日々是好日・身辺雑記 2006年1月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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一月某日「オオカミさん」
   
「書庫」と称して借りている2DKで(私、自分がお金持ちなんだか貧乏なんだか、
倹約家なんだか浪費家なんだか、よく分らない・笑。 ただはっきりしているの
は「片づけ下手でズボラで考えなしなヤツ」だという事だ)母がおもしろいもの
を発掘してきた。
子供の頃に聴いていたレコードの数々である。
といっても、枚数はないよ、ウチは貧乏だったから。
稼ぎはよいのだけれど、それに輪をかけて浪費家だった父のおかげである。
だから数枚のレコードを、それこそ溝がすり減るまでくり返し聴いたのだ。
       
出てきたのはキングレコードの「たのしいおとぎ童謡集」つー25センチ盤と
(内容が相当古いので兄貴のだね、こりゃ)ソノシート(ぺらんとしたレコード
のことよ、ねんのため)NHK「よい子のうた・NHKテレビ うたのえほん」
(「おかあさんといっしょ」の体操の歌なんか入っていて、歌のおねえさんは初
代・真里ヨシコさんじゃなくて2代目のみずたにれい子さんだ)
それに「ぶーふーうーのうた」である。
    
この「ぶーふーうーのうた」が、ものすごく良いのだ。
「ぶーふーうー」はNHKの子供向け番組の中でも傑作中の傑作である、知らない
人は知ってください、すごいから。 ビートルズを語らずしてロックンロールを
語れないように、「ぶーふーうー」は黎明期のテレビ番組の「マスクドプレイ・
ミュージカル」(「かぶりもん歌劇」とでも訳すのかな)の金字塔である。
なんせ脚本・作詞が故・飯沢匡(ただす)さんなのだからして。
    
内容は童話「3匹のこぶた」を、舞台をメキシコにして連続コメディーにしたよ
うな世界で、他に跳ねっ返り娘のオウムの「ペロちゃん」と、全然恐くない「ユ
ーレイさん」が出てくる。 「ぶー」がドラえもんの大山のぶ代さん、「ふー」
がパーマンの三輪勝恵さん、「うー」が黒柳徹子さんである。
そして、どこか愛嬌があって憎めない「オオカミさん」が永山一夫さん。
    
この「オオカミさん」は本当はこぶたたちと仲良くなりたいのだが、いつも何か
しら食い違いがあってイジワル役&負け役にまわってしまうのだ、わたしはオオ
カミさんが大好きだった。 幼稚園の学芸会で「三匹のこぶた」をやることになっ
て「おおかみ」の大役が回ってきたのだけれども、私の好きな「オオカミさん」
とはまったく別人で、泣いて抗議した位(ふだんはおとなしい、聞き分けのよ
い子供だったのよ、一応・笑)好きだった。   
     
永山一夫さんは、調べたら「劇場版アニメ・わんわん忠臣蔵」に出ていたらしい、
あとは任侠映画などにも出ていたらしい。
「永山一夫」と名乗っていたのは、本名が「コン・ピョンスン」さんだったから
で、この名前ではオーディションに受からないと赤ちょうちんで嘆いていた彼に、
居合わせた客が「じゃあオレの名前を使うといいよ」と言ったからだという。
オオカミさんは朝鮮半島から戦前戦中「強制連行」されてきた人、あるいはその
子孫だったのだ。
    
その日、その時間になんでNHKの朝の奥様番組を観ていたのかわからない、(た
ぶん風邪でもひいて学校を休んでいたのじゃないかな?)1971年の冬のこと
である。
テレビスタジオには鈴木健二アナウンサーと黒柳徹子さんがいた。
黒柳さんが電話で誰かと話をしながら泣いていた、相手はあの「オオカミさん」
の声のひとだった。
新潟から北朝鮮に帰国の船が出る、その船に、永山さんはこれから乗るという。
1950年に始まった朝鮮の南北戦争は3年に及び、さらに2年の休戦交渉の
末に250キロにわたり朝鮮半島を分断する「38°線非武装地帯」で一応決
着?がついて、これからの祖国再建のために、日本を出るという。
その第161次帰国団250余名の中にオオカミさん、いや、永山さん、いや、
コンさんはいて、マンギョンボン号の出航する新潟港と電話はつながっていた。
    
船に乗ってしまえば、もう連絡のつてはない。
本当の本当に情報のない時代だったのだ。
「どうぞお身体にお気をつけて、お元気で。」
と何度も何度も繰り返し、黒柳さんは泣いていた、「うー」の声で。
「さようなら。」とコンさんは言った、「オオカミさん」の声で。
    
のほほんと脳天気に育った私には、「大人も泣くのだ」ということがショック
だった。 「永遠の別れ」というものが、この世にあるのだということが。
    
出てきたソノシートにはオオカミさんの歌う「おれはのけものだ」という曲が
ある。 瞼を閉じたオオカミさんがギターをかき鳴らす写真がついている。
    
おれはのけものだ
いつでもいつでもなかまはずれ
どうしておれはすかれない
どうしておれはきらわれる
おれはこんなにいいオオカミなのに
みんなみんないやがるんだ
おれはのけものだ
いつでもいつでもなかまはずれ
   
飯沢匡さんの作詞したこの曲を、オオカミさんは、永山さんは、コンさんは、
どんな気持ちで歌っていたのかなぁ、などと、私は考える。
     
オオカミさんは、北朝鮮で亡くなられたという。
享年は、わからない。
     
    
      

一月某日「商品の性質上・・・」
    
インターネットショップの「Amazon.co.jp」をよく利用する。
洋書やDVD、あちらもののCDなんかを取り寄せるときにとても便利だ。
いま現在も、2月に発売のDVD「寺内貫太郎一家」が予約済みであるし、アメリ
カからの船便でミレイユ・マチューのベスト盤3枚組が我が家にむかっているは
ずである。(「On ne vit pas sans se dire Adieu」が入っているのをやっと見つけ
たのだ。 いやはや、ネットオークションでこの曲の入っている昔のアルバムが
なんと1万円超えてしまって、手に入れられなくて悲しんでおったのだが、調べ
まくってついに発見! 嬉しかった〜。)
    
「Amazon」には人口知能機能があって、たとえば「マイ・フェア・レディー」の
DVDを注文すると次回は「おすすめの品があります」と、「ティファニーで朝食を」
や「麗しのサブリナ」がさりげなく紹介される、というシステムである。
    
しかしね。
    
あのね。 
   
本日のおすすめ
「鼻毛 トップ10」
「自分にあった鼻毛カッターを、売れ行きトップ10から選ぼう」・・・て(笑)。
(そーゆうのクリックしちゃう私も私だ・・・)
ちなみにトップ1は「HITACHI 鼻毛カッターBM 03-S 960円(税込み)」だそうな。
(って調べちゃう私も私だ・・・)
    
さてさて、話変わって、私は不器用である。 ゆえにふつーの爪切りが上手く使えず、
すぐ深爪してしまう。 ので、日本橋の老舗「木屋」の特製爪切りを愛用している。
小振りで、デザインがかわいらしい。 これを引っ越しのどさくさでどこかにやって
しまって不便でしょうがないので、年末にドッコイに車を出してもらって、日本橋の
「木屋」まで行ってきた。
爪切りは、菜っ切り包丁からマグロ解体用のでっかい魚包丁まで、ズラリ並んだその
片隅の、ガラスのケースに並べてあった。 さっそくお目当ての爪切りを手にとって、
そのケースをよく見ると、なつかしいお裁縫の糸切りばさみやペーパーナイフに混じっ
て「貼り紙」のしてあるコーナーが。
    
「商品の性質上ご返品はご容赦下さい」
はい、「鼻毛切り」のコーナーでございました(笑)。
そういや昔むか〜し、銀座のダンナに言われたなあ、
「鼻毛ってのは年とると伸びてくんだよなぁ、華やっ子、「木屋」のゼンマイ式のは
いいぞ〜お、おぼえとけよぉ(笑)」って。
とりあえずヘビースモーカーでもないし(ヘビスモの女友達がおのれの鼻毛の伸びっ
ぷりを嘆いておったのよ)、今のところは購入予定はないのであるが。
    
Amazon、おすすめありがとう。
でも、もうちょっと年取ったら、「木屋」行くわね、私。
   
    
    

一月某日「505・506号室のオリオン」
    
今年は昨年に次いで3万年に一度の火星大接近の年だそうで、冬の澄んだ夜空に
赤い星が美しく光っている。 宵の明星もチャーミングだし、何よりもオリオン
座が素晴らしい。 ああ、まったく「冬」っていう季節はオリオンの輝きによっ
てどれほどその魅力を増しているのだろう。
    
昔、びっくりするほど貧乏だった頃・・・今でも金持ちではないが、あの頃に比
べれば「夢のよう」だ。 風呂も暖房もテレビもあるし、冷蔵庫は空っぽではな
いし、こうしてパソコンなんてものまで持っているし。
ただ、思い出すだに貧乏だった頃、冬の大きな喜びのひとつは、働いて、疲れて
深夜バスで(あるいはバスを逃して夜道を45分徒歩で)帰ってくる、ちょうど
その時刻、私の暮らすオンボロ団地の、まさに私の部屋の真上の位置にオリオン
がいつも輝いていた、そのことがどれほどに大きな喜びだったことか。
      
ポケットには何枚か、今日の稼ぎの札びらがある。 どうせ数日で淡雪のように
消えてはしまうのだが、とりあえず暖かい食べ物と酒と何冊かの書物と、売れる
か売れないかは分らないけれども何かを描く画材代は稼いで帰ってきたのだ。
オリオンに「ただいま」とつぶやいてから、コンクリの階段を5階のどん詰まり
までえっちらおっちら登るのは、嬉しかった。
   
ときどきお隣の「505号室のキムラさん」が階段の途中で飲んだくれてつぶれ
ていた。
     
キムラさんは偶然にも兄貴の小学校時代の同級生のお父さんで、離婚して妻子に
逃げられて、借金まみれで、いろんな仕事を転々として、飲み屋のママみたいな
おばちゃんと同棲してみたり、逃げられたり、雨の日に子猫を拾ってきたり、逃
げられたり、また新しい借金こさえて取り立て屋から逃げ回ったり、ガスも電気
も、最後は水道まで止められて(水は人間の最終必需品なので、未納から止めら
れるまで半年以上かかるらしい)すぐそこの公園の水飲み場で、飲み水汲んだり
洗濯してたり、していた。
    
いつも熟し過ぎた柿のような酔っぱらい特有の匂いをさせて、キムラさんは階段
で丸まった猫のように眠っていて、
「キムラさ〜ん、またぎますよぉ〜。」
と声をかけて、よっこらせとまたいで行くと、3分くらいでごそごそ動き出して、
明かりも暖もない真っ暗な505号室に、這うようにしてころげこんでゆく。
それをドアの覗き窓から確かめてから、私はそっと鍵をかける。
    
「どん底」とはこういうものかと思った。
   
その名は、ドアを荒々しく叩く取り立て屋と公共料金徴収員からしか呼ばれるこ
ともなく、昼間はどこかで寒さと空腹をしのぎ、真夜中にほんのつかの間の眠り
を求めてコンクリの寒い四角い部屋へ、這いつくばって、帰る。
キムラさんと私との隔りは、向かいあったドアでわずか2メートル、金額にして
ほんの札びら3〜4枚ぶんポケットにあるか無しかだった。
       
ひとつだけ決定的な違いがあるとしたら、その頃の私には「自分の描くものによっ
て世に出たい」という夢があり、キムラさんにはおそらくもう夢を抱き続ける気
持ちすら失われてしまっていたのだろうということだ。
夢とはトランポリンのネットのようなものだ。
その1枚があるかないかで、飛び込めば暗い奈落がただ口をあけている。
    
私の暮らす506号室とキムラさんの暮らす505号室の上には、等しく冬の星
座・オリオンが輝いていた。
私がまるで自分自身の一部のように愛しく見上げていたオリオンを、キムラさん
は見上げることがあったのだろうか。
       
自治会のつてを頼って、民生委員の人に生活保護の相談など受けられるように話
はしたのだが、いかんせん本人が昼間は逃げ回っていてつかまらないのだ、これ
ではらちがあかない。
最終的には別れた息子さんが尋ねてきて、引き取ったようだった。
数日間の旅館詰め泊まり仕事(業界用語で「カンヅメ」という・「缶詰」ではな
く「館詰」である・笑。)から帰ってきたら、505号室はカラになっていた。
      
その週のうちにリフォーム業者が入り、ボロボロの畳を運び出し、壁を塗って、
オリオンの季節の終る頃、新しい住人夫婦が引っ越しの挨拶にやってきた。
    
もう20年ちかく昔のことである。
体を損ねているようだったキムラさんは、今、生きているのだろうか、どこか
で幸せに暮らしているのだろうか、そうなら良いなあ、などと、冬のオリオン
を見上げるたびに、思う。
    
     
     

一月某日「ひと冬に・・・」
      
「一度もひかぬ馬鹿、二度ひく馬鹿」とゆーのは江戸のことわざである。
「夏にひく馬鹿、冬ひかぬ馬鹿」なんてのもあるぞ、「馬鹿」は大阪弁の「あほ」
と同じような感覚なので、まあ、ちょっと笑える言葉ではある。
       
大阪と東京では「馬鹿」と「阿呆」のニュアンスが完全にひっくり返っているらし
い。 東京で「あほう!」と言ったら取っ組み合いのケンカになるし、大阪で夫婦
喧嘩のとき上手いタイミングで「・・・あほ。」と言ったら、子供が出来たりする、
というのは、今はなき中島らもさんの説である。 が、ま、それはさておき。
       
まだ冬はやっと年を越して、これからがいよいよ本格的な冷え込みに入る南関東な
のに、私は何度風邪を引いたら気が済むのだ!? というくらい、今年はおみごと
に風邪に大当たりである。 こんなん当っても嬉しくもなんともない。
人間「一度ひいたタイプの風邪は二度はひかない」のだそうで、のどにきたり、胃
腸にきたり、筋肉痛になったり、なんだかいろいろなパターンなのだが、不思議な
ことに、この冬、「発熱」だけはまだいっぺんもない。
まあ、ふだんの体温が35度台の「低温動物」なので、もしかしたらちょこっとは
出たのかもしれないが、それにしても「でこ貼りシート」も「アイスノン」も準備
はしているのに出番がないのである。
    
ただなんとなく不調のまま、たらーりたらーりと日々は過ぎてゆく。
この調子でひと冬過ごすよりは、「発熱!以上終りっ!」で風邪が打ち止めになっ
てくれたほうが、よっぽど健康的な?気がする私は、そう、せっかちなのだ(笑)。
「発熱・せき・鼻水・計3点、2泊3日セット、これでもうこの冬の風邪は打ち止
め!」なんてワクチンが発売になったら、連休を利用して買ってもいいよなあ、な
んて考えたりする。
JTB「冬の雪国ツアー・温泉めぐり・かに食べ放題2泊3日ツアー」より売れる
んじゃないだろうか。 ご一考下さい、製薬会社さま(笑)。
      
      
     

一月某日「愛は標高を越えて」
    
女優・岡田嘉子さんのように国境を越える愛もあれば、年齢を越える愛も、人種を
越える愛もあるのだよなあ。
映画「ある愛の詩(うた)」のように「家柄」や「お金持ち度」も(これってあん
まり評価されないようでいて、実は結構ポイントかも。)「愛と死をみつめて(古
いね・笑)」や「セカチュー」みたいに「病」も越えちゃう愛も、あるんだよなあ。
いろいろである。
     
いやはや、「愛」というのは人類が手に入れた最大の「ショートカット・メソッド」
ではある。
それが良い方向に働けば、たとえばユニセフのように世界規模で貧困や飢餓に立ち
向かうことも出来るし、悪い方向に働けば太平洋戦争下の「大政翼賛会」みたいに
「愛国心の強要」にも、なってしまうのだな。
(笑ってはいられない「平成18年の日本」なのでは、ある。)
    
しかし。 高みから降ってくるばかりが「愛」ではないよ、とゆーのも事実ではあ
る。 意外なところに「愛」はすっころがっているものだし、それを越えるか越え
ないかは、じっさいのところ当事者の切実な現実ではある。
    
てなわけで、話題はすっとび、行ってきましたドッコイの実家へ。
    
長野県の真ん中、諏訪湖のすぐそばである。 八ヶ岳をはじめとして四方を山に囲
まれた風光明媚な高原である。 日本海側からの雪雲は山々に遮られ、積雪はほと
んどない、乾燥している。 が。
とんでもなく寒いの。
いや、寒いを通り越してもう「痛い」の。
なんせ凍り豆腐やら棒寒天やら、「天然フリーズドライ食品」の名産地なのである
からして。(あとは発酵食品・お酒と味噌ね)
    
今年は諏訪湖が完全氷結して、氷面の力のバランスが崩れてバキバキ割れて盛り上
がる「御神(おみ)渡り」現象も見られたくらいで、特に寒いらしい。
諏訪大社は諏訪湖をはさんで「上社(かみしゃ)」と「下社(しもしゃ)」に別れ
ていて、このふたつの神社を、神さまが凍った湖を渡っていく、という言い伝えが
ある。 (ウチは上社の氏子である。)
     
気温、ごくふつうに、マイナス11度ですぜ。
ストーブ焚いてる部屋の中で話していても、息が白いのよ。
生まれも育ちも「のほほん関東平野の南〜」の私が、よくぞまあ信州人のドッコ
イと一緒になったもんだわい。 と、冬に帰省するたびに我ながら感心する。
一泊が限度ね、冬は。
       
ま、とはいえ、私の少女時代は、南関東もしっかり霜柱が立ったし、窓が結露で凍っ
たし、手や足がしもやけになったり耳の後ろがあかぎれにもなったのではあるが。
私の親友はしもやけになりやすい体質で、冬はわざわざワンサイズ大きい靴を履い
ていたんである。 ああ、地球温暖化。
   
さてさて、信州人のドッコイと南関東人の私はどうした星のめぐりあわせか(とし
か言いようのない不思議なご縁で)出っくわして、一緒に暮らすようになった。
しかーし。
以下ドッコイの信州の親友Oさんと、ドッコイとの会話。
「おれんち790だけど、お前んちどれくらい?」
「う〜ん、840位かなあ。」
「じゃ、寒いだろ。」
「うん。」
    
「790」も「840」も「標高」のメートルのことなんである(上に行くほど寒
いのよ!)私はじめて知りました。 自分の住まいを標高で言うお土地柄。
       
「どこに住んでんの?」
「ああ、カンナナ(環状7号線)とニーヨンロク(国道246号線)のクロスする
 とこ。」   
「上馬(かみうま)のあたり? じゃぁ自動車の騒音ひどいでしょ。」
「なにごとも慣れよう(笑)。」
てな会話があったり前の環境に育った私は、自分が今住んでいる土地の標高、知り
ません。(いっぺん位は調べてみようかなぁ。)
     
でもって、Oさんと、私の学生時代の可愛い後輩Mちゃん(瀬戸内海出身)は、な
ぜだか婚約時代の私たちの紹介で出会い、歌舞伎座すぐそば、今はなきホテル・ア
ルシオンのスイス料理店「ゾンネ」で、チーズフォンデユを食べたのだ。 仲良く
なるには鍋ものかフォンデュで決まり!「ひとつ鍋の仲」という既成事実をとっと
と作ってしまうに限る(笑)。
そして私たちより早く、あれよあれよという間にふたりは結婚したのである。
かくして信州に新居を建て、3人のお子さんにも恵まれ、Mちゃんは今やもうすっ
かり信州人である。
標高は800メートルまであとちょっとのあたり。 瀬戸内出身のMちゃんには、
寒さがキツかろうと思いはするのだが、しかし、しっかり地元に根付いてMちゃん
はとことん明るいのである。
    
「800メートル越えると、寒冷地仕様の車、買えるんですけどねえ。
ウチはあとほんの少しの標高なんですよねー。」
あっけらかんとMちゃんは言う。
    
ああ、愛は標高をも越えちゃうんである。
私は映画「サウンド・オブ・ミュージック」の、感動の山越え亡命ラストシーンを
思い出して、しみじみ
「越えられない愛はないよなぁ。」
なんて考えてみたり、する。
     
    
    

一月某日「新春早々『どすこいしょ』の巻」
       
なんのこっちゃない、ドッコイのお里・長野へ行くはずが、ふたり仲良く?枕並べて
ケホケホしながらの「寝正月」ならぬ「寝込み正月」にあいなったのでした。
ハンドル握る人が動けないなら、当然クルマも動けないもんね。
    
おみやげのカステラと厚木名産「落花生甘納豆」は宅急便で先に送って、「本体」は
風邪がぬけた1週間後に行く、ということで電話して・・・・  
その後の「三が日」の記憶が、もののみごとーにふっ飛んでおりますっ(笑)。
気がついたら1月4日でした。 あぁぁ〜・・・
(ホント、元旦は自分んちにいないつもりで、1月の雑記をフライングして12月末
にアップしといてよかったよなー。)
   
「あぁ、もうサクラの新春歌謡ショウが始まって・・・いるのだなぁ。」
などと思いつつ、風邪の置きみやげで体中ペタペタと痛み止めを貼りまくっておりま
した。 なんでここまでこじれるかねーと感心する位あちこちイタイ(笑)。
しかもこれ、風邪のせいだけではなく。
     
ただでさえ病み上がりでヨレヨレな上に、引き出し式CDラック(高さ136センチ・
七段式・735枚収納)を、ついうっかり全部の引き出し開けたら・・・・
グラリとな。 そりゃそうよ、重心グラッときますわよ。
そのまま手前にユラ〜っとな。
物理の方式忘れとったよ、病み上がり(いや、この際「病み上がり」は無関係じゃ)
「うおっとおっ!」と雄叫びあげて、はっし!と「こちらに向かっていらっしゃる
CDラックさん」の肩を・家具の場合肩でいいのか?いやしかし、この際「ラックさん
の肩」を両手で必死こいて支えるその姿は・・・・漢字で言うなら
てカンジ。
「いいですか皆さん、人という字は2本で支えあっているから『人』なのですよ。
みんな誰かと支えあって生きているのですよ。 よろしいですね。」
などと、中学時代の書道のM山先生のありがたいお声がどこからともなく・・・・
聞こえて来る・・・・場合じゃないんですけれど!!!!!
  
昔コンパで泥酔した後輩がゆら〜っときたのをはっしと受け止めた時のポーズその
まんま、固まって〜〜〜やばいっ、このままいったら腰ギックリいっちゃうよっ!
てなもんで、頭突きとひざ蹴りで引き出し様には引っ込んでいただきました。
ああ、驚いた、あとちょっとで家庭内遭難するトコだったわい、ふぅ。
    
しかし、頭突きついでに引き出しの奥をさらげて見てしまった私は、自分が「浪花
のモーツァルト・キダ・タローのすべて(2枚組)」や「ゲバゲバ90分・ミュー
ジックファイル」「タイ製海賊版ドラえもん」「レーゲンスブルグ大聖堂聖歌隊」
「やすきよ漫才傑作選1〜3」などを持っているのを知ったのでした。
あーあ、統一性まるでナシだわ、こりゃ(笑)。
    
なんだか方向性のまるで見えないこのサイトの今年を、走馬燈のように垣間見て
まったというか、なんだかな、もう〜。 今年もこれか、これなのかいっ!
  
そう、今年もな〜んの方向性も見えないまま、万年仮設サイト「帰ってきた抜刀質店」
はドンブラコと船出なのでございます。 たまたま乗り会わせてしまって
「なんじゃ、こりゃ!?」
な方には、もう新年しょっぱなからあやまっておきます。
ごめんなさい、ここはそんな「闇鍋のよーな」ところでございます。
カクゴしといてね(笑)。
    
    
   

一月某日「あけましておめでとうございます!
       
ところがどっこい「帰ってきた抜刀質店」は、今年も仮設サイト、掘ったて小屋です。
カウンターも、掲示板も、リンクコーナーも、バナーもございません。
(胸張って言い切っちゃうあたり・・・・今年もこれかいっ!)
     
てなわけで、パリ市の紋章に記されている16世紀の標語
“FLUCTUAT NEC MERGITUR”
(フルクトゥアット・ネック・メルグトゥール)
「たゆたえど沈まず」の精神で、2006年も、レッツラ・ゴー!(笑)
    
これに懲りずに、今年もよろしく〜! 
  
     
   

      
      
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