「under The CINRMA」2



 「そろそろ帰ろうか」
 「そだな。あ、ここのお金俺が払うから」
 「何で?」
 「さっき、タクシー代払ってくれただろ?だから、ここは俺の奢り」

 新一は立ち上がりながらレシートを片手に快斗を見返して、にっと笑う。

 「………わかった。サンキュー」

 快斗は新一の気持ちを受け入れた。
 対等でいる、それはとても大切なことだ。
 互いに貸し借りなしでないと、新一は快斗と一緒に来てくれなくなる。一方的に奢られるのは新一が許せないだろうから。友達同士なら互いに奢り奢られるものだ。
 レジで会計をすませる新一の後ろ姿を見つめて、快斗は先に外に出る。
 店の表で新一を待ちながら流れる街に目をやると、行き交う人の流れの多さに目が付く。休日ではないけれどやはり街中は人が多い。

 「お待たせ」

 店内から出てきた新一が快斗の隣に並んだ。

 「ごちそうさま。これから、帰るんだろ?どうやって帰る?タクシー?電車?」
 「そうだな………。電車でもいいんだけど、混んでるか?」
 「混んでるんじゃない?」

 時間的に夕刻ではなくラッシュにはならないが、学生達は当然帰途に着く時間だ。

 「………タクシーにしとくか」

 あまり気は進まないが、タクシーの方がいろいろな意味で無難だろうと判断する。

 「じゃあ一緒に乗ろう?どうせ隣町だから先に新一の家送るよ」

 新一の住んでいる米花町と快斗の住んでいる江古田町は隣にある。

 「………」
 「だめ?ちょうどいいと思うんだけど」
 「俺が先じゃなくてもいいだろ?快斗の家を先にしてもいいのに」
 「新一が送ってくれるのも捨てがたいけど、俺が新一を見送りたいだけ。送らせてよ」

 俺が送るのが捨てがたいって、何だと新一は思う。
 快斗はこうして新一を送りたがる。
 確かに一緒にいるのは楽しい。同世代で話があうのは稀だし、からかうことはあっても新一の嫌がることは絶対しない。いい奴だと思うのだけれど………。
 とても好意をもってくれているのはわかる。自分だってこれほど気があう友達もいない。ただ、快斗の言動は自分に優し過ぎるのだ。決して嫌な訳ではないし、心地いい。でもなあ………と微妙に自分の心がわからなくて揺れる。

 「新一………?」
 「なんで送りたいんだ?」
 「はあ?送りたいのに理由がいるの?………できるだけ長く新一といたいし、無事に家に帰り着く姿が見たいからかな?それで納得する?」
 「………」

 無言で見上げてくる新一に快斗は苦笑しながら手を伸ばして絹糸みたいな漆黒の髪をくしゃりと撫でる。

 「そんなに嫌?」
 「嫌じゃない」

 快斗が思いの外真剣に聞くので新一はきっぱりと断言した。
 そう、嫌ではない。嫌ではないのだ、困ったことに………。

 「しんい………」
 「すみません!!!!」

 快斗が新一を抱きしめようかと、その行為が許されるのではないかと思った時、女性の甲高い悲鳴のような声が割って入った。声の主に眉をひそめながら視線を向けると、興奮したように頬を赤く染めて瞳を輝かせている高校生くらいの女の子が立っていた。学校帰りだろうか制服で片手に鞄を抱きしめて快斗と新一をうるうると見上げている。

 「あのあの、工藤新一さんと黒羽快斗さんですよね?私ファンなんです!!!!」
 「はあ」
 「………」

 二人とも一瞬あっけにとられる。最近なかったのだが、久々に熱いファンに出逢った。

 「映画見ました!すっごく格好よかったです。大好きです!ああ、それに工藤さんと黒羽さんのメイキングの写真集ももってます。………いつか黒羽さんのショーも見に行きたいと思ってます。でもチケット取れなくて………。工藤さんの活躍もテレビや新聞で拝見してます。すみません、握手してもらえないですか?サインしてもらえませんか?写真は?」

 緊張のあまり息継ぎする暇もないほどの意気込みでもって女子高生は二人にずいと迫る。
 ファンとは目の前に自分の大好きな人間を置かれると緊張するものだし、上手く話せないものだが、時として大胆にもなる。好かれている人間からすればそれが一番困ったことだ。普段ならもう少し常識に則って、おとなしくできるはずなのだがそのような理性はどこか彼方に行ってしまう。ファンとは本当に哀れなものである。
 しかし、同情は一切されない。

 「ごめんね、今プライベートだから。それに急いでるから」

 快斗はそう謝るが、瞳は笑わず穏やかな声できっぱりと拒否する。さりげなく新一の前に出て女子高生から見えないように、新一からも庇っているとわからないように庇う。
 自分が嫌だから、対応していると思いこませるように………。
 そうでないと、守られる、庇われることを新一が良しとする訳がないのだ。
 しかし、その女子高生の甲高い言葉に彼らが何者なのか気付いた人間が足を止め囲むように見ていた。最初は遠巻きにしていたのだが、一人が声をかけていることに勇気をもって身の程知らずというか命知らずに新一に声をかけた男がいた。

 「君、工藤新一くんだよね?」

 本人はなぜだか不思議に思っているのだが、新一は男性にも人気があった。元美人女優の美貌を色濃く引き継いだ容姿はそこらのアイドルや女優やモデルなど裸足で逃げ出す程の迫力と引力をもって見た者を魅了する。快斗からすれば誰もが新一に惹かれてしまう、視線を外せなくなるのは納得の結果であるが、だからといって自分以外の人間が新一に近付くなど許せるはずがない。

 「ねえ、お茶でもどう?」

 新一の綺麗な顔を間近で見て若干頬を染めながら、下心の伺える目で新一を見る大学生くらいの若い男が彼の細い腕を引く。

 「ちょっと………」

 突然のことで困惑気味に新一の瞳が揺れ、強い力で引き寄せ快斗から離されようとした時。一瞬のことだが異変に気付いた快斗が振り向き、片手で自分から離されそうだった新一を抱き寄せてもう片方で男の腕を掴んだ。力を入れているように見えないのに、掴まれた男は顔を歪めてうっと呻く。

 「離せ………」

 快斗は男の腕を掴んで新一の腕から外させ、くるりとひねり上げた。

 「い、痛い………!!!」

 悲鳴を上げる男を快斗は冷たい目で見下す。

 「自業自得だろ」

 ぞっとするような冷たい声音。普段の快斗からは想像もできない感情のこもらない声だ。現場でも、どこでも明るくて人当たりがいいのが快斗なのに。目の前にいるのは知らない快斗。

 「………快斗?」

 心配そうに新一が見上げるので快斗は安心さえるように微笑んで新一の肩に腕を回した。

 「ほら、二度と近付くなよ」

 快斗はもう興味を失ったように男の腕を離す。男は恐怖を顔に張り付け腕を押さえながら慌てて逃げていった。その後ろ姿へ見守っていた人間達が哀れそうな視線を向けた。
 心の中ではあの男の二の舞はご免だ、といったところか。
 それくらい情けない姿であったし、軽々と追い払った有名マジシャンの恐ろしさを目の当たりにして、もう誰も近付こうなどという無謀なことを考えはしなかった。

 「新一、大丈夫だった?」
 「ああ、掴まれただけだし」
 「そう、じゃあ帰ろう」

 快斗は有無を言わさず新一を連れてその場を離れ、手を挙げて目の前を通過しようとしたタクシーを捕まえて、先に新一を押し込んで自分も乗り込む。「米花○丁目まで」と一言告げて、先ほど新一が送る送らないと言っていたことなど取り上げもしない。
 しばらく、車中に居心地の悪い沈黙が落ちた。

 「………快斗?」

 やがて、それに耐えられなくなった新一が快斗を伺うように呼んだ。

 「何?新一」
 「えっと、ありがとう。お礼言ってなかった」
 「ああ、いいんだよ」

 漂っていた冷気を納めて、快斗は穏やかな瞳で新一を見つめた。

 「なあ、なんで怒ってるんだ?お前怖いぞ?」

 新一は素朴に疑問を口にした。
 先ほどの騒動から快斗は普段見られない絶対零度の冷気と怒気を身体から発して心の内を読めないような無表情で染めていた。そんな快斗を見ることは稀だから、新一が不思議に思っても仕方ない。

 「………怖い?」
 「ああ、なんか怖い」

 なんとなく快斗が怖いと認めることが嫌なのだけれど、新一はおずおずと頷いた。快斗は一度軽く吐息を付いて、新一を真っ直ぐに見つめる。

 「………ただ、許せなかっただけだよ。最近あんな風に無遠慮に取り囲まれることもなかったけど………。ねえ、新一、本当に気を付けてね」
 「わかってる」

 新一は神妙に頷いた。
 快斗が心配していることはわかったから。
 ただ新一にはなぜそこまで快斗が怒っているかは理解できていなかった。快斗は新一に手を出した、腕を掴んだ男が許し難かっただけだ。新一に触れた。それだけで快斗の怒りは沸点に達した。そこにいるだけで人目を奪っていく、魂まで吸い寄せられる魅了の瞳は誰彼も引き寄せる。いつ同じようなことが起こるかと思うと気が気ではない。
 いつも傍にいて守れる訳ではない。見張っていられる訳でもない。
 新一にはサッカーで鍛えた自慢の黄金の右足があるけれど、絶対ではないのだ。
 かなりの威力であり、快斗自身その威力を実感しているが、誰にでもそれが効く訳ではなく足がいつでも使えるとも限らない。
 怪我をしていたら?
 薬でも使われて意識を奪われたら?
 考えるだけでぞっとする。
 探偵をしている新一はいつでも危険が隣あわせだ………。

 「新一を怖がらせるつもりじゃなかった。ごめん。でも、俺でも許せない時があるんだよ?」
 「ううん、誰でも怒る時があるのは当たり前だ。………俺こそ付き合わせて悪かったな。一緒に来たから快斗まで嫌な思いをさせた」
 「………違うよ新一。俺が新一に無理矢理付いて来たんだよ。それに、新一一人であんな場面に遭遇するかと思うと一緒にいて追い払った方が断然ましっていうか一人でいないでよ」

 見当違いに、自分を責める新一に快斗は首をふって否定する。そして優しく優しく言い含める。

 「あんな奴が無理矢理新一の手を引いた時、殺してやろうかと思った。ねえ、俺があいつを追い払った事迷惑だった?」
 「いいや」

 新一は物騒な快斗の言葉にさらりと、助かったよと答えた。

 「じゃあ………これからも隣でそうしていい?ああして新一に近付いた奴、排除してもいい?」
 「………快斗?」
 「俺がそんなことをする権利もないし、新一がそうして庇われるのなんてご免だって思うってわかってる。でも俺、耐えられないから………。俺の知らないところで新一があんな目にあうかと思うと、駄目なんだ。またあんなことになったら、相手の無事を保証できない。なあ、こんな俺が傍にいてもいい?新一の傍に、近くにいていい?」

 快斗は新一の肩に手を伸ばして触れると、真摯に新一の瞳を覗き込む。
 真っ直ぐな快斗の綺麗な瞳。
 その瞳に見つめられて、どう答えていいか新一は迷う。
 切実さを秘めた快斗の瞳を見ていると、言葉が自由に出てこないのだ。

 「あの、な………」

 重たい口を新一は開く。

 「………お客さん、着きました………」

 しかし、そこに運転席から声がかけられた。
 何やら取り込み中の見目麗しい若者達に口を挟むのは申し訳ないのだが、目的地に着いたのだから仕方がないと、運転手は小さな声で告げた。

 「ああ、ありがとうございます」

 新一は瞬時に我に返ると、財布から紙幣を取り出して「お釣りはいらないですから」と言って差し出す。そして、快斗の腕を引いた。

 「快斗………」

 快斗は新一の真意を正しく受け取った。真剣な瞳で見つめる蒼い双貌。
 促されるままにタクシーから降りる。新一と隣り合って歩いて工藤邸の門扉の前まで来ると「珈琲でも飲んで行けよ」と新一が誘う。

 「ありがとう。ご馳走になるよ」

 快斗も微笑しながら頷いた。
 



 
 リビングのソファで珈琲を飲みながら、ほうと新一は一息付く。そしてカップをテーブルに置いて、快斗に話を切り出す。

 「さっきの話だけど、結論から言えば嫌じゃない」
 「………本当に?」

 まさかそんな返事がもらえるとは思わなかった快斗が目を丸くする。

 「ああ。快斗が傍にいるのは好きだよ。ただ一方的に庇われたりするのは好きじゃない。でも、快斗が心配してるのはわかってる。真面目な話、ああいう奴に絡まれるのは困るし………。蹴りを入れてやりたくても、警察に協力してる手前暴力は避けたいし。他の人間だったら借りを作るみたいだし、余計なことするなって思うけど快斗ならいい。だからさ、快斗に何かあった時は俺も助けてやるよ」

 新一は照れくさそうに一生懸命言葉を紡ぐ。
 普段なかなか言えないこと。
 でもとても大切なこと。

 「………ありがとう、新一」

 快斗はにっこりと嬉しそうに微笑むと、隣にある新一の手を取りぎゅっと握る。

 「別に、お礼を言われるようなことじゃない………」

 自分の言動が恥ずかしくなって、頬を染めながら新一は横を向く。

 (可愛いよなあ………。こんな風に許してもらえると、俺どんどんつけ上がるんだけどな………)

 快斗は内心でそんなことを思う。
 それでも、今更手放す気などない。
 まだ新一の気持ちは全然快斗の恋情と重なりあっていない。快斗のことを特別とは思っていてもそれは友人の域を越えていない。しかし、これからどうにでもなるし、させるからと快斗は心に誓う。
 
 絶対、この手に入れるからね。
 逃がさないから、覚悟しておいてね。
 
 そんな快斗の心の内など知らない新一は、ちゃんと思ったことを言葉にできて満足そうに、無防備に、見る者を魅了するほど綺麗に快斗の横で微笑んでいる。

 「マジックショー行けるといいんだけどな」

 楽しそうに夢見る瞳で新一は首を傾げながら快斗を見上げる。

 「待ってるよ。もし今度が駄目でもこれからずっと新一を誘うからさ。そうしたら、来てくれるでしょ?」
 「ああ」

 こくんと頷く新一に快斗は殊更優しい顔で微笑む。

 「約束だからね?」

 そう言いながら快斗は新一の指先にキスを落とした。途端に耳まで朱色に染める新一が愛おしくて、振り払われないことに勇気をもって抱きしめた。
 
 
 


                                                  おわり。





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