日々是好日・身辺雑記 2009年9月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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「含有塩分率0%枕」

言っちゃナンだが、私はも〜〜〜〜〜のすごくマザコンである。

なにしろ、いまだに私と母は「交換日記」をしているのだ!(照れるね・笑)

よく聞かれる「友達のような親子」というのではまったくない。
むしろ古風に、母は昔を語り長い人生を生きてゆく知恵を授けてくれ、私は母を慕い尊敬し、日々の暮らしを報告し、流れの速い今の時代を生きてゆくコツを、ちょっと聞きかじりで教えたりしている。

母は数えで80才になるのだが、背筋がピンと伸びて、ちょっと座骨神経痛がある以外は、フットワークも軽く、知恵があって、カラッとした性分で、優しい。(このところ毎日、入院中の身寄りのない旧友のところに、身の回りの世話とおしゃべり相手に、バスに乗って電車に乗ってまたバスに乗って、通っている。

私の「身内の死」というと、母方の祖父母と父の実母は私が産まれる前に他界していて、唯一生きていた父方の祖父が私が7才の時に亡くなった。
夜中の電話での報せだったのだが、訳も分からず「大泣き」した覚えがある。
私がものごころついた頃の祖父は下町の家で寝たきりの生活で、遊んでもらったとか優しくしてもらった記憶もなく、おまけに父と後妻さんは性分が合わず、会えるとしても月に1〜2回、もっぱら母に連れられてだったのであるが。
「人の死」というものはこういうものかと心に刻みこまれた。

さあ、それからが驚異のマザコン炸裂タイムレコード告白なのだが。

私は7才からはたち過ぎまで、毎晩
「もしもお母さんが明日死んじゃったらどうしよう。」
と想像して、泣きながら眠っていたのである!
昨年私の入院中に母が家に来て、あまりにも重くてごつごつした枕なので買い換えてくれたのであるが、
「お母さん、その重たさとごつごつは、かくかくしかじかの理由で、十数年分の私の涙が作った『塩』です。」
と言ったら、驚いていた。そりゃビックリもするわな、「塩枕」(笑)。

何しろ父も変わり者、年の離れた兄も変わり者で、おまけにものすごく仲が悪く(兄はついに父の葬儀にも来なかったし、養母の死んだときも、父と顔を合わせないように夜中に教会に来た)私の思春期はひたすら「母が『太陽』だからこの家族はなんとか成立しているんだ!」という緊迫感あふれるものだったのである。

母方の祖母は享年60、私の産まれる直前にガンで亡くなったのだが、遺影を見ると、着物を着て、総白髪を結って、とっても「お年寄り」である。
なにしろ昭和40年代の初めまでは、新聞に「老女はねらる」というタイトルの交通事故の記事が載っていて、よくよく読んでみると「老女」とは「54才」だったりしたのであったからにして。(今の私と7才違いじゃん!)

「人生7掛け論」というのがあって、栄養状態と医学の飛躍的な進歩で、そのころと現代の日本人では「実年齢×0.7」の年齢と考えるのだそうだ。
ということは、私は「33才前」で、母は「55才ちょい」である。
おまけに彼女は学制会改革の波にもまれた旧制女子師範学校(今の学芸大)の最後の卒業生で、本来の「小学校と、中学の国語教員」に加えて、あまりのおてんばっぶりで、ついでに「中学・体育」の資格まで取っちゃった(笑)位のしっかりした体力の持ち主である。
これから2世帯住宅を建てて、一緒に暮らそうということになっているが、多分大病をしないかぎりは、在宅介護で100才までは生きてくれるんじゃないだろうか。と思うようにしている。
(なにしろ世の中には「102才で背筋ピシッ、ハイヒールはいた現役OL」という方もいらっしゃるのであるからして。)

というわけで、新品の枕はいまだ含有塩分0%なのである。

            

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