「竜の眠る国」 白帝の章1 prologue




 


「母さん!」


 小さな娘が寝ている母親を呼ぶ。
 彼女の母親は、少し前から熱を出していた。健康が取り柄だから、このくらいの熱大したことないわと母親は笑っていた。少し前に珍しく母親は風邪を引いて、彼女は心配して熱に効く薬湯を飲ませたのだ。村には薬草などに詳しい薬師がいる。よほどの大きな町には医師もいるが、農村などには薬師がいるだけでも幸いだ。薬師がいない村もあるから、そういった場合は遠い距離を歩かねばならない。馬を使えればいいが山があれば、それも適わない。
 もらった薬草で薬湯を作り何日も飲ませた。だが、熱は一向に下がらなかった。そして、急に苦しみだした。
 見る見る間に、体中に斑点が浮き出してきた。
 最初は熱のせいかと思った。薬草があわない事もあると薬師がいっていたし。病には詳しくないから、娘はどうしていいか困った。薬師に別の薬草をもらって斑点に塗って様子を見ていた。
 だが、いよいよ症状が悪化し胸を押さえて顔をゆがめ苦しみだした。
 娘は怖くなって、畑で働いている父親を呼びにいった。一面に広がる小麦畑には父親の他にも農夫が働いている。家からは遠いが娘は走り、畦から父親を大声で呼んだ。
 娘の悲痛な声を聞きつけ父親は顔を上げともに仕事をしていた農夫に断って、すぐに家まで引き返して母親の元に向かった。
 


「どうした?大丈夫か?」
 父親の心配そうな声に、苦しそうな息で母親は儚く笑う。
「ごめんなさい……」
 仕事を放り出して来た夫に妻として申し訳なく思ったのだ。
「そんなこといいから。すぐに、薬師に来てもらおう」
 父親は自分が薬師を呼びに行っている間、母親のことを頼むと娘に頼んだ。娘は枕元で母親の看病ができるようにするため、身体を拭くための水と布を持ってきた。飲み水と少しでも栄養がとれるように果物も一緒だ。
 娘は水に浸けた布を絞り、母親の額を拭う。そして順に汗ばんでいる頬や首筋などを拭ていく。
「母さん、水飲む?」
 娘の声に、母親が目を薄く開ける。
「ありがとう」
「はい」
 口元へと水の入ったカップを持っていって、飲みやすいように斜めにする。少しずつ水を含んで母親は、小さく息を吐いた。
「……っ、ぐっ……」
 だが、急に胸を手で押さえて苦しみ出しその手で喉を掻きむしる。そして、口から赤い血を吐いた。
「母さん……!」
 娘が叫ぶ。
「げほっ……」
 母親は尚も血を吐き続け、シーツは鮮血で染まった。
「いや……、母さん。母さん」
 娘は苦しそうな母親の背を撫でて、父さん、早く薬師を連れてきて、と心中で祈った。
 水を絞った布で母親の血に塗れた口元を拭いて、娘は自分ができることをしようと決めた。するしかなかった。
「薬湯作って来るよ、母さん。きっと喉にもいいもの。待っていて」
 少しでも楽になるように娘は母親を寝かせて、キッチンへと向かった。お湯を沸かして薬師にもらった薬草を煎じて手早く薬湯を作る。薬湯の入ったカップを手に持ち、母親の元へと急ぐ。
「……母さん!」
 娘の目に飛び込んできた光景は、母親が床に身体を折り曲げるようにして苦しげに咳き込んでいるところだった。手で口元を押さえているが、赤い血が指の隙間から滴り落ちてきて、白い床に血溜まりができていた。
 自分が血に塗れることなど気にも止めず、娘は母親に駆け寄り背に手を回して少しでも身体が楽なように支える。
「……っ」
「なに?母さん」
 母親の掠れる声を耳を寄せて聞き取ろうとする。が、聞こえない。
 娘の服を握りしめ、母親が何か言う。そして、儚く笑むと。再び血を吐き、娘の服を掴んでいた手から力抜けて、ぱたりと落ちた。息が……。
「いやーーーーっ」
 娘は絶叫した。
 
 



 父親が薬師を連れて戻ってみると、母親を抱えるようにして床に座って放心している娘の姿があった。二人は、赤く染まっていた。それは、血の色だった。
 
 





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