「新一、今日この後の撮影が終わったらご飯食べに行かない?」 「今日?」 「そう、どう?」 快斗は新一に伺うように首を傾げた。 「今日は本屋に寄るから駄目だ」 しかし、新一は快斗の誘いをきっぱりと断った。 「………じゃあ、一緒に本屋に行ってもいい?」 「いいけど………」 「どうせ新一の大好きなミステリの新刊が出るんでしょ?すぐに読みたいだろうから、本買ったらちょっとだけ、お茶しよ?それでも駄目?」 「少しだけだぞ?」 「うん、それでいいよ。その代わり今度ご飯食べようね?」 「………わかった」 新一は仕方なさそうに頷いた。 脇に用意されている簡易な椅子に腰掛けながら、待ち時間を過ごしている映画「Face」の主役二人、工藤新一と黒羽快斗は大層見目麗しい若者だった。 二人は映画の撮影で初めて出逢った。現在はシリーズ2作目の撮影中であるが、初対面から快斗は新一をことあるごとに誘ってくる。ご飯を食べよう、お茶をしよう、遊びに行こう、マジックショーに来て、家に遊びに行っていい?と………。 そもそも二人とも役者ではない。 新一は本物の「日本警察の救世主」と呼ばれる探偵であるし、快斗は現在売り出し中の若手マジシャンだ。1作撮るのに3ヶ月もかかる映画に出演するなど問題外である。が、時としてそうはいかない事もある。新一は元美人女優である母親の古い知り合いである監督に頼まれて止む終えず。快斗にしても世界的マジシャンであり自分の目標である父の知り合いに頼まれて断れず、映画の顔あわせに出ることになり、そこで運命の出会いを果たすこととなる。 はっきりいって、一目惚れ。 快斗はそれまで気乗りしなかったのだが、その瞬間その出会いに感謝した。 おかげで1作目がヒットして2作目の話が来ても大歓迎で受けた。マジシャンとしての活動があるから時間的にはきついのだが、新一に逢えるのなら何も苦になどならなかった。新一だとて、警察に呼ばれて出かけていくこともざらだ。事件は撮影だからといって待ってくれない。3ヶ月も拘束できる訳がないのだ。最初からそれは引き受ける条件に入っていたから、難解な事件があれば新一は警視庁に駆けつける。だから、撮影できなくて伸びることもあるのだが、どうしても新一と快斗を監督が使いたい上人気があるのだから仕方ない。二人が出るからヒットする。予算も出る。 ヒット作に恵まれない日本映画界にとって二人は正しく救世主であった。 まして人柄も良ければスタッフ受けがいいに決まっている。誰も文句など言うはずがない。おかげで2作目を撮影している段階で次回作が決まっているのが現状だった。 「じゃあ、がんばって今日の分終わらせないとな」 快斗は新一から色好い返事をもらい機嫌良く鼻歌を歌いながら次の立ち位置に付く。そんな快斗を新一は苦笑しながら見送った。 「次ランスルー撮るよ〜?準備いい?」 「「「はい!!」」」 スタッフの声に監督が「スタート!」と合図を送る。カチンコが鳴って、緊張に包まれながら撮影は進む。今日はアクションシーンもあるから気が抜けない。怪我があっては一大事だ。この映画はスタントがいるようなアクションがないため、全ての俳優が自身でアクションをこなす。そのため細心の注意が払われている。 やがて無事にその日の予定を終えると「お疲れさま〜〜〜」と周りから声がかかった。 「お疲れさまです」 「お疲れさま!」 主役二人は愛想良く挨拶を返して控え室に戻る。衣装を着替えないと学生の彼らは帰ることもできない。てきぱきと制服に着替えて顔を洗って準備する。 「はい、タオル」 「サンキュー」 快斗が新一にタオルを渡すので新一もお礼をいいながら受け取った。それはすでにいつものことである。二人はお同じ控え室を使っているから一緒にいる時間が長い。作中での絡みも多いから、休憩も同じタイミングが多くなり撮影期間は一緒にいることがほとんどだ。同じ高校生というのも気が合う理由だろうし二人は仲がいいからと皆は微笑ましく見ている。だから前作から控え室が同じなのだ。新一は知らないけれど、もちろんそこに快斗の思惑があったことは言うまでもない。 「本屋ってあそこ?」 「ああ。大きいし洋書も揃ってるしな」 新一が好んで行く本屋はあらゆる本が揃うと有名な大型書店である。以前にも快斗は一緒に行ったことがある。もっとも、新一がいつも持っている本のカバーでそこを贔屓にしていることは行く前からわかっていた。 「俺もマジックの雑誌や何やら見ようっと」 その本屋には快斗が興味のある本も揃っていたから、退屈することなどない。マジック以外でも知識欲が大きい彼には新一同様本を読むことは好きだった。 移動には電車や交通機関を使うことが多いのだが、何分撮影に時間が取られて余計な時間がないことと、人目を避けるために二人はタクシーで移動中だ。後部座席で雑談をしながら流れる風景を見つめる。 元々有名人であるのに、映画のおかげで余計に顔が売れてしまった二人は街中で人に囲まれてしまうことがあった。プライベートだからそっとしておいてくれる人も多いのだが、偶に困ることがある。快斗のように人気商売であれば売る愛想もあるし、ファンが増えればそれはマジックショーに跳ね返る。しかし新一は全く持って迷惑なだけだ。そんな時快斗はさりげなく新一を守っている。 ことん、と肩にかかる重み。 快斗が見ると新一がいつの間にか快斗に頭を預けて眠っていた。昨夜事件があったと言っていたから、あまり睡眠が取れていないのだろう。すやすやと寝息を立てる穏やかな寝顔はいつもより幼い。快斗は新一の頭をそっと撫でて細い肩に腕を回して引き寄せた。 僅かな眠りを守れることに、自分の横で安心して無防備になる新一の信頼に内心嬉しさを噛みしめながら、快斗は口元に微笑みを浮かべる。 「着いたら起こすから、それまで寝ててね」 聞こえないだろうが、耳元でそう囁いて。 「新一、新一?」 快斗は新一を優しく呼びながら、肩をゆする。 「………あ?」 ふわりと瞼が持ち上がり、蒼い瞳が間近で快斗を見上げた。ぱちぱちと瞬きして、やがて状況を悟る。 「俺、寝てた?」 「うん、気持ち良さそうだった。着いたから降りよう」 「ああ」 新一は頷いてタクシーから降りた。すでに快斗が料金も払ってあるため「ありがとうございました」と言われてしまった。後で半分払おうと決めて、受け取らない時はその後でお茶を自分が払えばいいかなどと頭の隅で考えながら目の前にそびえる背の高いビルに入る。 「新一はいつもの場所?」 「文庫と新書が2階3階で洋書が8階。快斗は?」 「俺は専門雑誌だから7階、あとはパソコン関係見て………。それなら8階に行く時に7階を覗いて?もし時間かかりそうだったら電話してくれればいいし」 「わかった」 見る本が違うからしばらくは別行動だ。それにじっくり見たい場合側に人がいると億劫である。同じ趣味ならいいがそうでない場合は一人が一番。 「じゃあ、後でね」 「後でな」 軽く手を上げて二人は別れた。 「ちょっと時間かかったか?」 新一は思いの外発売された新刊以外に目を奪われてしまい、時間を忘れてしまった。急いで快斗が待つ7階に向かった。エスカレーターに乗って降りた7階のフロアをきょろきょろと見回して快斗がどこにいるだろうかと探す。 もし、他の場所にいるなら電話が入るだろうし、メールでもいい訳だし………。 このフロアにいるはずだ、と新一は確信しつつ一回りする。するとある一角で快斗が女性に囲まれているのを見つけた。 (さて、どうしようか?) 新一は迷う。 人気商売の快斗はこういう場合よほどの事がない限り相手を無下には絶対しない。 新一から見ても楽しそうに話しているように見えるし、ここで声をかけてもいいのだろか? ファンから生の声を聞くのは楽しいと参考になると以前快斗が言っていたことを新一は覚えていた。見た限りでは相手の都合を考えない困ったファンでもなさそうである。もしそうであれば声をかけて助け船を出してやるべきであるし、などと快斗の気持ちを全く理解していない新一は思った。 快斗からすれば、新一が一番。 確かにファンの声を聞くのは嬉しい。が、新一に比べるものではない。新一と一緒にいたいから本屋に来ているというのに、わかってもらえていない少々浮かばれない境遇にあった。 しかし、当然ながら快斗は新一が側に来たことに気付いた。彼の存在が側にあるのに気が付かない訳がない。そこには絶対の自信がある。好きな人の存在感や視線がわからないことなど恋する男が廃る。 「新一!!!」 快斗は顔を上げて新一を認めると目の前の女性達に「それじゃあ」と言い捨てて新一の元まで走ってきた。にっこりと嬉しそうに微笑んで「もう、いいの?行こう」と促す。新一が何か言う暇もない。 腕を引き連られるようにしてエスカレーターを上り8階に来る。そして今度は二人でフロアを見て回る。 「良かったのか?」 それでも先ほどのことが気になっていた新一は快斗に聞いた。 「何が?」 「さっきの女性達。お前のファンなんだろ?」 「ああ。いいの、いいの。今日はプライベートなんだから」 快斗は問題ないよと新一を安心させるように笑い器用にウインクする。それはマジシャンであるためか、大層様になっていた。 「ちゃんといつもありがとうってお礼言っておいたし。それに、今日は新一と一緒に来てるんだよ?新一を待ってたんだよ?新一の方が大事に決まってるじゃないか」 「でも、なあ………。本見てるだけだし」 特別本屋で何かする訳ではない。好きな、興味のある本を見たり探したりして過ごすだけだ。本好きでなければ長時間つき合えないし、興味外のものであれば退屈極まりない。だから、わざわざ最初は別行動を取ったのだ。 もっとも、快斗は新一が気軽に見て回れるように別れているだけで、一緒にいても構わなかった。彼の興味は幅広く、新一の好きなミステリもそこそこ読むし雑学だって博識だ。それに新一の横にあってその姿を見ているだけで快斗にとっては十分幸せなのだが、そんなことは残念ながら新一の知ることではない。 「本見てるだけでも、たとえ何もしていなくても、新一を待っている時間は俺の大事な時間なの。誰にも邪魔されるいわれはない」 きっぱりと快斗は言い切る。 「快斗………」 新一は困ったように快斗を見上げる。 「そんな顔しないでよ。この後お茶してくれるんでしょ?」 「………」 新一は無言でこくりと頷く。 「良かった。近くに新一の好きな珈琲専門店があるからそこに行こう」 笑顔の快斗に新一はうんとしか言えなかった。 「結構いけるでしょ?」 「美味しい………」 快斗が連れてきたのは、小さな珈琲専門店だった。メニューは珈琲と2種類のケーキのみ。珈琲好きしか入れないようなマニアックな店だ。 モカ、マンデリン、ブラジル、クリスタルマウンテン、コロンビア、ブルーマウンテン、キリマンジャロ、珈琲の種類だけは豊富にある。 店内には珈琲豆の焙ばしい香りと蒸気が漂っている。飴色の小さなテーブルがいくつかと、後はカウンターのみ。明かりは間接照明だけで太陽光が取り込まれている。 空気自体が、不思議な感じだ。 そう、色を付けるなら透明。 澄んだ色した空気。分子レベルで決して見えないはずなのだが、酸素や二酸化炭素なんかが浮かんでる。肌で、感覚でそう思う。 新一はこくりと琥珀の液体を飲んでその口内に広がる苦みとわずかな酸味を味わう。 (本当に、美味しい………) しみじみと新一は思う。新一は珈琲党であるからかなり味にはうるさい。なのに、どちらかといえば紅茶党、甘いカフェオレなら珈琲も好きと宣う快斗がどうした訳か美味しいお店を見つけてくる。そして、新一を誘うのだ。今だかつてそれが外れたことはない。 珈琲をストレートで飲まないのに、どうして味がわかるのだろか。毎回毎回新一は不思議で仕方がなかった。それは勘なのか? 「なあ、快斗」 「何?新一」 「どうやっていつも、こんないい店見つけてくるんだ?」 心底不思議そうな色を瞳に浮かべて新一は首を傾げる。 「うーん、企業秘密ってとこかな?」 快斗は口元に笑みを浮かべて、目を細める。 「企業秘密?………俺に対する挑戦か?」 探偵の新一に対して、答えず「秘密」という。つまり謎を与えたことになる。新一は上目使いで快斗を見上げて、細い顎に指を伸ばす。思考する時の新一にくせだ。 「そうでもないんだけど、簡単に答えても面白くないでしょ?」 「………そうか?」 「まあ、良さそうな店がわかるだけだよ。人にお勧めとか聞いたりするし。そういうのは新一だってあるだろ?」 「あるけど。だってお前珈琲の味わからないだろ?ストレートで飲まないのに………」 納得いかないと顔に書く新一に快斗は苦笑する。 そんな理由など決まっている。でも新一にはわからない理由だ。 ただ、新一に美味しい珈琲を飲ませたいだけ。恋する気持ちは何をも凌駕するのだ。情報にも敏感になるし、美味しい店だっていつも探している。珈琲だけに限らず、新一と一緒に来たいなと思うからこそ。いつも思考が新一に流れている、それだけだ。 「………じゃあ、魔法ってことでどう?」 快斗は意味深に笑って見せた。 「マジシャンだからって?」 「どう?素敵な理由でしょ?」 「………わかった。そういうことにしておいてやる」 新一もその理由が気に入ったらしい。 そう、快斗が新一のために使う恋の魔法。それは無限だ。 快斗は飲み干したカップを置いて、目の前の新一を真っ直ぐに見つめた。 「あのね、新一」 「何だ?」 「今度ショーをやるんだけど見に来ない?」 「マジックショー?」 「そう。新一を招待したいんだけど」 「………いつだ?」 「来月はじめ。コンチネンタルホテルでディナーショーなんだ」 「へえ〜。あのホテルでやるなんて、すごいじゃないか」 一流ホテルで開催できるということ。当然それ相応の料金だし、ホテル側も質を落とすつもりはないから呼ぶ人物も一流と認めたものだけだ。 「ありがとう。で、どう?」 「いいけど………、絶対って言えないから」 申し訳なさそうに語尾が小さくなる。 新一は確固たる約束ができない人間だ。人の生死が関わる事件の要請があった場合どうしても自分の約束は守れない。優先順位など付けている気はないが、人の命だけは比べることができない。 「それは構わない。事件があったらしょうがないよ。………なかったら、来てくれる?」 「ああ」 新一は頷く。 「良かった!」 快斗は安堵の表情を浮かべた。 事件がなければ、新一は絶対約束を守ってくれるから。普段約束を破ることが多いから、できるだけ守ろうとしてくれる。 快斗のマジックショーに行くのは実際3度目になる。 知り合ってから快斗は新一を自分のショーに毎回招待しているのだけれど、それに来れたことは過去に2度しかない。行くつもりで花まで買って突然事件に行かねばならなかった時もあるし、数日前から誘拐事件に加わってそれどころでなかった時もある。本人不本意に高熱を出して体調を崩したこともある。だから、快斗はショーに誘う時緊張する。 新一が断ることはないと思うが、実現したことが少ないから。 約束が新一の負担になって欲しくはないが、それでも「行く」といってもらえる時の嬉しさときたらない。 自分が尊敬し目標としている父親が以前言っていたことが今ならわかる。 自分の大切な人に見せる時が一番嬉しくて幸せで緊張すると。母と息子に見せるマジックは大きな舞台であろうと自宅の居間であろうとどこでも同じステージ。もらえる拍手と笑顔が何より満足だと。 決して普段の観客やファンを蔑ろにすることではなく、心のよりどころの話なのだ。大切な人に見せる時の気持ちを忘れず弛まぬ努力をすれば、魔法使いになれると。 「がんばれよ」 新一がはにかみながら、励ます。 「新一が目をまん丸にするくらい驚かせるよ。楽しみにしてて」 「それは随分、自信過剰じゃないか?」 揶揄するように新一が笑う。 「自信がなくて舞台は踏めないよ。観客を満足さえられなきゃ、金返せって言われても反論できないし。新一は俺のショーにそれだけの価値がないと思う?」 全くそんなことを思っていない自信に溢れた顔で快斗は聞く。 「………思わない。それだけの価値がある。悔しいけど、俺が見た中ではトップクラスだ。でも、一番はお前の親父さんだけどな?」 ちょっと癪に触ったけれど、新一はきっぱりと認めた。 快斗のマジックは若手の中で実力が際だっている。それでも、人間の生きてきた経験や存在がでるのか父親にはまだまだ及ばないのだが。それでも、いつか追い付くだろうと新一は思う。まだ、そう言葉で言ったことはないけれど………。 「父さんね………。実力が及ばないのはわかってる。でも、目標は追い抜くためにあるんだから、いつか俺が一番って言わせてみせるよ」 快斗は新一の瞳を見つめてにっこりと宣言する。 「気長に、待ってる」 新一は快斗に向かって綺麗に微笑んだ。 |