日々是好日・身辺雑記 200612
(下にいくほど日付は前になります)

 
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12月某日「恒例?大晦日の書き逃げ」

歩き屁(あるきっぺ・歩きながらちょっとずつ小分けにして出すおなら)が
好きだ。 だって「ドッ」「レッ」「ミッ」「ファッ」「ソッ♪」と、音を
上げながらこけるんだもの、楽しい。 「音の出るおなら」は臭わないし。
(臭うのはすかしっ屁、音のでないヤツだ。)
しかもこの大晦日は、ついに!やりました!!
「ドッ」「レッ」「ミッ」「ファッ」「ソッ」「ラッ」「シッ」「ドッ♪」
おぉっ、1オクターブ制覇ァーッ!!

しかしな、「それじゃぁここで・・・」と出来ない隠し芸なので、サツマイモ
食べて頑張ろう!!(というほどのものでも・・・・・苦笑)

みなさまよいお年を!



12月某日「人を見たら・・・」

たぶん3年生なんだろうな、みんな細いうなじと白いふくらはぎ。
たぶんあの大学付属小学校の生徒たちだろうな、席が空いていても座らないもん。
7〜8人くらいだったかな、各駅停車は座席率8割程度の昼間空き。

「ことわざカルタ」を教わったばかりらしく、みんなで声を揃えて言っている。
『犬・・・犬も・・・歩けば棒にあたる!』
そうそう『二兎を追う者一兎をも得ず!』
『ふくすいぼんにかえらず!』

乗客みんながほんわりした暖かい気持ちにひたる。
昼下がりの子供達は、みんな、きりりとして、そして優しい風を吹かせる。

『ひ・ひ・ひ・・・・は何だっけ』
『えっとー』
『うーんとね・・・』

何だ?

『あ!』『あ!』『あ!』
子供らの頭脳は超能力のように連動している。 全員でご唱和、

『人を見たら泥棒と思えっ!!』

ああ、「泥棒の」大人達は、みんな座席で息を押さえて肩振るわせて。
笑っていた、 そんな冬の午後のこと。




12月某日「ど・スランプ」

太った。

そりゃいいんだけど(あんまり嬉しくはないが)原因がいかんのである。
とんでもない「ど・スランプ(笑)」の穴にずっこけ落ちちゃっているのだ。
今取り組んでいる漫画の
「あとちょっとで全エピソード構築完了!」
というところで、土台からバラバラと崩れ落ちて、すぐには手を出せない状況。
この期間、私は決まったように「暴飲暴食不運動」という状態になる。
自分で自分に手が出せない、強烈な自己嫌悪の嵐である。
「もうこの先1作も描けないかもしれない!」
という恐怖感で、頭の中はぐるんぐるんである。 弱すぎる自分がふがいない。

しかしまあ、いつまでもへたりきっている事はまず無いので、年が変わる頃には
ムックと起きあがる・・・のだろうなあ、過去のパターンからいって。 うむ。
今回はバッハの楽譜眺めながら「パリの楽器店のバイオリン売り場で主人公が
『試し弾き』をする。」というシーンを作っていたらガタガタ崩れてしまった。
糸が切れれば凧は落ちてしまう。 もういちど、このシーンをなぜ自分が
描かなければならないのか、から逆算して、凧を作り、糸を伸ばして計るのだ。

「ナゼ、コレヲ描カナケレバ、自分ガ自分デナクナッテシマウノデスカ?」
答えはエンドマークの向こうにある。 と思う、たぶん、きっとね(笑)。




12月某日「おっちゃん・キラーな私」

「マダム・キラー(年増モテ)」という言葉があるが、私の場合は完全に
「おっちゃん・キラー」である。
とにかく放っておくと、自分より年上の男性(初対面OK)にかわいがられること、
ネコかイヌの如し(笑)、大漁旗立てて浮き世の海を爆進しちゃうんである。
3歳のときに、ご近所の、お堅いことで有名だった光頭(つるんつるん)のおじい
ちゃんにいきなり
「おじちゃん、あたま、さわらせて」
といって、笑顔で天然スキンヘッドをつるリつるリと撫でさせてもらったのが
コトの始まりで、パン屋のおじちゃん、八百屋のおじちゃん、貸本屋のおじちゃん、
肉屋に魚屋に酒屋、子供時代から、「商店街は私のデートコース」である。

しかしな、こっちの年齢が上がっても、まだ「年上の男の人」にはモテまくりで、
もはや「おじさん」飛び超えて「おじいさん・キラー」となっているのである。
ドッコイが入院していた時やとーちゃんが入院中、もう「病室のアイドル(笑)」。
なんだかな、得な人生だ。

トト師匠と桜鍋(馬肉のすきやき)屋に行ったときも2階の座敷でちょびちょび
やっていたら、ご機嫌状態のおじちゃんに
「一階の連中は荒くれだからなぁ、この店で分かんねぃコトあったらおいらに
なんでも聴きねぇ、まかしとけ!」
と、「午間から呑んだくれて世界を動かす話している」おっちゃんに声かけられた。
(笑・しかしその時間に呑んでるわしらもわしらでは、ある。)

結婚式の時は、あまりにビンボウだったので「せめてものおみやげに」と手ぬぐい
を刷って配った。
明治時代の「兎の道行き」という、月の中を小さなウサギのカップルが、
相合い傘でポチッと歩いている柄である。
電話帳で調べて尋ねていった「手ぬぐい職人さん」はちゃきちゃきの江戸っ子。
ちょうど年の初め用配り手ぬぐいを染めているところで、修羅場であった、
のだが。
「ほう、明治の柄かい」と職人のおじちゃんが興味を示した。
「今はこういう技術はすたれちまって、出来るヤツぁいねぇなあ。ただしここを
こうして、こっちをこうすれば、ま、なんとかなるかなぁ。下図が出来たなら
もってきな、スケジュールの合間につっこみゃ、刷って刷れねぇこともねぇや。」
と、試しの切り出し版を見せて教えてくれた。
・・・むちゃくちゃ難しかった。

・・・描いた。
自分が日本画ゼミ出身だったことを、あんなに感謝したことはない(笑)。
下図を持って、染め屋に行って、「出来ました、刷ってください。」と渡した。
親方は「ほぉう(出来たのか、このねーちゃん!)」と言って「あとは任しな。」
それで数日後、夜11時、電話で「出来たから持ってくよ。」「えっ。」
「配達のついでがあるからよぅ。今から持って行かぁ。」
職人のおっちゃんは、ごっついスケジュールの中、これを刷ってくれたのだ。
11時半にお弟子さんが抱える300本の手ぬぐい箱を、受け取った。
帰り際、おっちゃんは振り向いて言った。
「あんた『仕事』してえならいつでもウチに来な。」
手ぬぐい職人さんにスカウトされたのだ、ヒューヒュー!!

いちばん驚いた「任しときねぇ・のおっちゃん」は鍛冶屋さんだった。
朝医者に行って(腎臓が悪かった)遅い電車にゆられて乗っていたら、
隣の席のおじちゃんが話しかけてきた。
「ねーちゃんその制服、横浜某女子校だろ?、どしたね、こんな昼間に。」
「あ、午前中、医者行ってきたんで・・・・」
から始まって、根岸線ガタゴトである。
なんとなく奥さんが横浜のK病院に入院中で、悪性のガンだとは分かった。
それから先はおしゃべりっ花の咲きまくりである。
おっちゃん「鍛冶屋」であった、しかも刀剣類専門。

電車を降りる際のおっちゃのお言葉、
「よう、仇討ちたいヤツが現れたなら何時でもいいな。
いい薙ぎ刀、打ってやるぜ!

・・・一瞬すみれ様に化して硬直する私。(サクラ発売はずーーーーっと先)
「ハイッ、お願いしまっすっ!!」。
なんだか「起立・礼っ」なのだが、
「仇討ちたいヤツが現れたら何時でもいいな」はこだまのように耳に残っている。
今のところ「ヤツ」は現れていないが(笑)。

記憶の中のおっちゃんたちは、みんなとってもチャーミングである。
そんな「すてきなおっちゃんと出会う縁」に恵まれた私は、果報者だなあと
しみじみ思う。
「チャーミングなおばちゃん」に、私もなりたい。




12月某日「十三夜」

カレンダーの季節、我が家では毎年「の暦(陰暦)」を購入する。
別に釣りや地震予知(笑)には縁ないが、ゆるやかな月の満ち欠けの繰り
返しは、眩しく駆け行く「太陽の暦」の流れにのみしばられそうになる心を、
「いまここに存在(い)る自分」
と確信させ、安定したものへと導いてくれる。

今夜は十三夜、一番美しいと言われる月の夜である。 ひとりで歩いていた。
母は病院で父の付き添い、その留守宅に「週刊・藤沢周平の世界」を届けに。
帰り道、空を見上げると、秋空の高さとは違うが漆黒の闇は凛然としてあり、
雲がゆうるりと流れてゆく。
その雲間に月は身を隠し、雲の際(きわ)がきりりと輝いている。
雲の流れを待って、歩道橋の上で空を見上げていた。
程なく姿を現した白銀の「十三夜」の、月の美しさ。
一瞬息を飲んだ。 こんなにも優しい衛星を、私たちの大地である地球は、
奇跡のように持ち、その光りを浴び続けてきたのか。
月光は太陽光の46万5千分の1(「月光浴」写真家石川賢治氏)である。

長い病を得て家に伏せたきりになっていたとき、無性に「見たい」と思っ
たのは「月」だった。 回復期、毎日両親の家に通い、帰りのバス停まで
送ってくれる母と2人、月を見ながらたわいもない言葉をかわしていた、
その「たわいのなさ」(46万5千分の1である!)は、まさに「白銀の
十三夜の光」として私たちを照らしていた。
ラテン語文化圏では「太陽は男性名詞・月は女性名詞」である。

沖縄民謡「月ぬ美(かい)しゃ」
♪月ぬ美しゃ十三夜、女美童(みやらび)美しゃ十七歳(とうななつ)
ホーイチョーガ、ホーイチョーガ♪
(月のきれいなのは十三夜、娘さんのきれいなのは十七よ)

「サクラ大戦・カンナヒロインバージョン」では「沖縄に里帰り」という
イベントがある。 夜、大神とふたり縁側で泡盛を酌(さ)しつ酌されつ
カンナが月光を浴びて、三線(さんしん・沖縄の三味線)でこの子守歌を
つま弾いてくれたら、どんなに嬉しいだろう。
冬の初めの十三夜を見上げながら、そんなことを考えていた。




12月某日「まる1日」

眠り倒しておりました。さすがに久々の落語は疲れる・・・・・
11月下旬はずっと家で稽古。
演ったのは「紀州」、短い話なんですけどね。
何が参ったって、結婚式に招かれて、そこで演ってくれって新郎の頼み、
気さくなノリのはなしに、てっきり「お好み演芸会風結婚式」かと思ったら。
ランドマークの夜景、ウッディな内装、広いホールは客3倍くらい入りそう。
で。

・・・・演じたの私ひとり。

格調高い空間で、なぜかわたしひとりがデザートタイムに「紀州」を・・・。
いや、気さくなノリの友人の結婚式なら、何度か漫談風司会をやったこと
あるんですが・・・・・今回の司会は建築業者のエライさん。硬い・・・・。
途中で「逃げようか」と一瞬思いましたが、人生エエカッコシイことばかり
じゃないもんな、やりましたよ、天井高い美しいガランとしたホールで。
(・・・・・・・モウヤラヘンデ。)
しかしまあ、あがりもせずつっかえもせず、適当なノリで、まあこんなもん
かな〜でした。

・・・・コンナ日モアル。


みなさまよい12月を!



            

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