どこまでも晴れ上がった空は青く澄んでいて、出かけるには絶好の日であった。 普通の感覚であれば、休日の今日はうきうきとしてきて、どこかに行きたくなるに違いない。しかし、そうでない人間もちろん存在するのが世の常である。 「ねえ、あれ園子に似合いそうね?」 「そう?結構いいデザインだと思うんだけど。できるなら、赤があるといいな〜」 少女達は顔を寄せあって目の前にあるショーウインドウに指を指す。マネキンが着ている洋服は最近の流行を取り入れた薄手のワンピースだった。 「赤かあ………。園子だと赤の方が似合うかもね?」 「でしょう?………、ああ、あれ蘭に似合うよ!!!!」 「どれ?」 「あの、青いやつ。ミニのスカート!」 「短くない?」 蘭と呼ばれた長い髪の少女は首をひねる。しかし、園子と呼ばれたボブカットの少女は人差し指を胸の前で左右に振って否定する。 「そんなことないって。蘭は足が綺麗だから、ミニスカートはかないでどうするの?綺麗な足は、世の中に見せなきゃ〜〜〜!!!」 「園子!」 蘭は、園子の勢いに押される。 「何よ、そう世間の常識では決まってるのよ?」 「決まってる訳ないじゃない………」 しかし園子独自の法則には蘭さえも適わなかった。蘭がどんなに言っても園子は全く問題にしなかった。 「見せなきゃ勿体ないじゃない〜。隠しておくなんて世の中の損失よ。若い女の子の綺麗な足が世間から消えたら、余計に不景気になるわ!私の、世の男性の目の保養をさせて?」 「………園子」 さすが、園子だ。蘭はもう反論するのを諦めた。 「新一君もそう思うでしょう?」 「………はあ?」 新一と呼ばれた少年は全く会話を聞いていなかったため、何を言っていたかわからないまま顔を上げた。 3人とも年の頃は同じくらいであるし、随分親しい間柄から同じ学校であろうと推測された。 「何よ、新一聞いてなかったの?」 「聞いてられるか………」 はあと吐息を付く少年に蘭が眉をひそめる。 「新一、ちゃんと付き合ってよ」 「わかってるって」 内心では付き合ってられるか、と思うが口には出さない。蘭の怒りを買うのは恐ろしいから。彼女は新一さえ適わない素晴らしい蹴りを持っている。 本当はこんなところに来るのも、買い物に付き合うのも嫌だったのだが無理矢理引きずられるように連れてこられたのだ。先日、約束をすっぽかしたのを根に持っているらしい。ついつい電話で呼び出されたので警視庁まで行ってしまったのだ………。 少年は工藤新一、言わずとしれた「日本警察の救世主」高校生探偵である。 「わかってないわね、新一君。女性の買い物に付き合ってるんだから、もっとにこやかに紳士的にしないとだめじゃない?そんな嫌そうな顔してさあ」 「………何が女性だ。立派な女性だったら、俺をこき使わないだろ?」 「誰がこき使ったっていうのよ?」 「お前だ、お前………!」 「うわあ、可愛くない態度!」 「可愛くなくて結構だ」 新一はぷいと横を向く。 その拗ねている横顔は、凶悪に可愛かった。 蒼い瞳に漆黒の髪が揺れて、目元を若干桜色に染めていて、肌は抜けるように白い。凛とした雰囲気と同じ人間とも思えない整った美貌が見慣れている自分たちをも魅了する。 「………。十分可愛いかったわ。ごめんね、訂正するわ、新一君」 「は?」 「そうね、園子の負けね。新一が可愛くないなんて、あり得ないわね?っていうより、綺麗すぎ!」 蘭はあははと笑う。 「………何言ってやがる?」 「別に、事実よね〜。最近ますますおばさまに似てきて美貌に磨きが掛かってきたからさあ。この間なんて、他校のごつい体育会系の男子高校生に告白されてたもんね〜〜〜」 新一が忘れたい、触れて欲しくない過去を蘭は引っぱり出した。当然、新一は顔色が変わる。蘭に知れたのは一生の不覚かもしれない………。 (これからずっと言われ続けるかもしれない………。すっげー嫌だ) その名前も覚えていない男子高校生は、蘭のいる前で新一に言い寄ってきたのだ。そして、いきなり告白をしてきた強者だった。もちろん、その場できっぱりさっぱりと断ったのだが、その後蘭は爆笑しまくった。しばらく笑いが止まらず、新一が睨んでも目尻に涙をためて苦しがっていた。相手は撃沈していたが新一の知ったことではなかった。返す返すも、思い出すのも不愉快な出来事だった。 「襲われないようにね?新一君」 「私がいれば大丈夫よ?追い払ってあげるから」 「さすが、蘭ね!頼りになるわ」 「この、蹴りで秒殺よ」 蘭は瞬間、足を振り上げて美しい蹴りを見せた。 「きゃー、素敵」 園子はぱちぱちと高らかに拍手した。 「………」 (こいつら、絶対、俺で遊んでやがる………!) 新一は内心毒付いた。 確かに、彼女達は新一をからかって遊んでいたが、言っていることは全て事実であり、思っていることも本当であった。新一がそこまで理解しているかは謎であるが。 「もう、いい。俺、あそこで休んでるから………」 新一は疲れたように肩を落として、近くにあるベンチを指差した。 「わかったわよ」 「はいはい。ああ、ナンパされないようにね?」 「言ってろ」 新一は吐き捨てるように、ふんと背中を向けた。 ベンチの背に身体を預けて、ふうと一息付く姿を見ながら二人は笑いを噛みしめるようにしながら「じゃあ、待っててね」といいながら再び買い物に向かった。 同級生である二人。毛利蘭と鈴木園子。新一が頭が上がらないというか、口で適わない相手である。蘭など幼い頃から知っているため、性格から何からばれている。園子はあのパワーにいつも押されている。お嬢様のくせに、変なところで庶民的なのだ。決して悪い人間ではないのだが、時々目に余る程、新一を振り回してからかう………。 小さく吐息を付いて、吹き抜けになっている天井を見上げた。 ここは少し郊外にあるショッピングモールである。広大な敷地面積を誇り、ありたらゆるものが揃うと言われて今話題になっている。ブランドものから密かな名店といわれるものまで、高価なものから日用品まで揃っている。 新一がいるのはちょうど中央広場になっている場所だ。サイドにエスカレーターがあり登りながら景観が望めるようになっている。高い位置にある窓から明るい自然光も取り入れられているため人工だけの光ではなく、心地いい空間があった。 その中央広場に小振りなステージが設置してあった。ステージに向かって客席が結構あって催し物が行われているせいか、席も埋まっている。休日だから親子連れが多い。家族で見られる催し物が行われているのだろうと推測された。 新一は人混みの抜けた位置からステージの上を見つめた。 (………マジックショー?) ステージ上では若い男がマジックを披露している。それを興味深げに子供が見つめて、普段騒ぐ子供が集中しているため、両親も十分楽しめているようだ。 「へえ、珍しい」と思いつつ、新一は別のことを考えた。 先日、新一はホテルの爆破事故に巻き込まれて病院へ運ばれるという経験をした。 高校生探偵などをしている自分であるから、日常的にいろんな事件に巻き込まれるが………犯人に逆上して斬りかかられたり、逆恨みで付けられたり、なぜか旅行先で事件に遭遇したり………さすがに今回は命が危なかったのかもしれなかった。崩壊したホテルに閉じこめられる状況では自分の力だけではどうしようもないだろう。 その時のことを今でも鮮明に思い出すことができる。 暗闇の中だから思い出すといっても、鮮やかな映像がある訳ではない。 覚えているのは声だけだ。 その時の会話だけが記憶にある。自分以外に怪我を負った男性、母娘、そして自分と同じくらいの少年。 扉越しに聞いていた声の人物に、再び逢えたらいいのにと思っていた。 その声を聞けばきっとわかる。 同じ高校生という以外は「カイ」という名前しか知らない。 どこに住んでいるのかなどさっぱりとわからない。この近郊に住んでいるのか、たまたまあのホテルに来ていたのか。それこそ、海外に住んでいる可能性さえあるのだ。 「カイ」という名前にしても愛称だろうか。 それは名字から来ているのか、名前から来ているのか定かでない。もしかして、全く別のことから付いたあだ名かもしれない。 そして、肝心の声にしても。 絶対わかると自信があるが、自分たちは扉越しに会話していたというハンデがある。 そして、あの空間で声が反響していた分、普通に聞く声と違う可能性がある。 あれ以来、誰に会うにしても注意して声を聞くようになったが、似た声ならどれだけでもある。似ているな、と思う声なんて限りない。思えばどれもそう聞こえる。 でも、どこか違う。 そう、わかる。 なんというか、その存在が。 あんな危機的状況でも、恐怖に戦くことなく冷静で穏やかで、自分さえもリラックスさせてしまう人間なのだ。 声しかわからない。 調査するために必用な、決定的なものが何もない。 それでも、彼の存在感はどこにでも転がっているものではないとわかる。 一体、どこにいるのか。 再び、逢えるのだろうか? 自分はこんなに逢いたいと思って探しているが、彼はどうだろう? もう、自分のことなど忘れてしまっただろうか? 俺は、あんな印象的な奴、忘れられない………。 再び出逢えばわかるだろうか?その声と存在感だけで? ふう………。新一は大きなため息を付いた。彼のことを思い出すと、どうしても漏れる。 全く、どうかしてるな。新一は苦笑する。 きっと、マジシャンを見たからだ。 彼が「魔法使い〜magician〜」と名乗ったから。それがどんな意味なのかはわからないけれど、そう言ったから………。 (………あれ?) ステージ上のマジシャンが何時の間にか代わっている。 今舞台に立っているのは随分若い男だ。端正な顔立ちに細身の身体。黒いスーツ姿が板に付いている。若いけれど落ち着いていることから大学生くらいだろうか。 流れるような優雅な手さばきに目を惹かれる。彼の指から紡がれる魔法でトランプが生き物のように動き出す。 (上手いなあ………) そう、舞台慣れしているというか、存在に華があるというか。 こんな場だからアシスタントも付かないし大がかりなマジックなどなくて、極一般的なものを披露しているだけが、きっと彼はこんな場所に出るような人間ではない。もっとちゃんとしたマジックショーに出るくらいの実力がある………。 きっと一流。 それなのに、たかだかショッピングモールの客引きのマジックショーに出るのだから随分変わっている。あまりそういことに頓着しないのか、まだ若くて名前が通っていないのか本格的に活動していないのか、それともボランティア?謎だなと思うと新一は考えずにはいられなくなる厄介な性格をしていた。 その謎を解く鍵になるかどうかはわからないが、じっとその男のマジックを見つめた。 マジシャンはシルクハットに白い布を被せてステッキでちょんとつつく。そこから白い兎が一羽ひょっこりと顔を出した。彼が兎を抱き上げると、そのままよじ登って彼の右肩に乗る。その兎に柔らかく微笑みながら背を撫でてやって、彼と白兎が一緒にお辞儀する様がとても、可愛い。 次いで鳩。あの小さなシルクハットから何匹出てくるのかと思う程、次々と飛び出して彼の腕に止まっていく。 (5匹?すごいもんだな………) 5匹の鳩は彼が指をパチリと鳴らす合図で一斉に飛び立った。羽ばたく白鳩。平和の象徴であるかのように、自由に高い天井を旋回して、頭上から紙吹雪を降らせた。 ひらりひらりと落ちてくる紙の花。 ゆっくりと落ちてくる花を見上げて、子供達が手を伸ばして拾っている。手のひらにいくつもの花を閉じこめて子供達はマジシャンからのプレゼントにはしゃいだ。 そして、彼の合図で一斉に白鳩は彼の元に戻っていった。そのはずだった。少なくとも誰一人として疑わなかった。 ところが、予想外のことが起こったのだ。群から離れた一匹の鳩が新一の上まで来て、一声鳴くと肩に止まった。 唖然と新一はその鳩を見つめた。間近にある赤くて丸い瞳と目があう。クルクルと鳴いて頬にすり寄ってくるので、柔らかな背を撫でてやる。一層嬉しそうに鳴くので、どうしたものかと新一は困惑した。 マジシャンは、その事態を一瞬瞳を見開いて苦笑を漏らすと、舞台からひょいと身軽に降りてきた。颯爽と観客の中を真っ直ぐに歩いてくる様は大層絵になる。 彼は新一の前まで来ると、シルクハットを片手にもち胸の上で止めて、 「失礼しました」 といいながら優雅に一礼した。新一は近寄ったせいでよく見える端正なマジシャンの顔を興味津々の体でじっと見上げた。 「おいで」 彼が手を伸ばすと、白鳩はその腕に飛び移った。彼は鳩の頭をよしよしと撫でながら、「お前は面食いだね」と笑った。 「どうぞ。お詫びです」 彼は新一に視線を向けて瞳を見つめると、色とりどりのキャンディをどこからか出して見せると、ざっと落とした。条件反射で新一は手を出してそれを受け取った。両手に納まるキャンディを見つめて、再び視線を戻すと、彼は優雅に一礼して微笑すると新一に背中を向けた。 一瞬の出来事だった。 (なんて、強烈に印象深い人間だろう?) ああいうのが本物のマジシャンなのかな、と新一は思う。 さて、これ、どうしようか?と手の中のキャンディを見つめて新一は悩む。 (蘭や園子にでもやるか?) 新一は甘いものが苦手だ。こんなに甘そうなキャンディをもらっても扱いに困る。ポケットに入れたら最後忘れ去られて賞味期限が切れるか溶けるだろう。 そんなことを思っていると、一人の少女と目があった。幼稚園か小学生低学年くらいだろうか。髪をリボンで結んでいる少女は愛らしい顔をしていた。新一はその子の前まで行くと、しゃがんで目線をあわせると、はいと渡した。 少女は手の中に落ちてきたキャンディを見つめてにっこりと微笑んだ。 「ありがとう」 「どうしたしまして」 新一もにっこりと微笑む。そして、よしよしと頭を撫でてやる。隣にいる母親も微笑みながらすみませんと頭を下げてきたので、いいんですよと新一も笑った。 新一は元いたベンチに戻った。 マジシャンもマジックを再開するだろうし、見ないとな………。新一はベンチに座りステージを振り返ろうとした。 「キャー!!!!!!」 その時。耳をつん裂くような悲鳴が響いた。振り向いた先には新一がキャンディをあげた少女が男に掴まっていた。少女を片手で拘束しながら顔にナイフを突きつけている。もう一人は拳銃のようなものをもって周囲を威嚇してる。 男二人の犯行だ。 「静かにしろっ!」 「動くな。動いたらこいつの命はないぞ」 使い古された脅し文句を叫んで人を掻き分けて広場の一角にじりじりと後ずさる。 周りにいた人間はパニックに陥っているようだ。誰もが無言で見守っている。そこから、動けない。時が止まったようだ。 「何が目的ですか?」 新一は一歩前に出て、冷静に聞いた。 「支配人を呼べ!」 「支配人だ………」 男達は要求を言った。 新一は、きょろきょろと見回して制服を着ている従業員を捜し出すと、「支配人を呼んで下さい」とお願いした。従業員が急いで走り出す姿を見送って再び視線を戻す。 「ウエーン、ママ〜!!!ママ!」 捕らわれている少女が恐怖で泣いている。いきなり親から引き離され見知らぬ男にナイフを突きつけられたら、少女でなくとも怖いだろう。 「うるせえ。黙れっ」 男は少女にナイフをより付き付けるが、余計に泣き出す始末だ。 「いや………!ママ、ママ、ママ!!!」 男は苛立つ。眉間に皺を寄せて少女を睨み付ける。 (それは、逆効果だ………っていってもわかんねえか………) 新一は、内心しかたないなと思いつつ静かに男に近付いた。 「近付くな!」 もう一人の男が拳銃で威嚇するが、新一は臆することなく男の瞳を見つめた。 「僕が代わります。その子では泣くなというのが無理ですよ」 どうですか?と新一は首を傾げた。その姿を上から下までまじまじと見て取って、男は驚愕を浮かべるが、頷いた。 「いいだろう。手を挙げてゆっくりこっちに来い」 男は顎をしゃくって新一に拳銃を向けながら促した。 新一の外見から、大した反抗などできそうにないと判断したらしかった。そう思ってくれるなら、新一にとっては儲け物だ。 両手を上げながらゆっくりと歩いて、新一は男の前の位置で立ち止まる。男が新一まで用心深く近付いて腕を取り拘束する。新一の首に腕を回し頬に拳銃を突きつけてから、相手に首をふり合図を送る。するともう一人の男は少女を解放した。解放しない可能性も考えたが、人質として子供は扱い辛いだろうから、多分離すだろうと踏んでいた。 確かに子供は弱者であるが、人質としては言葉で言っても聞かない部分は使えないのだ。それなら、分別が付く大人でありながら非力な人間の方が数倍使えるというものだ。 少女は泣きながら母親の元に駆けて行き、両手で抱きしめられている。嗚咽を堪えて胸にうずくまる姿に新一は安堵した。 (ひとまず、安心だな………。さて、どうしようかな?) 新一は、拘束されつつ男を観察する。 二人組の男達。まだ目的はわからない。支配人を呼べと言っているが何を要求するのか。金か怨恨か、はたまた全く別の目的か。こちらに人目を引き付けて何かすることも考えられるし………。 新一はあらゆることを考えながら状況を見極めようと、周りを見回しつつ男から感じるものを一つも逃さないように密かに観察する。 拳銃をもっている、自分を拘束している男。年齢は40代くらいで疲れた感じが見える。薄いサングラスをしていることから少々目元の人相はわかりにくい。どこにでもありそうなジャンパーとズボンを身につけている。拳銃は本物だろう。それ以外は腕時計に、胸ポケットの内側に携帯電話らしい固まりが感触からわかる。拳銃の予備の弾はもっているのだろうか?ジャンパーの左ポケットに何か重そうなものがあるから、それかもしれない。 ナイフをもった男は、さっきからあまり話さない。 拳銃をもった男より若干若いような気がする。同じように生活に疲れた感がある。 男達は当然仲間であるが、片方に雇われたのか。同じ目的があるのか。 それによって、突き崩し方が違うし………。 新一は僅かの間に頭を巡らせる。 「支配人は、まだか?」 男が新一の耳元で構わずに声を上げてせかす。首に回した腕に力がこもって、新一は顔をしかめる。 (苦しい………絞めすぎだって………!) こいつら当然ながら犯行に慣れてないな、と犯罪に慣れまくった新一は思う。 |