マザーハウスにて
- Patients of HIV, AIDS -


  貧しき人々、困窮する人たちの救済に一生を奉げたマザーテレサの施設「マザーハウス」は、インドだけでなく、ここエチオピアにもある。アジスアベバの外れ、アスコ地区にある施設で、沢山の子供たちが生活している。世界中どこの国でも同じように、頭を引っぱたきたくなるような生意気な悪ガキどもがいたりする。そういう意味では、どこの施設とも同様であると言えるが、大きくことなる点は、ここの子供全員が両親をエイズで亡くした孤児であり、また、自らもHIVキャリア(エイズウイルス感染者)であるということである。

  乳幼児から、日本で言えば中学生くらいの子まで250名ほどが暮らしている。ほとんどの子は元気に跳ね回り、一見すると暗い影は見当たらない。しかし、よく見ると顔に吹き出物ほようなものが沢山出来ている子がとても多い。その理由は分らない。また、子供たちの居住施設を周ると、ほとんどの子が外に出ている日中からベッドに横たわっている子もある。側に寄り、話しかけると、熱があり、具合が悪いのだと言う。健康な子でも風邪など普通に引くけれど、免疫力の弱さから心配になる。

  HIVウイルスに感染したからと言って、急に何か具体的な症状が現れるわけではない。ここエチオピアでも、自身がHIVウイルスに感染していることに気付かずに普通に生活している人が多いと言われている。こうした人たちは、ウイルスの影響で免疫力が大幅に低下し、様々な症状が現れてから初めて病院に行き、ここで自分がAIDSだと知るのだという。

  アメリカCIAの資料 "WORLD FACTBOOK" によると、2001年にはエチオピアの成人の6.4%がHIVウイルス感染者となっている。だが、先の理由から潜在的な感染者はもっと多いと推測出来る。例えば、同じアフリカのジンバブエは、同じCIAの資料で2001年は成人の33.7%の人がHIVキャリアとなっているが、赤十字の方から聞いた話では、現実には60%くらいの人がHIVキャリアなのではないか、と見ているのだという。

  ここの子供たちの中には末期患者となっている子もいる。11歳という少年は骨が浮き出るほど痩せこけ、肌のつやはなく、ベッドにぐったりと横たわっている。毛布をかけなおすため抱き上げると、その身体は幼児のように軽く、そして自らの頭を支える力もなくなっており、首の座っていない乳児のように頭を後ろへとがくりと落とした。この少年について一つの話を聞いた。
  「1Birr欲しい」(Birr "ブル" はエチオピアの通貨単位)
  と言うのだという。
  理由を聞くと
  「ビスケットを買いに行きたいから」
  と答え、皆を驚かせたのだそうだ。ただ、ビスケットを食べたいのではなく、買いに”行く”ということに深く考えさせられた。今、もはや歩くことなど出来なくなっている。その年齢から判断して、自らの死が決して遠くないこともはっきり認識しているであろう。それでもお菓子を買いに店へ出かけるという子供らしい日常の感覚・欲望は変わらず持ち続けている。死という特別な時が近くに来ても、人にとって毎日は、間違いなく日常であり続けてるのであろう。

  ここに来て自分の無力さに気付かされている。ここには子供たちだけでなく、10名ほどの成人女性も入所している。先日、私がこの施設を訪れているその時、一人の方が息を引き取った。私に医療に関する何かが出来るわけもなく、ただその方が亡くなっていくのを見ているだけであった。そして亡くなられた後、
  「I'm sorry (お気の毒です)」
  そう一言言うことしか出来なかった。ここに来てやっていることと言えば、子供たちと一緒になって遊ぶこと、大人の患者たちとは、作ってもらったコーヒーを飲みながら雑談するくらいである。大したことは何も出来ない。でも、少しでも心なごんでもらえたら、気分転換にでもしてもらえたら、そう思っている。2本しかない手を握ろうとして伸びてくる子供たちの沢山の手を握り返しながらそう思う。もちろん、本質的な意味では、心なごませてもらっているのは彼ら彼女らではなく、私自身の方だとは分かっている。

  そして今日、またここに来て、再び自らの無力さを痛感させられた。前回来た時には会えなかった末期の11歳の少年に会えたのだが、彼には新たな症状が現れていた。今度は全身、特に頭部全体がむくみ、無残なほど腫れ上がり、片眼はふさがり、全身に水疱が出来、一部は破れ、ただれていた。痒がっているが、自らの手で掻くことも、もはや満足には出来ない。また、別の成人女性は、この前敷地内で摘んだ花をプレゼントしたこの女性は、笑顔で会話した前回と異なり、口を利くこともなく、虚ろ眼をしながらぐったりと横たわっていた。医師でもあるここのシスターによると、2人とも今が山場なのだという。そして、
  「各種注射投薬などやるべきことはやるが、でも、これが人生だ(That's life)」
  静かに、かすかな笑みさえ浮かべながら話してくれた。AIDSでは、延命は可能でも救命は不可能である。最大限の努力をし、それでも手が届かぬ時、人は祈ってもよいのだと思った。ただ祈るしかない。シスターに頭に手を乗せられ、神への祈りの言葉をかけられている間、少年は何を思っていたのだろうか。

  今も次々と入所者が、普通よりもはるかに足早くこの世を去っていっている。
 



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Mother House (Addis Ababa)

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