日々是好日・身辺雑記 2007年9月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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9月某日「二千年後にゃマリリン・モンローっ!?」

「技術屋(エンジニア)」ってのは、どうしてこうウソがつけないのかねえ。
と、「技術屋の娘」である私はしみじみ思う。
ウチのドッコイも「技術屋」である。
正直すぎて時々困る。
軽口(ジョークのキツイやつ)をかますと混乱してしまうらしい。

友人はミュージシャンだった。 その所属している音楽事務所の社長が結婚!
てなわけで、当時まだ珍しかった和食系のファミレス貸しきりで式&披露宴。
友人はBGMのエレクトーン演奏係。
で、その御夫君がね、T大卒で、日本で3本の指に入る自動車メーカーのエン
ジニア経由、「もっと研究したい」で大学院生。 これがまた無口な人でねー。

奥さんエレクトーン演奏しつづけ。 周り全員ミュージシャンか親戚関係。
で。 なんだか隣でその御夫君と時間つぶしに話していたわけだ。
「・・・あの・・・『ニュートン』って科学雑誌知ってますか?」と御夫君。
「あっ、はいはい、知っていますよ。」と私。
「それのアメリカ版最新号に載っていたんですけど・・・人類は二千年で人種
が変わるって・・・。」
「は?」
「・・・アメリカの、黒人奴隷の子孫、同じ部族出身者で婚姻を繰り返してい
るのに、肌の色、あきらかに白くなっているんだそうです、くせっ毛も・・・」
「はあ。」
「土地の日照時間とか水質とかにも左右されるようなんですけれど・・・
住む大陸が変わると、外見的な人種の特徴も変化するようです。」
でしょうね、でなけりゃフィンランドやハンガリーの人の金髪碧眼、説明でき
ないもん。(彼らは元・アジア人だ)
でもきっと、この人はそんな文化地理は知らない世界に生きているのだ。

「じゃ、なんですかねぇ、私これからアメリカに移住して二千年長生きしたら、
マリリン・モンローになれますかね!?」
「はぁっ!?・・・・・・・・・・・」

あーぁ、「はぁっ!?・・・・・・・・・・・」かぁ。
どうしてここ一番ってとこで、ギャグがすっぽ抜けるのかねえ、科学の人は。
友人は、といえば披露宴の最中、すまして「魔法使いサリー」のテーマソング
をちっとやそっとじゃ分からないように編曲して、バラード調で弾いている。
こっちとら「夢を売る商売」といえば聞こえはいいが、早い話「ウソつき」。
つぶらな瞳の科学の人と、交わした視線が忘れられない。
 



9月某日にんげんだものだもの・無視だもの みつを 

かつて私はバーテンダーの資格を取ろうかと半分本気で思っていた、が。
や〜めました。 
あまりにもカクテルレシピが多くて覚えられないし、しかも対面商売の立ち
仕事、客を魅了するほどに凛々しくなくてはならぬ。 猫背の居職モノ描き、
畳のけばのようにぞんべろりんの私には無理!と、悟ったからである。
飲ませるより呑むほうが楽しい。
腕のいいバーテンダーさんには下戸の人がけっこう多いそうだ。
呑むより飲ませるほうが性に合っているのであろう。

ドッコイ(下戸)が江戸後期の茶碗やそば猪口をいろいろ買ってきては、
「はい、これ使ってお酒呑みなさいねー。」
と言ってくれるのは、きっと奴っこさんが「バーテンダー体質」なのだと思う。
 
で、話はすっ飛んで、私は「五木さん」はそんなに怖くない。
飼えとか触れとか言われると困るが、見て「きゃ〜っ!」とパニックッ!
ということはない。 出くわした範疇が攻撃可能圏ならスリッパの裏で
パッヘとひっぱたいて、ティッシュでくるんで、床とスリッパの裏を拭
いて、ゴミ箱へポイ、以上である。 攻撃範囲外なら
「あー、はよ行きなはれ」
と、なぜか上方弁でほいほいと威嚇して御退場いただく。

しかしね、本読みながら呑みさしの日本酒一口・・・・と、江戸後期の網代
文様のそば猪口をふいと手に取ろうとしたら、大きな五木さんが後脚でアク
ロバットのように猪口のふちに体引っかけてわたくしの貴重な酒をちびりち
びりやっていやがったよっ!
手のひらでパッシとフタをして、台所へ。
指の隙間から台所洗剤を1ダッシュしたうえに、シェイキング・タイム〜♪
私はカクテル・レシピを考えるのは好きだが、バーテンダーに憧れもしたが、
こーゆーシェイカー振りはイヤダッ!!!
(五木さんは脂性なので、洗剤に弱いです。)
 
「見えないモノは居ないも同然」
と勝手に決めて、改めて日本酒ちびちびやっている私の酒の肴は、
「諏訪名物・ハチの子の佃煮、しかも義父さんと義母さんの自家製」。
なんたる無神経と神経質の同居なんだ。 でも蜂の子は視力低下に効くぞ。
 
五木さんもノミさんもダニさんも、その他モロモロ訳のわかんないのまで、
団地暮らしの上下左右、あちこちで禁じられた四つ足さんを飼っていらっ
しゃるらしく、そこがバルサン焚くたびにわーっと獣道を通っていろんな
引っ越しをしていらっしゃるので、いちいちキャアキャア言ってちゃ身が
持たないのだ。
 
え?そば猪口? 二度洗いして、キッチン用のアルコール・スプレーで
さらに消毒して、もいっかい洗って念入りに拭いて、食器棚の奧へ。
この「おぞましい記憶〜!」が薄れるまでは、しばし休眠しててね。




9月某日「うちわ(団扇)」

霧雨でもヨレる原稿用紙=洋白紙。 どんどん波打っちゃう。
(「紙が風邪をひく=劣化する」ってことよ。)
昔石川県(日本海側)の漫画家さんが、
「消しゴムかける直前は、1年12ヶ月・毎日ドライヤー手放せませんよー。」
って言っていたな。 しかしカラー原稿乾燥させている時に、ドライヤー無し
(ビンボだから)、ドライヤーあっても熱風強すぎて、薄ーい水面に浮かんだ
絵の具の顔料が流れちゃう場合は〜〜〜。
「奈良団扇」でパタパタするのが一番楽ちんで重宝です。(20年ものだー。)
これ全面張りで(根もとのスダレ状空間がない)代わりに紙面にすかし切りが
入っていて、丸竹が軽くって割った竹骨が密で、よぉぉ〜〜〜くしなるので、
風がやわらかくて、強弱・方向・思いのままよ。
あ、もちろん画材としてだけじゃなくて、顔面にも襟元にも嬉しいです。
奈良市三條通・池田含香堂の奈良団扇、最後のひとりになっちゃった職人の
おじいさんはまだご健在かな。 
元気で団扇作って下さい。 ウチは奈良団扇派で、もう何本あるかな、
って状態なんだけど・・・たぶん10本位ある・と思う。 実家とウチと、
その他あっちこっちーと、どっかにちらばっちゃってて、何本買ったか自分にも
分からんけど、大切な友人に贈りたいアイテムのひとつです。




9月某日「アミニズム(八百万=万物宿神)の国・日本」

古事記に「万物に神さまが宿る」と記述が見られるのは奈良時代中ごろ、
その頃の日本の人口約500万人である。
今現在の20人に1人しか大都会のスクランブル交差点でのもすれ違いも、
満員電車での押し合いへしあいも、球場満員の観客ウェーヴもないとしたら。

日本人は、この小さな、東の、海の果ての島国で、1年間にダイナミックに
4つの季節の訪れる国に生きてゆくことで、他に類を見ない独自の感性を
得た。
(別に選民意識があるわけじゃなく、「枕草子」を読めば一発で分かる、
多様性の一形態に過ぎないのだが。)

太陽の輝きと空の青さ、雲の多彩さ、漆黒の夜空や満天の星を仰ぎ見て、
森の緑の滴りを嗅ぎ、ガツゴツ硬い岩やサラサラな砂の感触を足の裏に
感じ、カサカサと音を立てて脆く崩れる枯れ葉や光る蛍の蠱惑的な青白い
光りの幻を、そっと握った手のひらで知って、それをさらってゆく風の
さやぎを聴いて。
私たちは「総てのものに命=神が宿る」という結論を、とりあえず得た。

荒れ野で「唯一の神さま=一神教」を得た人たちもいるし、海を越えて
別々の「唯一の神さま」がいまだにドンドコ争って、殺し合っている、
胸の張り裂けそうな悲しいケースもある。
問題はもうとっくに地球規模で逼迫しているのだし、その中で、飢えて
死ぬ子供も、望まれずに生まれてしまう赤ん坊も、ふたつの祖国の狭間で
苦しみ、武器を手に取る若者もいる。

思春期を修道院付属のよーなお堅いミッションスクールで過ごした私は、
とにかく「創世記」の最初の一章目でいきなりひっくり返りましたよ。
ねえ、神さま。
「7日で世界をお造りなさって、しかも7日目には
『これでよし、今日はお休みとしよう』!?」
実質6日のやっつけ仕事だもの、もう凡ミスが多いったら〜っ!(笑)




9月某日「五十日紅・さすっ

いやはや、我が街ではでんでろりんに長〜〜い酷暑のあとでスパッと秋が
きちゃったもんで、どこの花壇も庭も大騒ぎである。 山梔子は返り咲き
するは、鶏頭の花やら朝顔やら向日葵やら水芙蓉の淡桃色やら、もう、
アワワワワ〜〜〜〜ッてなカンジで咲き誇りまくり、
「秋ってこんなんだったっけ?」
状態である。 一番のとばっちりは百日紅(さるすべり)であろう。
咲いてはこぼれ、咲いてはこぼれして、白・桃・紅色と、とにかく花期が
長いのだ、が・・・・・幹の樹皮がツルツルでお猿さんが登ろうとしても
滑っちゃうので「百日紅=さるすべり」とはよく言ったもんだが、
今年の百日紅は「五十日紅=さるすっ・・・・」程の慌ただしさである。
あーあ、とにかく秋が来たんだは。




            

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