日々是好日・身辺雑記 2009年7月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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7月某日「8月30日」

さて、多分ここをご覧になっている方のほとんどが選挙権をお持ちだと思うのだが、8月30日の衆議院選挙、投票に行かれるのであろうか?。
日本という国はきっと今ものすごく大きな転換期にあると思う。
誰かにとっては「良くなる」だろうし、誰かにとっては「悪くなる」だろう。
その比率は分らないし、その深さもさまざまだろう。現在の支持率調査がそのままいけば、与野党逆転するかもしれない。

 たとえば現・与党のツケをはらって、新与党はとんでもない泥たまりな道を洗い流すために、自分は泥だらけになるかもしれない。
 で、今回の次の選挙で、元の与党が綺麗ななりをして、ツケを払って泥まみれの新・与党を指さして笑うかも知れない。任期4年なんて、あっという間の時間だから。大変革をするのに、アメリカのブッシュjr.大統領からからオバマ大統領までの道のりも長かった。
 小泉内閣(もうそのあと3代変わっている)の「平成の大転換」の結果が良かったか悪かったかは個人の考え方次第だろうけれど、国政に大きな「てこ」を使うには時間が必要である。そのとき泥まみれの者を笑いながら指さして、「やっぱり前の方がよかった」
と気軽に支持政党をシフトする前に、今の各政党のマニフェスト(公約)をじっくり読んでおこう。

 私は選挙のたびにいろんなことをものすごく考えるし、過去、棄権は、急な病気でどうしても当日投票所へ行けなかった1回だけで、とにかく「投票」はしてきた。「投票は国民の権利」だと学校の教科書では教わったけれど、政府から見たら、の視点で、それは国民側にとっては「義務」でもあると 思うからだ。 少なくとも「積極的な棄権の理由」がある場合を除いて。

だって、これだけしかないではないか、国民として堂々と国にもの申す方法は。

ちゃんと税金払った、年金も(将来まるでアテにならないけど)払った、交通ルールも守った、「ゴミのリサイクル法」だって守ったし、「介護保険法」というまだまだ穴ボコだらけの制度の中でも養母の介護精一杯やった。
「国をぶんなぐっていいカナヅチ」とゆーものがあったら、いっそ何発かお見舞いしたい 気もするが(笑)、やっぱり暴力はよろしくないので、代りに私は投票所に行く。
        
その昔働いていた某所は、土日もなければ昼夜もない、ごっついハードなとこだったけれど選挙の日だけは、ふだん厳しい上司も、「遅刻」や「仕事の中抜け」を必ず認めた。
後輩のひとりTちゃんは、気だてが良くてチャーミングなコだったが、しかし絶対投票に行かなかった。
「だ〜って、私の1票なんかで日本ってゆー国は変わらないもの。」
というのがその理由であった。
 ある日の修羅場、ほんのつかの間の休み時間、政治の話になって、Tちゃんが「でも、しょせん今の政府は・・・・」
と言いかけたとき、上司はピシャリと遮った。
「お黙んなさい。 投票に行かないあなたに、ここでグチをこぼす権利はないわ。」
     
数年後、Tちゃんは結婚していささか山深いところに暮らすようになった。
お相手は地場産業に関わる人である。 Tちゃんは「その会社に影響力を持つ代議士の『センセイを』囲む婦人の会」に入って、選挙の時にはあちこち、応援の手を振りに走り回っているそうだ。 はやいハナシ「さくら」である。
     
誰の支持政党も、私は問わない。
ただ、みんな自分の意志で、「選挙」というものとつきあって欲しい。
あなたの1票は、あなただけの1票なのだから。




7月某日 「助手席の品位」
だれにでも口ぐせはあるものだ。
だから私はおならをする時
「おっと出ましたへい介さん。」と言い、また出たら
「またまた出ましたぷう介さん。」
と言うし、立ち上がろうとする時や座ろうとする時は
「ドッコイ庄之助」
と言う。くしゃみなんか大小にわせて
小・「ハクション!ドッコイショ」
大・「ハックショ〜イ!!、とこのスットコドッコイ!!」
と使い分けて言うのである。駅なんかでとなりの人がくしゃみをすると、つい口に出してしまいそうで、困る。
(この場合ドイツでは「ゲズントハイト?」と言う。「大丈夫ですか?」とか「お大事に」の意味であるそうな。)

ところが、である。
先日ドッコイさんの運転する車でT地路を直進しようとしたら、マナーの悪い右折の車がいきなり突っ込んできて、急ブレーキ。とっさのひとことは、

「あら!あなたお気をつけあそばせ!」

だったのである。言われたドッコイもびっくりしたろうが、言った本人も驚いた。
何だってここで「あそばせ言葉」が出るのかな。
大好きな「大岡越前」のDVDをこのところドップリ漬かって見たからかな?
(私は忠相・主人公加藤剛さんの母、加藤治子さんのファンなのである)

とにもかくにも、私はナビゲーターとしては、品の良い事が立証された。

何の役にも立ちませんが(笑)


7月某日

走るなメロス

ああ、太宰治は文章上手いさ。とってもね。
こんだけ才能あれば多摩川上水に身投げもするわいな。
でも彼の筆にかかると、こんな内容も美化されてしまうので要注意である。

メロスは愚鈍なテロリストだった。
噂を聞いただけで逆上し、王の暗殺にのこのこ出かけてしまったのだから。
しかもとっ捕まってからの言動はどうしようもない愚か者である。
「妹の結婚式があるから返してくれ。」
(って、最初村にいたんだから暗殺はその後にすりゃいいじゃんか)
「親友のセリヌンティウスに身代わりにしてくれ」
って、おいおい、それは勝手にしないで、まずセリヌンティウスの承諾をもらってからだろーに。
「はいよ」と命の問題をあっさり引き受けてしまう友も友である。
こんなのが甘やかすからメロスは調子にのるんである。
メロスがおめでたけりゃ、友も友である。

結婚式でとっとと帰りゃいいのに、いらん説経を新郎新婦に言って聞かせ、バカめ、時間はせまっているぞ。
帰り道では追いはぎと川の激流のオプション付きである。
どっかの農家の馬でも盗んででも、メロスはとっとと都に「とにかく時間通りに帰る」という約束を果たさなきゃならない。
ところがバカのひとつ覚えで、すっぽんぽんのメロスは「走る」のである。
ここいらへんの太宰の筆は上手いぞ、「あれ?でも・・・」なんて言わせないからな。有無をもいわせずメロスを走らせる。

とにかく処刑場に飛び込んだメロス、セリヌンティウスに向かって「オレをなぐれ」。殴る方も殴る方だ、殴っといてから、「オレも殴ってくれ」って、これ人と人との問題だから良いけど、国と国とがやると戦争起こるね。「始めに殴りありき」じゃね。

私が一番不気味に思うのは、この行き当たりばったりな「友情さえあればなんとかなる」ちゅー無責任な小説が、全国の中学の国語の教科書に載っているという事実である。

7月某日

「あ”−、絶不調〜!」という「波」

のようなもの、みなさんにはありませんか?
私はあります。いまがまさにそれですね。
ラジオの音にも、空気の重さにも、車の速さにも、ついてゆけない。
まるで「皮を剥かれて赤裸な因幡の白ウサギ状態」。
薬飲んで、横になって、でも、あー、耳鳴りがやかましい。(これ持病なんだわ。)

こーゆー時はじっとしてやり過ごすしかないね。

目を閉じればまぶたの裏は書いてもらいたい画面がぎゅう詰めでキシキシ音をたてる。
まだ書いていない言葉が奇術師に切られるトランプのようにものすごいスピードでひゅんひゅん流れてゆく。専門の医師の話では私は少し珍しい脳の持ち主なんだそうで、「自己保全ではなく自生探究している」のだという。よく分からん(笑)がそういうことらしい。(ヨロシク)

私は、まだ1998年頃の絵を描く力が復活しないかと願っているのだ。もう若くないのに。(ホント、漫画を描くのは力と繊細さが同時に求められるやっかいな作業である)
意気地はないがしぶといぞ、私は。

7月某日「東京タワー」

昨年は東京タワー生誕50周年だったそうで、大変な賑わいだった。
地上波デジタルがどーのこーの言ったって、この美しい建造物は残るんじゃないかな。周囲を高層ビル群に囲まれても、高速なんか走っていてパッと見えると
「あ、東京タワーだ!」
と思ってドキッとする。

もう20年以上前になるが、恋人とふたりで行ったことがあった。時はクリスマスイヴ。展望台に登ろうとカップルがズラーリと行列。
しかし、私たちは登らないで、4本の支柱のひとつの所にあるベンチでシャンパンを飲んでいた。
「そいうえば、ドロボウが東京タワーに登って逃げて、力道山が根本を揺さぶって落っことす映画があったねー。(あのドロボウはどうなったのだろう?)」なんて話をネタに、東京タワーを見上げていた。

あの日、あの時、東京タワーは私たちのためだけにあった。
ずいぶんと贅沢な恋愛をさせてくれたものだと、相手には今も感謝している。ただ、現在行方不明なのが悲しい。
どこにいるのだろう?三叉神経痛という難病の持ち主だったけれど、今は元気だろうか?
あの日の、あの夜の東京タワーのことを、彼はまだ覚えているだろうか?


7月某日「お中元」

メンバーズカードを持っているデパートから分厚いカタログが送られてきたら、「お中元シーズン」スタートである。これは夫婦親戚人付き合いの義理が堅くなって、30代になってから始まった。

義父さんの「気楽にいこうや」のひと声で、かなり軽いものにはなっているのだが、ドッコイさんは小なりと言えども本家の一人息子なので、しかも両親とも大家族で、しかも義理堅い地方の出なので、ナンノカンノ言ってもかかるものはかかるんである。
それに恩師、先輩、夫と私の親友夫妻と、数えてみたら結構な物入りである。
これから家を建てるためにローンを組まなければならない身なので、財布の紐はちょっときつく苦しい。

「家は女で保(も)つ」というけれど、やりくり算段は気ぜわしく、この大不況の中「ボーナスいくら出るのかしら。大手が昨年より2〜30万低いというのだから、ウチは下手すりゃ出ないね・・・・」などとほおづえついて鼻の下にボールペンくわえて、降る雨を眺めている。


            

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