不完全な僕ら−或いは人並みの生活
「君のこと」



 愛してますよ、とささやいた。
 誰もいない、二人だけの儀式のようだった。朝陽の射し込む、部屋の中のワンシーン。
 それが二人の婚姻と、知っている者もいなかった。

 高校教師の天蓬と、大学院生の金蝉。
 この二人が結婚したことを知るものは、この世の中に多くはない。
 しかし、そんなことは幸せと比例しないもので。
 多少交通の便がよろしくなくても、二人で公団に引っ越し、仲良く新婚生活を始めた。
 とまあ、ここまではありがちな話。
 問題なのは、この二人が同性であること。しかも、片や世間知らずで潔癖、片や切れ者だが、妙なところで無頓着。一見うまくいきそうにない二人の結婚は、それでも穏やかに、いくつものエピソードを重ねながら、ゆるりと流れていた。
 今回は、そんな二人が結婚してから、一月たった頃のお話。


SIDE:金蝉

 大学内を歩く金蝉は、とても目立つ。その秀麗な顔立ちと、派手に長い金髪のせいだ。そんな彼は、どうやら学内でも近寄りがたい存在らしく、友人と呼べる友人も、そうはいなかった。
 だがその中でも、数少ない例外がいる。
「金蝉さん」
 やわらかい微笑みを浮かべ、整った顔立ちの青年が近づいてくる。その顔は、金蝉の夫である天蓬にそっくりだった。
「八戒。なんだ?」
「引っ越しされたそうですね。もし差し支えなければ、新しい住所を教えていただけますか? 年賀状も送りたいですし」
 深緑の瞳が、まっすぐに金蝉を見つめる。金蝉はいいだろうとうなずいて、八戒の手帳に、新居の住所を書いた。
「それにしても、学校から遠くなるのに、どうしてこんな場所に引っ越そうと思ったんですか?」
「……同居を、することになってな」
 結婚、という言葉をかろうじて飲みこみ、金蝉はやっとそれだけ言った。
「同居?」
 金蝉という人物をよく知っているつもりの八戒は、首をかしげて金蝉を見る。間違っても、誰かと同居のできるタイプではないと思ったのだ。
 その視線を受けても、金蝉は特に気にしなかった。そもそも、この青年を気に入ってはいるのだ。天蓬と顔が似ているからというわけではない。天蓬と八戒とは、まとっている雰囲気や、細かい箇所が違う。決定的に違うのは、八戒が時折ふりまく、他者への拒絶だ。
 この青年が何者も必要とせず、また何者にも必要とされたくないという側面を抱えていることを、金蝉は見抜いていた。ひどい虚無を、その身のうちに閉じこめた青年。
 そんなことに気がついたのは、思えば天蓬とつきあうようになってからだった。天蓬とよく似た顔の青年と、天蓬とは何が違うのか。その問題を考えるようになって初めて、金蝉は八戒という人物を、よく眺めるようになったのだ。
「どんな方と同居してるんですか?」
「本をよく読む」
 とっさにそう答え、金蝉は手帳を八戒に返した。
「料理が得意だが、掃除は苦手だ」
 女性かな、と八戒は思った。恋人がいるという噂のある人ではあったし、年齢から考えても、特に不思議なことではない。性格から考えると、他人と一緒に暮らすというのは意外な感じもしたが、まあありえない話ではない、と結論づける。
「綺麗な人なんでしょうね」
 しばらく黙考して、金蝉はうなずく。
「ああ。確かにな。だが風呂が嫌いで、怒らんと入らないからな」
 顔をしかめて言う金蝉に、だんだん八戒は混乱してきた。
「えーと……」
「とんでもないくらいの量の煙草もすう。家の中ではすわせないようにしてるがな」
 腕を組みながら、金蝉はゆっくりと思い出す。
 今朝、「行ってきます」と家を出た、その後ろ姿を。端正な顔をゆがめて笑う、その顔を。
「ケータイをどこにやったかわからなくなることが多いから、連絡がつけにくい。散らかす名人だしな。洗濯をするのも得意だが、自分の服は同じものを立て続けに来ていても気がつかない。ルーズだし、掃除をしても掃除をした場所に気がつかない」
 指折り数える金蝉が一緒に住んでいるのは、いったいどんな女性だろう、と八戒は心の中で、頭を抱える。
「頭はいいが、他のことは駄目だしな」
「変わった方なんですね」
 少しいつもの調子を取り戻し、八戒が笑顔で言う。金蝉はうなずいて、そうだなとつぶやいた。
「変なところで素直になるからな。少し変わってると言えばそうか。俺の側にいると幸せなんだそうだ」
 情報を全部集めると、少しどころか大分変わった人物像が浮かんでくる。八戒は曖昧に笑って、よくわからない同居人を、ぜひとも一度拝んでみたいものだと思った。
「じゃあな」
「あ、はい。今日は何か用事でも?」
「ああ。買い物だ」
 強烈に似合わない台詞を最後に吐いた金蝉を、八戒はどうにか作り上げた笑顔で、見送った。


SIDE:天蓬

 準備室と呼ばれる、教師の部屋の中で、天蓬は煙草をくゆらせた。
「よ、元帥センセ」
「捲簾、どうかしました?」
 この学校の中で、唯一天蓬と同い年である捲簾は、口許に皮肉な笑みを浮かべた。
「お前、結婚したって?」
「結婚……というわけではありませんが、まあ同居といったところですね」
 教室に備えつけの、空気清浄機のスイッチを入れ、捲簾はふーんとうなずいた。ソファにどかっと座り、懐から煙草を取り出す。
「でも、どうして知ってるんです?」
「なんか噂になってたぜ。お前の手帳だか定期入れだかに、写真が入ってたとか。ま、ちゃんと見たヤツはいないみたいだけどな」
 少し胸をなで下ろして、天蓬は捲簾に灰皿を渡した。
「それでなくても、最近さっさと帰ってるお前見りゃあ、なんかあったことくらいはわかるだろ」
 そうですか? ととぼけて見せて、天蓬はちらっと時計を見た。
「次、授業?」
「ええ」
「恋人ってどんなヤツ?」
「イキナリですねえ」
 苦笑して、この人らしいなあと天蓬は思う。たぶん、それが聞きたくて来たのだろう。
「綺麗な人ですよ」
「だろうな。お前が一緒に住むっていうんだから」
「そうですか?」
 ふふと笑って、天蓬は煙草を灰皿に押しつけた。すぐさま次の煙草を取り出すのを見て、捲簾は呆れたように言う。
「相手、嫌がらねえの?」
「家ではすいませんから」
「……マジで?」
 ヘビースモーカーの天蓬が、家ですっていないという状況は、捲簾にはどうにも想像がつかなかった。一日五箱はあけている天蓬が、この教室にいる時以外は、学校の中で煙草を持たない。それで家でも煙草を持たないということは、相当なストレスがたまるのではないだろうか。
「外に出てすうのはいいんですけどね。家ですうと怒られるので」
「元帥センセがかなわねえなんて、すごいヤツじゃねえ?」
 わざとあだ名で捲簾が呼ぶと、天蓬はさらっと言う。
「可愛い人ですよ」
「へー。見せろよ」
「嫌ですね。もったいないですから」
「ケチだよなー」
 お前ってそーゆーヤツだよ、と捲簾が笑う。天蓬はふうっと煙を吐き出して、静かに微笑んだ。
「そうですよ。僕、ケチなんです。意地っ張りだし、時々わがままなんですけど――大事な、人ですから。そのうち紹介しますけどね」
 嬉しそうな天蓬に、捲簾ははいはいと肩をすくめた。
「その人ね、ビデオ使えないんですよ」
「機械オンチ?」
「そうですね。洗濯機の使い方も、未だに把握してませんし」
「……へー」
「掃除機の使い方は、この間ようやく覚えたんですけど、それまではホウキとか、ちり取りとかで掃除してたみたいなんです」
「古風だな」
「料理なんか、全然わかりませんからね。炊飯器の使い方も知りませんし」
「そいつ、何してたわけ?」
「箱入りだったみたいですよ。いいんです。これから少しずつ覚えていけばいいんですよ」
「……オジョー?」
 笑って、天蓬は首を横に振る。
「いえ、違います」
「じゃあなんで……」
「お嬢様ってわけじゃないんですよ。箱入りですけどね」
「だったらさ」
「あ、僕、授業行かないと」
 立ちあがって、天蓬が笑う。煙草の火を消して、机の上に山積みされたプリントや本をひっかきまわして、教科書と数枚のプリントを手にとった。
「ずりー」
 捲簾がむくれた顔をして、天蓬を見る。短い髪の頭をがりがりとかいて、灰皿に煙草を押しつけた。
「ええ、僕ズルいですよ。――でも、ズルくてもいいんです。あの人がいるんだったら」
「ハイハイ」
 嬉しそうな笑みを浮かべて、天蓬は捲簾と一緒に部屋を出た。


 天蓬が家に戻ると、珍しく金蝉が料理を作っていた。
「ただいま帰りました。おいしそうですね」
「イヤミか」
 不格好な生野菜のサラダを見て言った天蓬に、金蝉はふうっとため息をついて言った。
「いえいえ。じゃ、ごはんにしましょうか」
 他の料理を手早く作り上げて、天蓬はさっさとテーブルの準備を始めた。
「金蝉」
「なんだ?」
 その手早さにいらついた表情を見せる金蝉に、天蓬は微笑んでみせる。
 金蝉が持っていた皿を受け取ってテーブルに置くと、金蝉の髪をそっとなでた。
「貴方でよかったって、思うんです」
「何がだ」
「僕の好きになったのが。時々、どうしようもないくらい、そう……思うんです」
 言って、金蝉を抱きしめる。大人しく腕の中にいつつ、金蝉はため息をついた。
「変な奴……」
「貴方だって」
 ふっと笑って、彼らはそっと、くちづけをかわした。

    終  


「つゆほ様よりコメント」

 天金パラレル新婚。鬼から設定をもらって作成。
 別人なくらい甘い甘い2人組みのはず・・・・・・。
 アタマの悪そうな小説ですが、読んでいただければ幸いです。


つゆほ様、ありがとうございます。
新婚の天金♪楽し過ぎます。幸せです。
ラブラブな二人に当てられっぱなしです。
ちなみに、「鬼」とは、つゆほ様を紹介して下さった方。(笑)
私にとっては、仲人さまといった所でしょうか?
ありがとうございます。これからもよろしく。
(春流)

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