日々是好日・身辺雑記 2007年7月
(下にいくほど日付は前になります)

 
以前の雑記を読む


7月某日紅蘭(爆発)女学院!」

そこいらへんにうっちゃらかしといた同窓会からの封筒を何となく
開いたら、へー、今年で創立107年かぁ〜、長いなあ。
で、今の校名になる前って・・・・「○浜紅蘭女学院」・・・?!
「学校は爆発やぁっ!!」
・・・・・驚いたわさ、そりゃ〜もう。
科学の実験に、家庭科の調理実習に、体育に美術に音楽に古文に?
毎日どっかんどっかんってやってるのってスゴイかも(笑)。




7月某日「両刃の剣(もろはのつるぎ)」

台風は来るは地震は来るは、まったくとんでもない連休週末であった。
長野の被害は北部のみで、ドッコイの実家のある中部は無事だったのが
(長野県はでっかくて細長いので横3分割で気候が違う)せめてもの幸
いだったが、彼は15才からは北部の高専の寄宿舎で過ごし、大学は院
の途中まで新潟で下宿暮らしだったので、あちこち電話で無事を確認し
ていたようだ。

まだ梅雨は続き、田畑は亀裂がかかり稲が冠水し、厳しい暑さと湿気の
夏がもうすぐやって来る。 人は地球に優しいが(優しくしようとして
いるが)地球は時に人に厳しい。
今、地球という天体はひっかき傷だらけ、吹き出物だらけ、アザだらけ
である。 人間が産みだし、発達を続けている文明は「両刃の剣」だ。
私たちはその剣の、片方の刃を上手く使いこなしつつ、未来へのヴィ
ジョンを注意深く模索していかなければならない。
建てちゃった原子力発電所が断層直下なんて、シャレにもならんは〜。
(タメ息)




七月某日「いつか、聴かせて」

人ひとりの「死」というのはとても重いものだ。
ましてそれが「師」であれば。

もっと教わりたかった、話を聴きたかった。
関東大震災の時すんでのところで命拾いしたこと、線の細い子供で、雨の日
に傘をさして歩いていたら風にさらわれそうになって、目の前の八百屋のお
じさんが宙に浮かんだ体を抱き留めてくれたこと・・・。

養母とそのパートナーの物語は、養母が明治40年生まれで享年97、パー
トナーは明治42年生まれで享年98(あとちょっとで99)、「日本画家
とお坊さんは長生き」の言葉どおり、明治・大正・昭和・平成のほぼ百年を
生き抜いた。 そして、もう会えないところへいってしまった。

天国とか極楽とかがあるものならば、私は(ロクデナシの穀潰しだが・笑)
せいぜい精進してなんとかたどりつくから、それまでおいしいお茶でも飲ん
で待っていてください。
・・・というか、あのふたり天国でも日本画描いていそうだ・・・(笑)




            

トップへ戻る
     
「雑記」メニューに戻る