日々是好日・身辺雑記 2007年1月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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1月某日「日曜日・子供の朝ごはん」

しぶとい風邪引きもどうやらやーっと落ち着いたようで、ふうぅ。
なんだか「咽→鼻水→筋肉痛→・・・・」と、やたらもったいぶった
風邪で、短気な私は「いっそまとめて来んか〜いっ!!」と布団の中で
かんしゃく起こしていたのであった(笑)。
ああ、不義理もいっぱい、頂いた年賀状のお返事もまだだわさ。
多分「寒中お見舞い」通り過ぎて「春のご機嫌伺い」になってしまうなぁ、
これは。(遅筆〜ッ・汗笑)

友人宅は夫婦揃って「ノロウィルス風邪」にやられたそうで、大変。
私は、恐れていたもののどうやら「ノロさん」はパスできたようで。
数年前、上を下への大騒ぎインフルエンザで(トイレ通いは百回で
めんどくさくなってカウントするのをやめた)胃酸のおかげで
「逆流性食道炎」起こして、血吐いて救急車のお世話になったのだった。
年と共に風邪を引くのがしんどくなる。 ふう、やれやれ。

連日布団の中でぼやや〜んとしていたら、ふっと子供の頃を思い出した。
「日曜日の朝ごはんは子供が作る」のが我が家の、なぜかお約束だった。
メニューは決まっていて「サンドウィッチと紅茶とサラダ」。
オイルサーディンが兄担当、私は卵やハム、チーズ担当。
12枚切りの耳を落とした「サンドウィッチ用のパン」なんて高級なもんは
なくって、いつもはトーストにする6枚切り食パンを、そろ〜っと横から
包丁入れて12枚にする。(これがまた子供の手には難しい・笑)
「卵にはピクルス添えるとおいしい」とか、
「タマネギは軽く塩しておいて、水にさらしてから絞るといい」とか、
子供なりにいろいろ工夫をして、少しずつ「料理」を発見していった。

料理は火を使う、水を(湯を)使う、刃物を使う、毎日あたりまえに
やっていても、やはり「もっとも危険な家事」ではある。
浸透圧と加熱方法と食材の切断方法を考えれば「料理=科学」である。

子供の手だから、大人から見れば、失敗も、もたつきもあっただろう。
しかし、父は新聞を読み、母は子供のアシスタントをしながら、
「おいしいものを食べたければ、自分で工夫を重ねなさい」
と、ゆったり見守ってくれた親に、今とても感謝している。

さて、今度の日曜日、ドッコイの朝ごはんは何にしよう?




1月某日「湧き水」

お正月なのでドッコイのお里へ行ってきた。
この年中行事も数えたら11回目、それ以前からドッコイとは5年間の
「お友だち→婚約者」の期間があって、あらら、長いなぁ16年かぁ(笑)。
しかし、おもしろくて飽きないんである、ドッコイという人は。
そしてまた、とんでもなく辛抱強いんである、ドッコイという人は。
「自分自身ですら『自分』が手に負えない性分の、暴発する花火のような」
私を相手にして泰然としている、エライッ!んであるドッコイという人は。
さすがは「信州・ソバ育ち」である。
「ソバのように「長く、しっかりお付き合い(笑)」
いいヤツだ、ドッコイって。

しかし、16年という年輪は、確実に体にも心にも刻まれていて、
義母さんは脳溢血の後遺症で左半身に麻痺があるし、義父さんは心臓を
悪くして、ここ数年は「空気濃縮機」のお世話になっている。
(外出するときはボンベ引いて行く。)
息子のドッコイも、その相棒の私も病気持ちで、東京に帰れば、あーらら、
とーちゃんは脳挫傷で半身不随、とゆーか、それから肺炎4ヶ月やって
胃に穴開けて栄養と水分をとっている状態で、全身不随に近いぞ。
元気なのは我が母ただひとりだは。

しかしそれでも、わしらはみんな生きているんである。
これが20年前の医療だったら、半分はもういないね、多分。

「生きていく」というのはただそれだけでありがたいことだなぁ。

正月元旦、今年は氏子の諏訪大社にお参りにも行かず、だるま市の
職人さんが「○○家」とど真ん中に墨痕淋漓大書した大だるまを家まで
届けに来てくれて、
「んだらぁ、ハァ、来年もこの大っきさでええずら。」
と来年の予約をとりつけていった。

神棚にだるま、大きな仏壇、台所の柱には「荒神さま」(かまどの守り神)
の彫り物、元日の朝は御神酒にお供えにお水にとパタパタにぎやかだ。
この「お水」が、実は「自家製」なのである。
ドッコイの実家は、なんと敷地内に湧き水がある
(アルプス山脈のふもと「名水どころ」なのであっちこっちで水が湧く。)
んでもって、家の前に流れる小川に合流して、「洗い場」がある。
昔は自家製の「お葉(野沢菜)漬け」一冬分漬けるため近所の皆さんが
「お葉」を洗いに来たという。
同じ苗字の家が密集していて、それぞれに屋号(「田代屋の○○家、
山本屋の○○家、坂上の○○家 etc... )が付いているのだが、我が家は
湧き水があるので「清水の○○家」である。

南関東に生まれ育った私が、本州では多分いちばん寒い土地の人と
パートナーシップを結ぼうとは思わなんだ、初対面の16年前。
でも人の縁とは不思議なモノで、きちんと
「逢うべき人とはめぐり逢う」ように出来ているんである。

帰宅の日の午後。
気温は当然マイナスである。

新春一番、今年は予約電車で帰るので、自動車の時のように
「じゃぁそろそろ」「いや、もうちょっと」とのんびりとはいかない。
「これ持って行け」
「これは東京のお実母さんにおみやげに、こっちは・・・」
とあわただしい。
その合間に、外へ出て湧き水を飲んでみた。
外気温はマイナス、しかし、流れる水は水は0℃で凍らない。

「我が家の湧き水」は暖かかった。




1月某日あけましておめでとうございます!

ところがどっこい「帰ってきた抜刀質店」は今年も仮設サイト、
掘っ立て小屋でございます。
掲示板もバナーもリンクコーナーもございません。
この「酔っぱらいの当たり屋」みたいなウチに出くわしてしまった
アナタに新春早々贈る言葉、

すまんのう。

てなわけで、今年もやりまっす、お〜わり〜ま〜で〜♪
(・・・「横山ホットブラザーズ」は永遠に不滅です・


みなさま、よい2007年を!
戦争も、飢餓も、天災もない、おだやかな1年でありますように。




            

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