日々是好日・身辺雑記 2006年10月
(下にいくほど日付は前になります)

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10月某日「さよなら三角また来て四角」

ふぅ、ナンノカンノでバタバタとしていたが、ここへきてやっと「荒らし」に
メチャクチャにされてしまった「雑記」のリンクシステム修復完了・・・だと思う。
(今確認した限りでは・・・、ね・笑)

なんせ「以前の雑記を読む」→いきなり「2006年3月の雑記」とか、「何年
何月の雑記を読む」→いきなり「枝分かれしてイラスト展示へ」とか、なんだか
毛糸玉がほぐれてぐちゃぐちゃになってしまった状態に、少しずつ、糸目がきつく
ならないように慎重に解きほぐしていたのだ。 あー、肩こった〜(笑)。

こんな「カラクリ忍者屋敷サイト」、よっぽどモノ好き・・・いやさ、お目の高い
(笑?)方にしか、楽しんではいただけないかもしれない。
しかし「迷子にならなきゃ『迷い方』は分からない」というテーマがあって
「帰ってきた抜刀質店」のレゾンデートル(存在理由)は、あるのだ。
店主としては、そこんとこどーしてもハズせないのであるからして、ここはそんなサイトなのだ。

本日はパートナー・ドッコイは病院に行く日で、三角巾にコルセットで肩から胸を
固定した状態で出て行った。
午少し前にはトト師匠が来てくれて、「ウィルスがどーの」という連絡をもらった
我が家の「my iBook G4」と取り組んで、ものすごく難しいことをして、結論
「問題なし、ただ念のため30日間様子を見る」というソフトをつっこんでくれて、
「これで当分は大丈夫!」のお墨付きを頂いた。

ドッコイが帰ってきた、コルセットどころか三角巾も取れて。
まだ完全ではないのでリハビリしつつの日々が続く。
トト師匠は、これでしばらくは大丈夫、ということで、まぁパソコン家庭教師の
役割はひとまず終えたのだが、いつでも、気が向いたら遊びに来てやって下さい。

さよなら三角(巾)また来て四角、なのである。

よい1日であった。

ちなみに今朝のドッコイ&師匠&私の食事は

朝食前の日の残り、私は野菜ジュースで薬飲み。

午食:カジキマグロのムニエル・ブロッコリー添え、釜揚げ桜エビとミョウガと
玉子のすまし汁、ひじき・干し椎茸・にんじん・油揚げ、グリンピースの煮物、
釜揚げシラスボシ、キャベツ・キュウリ・ミョウガ・大葉の浅漬け、
もやしの梅しそサラダ、ふかしカボチャ。

晩食:ホイコーロー・キャベツ・長ネギ・ピーマンに骨付きあばら肉から骨と
脂肪取ったバラ肉、かぶとにんじん・油揚げのみそ汁、あとは午の残りもんである。

基本的に、私は「出来合いのお総菜」を買わず、総て自分で料理する。
記憶が戻ってきて、ものすごい勢いで全品20分位で作る。
さすが、二十歳からのビンボー暮らし&養母の介護5年で、アタマではなく
「手が考えている」ようで、今さっきまで「大阪漬け」と「白菜のゆず風味浅漬け」
片付けながらどんどん作っていたよ〜だ(笑・確証ナシ)。

パートナーが糖尿病だと、食生活は二人三脚にならざるをえないが、それを
「負担」とは思わない。 有り難いことに私の悪いクセ「描いている時は食欲ゼロ」
は、この規則正しい食生活のおかげで平常に戻りつつある。

わずか1割の成功率にかけたドッコイの大手術は、その「1割」をゲットした
ようだ。(まだ先のことは見えないが。)
リハビリ運動と食生活コントロールによって、ひと回りふた回り削げた体格に
なった我がパートナーの勇気に、やはり尊敬の念を感じずにはいられない。
長い40日だった。 この先も、骨頭壊死の傾向が見られたら即、人口骨間接に
シフトしなければ(そして何年かに1回は『取り替え手術』を受けなければなら
ないのだが)それはそれで先のことである。

しかし・・・・生活の急変は、ちょっとしんどい、かなぁ?(笑)。
無理しない程度に、頑張ろう。




10月某日「トト師匠とワタシ」



「ファイトォ!」「1発〜ッどころか、2発でも3発でもッ!!」
・・・・・だからって、アンタラ、「ヒョウタンツギ」の服お揃いで着るかぁ〜?
いいえ、これはワタクシメが仕組んだこと。 ノッて下さってありがとう師匠。
(一緒にカメラのフレームに収まるのって、結婚式の集合写真以来だねえ・・・歳月。)
「黒いネコも白いネコもネズミを捕るネコは良いネコだ」(by 中国のトーショーヘイ氏)
「黒いヒョウタンツギも白いヒョウウタンツギも、ガスを良く吐くヒョウタンツギは
良いヒョウタンツギだ」(抜刀質店・店主)
で、無理矢理コスプレさせられて、花くわえさせられて階段に座らされて(災難)。

師匠とのお茶の時間は、学校制度や、世代の持つ意識変化、コンピュータ進化論など。
話題が尽きない本当に良い師匠だ。
神さまからのプレゼントな上に、お互い自分の人生を充実させて生きるために努力し
続けてきたので、もう泡盛でいうなら「○年ものの古酒(クースー)」。
互いの味わいに喜ぶことを許された、大切な宝者である。
6年間の女子校生活で、残ったのは同級生148人のうち師匠ひとり。
女子校という不動の橋をくぐり抜けて、宝者となったのは5年先輩の画家ひとりのみ。

人間関係は、数ではない、「質」である。
その「質」を充実させるには、正直な、飾らない「努力」がいる。
しかしなぁ、それが「ヒョウタンツギのシャツ」って、なんだかな(笑)。




10月某日「ものすごくイヤなこと」

「メール箱の中で『迷惑メール』がキリ番踏んでいた・・・・・」




10月某日「あれまあ、このあたしが『禁酒』ですかい?」

理由:胆石でいつもお腹痛いのやっぱりヤだから(笑)
なんせね、一個増えて3個かかえてちゃね、ヤだもんね。
しかしこのあたしが、酒なしで創作できるかは、ちょっと不安。
(頭の栓を抜いて、固まった思考を流れさせるのに必須アイテムだったので〜・
よい子のみんなはこんな事しちゃだめだよ、ちゃんとシラフで描こうね〜♪)

ドッコイは今日はお休みで病院へ。
朝ご飯は昨日の回鍋肉の残りと、ブロッコリーを食べたようだ。
私は果物ジュースで薬を流し込む。
昼からトト師匠がパソコンのふぐあいを見に来てくれるので、頼んだ買い物
「秋刀魚焼くから、かぼすと防寒着ヨロシク〜。」
ナンダカ、サマセット・モームの小説のタイトルみたいだね、
「月と6ペンス」とか「お茶と同情」とか。 文学性のあるリクエスト。
「それがどーした。」と問われても、「意味ありませーん」なのだが。

お昼は秋刀魚の塩焼きおろしかぼす添え・なすとみょうがと油揚げのみそ汁・
キュウリ、ミョウガ、キャベツの塩もみ大葉添え、キノコと野菜の炊き込みご飯
の予定。

他にもいろいろ悪だくみとギャグネタを準備中。 決戦は本日午後(笑)。
とりあえずダッタンそば茶も煎じたし、さあ、おいでませ師匠。
濃い午後(笑)の始まりだー。




10月某日「小説・吉田茂学校」

じゃないけどわたしゃ「漫画・手塚治虫学校」「漫画・萩尾望都学校」の、おそらく
生徒として一生学び続けるんじゃないかな〜、などと思う。

しかし、「花の24年組」(昭和24年生まれの萩尾望都先生、木原敏江先生、
大島弓子先生、竹宮恵子先生、山岸涼子先生、ささやななえ先生らが起こした
「少女漫画の一大革命」のことです)の頃って、ものすごく熱い風が吹いていた。
グリコはパッケージが少女漫画各先生のキャラメルシリーズ出すし、いろんな
文房具とか出てたし、確かキングレコードからは、少女漫画家が作詞して、
『少女漫画家が歌う』なんてアルバムが、たしかpart2まで出てるし(珍盤では
あるなあ、ある意味・笑)。

確か「週間少女コミック」だと思うけれど、「少女漫画家愛用の品、愛読者
プレゼント」とゆー企画がカラー折り込みで入っていて、それは、海外旅行の
おみやげだったり、小物だったり、アクセサリーだったり
お気に入りの服
(すっげーサイケ調なの・笑)だったりしたのだが、
我らが萩尾望都先生の出品は

「愛用の電気日本酒お燗つけ器」

・・・・・・萩尾先生、もしもし、読者小学校中学年からいるんですけどっ。

やっぱり天才というのはどこかトンチンカンなとこがあって、愛しいのだね(笑)。




10月某日「今日は朝市」

日曜日は朝市の日。 どんどこどんどこ野菜や豆腐や油揚げ買い込んで、
「大漁節」歌いながらの帰宅。 相変わらずしつこい離人症と道連れとはいえ、
メシを食わねば、食ってもらわねば、時間は進まないのである。
厳しいものだ、「生きてゆく」ということは。

一秒先の未来を予知しながら、時は過ぎてゆく。 その「時」と「時」との
つなぎ目で、スパークして火花を散らすように、発作を起こしてしまうのだ。
ムンクの「叫び」なんてお呼びじゃないほど、体も心もねじれてクラッシュ
してしまい、ものすごく辛い。
タバスコ一気飲みよりも(笑)辛い。

しかし、命綱はしっかり掴んでおかなければならない、それがパートナーや
友人、読んでくれる人、アクセスしてくれる人の存在と、「信頼関係」と
いうものなのだろう。

朝食:呑んだくれていた(?・笑)ためよくわからんが、もやしサラダや
野菜ジュースが登場したようだ・笑。
昼食:根三つ葉ととりのささみを醤油と味の素であえて、かぼすしぼって
刻みゆずトッピングしたもの・キュウリ、キャベツ、ミョウガの朝漬け・
白菜と油揚げのみそ汁に手元が狂って根三つ葉が乱入したの。
晩食:ホイコーロー(豚肉少しとキャベツとピーマンと長ネギ)・短冊切り
して塩もみしたセロリと、ちょびっと干しぶどう登場のマヨネーズ和え・
みょうがと卵のすまし汁。
(なんかもう「前世がキリギリスか、出家したのか?」ってほど野菜食って
ます・笑)

駅前へ出て三省堂で注文しといた小松政夫さんの「のぼせもんやけん」を
受け取り、「薔薇族」編集長伊藤文学さんの「薔薇よ永遠に」を注文。

「のぼせもんやけん」のコシマキ(帯)で、「楽屋の王様」のDVDが出てる、
しかも日替わりゲストがイッセー尾形さんって・・・・観た日だよ・・・・!
いまこれ買うと、前4列目くらいで爆笑する私とドッコイがいます。
ってか、自分の笑い声をDVDで聴く日が来ようとは・・・・速攻で注文だっ。
いや、まてよ、「タハラ楽器」は火曜日と土曜日がポイント3倍デーだったな。
いま貧乏だから、そっちにしとこう、うん。

さて、そこで私はあるところでとんでもないモノを見つけ、買ってしまうのだが
これはネタばれになるので、また明日〜♪




10月某日「天才の楽屋裏」

小学校5年生のM君は天才だ。 全国ジュニアギターコンクール3位。
ゆえに境界線上におる。 おばちゃんの母・芳子さんは特殊学級の産休代用教員
なんてのもやった経験があるので、一度ママ・Sくんの話し相手をしたことがある。

Mくんはとにかく境界線上に存在する(いる)ので、ものすごい。
21日はパピィとマミィとでファミリーコンサートだったので、お呼ばれして
ドッコイと2人、招待券もらって楽屋裏につきあってしまった。
いやもう、すごいすごい(笑)。駅前のホールなので電車がばんばかやって来る。
それを「これはナントカの7000系なのでパンタグラフが何型で、行き先は
どこなのだ」と窓越しに教えてくれる。 ものすごい脳細胞である。

でもって、楽屋なもんで1時間前からの精神集中力の呼吸法から、まるごと
お付き合いしてしまった。
おばちゃん「ゆる体操」しながら、M君電車観ながら、とにかく深呼吸、である。
ドッコイもやって来て、なんと主催者の方がわしらの弁当までセッティングして
くれた、これは「50品目弁当」なので有り難く晩飯にまわせていただいて、
とりあえずの昼飯は
薄味卵焼き、こんぶとねぎの酒蒸し、ブタ肉とキャベツのいためたのにパン。
(駅前のスーパーで、なぜかおにぎりは売っていなかったのだ)

コンサートはものすごい大盛況であった。 補助椅子出しの、カメラマンありの。
とんでもなく「イイ音」のコンサートに、家族ネタのギャグをトッピングしながら、
アンコールの「花祭り」までつっ走る。 もんのすごい濃縮された時間を夫婦&jr. で
弾きまくり、吹きまくる。
「菅沼ユタカ」で検索してみてください、1発で出るから。
20年目、やっとCDを出した、これがα波出まくりの、とってもいいCDなのだ。

ママのS君は、大学で、日本画ゼミで同期生だった。
師匠の中島千波先生は、私たちの「これから先」を見抜く人で、教条主義者では
なかったのがラッキーだったなあ。
S君はそのころからすごくいい声の持ち主だったのだが。
磨きに磨かれて、いまや「天使の歌声」。
聴いたら惚れるよ。
ふっくらふくらみのあるアルト、どこかのCMで使っていただきたい。

しかし、この音がいきなり色彩にシフトして(緑と白と紫だった)バチッと発作
起こした私も私だ。 吐いて、顔面蒼白で、頓服飲んで、楽屋でばてて、一曲聞き
そびれた。(ううあー、もったいねえッ)
その後も真っ赤な炎のように残像現象出まくりで、そうね、私描く人だもん。

なんだかすごい一日。 濃ゆい。 つーか、この天才児を持っちゃって、毎日
顔あわせているパピィとマミィに感服。 

とにかくこのファミリーコンサートは、ものすごく心地よいです。
CDもお勧めです。




10月某日「逃げ行く現在(笑)」

なんでだかなあ。「ネタに困った時用に」とストックをして、それが30本越えて、
今や50本近い。 とにかく現実にいろんな事ありすぎ(笑)。
さる方から
「抜刀さんの人生って、本当にドラマティックですね。でもそれに立ち迎えられる
だけの強さを、神さまが同時にお与えになっていると思います。」
というメールを頂き、ものすごく嬉しくて、感動はしたのだが・・・・
でもエピソード多すぎ(笑)。
指が現実について行かん。

困ったなあ、私は一人で、指は10本なのであるが・・・・・う〜む。

とりあえずドッコイの朝食は
薄味みそ汁(大根・油揚げ・小松菜)に目玉焼き(ベーコンホール買いで油少ない)、
もやしのバジル風味サラダに大阪漬け(なんで大阪?長年の疑問ではある)、
ごはん小さな茶碗に一膳。

昼は外食。

夜は皮なし鳥モモ肉にキノコ6種類、温野菜のクリーム煮込みに
刻み生昆布のネギ・酒蒸し炒めにキャベツのキュウリ、ミョウガ、大葉あえの
漬け物、蒸しカボチャである。
全部、トータル20分の内に作っている。変な才能・・・・う〜む。
さすが働き者の母の遺伝であるな。

今日は(土曜日)待ってましたの宗君のファミリーコンサートなので、お弁当作りの
血が騒ぐ(笑)。

「Y・イグレック」は本物のバッハの譜面取り寄せでなんとか決着がつきそう。
画面構成やエピソードの配列など、まだまだ手がかかりそうなのだが、
本当に、漫画を描くことは楽しい。 「赤い花白い花」から速攻制作開始のため
体重5キロ減る。 私から「描く」ことを取り除いたら、多分何も残らないので
あろう。 現代劇、パリを舞台としたハードボイルド(「ニキータ」みたいなの)
多分60ページ位なのだが、モデル明らかにカンナとマリア(笑)。
狙うはとりあえず小学館賞金500万円(大笑い)なのだが、いいの、没っても
自腹で出すからぁ〜(笑)。
とにかく寿命と利き腕のあるかぎり(相変わらずすごい書痙)何か描かないと
とまらない。 はざま寛平(?)の「止まると死ぬんじゃ〜」のギャグまんま。
体重5キロ落ちました。ああ、怖いよリバウンド〜ッ!!

あ、「ゆる体操」はね、太極拳から攻防の要素を取り除いて、どの内臓筋を
使っているか意識すれば、ホント0円でできます。 かなり筋肉付いたな〜。
最終的には100才で44キロ位を目指したい、当座の目標は筋肉鍛えて
48キロですが。 養母のばーちゃん体重28キロで死んだからな。
もうちっと体作っておかんと、100才で執筆は困難だろうし。
人生の設計って、ホント難しいなぁ。
しかし、目指せ100才現役!なのである。
モンクがあるならベルサイユへいらっしゃいっ(大笑)。
あいかわらず尻に火花散らす人生(笑)なのである。
ああ、2006年ももうすぐ去ってしまう、その前に何ページ描けるのかしら。

降りつもり行く雑記のネタと一緒で、描きたい物語が私の中でみしみし音を
立てる。 私から「描く」ことを取り去ったら、多分何も残らない。
私は叫ぶ、もっと寿命を、もっと描く作品を〜!




10月某日「我父・天然ッ!!」

しっかしさぁ〜、パンツ一丁で、キーボード打ちながらみそ汁飲む私って何よ(笑)
(20分経過)ハイ、パジャマ着ました、皿洗い&お米研ぎ&鶏肉と温野菜と
キノコのホワイトソース煮下ごしらえも終了。
なんだか料理のやり方を最近思い出しかけているのだが、私は手早く片付け
ながら作るタイプのよーだ。
(こんなに狭い台所だもん、当たり前だぁっ by公団公社老朽団地族雄叫び〜)

父はやっと院内感染が峠を越えて、リハビリ再開である。
「輪投げ」といっても投げるのではなく、左半身不随につられて右も不自由になって
しまったので、右手に輪を持って、棒にさしてゆく、というのだが。
向かい合って座っているリハビリの先生が「ハイ、スギウラさん、これが最後の1個
ですよー、頑張りましょうね。」と言っている先生の、頭の上に最後の輪っかを
・・・・・ポン・・・・とな。

(天使の輪っかか、カッパの皿か?)
愛しの父よ、アナタ意外と天然なのね〜(笑)。




10月某日「美津子伯母さんとデート♪&マリオ小父さん」

朝早く川崎に住む美津子伯母さん(昨年亡くなった昭二郎伯父さんの妻)からデートのお誘い。
久々に行ってきました溝の口。
駅のコンコースで、「ああ、ここで『おっぱいがいっぱい』の後書きに書いたMistyのライヴ
聴いたんだなあ、そんでもってその日の稼ぎ19000円のうち5000円、楽器ケースに
入れたんだよなあ・・・」などと思い出しつつ。
伯母様のプレゼントは、沢山のティッシュカバーと本の栞と、そして杖用の繋ぎひもだった。
左手で杖を持つとどうしても『一本腕使い」になってしまうのだが、これなら二本腕使える。
腕の自由を一本分頂いたわけで、これは感涙もののありがたさだった。
昭二郎伯父さんの想い出、年をとることの困難さ、コミュニケーションのありがたさ等、
話題は尽きず、
「また、いつでも割り勘でデートしましょうね。」
と握手して別れる。(何か最近やたら握手の機会に恵まれているなあ、自分。)

行きの電車の中で、スーパーマリオそっくりの外国の人が乗ってくる。
『出欠簿で頭殴られる』ほど英語の苦手だった私だが、なんでか『アンタ、
スーパーマリオっちゅーTVゲームのマリオソックリだ』という話題から、
この赤とんぼの手ぬぐいは日本のタオルみたいなもんで、これは秋の柄だ、
美しいだろう?』とか『よい1日を、貴方に会えてとても嬉しいよ』なんて、
ぺらぺら英語でしゃべっている自分発見。 不思議だ。 しかも発音が
めちゃくちゃイイのである。 本当に不思議・・・・

帰りの駅の売店で、マリリンモンローとパティ・ペイジのCDゲット。
長津田で焼き鳥ゲット。 先日路上で心臓発作起こして倒れていたときに、発見して
救急車読んでくれたのが長津田の駅員さんで、本人今日は休みだが『くれぐれも
よろしくお伝え下さい』と菓子折届ける。
コミュニケーションがいろいろ問われる現在だが、やはり庶民の感覚はまだ健全
だと思う。

帰宅、先日の自転車の絵手紙一気に30枚描き上げて、なんかもうメチャクチャ
パワフルな一日だった。 ふぅ。

本日の晩食:カレイの煮付け、もやしのドレッシング和え、小松菜と油揚げと、
あと何かのみそ汁、カボチャの蒸したの。
私一人プラス焼き鳥で、一日終わる。

「Y・イグレック」という新作のためどうしてもバッハの楽譜を入手せねばならず、
どーしたもんかなぁなどと思索中。




10月某日「これで〜いいのだ〜♪」

昇来西天道、
没行東。
全之是、
全之是、
凡凡馬鹿凡、馬鹿凡凡。
(ああ、また年齢制限ネタを〜・笑)




10月某日「てなもんやっ!」

昨夜の夕食:カジキマグロのムニエル、海草とこんにゃくとサラダ菜のサラダ。
・・・・・あと何か一品・・・忘れた(笑)。
本日の朝食:キャベツと帆立フレークのサラダ。
本日の昼食:外食につき不明
本日の晩食:豚肉ともやしの茹でたの、りんご1/4

妻、ご丁寧なことによっぱらってみそ汁の鍋ひとつパーにする(反省)。

本日の動向・M田 に用があり出かける。 目の前を歩いているカップルの刈り上げ頭に
ジャリッパゲ5つ発見。 愛はハゲをも越えるのだ。

朝、従兄弟の潤ちゃんに電話。 元はファッションデザイナーだったのが、息子の
健康上の問題で、茨城に転居、いま「焼鳥屋さん」。 見上げたもんだよ
大工のふんどし(笑)。 明るくて鯔背(いなせ)で、シャレの分かるヤツだ、尊敬。

昨日従姉妹のMさんから谷川俊太郎の詩と写真集が届く。
とても嬉しくて、枕の下に敷いて眠る。 いい夢が見られそうで。
が、朝みそ汁の鍋をまる焦がしにした私・・・・懲りろよ、このノンダクレ(笑)。

昨夜、胸を貸してくれる友人に電話。 いい友は私の宝物である。
・・・・しかし鍋まる焦がし・・・・(ヲイ)。

午後、医者へ。 超満員で3時間待ち。

・・・・しかし鍋まる焦がし・・・・(ウ〜ム)。

なんだかメチャクチャ忙しかった一日。
先日倒れてしまったときに発見して救急車を呼んでくれた方へのお礼の菓子折、
21日にフォルクローレコンサートをする友人の息子くんへのお祝いのカレンダー
(天才なのだ、左利きでギターを弾き鳴らすのである。 で「鉄っちゃん」(笑)。
なもんで懐かしの乗り物カレンダー)、本の取り寄せ注文にNHK「知るを楽しむ」の
テキスト2冊(三波春夫だ!!・嬉!)郵便局でお金おろしの手紙出しの。

・・・・しかし鍋・・・・(ウムムムム)。




10月某日「本日秋晴れ」

本日の朝ご飯:
夫・胚芽小麦のマーマレードクラッカー、低脂肪乳カフェオレ、巨峰5粒、目玉焼き
赤ピーマンのピクルス
妻・カフェオレ、巨峰5粒、昨日の残りのみそ汁に飯ぶっこんでおやじ、じゃない
おじや。
昼飯・夫・ご飯、蜂の子佃煮、もやしとインゲンと豚肉炒め、小松菜おひたしおかか
がけ持って、会社に顔見せに
妻・創作体勢に入ると「絶食症」になってしまうので、味見程度。
今日は宗くんがお料理教えに来てくれる日なので、魚料理に挑戦!!

本日は病院で仲良くなったO田のおじちゃんの退院前日なので、面会時間に顔見に。
(朝1番の退院はとてもあわただしいので)ついでに買い物・酒(笑)。

すべて宋君が車でつきあってくれて、すいすいスムーズに進む。
持つべきモノは「近所に住んでいて車運転できて、しかも音楽家」の友である(笑)。
市民病院へ、ドッコイと同室で仲良くなったみなさんに、お見舞いに。
あっぱれなことに全員入口外の喫煙コーナーでだべっている、悪ガキ集団めら(笑)。
赤い花白い花のポスターにサインなぞしてしまい、ハモニカ取り出して
「ふるさと」と「仰げば尊し」で音のお見舞い。
みんな早いとこ退院して、娑婆に出てこい、遊ぼうぜ!

友人のフォルクローレをしっかり宣伝して、一路ダイクマとサミットへ。
庭のある友人宅に、木陰も必要じゃろうと、拾ったドングリ発芽させる材料ゲット。
そのまま地下のサミットでサラダ菜とすりごまと酒(またこればっか・笑)。
家まで送り届けてもらい、ありがとう宗くん。

運転しながら、文明と文化の進化の速度が全然かみあっていないから、
宗くんの子供のまさくんやわたしのような「変種」があちこちで出没するのだと
いうことで見解一致。 さすが音楽家、社会を見る視線が斬新である。
やはり、持つべきモノは、「友」である。




10月某日「世界中でただひとり」

泉重千代(いずみしげちよ)さんという奄美大島のおじいさんが、118才で
「世界最長老者」としてギネスに載ったことがある。
取材陣が押しかけてインタビュー攻め。
1日1合の泡盛を飲み、朝早くに起き、夕方さっさと寝てしまう。
ついこの間まで畑仕事もやっていた。

「長寿の秘訣は!?」
「毎日のお食事は!?」
なんてのの中で
「好きな女性のタイプは!?」
ってのが出た。 夏目雅子かな、原節子かな?なんて答えを期待していたら

「ん〜、年上の女(ひと)

世界中でただひとり、重千代さんだけがとばせるジョークであった。

100才でまだ現役OL背筋伸ばしてかつかつ歩く人なんかもいるのだ。
私も生きよう100才までは!




10月某日「ゆる体操と太極拳は同じだ!」

本日の食事:朝食・昨日の豚汁の残りにタマネギくわえたの、大阪漬け
      水菜のサラダ
     :昼食・ドッコイ弁当牡蠣の卵小麦粉バター焼き、千切りキャベツ
         温野菜解凍、塩味卵捲き、ぶどう
     :ドッコイお弁当・牡蠣のバター焼き、千切りキャベツ、温野菜、ブドウ
      妻、友人が持ってきてくれたサンドイッチとフルーツ詰め合わせ
     :晩食・さんまの塩焼き(大根おろしとかぼす)なめこみそ汁(豆腐と
      さやいんげんも)小松菜のおひたしおかか添え、

いま、何かと話題の「ゆる体操」1年で15キロやせた(横綱クラスだね・笑)
7キロやせた(小結クラスだね・笑)と大騒ぎ。
ウチでもDVDで買ってみました、ああ、これはあれね、「太極拳」なのね!!
だから中国の人デブいないんだは。 さすが中国4千年の歴史である。

で、アメリカの人はダンススクールに通い、日本人はラジオ体操するのね。
なんだ、0円からできるじゃんか〜ゆる体操!!
太極拳の本を図書館行って借りればいいんである。

で、「イナバウアー」が出来るようになっちゃったおばちゃんは、
エレベーターの前でイナバウアーしてたら看護士さんが降りてきてはちあわせ。
看護士さん目が点(笑)。
院内ではゆる体操禁止、かな?(笑)

てなわけでみなさまも、それっ!レッツゴー「ゆる体操・0円」」!!




10月某日「焼きそばパンの前で」

本日の食事:朝食・記憶なし
      昼食・小鯛塩焼き、みょうがの溶き卵汁、キャベツの大葉漬け
      晩食・豚汁(ブタ、ゴボウ、大根、にんじん、マイタケ、豆腐)、ぶどう
         わかめときゅうりのかぼす合え

築40年近い団地に住んでいる。
真ん中に東京ではめずらしい「公設市場」のスーパーと小売店(酒とか米とか)
日曜は朝市がたつ。 ここで1週間分の食品を買い整えるお年寄りも多く、
大にぎわいである。

で、ドッコイと2人で行ってきた、買い物リスト片手に。
まだ離人症は続いていて、野菜や果物など、みんな「ラップ越しに」見える。
しかし「これは食品なのだ」と必死に言いかけて、どんどこ買う。
豆腐や肉や魚もここで買う。
結構な量なので、ふたりでぶら下げて帰る。
途中なつかしい「みくにや洋品店」のおばちゃんと出っくわしたりする。
四方山話などする。

一番右のレジに並ぶとそこがパン売り場で、「お総菜パン」なんかも
手際よく並べられていく。
「焼きそばパン」を見つめていたら、不覚にも涙がでた。
「焼きそばパンの思想」は名作中の名作である、おすすめする。

犬丸りんさん・・・・なんで死んでしまったの?

あなたの代わりに私は長生きをする。 文も絵も、いっぱいいっぱい描く。
目標はとりあえず100才である。
まだ56年もあるじゃないか、描き尽くすまで私は絶対死なない。

ご覧のみなさま、「長〜い目で見てやって下さい」(by小松政夫・笑)。




10月某日「秋に想う」

「乙女らは涼やかなるまなざしで 二輪車を漕ぎ一直線に走りぬく
その瞳に映るやこの秋空の 蒼く高く炎のごとくふきあげたるを」

・・・・・うーん、不定形詩だな、こりゃ。





10月某日「トリックスター」

市民病院の「トリックスター」は全部私である。
こんな妻持っていい迷惑なのは夫である。
しかし、許容量の大きなパートナーなので、こんなもんじゃろ。


「中学生」

「彩月さんとこ」で拾っちゃったよ「中学生バトン」!!ラッキー!!

ただ私は中高一貫の女子校だったので、すこしスパン長いです。

中学生時代のあだ名を教えてください
スギウラさん、なぜか「かりんとう」

制服はどんなのでしたか
紺のジャンスカだっせーのなんのって。
学校指定の校章(略章)の靴下かかとすり減ることこの上ナシで。
母が電球(○形の)にかぶせて、いつもかがってくれました。

恋をしていましたか
ええ、もちろん!私は淫乱ではないが好色な女です。
「お姉様」のまた上の「大お姉さま」とはいまだに仲良しこよしです。

告白はしましたか
はい。

告白されたことはありますか
下級生にとっては「噂の上級生」だったらしく。
同級生は、ひとりは「完全いじめ役」ひとりは最後の遠足で「口笛聴かせて」と。
上級生のお姉様方には入学1ヶ月と13日目にマーガレットの花束もらい。

中学時代に仲良しだった人は今でも友達ですか
「ファイトォ」「2発でも3発でもOK!!」なトト師匠。

部活はしていましたか
「新聞部」でみっちり鍛えられました。
ちなみに最初に書いた記事は「同級生の訃報」でした。

当時はまっていたものといえば?
萩尾望都先生に頭のてっぺんからざっぷりと。
あとは「経験論哲学者」だった森有正先生に足の裏までどっぷりと。

誰かと大げんかしたことはありますか?
高等科の1年の担任河野ナNちゃん(ノルウェー大使ご令嬢・全国EI語スピーチ
コンテスト優勝の)と強烈なバトル。
出席簿で頭殴られて気絶しそうになったかな。
私からは、手を出しませんでしたが。

好きだった科目は?
国語・小論文と地理はページ見開いて5分くらいで全部頭の中に入り、
「季節風がこう吹いてくるから、この山脈越えたら雨が降るとか、
ルーマニアの年間オートバイ生産台数とか、なんでも気合いで頭の中に。

嫌いだった科目は?
とにかく「理と学」のつく科目は全滅。

塾には通っていましたか?
中学受験の時には日本能率で、半年でトップクラスになるくらい。
大学受験の時にはフランス語個人教授の坂上先生。

「あイター」な思い出は?
ここでは書ききれません。

当時はやっていたテレビアニメは?
「未来少年コナン」と「キューティーハニー」

当時流行っていたテレビ番組は?
こどもの私にはチャンネルをまわす権限がなかったものですから・・・・。

「中学生で文字変換出来る」のは?
ち・血
ゆ・由
う・宇
が・画
く・九
せ・瀬
い・胃

実は不良でしたか?
小学生の時は半年だけ「番長!」
中学生になったら「真面目で遠距離通学でときどき中庭でハモニカ
吹いていた・・・・」くらいかなぁ。
あ、でもクラスのムードメーカー。

異性を異性として意識していましたか?
わたしはバイセクシャルなもんで、バリバリでした。
過去の恋人の人数、男女同数ってとこが笑える。

中学生のころの将来の夢は?
ジャーナリスト→画家か漫画家

一番クラスがまとまっていた時って?
中2漆原先生、中3佐山先生。お二人とも名伯楽

忘れがたい思い出は?
セピア色の彼方に置いておきました。

次にバトンを回す相手は?
誰でもいいさ、持ってけドロボーッ!!




10月某日「政夫」

の間違いでした〜。↓

10月某日「おもしろい」

今発売の文春の、阿川佐和子と小松イチローの対談はハッキリ言ってオモシロイ。
走れ同志よ、対談目当てに。 「楽屋の王様」見ちゃった者としては、
これは捧げずるを飛ばせない対談である。




「ほんじつの詩」

『煙突までは何マイル?』

煙突までは何マイル?
胸を張って行くんだよ
雨が降ろうが槍が降ろうが
どんどん歩いて行くんだよ
誰かと一緒もいいものだ
だけど途中でさよなら淋しいね
煙もくもく東西南北
風の吹くままに
気持ちの吹くままに
どんどこどんどこ雷だって
ドンドンゴロゴロこわくない
煙突までは何マイル?
煙突は動くんだ、勝手に動くんだ
それを追いかけ追いすがり
煙突までは何マイル?
生きているかぎり行くんだよ
それが命というものさ。




10月某日「本日の一句」

送電線 この秋空の五線紙に 止まりし鳥らが ♪となりぬ。




10月某日「あれれ?なこと」

毎日ドッコイを見舞いに行く途中に、調剤薬局がわんさかある。
・・・の中の一軒はサトちゃんの象さんとサトコちゃんの象さん人形が2つ並べて置いてある。
 で、今日通ったら、サトちゃんはいつものまんまで、サトコちゃんだけ、
なぜか「S」の字マークの赤いセーターを着ておった。
これって男女差別なんだろーか?

胆石がいっこ増えて3個になってしまった。
真珠だったらよかったのにね〜。 で、胆石の薬が倍の量になり、薬袋片手に、
今日もぽっくりぽっくり歩くおばちゃんである。

天晴れなのは、この私の胆嚢である。
中に胆石の元になる「胆泥」いっぱい詰め込まれても、
厚手の風船のように、ふくれても炎症おこさず破れもせずに、きょうもたっぷり
お腹の中に鎮座ましますのである。 う〜む、人体の神秘・・・・。

Tれるさん拉致計画着々と進行中。
ナニやってんだか、アタイたちは(笑)。




10月某日「自分の知っている管理人さま連想バトン」

藤姉さんのところでゲットッ!!(ラッキー♪)

●ハンドル
抜刀質店

●知人に言われた性格
藤姉さんは「個性的」と言ってくれました。
が、自分では自分のこと「変な人」「飯のタネにはならんことばかり
知っているおマヌケ野郎」「正直なホラ吹き」「ズボラな完璧主義者」と(笑)。
(ちなみにウチのドッコイは「へっぴり腰のつわもの」です・笑)

●連想(知人管理人さまのサイトやお名前)

●風に立つライオン
マサコさん(マサコさんの前にマサコさん無く、マサコさんの後にマサコさんなし)
●お茶目紳士
「まくら大戦」の真宮寺まくらさん
(gifアニメの鬼才にして、とってもジェントルマン)
●色彩の魔術師
「せっしょん」のたいれるさん
(美しい色彩感覚に、ウィットとユーモアとアルコール
●なごみの人
「藤屋」の藤姉さん
(ガンガン飲む・けどスマート。しっかり食う・なのにスマート。
宴会の席にひとりは欲しい・けどスマート。神さまってイジワル)
●義のひと
「たんぽぽ牧場」の中桐さん
(ほんとうに、1日や2日じゃ出来ない魂の持ち主)
●空のひと
山崎あやめさん
(なんて広く、なんて大きく、なんて高いのだろうとひたすら感動)
●緻にして大なひと
日下部神菜さん
(この先日本がどうなろうと、夫婦漫才で食べていけると思う)
●サクラワールドの「モディリアニ」にして「超新星」
「ISKRA」の彩月翠さん
(この人は、絶対何かになる人だと思う。それが何なのか・・・・
小説家かエッセイストか画家か漫画家か・・・・・分からないけど
見つめ続けていきたい)
●智のひと
「ホトトギス」のカヤキヒカルさん
(しかし酒癖悪いのなんとかしなさ〜い・笑)
●爽のひと
アキさんとこの小説進呈しているわふわふさん。
(読めば分かる、この人は「角度によって色彩の変わる星」のような人だ)

・・・・っておもいつくまま並べてみました。
(アホの読み違えがあったらごめんなさい。)




10月某日「なんじゃそりゃ」

まだくるスパムが18件。
むこうも根性あるなぁとあきれつつも、
こんなに性欲ばかりボンボコとふくらんだ国になってしまっては、
これからの世代がかわいそうに思えてしまうのである。

本日の行動。
いつも通りに病院へ。
あんまりいい日本晴れなので、
「行ってくれば?」
「あいよ」
のノリでいきなり諏訪のドッコイの実家へ。
(もちろん電話で予告済み)
義父さまと義母さまに思いっきり甘えて、
一緒にお菓子食べたり、駅で本日開店50円引きの
ジェラートをお義母さんとたべたりしておった。
リンゴもいっぱいもらった。

ドッコイは自分でインシュリン注射できるまでに上達。
私も学ばねば、たとえば保険金目当ての殺人までできて
しまうので、責任重大である。
万が一目の前で低血糖でひっくり返られては困る。
そんなことで死にでもされたら冥利が悪い。

しかーし!!
本日の一番のビックリは、帰りの電車の窓外に
ちらっと見えた小料理屋の赤い看板。

いいですか、覚悟は。

居酒屋「祖母の墓」

なんじゃそりゃっ!

・・・・わからないけど笑えるから許してやるぜ。

ホント、自分でも自分の観察眼にあきれる私であった。

では、おやすみなさい。 墓の夢なぞ見なさんなよ〜〜〜〜〜〜〜!!!




10月某日「Uの重み」

コミケの産みの親、米澤さんが逝ってしまった。
もとは各大学の漫画研究会の作品発表の場だったコミケ。 は、大きく変身して
今や日本の同人誌界の大イベントになった。
毎年、夏と冬、来た封筒の色であーだこーだと大変である。 描き手も印刷所も。

時代の「大きな車に乗る」ということは、ブレーキのないアクセルだけの
大きな車に乗せられてしまうことと同じだと、おばちゃんは考える。

太宰治の「人間失格」の主人公は漫画家だった。
「漫画家というのは悲劇名詞だ」なんて言わせといて
「ウマレテキテゴメンナサイ」なんてご丁寧に謝りつつ、神田上水で死んでやんの。
バカかお前は。 んなもん残された人間にとってはとんでもなく「迷惑」なんだよ。
親戚にそんなオジサンがいるとあっちゃ、とんでもなく迷惑なんだよ、そこいら辺で
元気に死なせて置いてけ!

さて、米澤さんはその発足の理念通り、「U・大学漫研」はとにかく絶対落ちない。
もしも落ちたらコミケも終わりだ。
漫研の先輩たちは、「よう米澤〜。 どうよこのごろ」なんてタメ口きいてて、
我が母校はさすが国連ユネスコ実験大学校、いたってフランクなもんであった。

米澤さん、ゆっくりあの世で見守ってください。
私たちは「ページをめくる」というワンダーランドに遊んでいられるのだから

米澤さんのお悔やみを心より申し上げます。




10月某日「カラダにいいこと、悪いこと」

「カラダにいいこと、ナニかやってる?!」
と自転車こいでカメラの前に現れて、ニッコリ笑ってファンタ飲んでいたのは、
郷ひろみである。(古いなぁ)オィオィ、アンタ、ファンタカラダに悪いよ。

カラダニ悪いことナンカしたいとき、私はジンジャーエールの会社が出してる
トニックウォーターをラッパ飲みする。
危篤状態のジジイに飲ませたら、死ぬよこんなもん。

体にイイ飲み物は、市民病院の9階食堂で売ってる「野菜ジュース」
略して「野ジュー」を飲む。
野獣を飲むのであるからして、
「今日はライオン味の野獣」「今日は虎味の野獣」とちゃんと申告する。

私は酔っぱらいの当たり屋みたいにタチの悪い確信犯である。
これはとってもカラダに悪く、石を投げられても仕方ない行為である。
おばちゃんは杖を持っているので、バットのかわりにカンカン打ち返す。
(ザマミロ)

自宅に虎の皮の敷物敷いていたのは金丸信(かなまるしん)である。
派閥を作りたくて隠し金庫持っていたのも金丸信である。
逮捕されて身体検査の時おしりの穴にまでガラス棒つっこまれて、
ズボンはくのも忘れて呆然とつっ立っていたのも金丸信である。
彼はいまやお空の住人である。

おばちゃんは、そういったことをシツコク執念深く覚えていて、
ときどき世間に風を吹かせる、口笛を吹きながら。
今日も片手に杖もって、かつんかつんとおばちゃんは行く。




10月某日「嵐をついて友が来る」

嵐の中をトト師匠が来る。
お昼のサンドイッチ、フルーツにデザートまでぶら下げて。
性根の張り方がすでに普通の人と違う。

よい師匠のもと、すくすくと?弟子は育つ。 寝る子は粗雑。
師匠は私と現実との世界をつなぐ「蜘蛛の糸」ならぬ
「登山用ナイロンロープ」を持っている。
もはや「ファィトオォ〜!」「一発ウゥ〜!」な間柄。
私には絶対実現しなければならない大切な事がある。
その伴奏者としても、師匠は必要だ。
私は「☆音館代表取締役」にならねばならぬ。
師匠には「☆音館セキュリティーシステム部長」になってもらわねばならぬ。
私たちは、すでに普通の人たちと違うまなざしで、世界を、社会を、じっと
見ている。 師匠、ありがとう、そしてご馳走さまでした。
胃に入らなかったサンドイッチも、入りきらなかったデザートも、みんな
私の晩酌の肴になります、ゴメンナサイ。 また来てね。




10月某日「還付金の歌」

ことしはドッコイが大ケガ手術したので、税務署に申告すれば還付金が帰ってくる。
「還付金の歌」は「帰ってきたウルトラマン」の曲でこう歌う。
「帰っ〜てくるぞ〜帰っ〜てくるぞ〜還付金〜〜〜〜〜♪」
なんせ初回入院手術費が21万円近く。(私のへそくりで立て替え)
どんどん貧しくなる我が家。 麦茶いれてペットボトルに入れて毎日通っていたのだが、
そろそろ「そば茶」に切り替えの季節。 町田行って富沢商店で仕入れなくちゃね。




10月某日「続きを聴かせてっ!」

1.錦糸町の駅で、降りるリーマン系のおじさんふたり。
「楽しみだな、『エプロン祭』。」
「うん。」
お願い、続きを聴かせて〜〜〜!
2・表参道・いわゆる名門女子校の制服の乙女がすれ違いざまに
「で、検便でさあ」
お願い、続きを聴かせて〜〜〜〜!!




10月某日「?の看板」

1・近所の街道沿いのスナック「かくれんぼ」
 本当に隣の店にひさしがついてて、「か」の字が見えずに「くれんぼ」。
 読んで名のごとし。
2・N瀬街道沿いの弁当屋。電話番号が「○○2531956」で
 語呂合わせで「25才は食いごろ」。 婦人団体とか動く気配ナシ。
3・親のウチにごはんをたかりにいくロクデナシ娘が発見。
 「フィリピンパブ」の捨て看板
 「絶海の孤島から、人外魔境のジャングルから、田舎娘がぞくぞく来日。
 孤島やジャングルから、どうやってスカウトしたのよ、それっ
 て・・・・?
4・工事前のM田駅、「駆け込み乗車はおやめください」の「駆け込み」の
 字が看板に隠れて「乗車はおやめください」・・・・おいおい、
 どうやって稼ぐんだ○田急線?




10月某日「犬丸りんさん」に捧ぐ

そりゃね、自殺率の飛び抜けて大きい漫画界だからね、驚きはしなかったけど。
「焼きそばパンの思想」とか、「おじゃる丸」の原案とか、「りんちゃん」とか、
とにかくあなたはすごかった。
「思うように描けない」が理由なんて、なによ、みんなそれを乗り越えて
ヘラヘラやっているんだぜ。

明けない夜のないモノを、あなたは夜に絡め取られた、その命を。
100才まで生きて描くべき人だったのに、なんでだ?なんで死んでしまったんだ?
無限の荒野に斬り込むのが、そんなに辛かったのかい?
あなたにしか登れない山や底なし沼も、あんたの来るのを待ちこがれていたのに。
筑波大学・視覚伝達学科卒。 48才。

心より、哀悼の気持ちをお送りします、焼きそばパンが冷めないうちに。

犬丸りんさんの死を、心よりおくやみ申し上げます。




10月某日「故・斉藤クロ(那木・なぎ)に捧げる」

あなたを拾ったのは小雨そぼ降る団地の花壇でした。
目やにがたまり、鼻も詰まり、眉間に三日月のような傷があり。
飼い猫だったことはすぐにわかりました。病気したから捨てられたのね。

わたしは週5日9時から8時まで働いて、残り2日でアシスタント修行、
というか、もはやチーフ。
貫徹で肺炎おこしたり、自分の修行もあるし、忙しい忙しい。
動物病院に、洗濯かごにあなたを乗せて「厚井動物病院」まで。
先生「あんた学生?お金持ってないでしょ。薬代だけでいいわよ。」
どこかに「赤ヒゲ先生」はいるもんだ。

「那木」ってとっても葉っぱが強いんです。 強く生きて欲しいから「那木」
(手に入れたい方は奈良の万葉植物園で売ってます)

ちょうど同僚の斉藤さんが、「ウチいま猫途絶えちゃってさ、いいよ、おくれよ。」
座間の広い農家、交通事故の心配もないし、「那木」は「クロ」になって、
もらわれて行きました。
農家ですものソバ自分家で打つ。
なんでだか大好物で、くわえて引きづって、廊下走って食べている。
妹さんの成人式の振り袖の上にウンチしたり。

捨て猫時代の栄養失調がたたって、体は小さく、ボス猫にはなれなかったようで。

引き取ってもらった最初の冬(斉藤さん、洗濯かご返してくださいよ〜・笑)
私はお歳暮をおくりました、宛名は「斉藤ネコさま」で削り節1箱。
売り場のおばさんが肩振るわせてとにかく笑いはこらえている。

22年目の今日、「厚井動物病院」の前に立ち、やっと先生にお礼が言えました。

町田市、木曽町だか森野だかの「厚井動物病院」は、いい病院です。




10月某日「せめてシーツの涙が乾くまで」

私には待っていてくれる友が居る。

私の大切な宝物である。




            

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