛な叫び声を上げる。

 「まず、そいつを刺してやろうか?」

 松山は新一の前まで歩きにやりと見下ろした。新一は真っ直ぐに反らすことなくその瞳を見上げた。

 「折角の綺麗な顔なのに、すまねえな………」

 松山は自分のポケットからナイフを取り出し新一の首にナイフの刃を当てて、ゆっくりと撫でた。
 一筋だけ、赤い血が滲んだ。白い肌に血の赤が目に焼き付くように滴った。新一のシャツを赤く染めるが、出血は見た目ほど多くはない。
 新一は声一つ上げなかった。

 「やめてくれ!!!!!何でもする。何でも話すから!!!!!」

 香川の絶叫に、松山は振り向いた。そのゆがんだ瞳を見つめて香川は床に頭をこすりつけた。

 「悪かった。本当に、悪かった!!!!!すまん、許してくれ………」

 こんな姿を見て誰もいい気分などしない。目を背けたくなる。
 謝らせている松山は満足なのだろうか?
 新一がその顔を見ると、こんなの序の口だと思っているのか、僅かに口をゆがませている。
 復讐に心を預けている目をしている。正気とも思えない歪んだ瞳。
 
 (もう、冷静な判断などできないか?説得は無理かもしれないな………。さて、どうするかな?)

 二人いるのが問題だった。
 一人だけなら、隙を付いて自分が蹴り倒して終わりだ。蘭には劣るが蹴りには自信がある。しかし、二人いると、一人は倒せても、もう一人までは一瞬では片づかない。自暴自棄になって拳銃など発砲されては、民間人が危ないし。
 自身の傷などものの数には入れず、新一は忙しく頭を働かせていた。

 ふと、前方目をやると先ほどのマジシャンが近くまで来て腕を組みつつ状況を見守っていた。そして、新一の視線に気付いたのか、新一を見つめて瞳で微笑んだ。
 口元がゆっくりと動く。
 その意味ありげな目線で何かするとわかった。

 「one two three」

 無音で唇で伝わる合図。
 それと同時に拳銃を持っている男に何かかが飛んだ。腕を掠めるのはマジックで使われていたカード。鋭く腕に刺さって拳銃を落とす。がしゃんと床に拳銃の重い音が響く。すかさず、マジシャンは身軽に飛び込んで、松山を蹴り上げる。
 新一はそれを横目で見ながら、自分を拘束している男を一度重心をかけて後ろに伸び上がり油断させて、しゃがむと同時に背負いの要領で投げ飛ばした。ナイフは同時に腕を掴んで離させる。弧を描いて床に沈んだ男の腹に一度足で衝撃を加えて、そのまま乗り上げて後ろ手に拘束する。

 新一がもう一人の方を見ると、マジシャンが松山をロープで縛っている所だった。新一の視線に気付くとどこからかロープを投げてくる。それを受け取って、新一も腕を縛り上げる。
 一瞬の出来事で、犯人達が掴まり支配人もほっとした顔をしていたし、見守っていた人間達も一様に安堵した表情を浮かべ緊張を解いていた。
 しかし、そうは簡単に物事が終わらないのは、事件体質をもつ新一が遭遇したせいだろうか。事態は悪化する。

 「くっそ〜。でも、これで終わったと思うなよ」
 「………そうだ。道連れだ」

 松山は上着のポケットに重心をかけて身体を押しつけた。

 「………何かしたのか?」

 マジシャンがポケットを探ると、携帯電話があるだけだ。新一も覗き込むが、何かのスイッチを入れた形跡がある。

 「ははははっ!!!!これでお終いだ。もう、取り消しは効かない………」
 「何をした?」

 新一は柳眉を潜める。

 「爆発する。お終いだ」
 「どこだ?」
 「どこだろうな?」
 「………」

 松山の煽るような態度に新一は目を眇める。

 「どこだ?言え………!」

 香川は、わなわなと震えながら松山を問いただす。胸ぐらを掴んで揺さぶるが、にやにやと笑うだけだ。そして、何かに気付いたように顔色を変えた。

 「もしかして、今日脅迫状を送ってきたのは、お前らか?」
 「………今頃気付いたのか?遅いなあ。一応、予告してやったんだぜ?」
 「ああ」

 犯人同士は嫌な笑いを浮かべる。

 「支配人、それはどんなものだったのですか?」

 新一は口を挟む。

 「え、ああ、持ってますよ」

 香川は胸ポケットから一枚の封筒を取り出す。それを受け取って新一は、ちらりと目を走らす。


 
    「天罰が下される。
     今日という日の一回りと半分の半分。
     時を刻む定めの尖り帽子。
     水の庭には大人も子供もいっぱい。
     天に真っ直ぐと伸びる柱が終わる時
     二つの神雷が落ちるだろう。           」
 


 「なるほどね。一応、爆破の予告をしていたのですか?」
 「………そうだ」

 松山は頷いた。どうせ、何もできやしないだろうと高をくくっているのか、落ち着いたものだ。

 「それで、爆弾は二つ。………支配人、ここに一番人が集まる所はどこですか?なるべく目立つような。「水の庭」というのがキーワードで、時計とかがある場所ですが………」
 「あります。二つの向かいあったからくり時計が広間に。そこは「アクアリューム」とう名前が付いていまして、1時間毎に噴水が上がるため、ここの目玉になっています」
 「おそらくは、そこですよ。「天に真っ直ぐと伸びる柱」というのが噴水のことでしょう。時間は、もう、それほどないでしょうね。多分午後3時だ」
 「お前、なぜ、そんなことがわかる?」

 犯人の方が新一に言葉に驚く。なぜ、簡単にわかってしまったのか。

 「今日という日の一回り、これで12時まで来ます。そして半分の半分。6時間の半分の3時間。だから、15時です。それに、貴方方のしている時計ですけど、爆弾の爆発時刻にあわせてあるのでしょう?携帯は爆破のスイッチではなく、解除できなくするためのスイッチだった。違いますか?」
 「なぜ?」
 「先ほど掴まっている時、気になったんですよ。二人とも普通の時計ではなくてストップウォッチとかの機能が付いたものでしたし、何かの時刻があわせてあるのか時間が減っていっていましたからね。何かあるのか?と思うのが道理でしょう?」
 「お前………」
 「では、急ぎましょう」

 新一はもう、ここから次へ意識を向けていた。

 「もう、無理だぜ?今から解体できる警察の人間を呼ぶなんて間に合わない!!!!」
 「そうとは決まっていませんよ。支配人、工具をもってきてもらえますか?僕はそのからくり時計まで行きますから!」

 叫ぶ松山に新一はそう言い残すと走り出した。

 「お客さんは安全な場所に避難させておいて下さい。外の方がいいかと思います。いいですね?」

 そして、振り向いて付け加えると新一はもう後を振り返らず走った。すぐに、新一に並んでマジシャンが追い付いてきた。
 ふとその顔を見るが、迷う暇なく二人は急いで走った。
 アクアリューム広場の中央噴水を挟んでからくり時計の塔が向き合っている。高さは10メールくらいあるだろうか?それを見上げながら背後に回り、中に続く階段の扉を見つける。
 新一は片方右側の時計塔に入り階段を登っていった。上まで着き見回した時計の裏側は仕掛けの歯車が回っている。新一は慎重に爆弾を探す。仕掛けの裏側を隈なく見て歯車の裏や角など見落とさないように探す。そして、爆弾を発見した。

 (あった!!!)
 
 新一はからくり時計の表側に開く小さな小窓を開けて顔を出した。そこからは広間が見下ろせる。目の端に香川が走ってくるのが見えた。

 「見つかりました!工具を………!!!!」

 新一が叫ぶと香川は顔を上げて、新一を見つめてきた。

 「わかりました。でも、どうするんですか?」
 「解体します」
 「………!!!!!すぐにもっていきます」

 新一の言葉に驚くがすぐに顔を引き締めて香川は頷いた。ちょうど手に工具の箱をもっているようだ。

 「これから、そちらに登ります」
 「こっちも見つけたぞ!」

 すると向かいの塔の小窓からマジシャンが顔を出して言い放った。

 「見つかったか?」

 同じ目線にあるマジシャンを新一は見返した。

 「ああ。………こっちも、工具を」
 「はい」

 支配人は走り出した。それを見送って、新一はマジシャンと再び目をあわせた。

 (………できるのか?)

 瞳で聞いた。
 解体ができる人間など滅多にいない。それに、全く動揺していない。
 
 (何者だ?ただのマジシャンだなんて誰も信じないぞ………)

 マジシャンは軽く頷きながら微笑んで、顔を引っ込めた。新一は肩をすくめて、自分も中に戻る。今は、疑問に捕らわれている時ではない。
 爆弾の解体に新一は集中しなくてはならない。
 香川が階段を登ってくる音が聞こえた。新一は爆弾をコードが届く範囲で平らな所に置いて冷静に見つめる。種類や型などを観察して、頭の中で解体方法を組み立てて行く。

 「もってきました」
 「ありがとうございます。あちらには?」
 「あっちには他の者が行ってます」
 「そうですか。………もう、いいですよ?避難は進みましたか?」
 「はい。放送をかけて、外に誘導しています。………私はここにいても邪魔になりますね。外で待機していますから、何かあったら呼んで下さい」
 「わかりました」

 新一は頷いた。
 
 一人になった新一は神経を集中する。
 
 パチリ。音を立てながら配線を慎重に切っていく。

 残り時間は25分。表示時間が一刻一刻と減っていく。

 パチリ。
 少し複雑にコードが絡まる。一本でも間違えば、ドカンと吹っ飛ぶ。
 被害は自分一人だけではすまない。
 爆薬の規模はどのくらいだろうか?少なくとも、この時計の塔や広場に被害が及ぶくらいはあるに違いない。そうでなければ、脅しにも報復にもならないのだから。
 ………でも、全く怖くはなかった。
 頭は怖いくらい冴えている。順番も配置も手に取るようにわかり淀みなくペンチで導線を切っていく。

 パチン。
 パチン。
 パチン。

 パッチン………。

 (ふう。どうにかなったか?)

 新一は額に浮かんだ汗を拭う。残り時間は7分ほどになっていた。

 (向こうは、どうだろう………?)

 新一は爆弾の安全をもう一度確認して、向かいの塔に行くことにした。
 急いで、でもなるべく驚かせないように慎重に階段を登り、辿り付いた小さな空間にマジシャンはいた。じっと、配線を睨んでいる。
 一見しただけでかなり進んでいるとわかる。もう、少しで解体が終わる。そのはずであるが………。

 「どうした?」
 「ああ。終わったか?」

 新一がそっと声を掛けるとマジシャンはついと目を上げて新一を見つめた。

 「あっちは終わった。何があった?」
 「ちょっとな。これ、まずいかもしれない」
 「………何が?」

 新一は手元を覗き込む。赤と黒のコードが2本並んでいるのが見えた。

 「どっちを切っていいか全くわからないな。………それに、ひょっとしたら、二つが連動していたのかもしれない」
 「俺が解体したのとか?」
 「そう。もしかしたら、正しく切っても止まらないかもしれない」

 (なんて厄介なものを作るんだ!っていうか計画が中止になったことも考えて設計しやがれ!)
 
 片方が止まったら、もう片方が自動的に解体不可能になるなんて………。新一は内心腹を立てる。もちろんその時新一は知らなかったが、犯人の一人である結構無口な宇都宮は、昔工学の世界に身を置いた結構なプロだった。

 「どこか、爆発してもいい場所あるか?」

 マジシャンは最悪の場合を考えて新一に聞いてきた。

 「………屋外は不味いだろ?避難してる人達がいるし。目の前の噴水じゃ浅すぎるし………そうだ、確か会員制の施設があったはずだろ?ジムがあるなら、プールとかあるんじゃないか?」

 そう、入り口の案内図に書いてあった。新一は表に続く小窓から首をひょっこり出した。

 「支配人!ここ、プールとかありましたよね?」

 下の広場には支配人が控えている。新一が呼ぶと急いで顔を上げた。

 「あります!」
 「どこですか?」
 「5階です。東側がジムのエクセサイズ部分になっていますから、その南側にあります」
 「そこ、すぐに入れますか?」
 「鍵はかかっていませんが?」
 「わかりました。一つ爆弾が厄介で爆発させるかもしれません。そのプール使うかもしれませんから!」
 「はい………!!!」

 新一は支配人との会話を打ち切ると、振り向いた。

 「聞いていたな?プールが5階にある」
 「ああ。切って止まらなかったら、持っていく」

 こくんと頷く新一に、マジシャンは穏やかな表情で目を細める。
 新一が見つめる中で、マジシャンはパチンと一本の配線を切る。
 その時点で爆発も何もしないということは、選択が正しいのだ。しかし、表示された時間は止まらなかった。

 「だめか?」
 「行く………!」

 マジシャンは爆弾をもって走り出した。
 新一も彼を付いて追う。しかし、マジシャンは身軽に階段を飛んだ。爆弾を持っているとは思えない軽やかさで。新一が追い付くの待たず、マジシャンは翔ていく。5階までエレベーターを使った方がいいのだろうが、近くにない。しかたなく、エスカレエーターを駆け上がって行く。懸命に新一は後ろ姿を追う。

 5階のフロアーを抜けて、ガラス張りになっているため中にトレーニング用の機材があるのが見える。その廊下を通り抜けて南側に位置するプールの扉を開く。
 室内プールがある場所は片側の窓から光が当たっていた。深さもそこそこありそうなプールには水がたっぷりと張られていて、光に輝いている。

 ゴゴーン!!!!

 新一がそこに駆け込んだ時、水しぶきが高く上がり、轟音が上がっている時だった。ザパンと飛び散る水滴。キラキラと陽光に光る様が綺麗だ。
 そして、マジシャンはいた。
 新一は水しぶきに濡れながらマジシャンに近付いた。

 「お疲れさん」

 新一の声にマジシャンが振り向く。新一は無事な姿に安堵しながら、にこやかに微笑んだ。

 「お互いにね」

 ふわりとマジシャンも笑うので嬉しくなる。マジシャンの服も濡れて張り付き水滴が重そうだ。新一自身も濡れているし、互いに濡れネズミになってしまっている。

 こんな時に変だけど、どうしてだか馴染んでいる。
 名前も知らないというのに、信頼できるなんて。
 
 新一は額に張り付いた髪を鬱陶しげにかき上げて、水滴を払う。雫が指から飛び散る。その一連の仕草は見る者を引き付けるほど艶やかで綺麗だったが本人だけが無自覚で、よく蘭に鈍感と罵られていた。今もマジシャンが一瞬見惚れていたのだが、ついぞ新一は気付かなかった。
 そして、マジシャンはふと眉をひそめて新一の首に指を伸ばした。

 「ああ、手当しないと駄目だな………」

 犯人に斬りつけられたところは、細く赤い線が走り血が雫に滲んでいて痛々しい。そして、傷口から流れた血で白いシャツまで赤く汚している。さらに水滴まで細い肢体に絡み付いて、見る者の心を奥底から揺さぶるような様で無邪気に微笑まれていると心臓に悪い。
 マジシャンはそんな動揺を隠しながら、ハンカチを取り出すと新一の傷口に当てて少し乾いている血を拭う。傷口は水滴のせいで開きかかっている。止血するように丁寧に押さえてハンカチを首に巻いて結んだ。
 マジシャンが施す手元を新一は抵抗もせず、無言で見つめる。

 (………こいつは、何者なのか?)

 そんな疑問が浮かぶ。
 マジシャンとしての腕は確かだろう。一級品の腕前は優美な指先をもち見る者を引き込む魅力がある。それだけでもまずいないのに、なぜか爆弾の解体までできる器用さというか知識がある。危機的なことであるのに、冷静さを失わなくて自分を助けてくれた。目で合図してカードを投げてくれたおかげで犯人を捕獲できた。爆弾解体だけでなく、度胸も運動能力も格別で。こんな場所まで走ってきてプールに爆発まで秒数を切った爆弾を投げ込んだ。
 
 (こんな人間見たことない………)

 新一はマジシャンを横目でそっと見上げた。

 「これでひとまずいいと思うから、後で医者に見せるように、いいか?」
 「ああ………」

 新一は手当された首筋に自分の手を添えて、こくりと頷いた。
 そのまま並んで二人は1階まで降りてくる。無事済んだことを支配人に告げ警察を呼んでもらわなければならない。すでに呼んでいるだろうか?報告や事情聴取には付き合わないとならないだろうな、と新一が考えているとマジシャンは広場に続く廊下の前で立ち止まった。そして、ついと新一から離れた。

 「じゃあ」

 片手を上げて全く別方向に去っていこうとする。
 新一には彼がそうするだろうと予想が付いていた。だから、止めなかった。
 その存在がどこか謎なマジシャン。
 自分が爆弾の解体ができることは説明できる。今まで探偵に必用だろうことは大小関係なく納めてきた。いつか役立つこともあるだろうと努力した結果、今では様々なことができる。それを新一は警察に堂々と言うこともできる。
 しかし、新一のような人間は稀だ。警察との付き合いも深い。
 マジシャンである彼が警察にいらないことを聞かれることは避けられないだろう。一般の人間は爆弾の解体など決してできない。彼が何者なのか、痛くもない腹を探れることを誰も好まない。

 「またな、カイ」

 新一は彼の後ろ姿にそう声をかけた。後ろ姿のマジシャンはふと足を止めて、振り向いた。
 新一の瞳を一瞬見つめて、にこやかに微笑すると背中を向けて手をふった。

 「また、シン」
 「ああ」

 新一は満足そうに笑んだ。
 今はそれだけで十分だ。
 
 本当の名前も知らない。
 声は知っている。
 顔も知った。

 どこの誰か、どんな人間なのか。結局、わかったことなど限られていて。
 優美な指先がマジシャンらしいとか。自分に負けず劣らず、変な知識があるとか。
 あの時と変わらず冷静で観察力と度胸を兼ね備えた、今まであったことがない有能な人材で。
 
 それでも、彼を無理に探そうとは思わなかった。
 再び出会えたら、今度こそは始められるかもしれないけれど………。

 覚えているのは声。
 広い背中と整えられた優美なマジシャンの指。
 穏やかに笑っている顔。

 自分にとっては十分な情報。
 それだけで、今はいい。互いにもし逢いたいと思ったら、きっと再び逢うことができると信じられるから。そのくらいは運にまかせてもいいのかもしれない。
 それが、俺達らしいと思わないか?カイ………。
 

 新一はきっぱりと振りきって背を向けると皆が待つ広場に歩いていった。
 
 

                                                   END





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