MORI Hiroshi's Floating Factory
Model Railroad Workshop

<機関車製作部>

工事のまえの静けさ


 ガレージの前から西庭園を望んだ写真。松が何本かありますが、今回これらを切りました。

/☆Go Back☆/
 欠伸軽便鉄道弁天ヶ丘線も建設開始から3年間が過ぎました。最初のエンドレスは半径1mのカーブで1周が12mでした。芝生の上に置いただけのこのエンドレスが弁天ヶ丘線の始まりか、というと、実はそうではありません。

 現在のところに引っ越すまえ、小さな中庭とガレージの一部に、半径1m+直線3mほどのエンドレスで5インチゲージの運転をしています。これが弁天ヶ丘線のルーツ。機関車は、ワークディーゼルで、これはその家のガレージで組み立てられました。当時に、既にAB10のシャーシも購入していました。人知れず、ちゃくちゃくと準備をしていたのです。

 また、そのまえは、5インチではなく、3.5インチの直線を9mほど引いて、OSクラウスライブスチームを楽しんでいました。前進と後進の繰り返しです。これがまだ10年も昔の話ではありません。それを組み立てた当時はマンション住まい。子供は2人とも小学生。借金はありませんでしたが、代々受け継いだ家や土地もなく、公務員の月給で、家族4人を養わなければならないし、いくら仕事をしても残業手当は一銭もない職場でした。この状態で、庭園鉄道の建設を思い描いたのですから、無謀な話だったでしょう。確かにスバル氏は呆れておりました。でも、小さいですが、一応ここまでは発展したでしょう?


 以前のレポートの写真で解像度が低いですが、1枚目は、まえの家のガレージでワークディーゼルの試運転をしたとき。この家は、住宅金融公庫と大学に借金をして建てましたが、土地は借りただけのものでした。そして、2枚目が、現在の山の上の土地に移って、最初に開通した小さなエンドレスです。このときには、まだ垣根がありました。ガレージが建つまえです。少々、懐古してみました。

 さて、2004年は、シーナリィストラクチャの年にしよう、と宣言しました。具体的なものを考えず、最初にこういった抽象的な目標を立てるのが、欠伸軽便鉄道の特徴です。この社長のイメージをなんとか具現化するのが、部下の仕事になります。

 とりあえず、元旦早々制作した給水塔が、一応ストラクチャでしたが、こんなものでは駄目です。やはり、ストラクチャといえば、とかとか。それに、そのまえにシーナリィ(樹木とか地面とか川とか)を考えなければ、何も進みません。とにかく、何はなくとも、まず計画を立てること(社長命令なので)。

 しかし、シーナリィを整備するならば、さきに線路配置を全面的に見直してはどうか……。今は、西庭園線ガレージ線の2つの独立したエンドレスと、それをつなぐバイパスで、大きなエンドレスが開通していますが、建設中の北デッキ線が西庭園線に連続すれば、もう1つ大きなエンドレスが加わります。エンドレスが多いのは、大勢で別々に遊ぶのには向いていますが、自分1人で走っている場合、すべてを一筆書きで通れる路線の方が、ロングランが楽しめるでしょう。

 ということで、急遽、路線の変更を決意。庭の整備もあるので、庭師さんとも相談。かなり広範囲にわたる工事を計画することになりました。こういった工事になると、一時的に路線が不通になりますが、なんとか夏頃の開通を目指して、何段階かの工事を順次進めていきたいと考えています。しばらく、充分に機関車たちを走らせられないかもしれませんが、暮れから年明けまで、散々楽しみましたので、未練はありません。もちろん、2カ月ほどは、資材の準備や各方面への手配がありますので、このままです。とにかく沢山図面を描きましょう!


<庭園の課題>


<工作室防寒対策>


<トレーラのボディ>


<またまた暖かい週末>


<工事の予感>


<この松を切ります>


<森林は残したい>


<監督日向ぼっこ>


<松を切りました>


<運材列車>


<相変わらずのホビィ・ルーム>


<ぽかぽか日曜日>

/☆Go Back☆/