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日々是好日・身辺雑記 2005年9月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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九月二四日「捨てられないレシート」
     
小銭やら診察券やらでぱんぱかぱんの財布の中に、1年前のレシートが1枚入っている。
    
この「日々是好日」のコーナーの右隅に小さくある「以前の雑記を読む」をクリック
したことのある方なら、もしかしたらお気づきかもしれない、2001年5月(正確
には4月)から2004年10月まで飛んでいることを。
私は事故で頭部を強打して、いわゆる「記憶喪失」になっていた。
その空白である。  
    
橋の欄干に「コンニチハ」した頭は、切れこそすれ、持って生まれた石頭が幸いして
骨折はしなかったのだが、数日して目覚めたら
「私、誰?」
状態になっていた。
私は何もできなくなった。 ドアを開けて閉めたが最後迷子になったし、押しボタン式
信号の十字路も、やり方が分らず渡れなかった。     
その後約1年で、生活の仕方は幾分思い出せたものの、自分が「抜刀質店」であること、
本を出したり、サイトをやっていたことは消えたままになっていた。
なにしろパソコンとテレビが並べておいてあっても、どちらも「箱」としか認識出来な
かったのだから。 スイッチさえ入れられなかった。  
    
「戻る記憶は戻るけれど、戻らない記憶はもう戻りません」とMRI 担当の医師は言った。
自分の本を見ても、他人の本を見ても、まったく見分けがつかなかったし、それが
「サクラ大戦」だということも忘れていた。 読んでも意味がわからなかった。
ただ「やけに薄いマンガ本が多い家だなあ」とだけ感じていた。
     
          
思い出すきっかけになったのは2004年春の引っ越しである。
ポスター「赤い花白い花」の原画が出てきた。
「これは自分が描いたものらしい。」
大学時代の日本画ゼミの友人にも見てもらって確かめた。 
確かにわたしが描いたものだった。 
気がつくと、自分が描いた「サクラ」のラフや絵コンテが2000枚近く出てきた。
パソコンのスイッチを入れ、迷いながらやっとのことで自分のサイトにたどりついた。
どうやら私は「抜刀質店」というパーソナリティーを持っていたらしいと気づいた。
    
「クリスマスのニケ」の絵コンテが出てきた。
果たしてこれが物語として成立するのかが分らない。 
私はメールの記録をたぐって、二人の方に連絡を取った。
ありがたいことにおふたりは「抜刀質店」を覚えていて下さって、「逢って欲しい」
というぶしつけなお願いも快諾して下さった。 そして「クリスマスのニケ」を読んで
下さった。 感謝している。
    
9月24日のレシートは、そのうちのお一人とお会いして「ニケ」の絵コンテを
お見せしたときのものだ。 あの日、あの瞬間、私は「抜刀質店」に戻ったのだ。
    
あれから1年。 イベントにも出た、新刊も出した、こうしてサイトもやっている。
実生活でもいろいろなことがあった。 養母は死んだし、その相続の問題はまだ決着が
ついていない。 大病もした。 まだ戻らない記憶の部分もあり、生活は楽ではない。
しかし、パソコンのモニタの前で、私は「抜刀質店」になれる。
    
あまり出来の良いパーソナリティーではないことは、たっぷり承知している。
文章はヘタっぴだし、グチっぽいし、サイトとしての見栄えも良くない。
しかし「抜刀質店」のときの私は、居心地がいいのだ。
    
わたしはもう事故にあいたくない、記憶を失いたくない。
「抜刀質店」である自分を、もう手放さない。
     
1枚のレシートは、私が私であるための、お守りである。
  
     

Mercie pour M et Y.     


九月某日「下のタイトルは・・・たねあかし
    
桜田淳子さんの歌のイントロ、語りの部分の一部です。
当時ちょっとした話題になりました。
それまでマイク持って元気良くステージに出てきて、明るく歌い出すのが若手アイドル歌手
だったのが、静かに出てきていきなり「語り」が入って、それからやっと歌。(マイナー)
クラスの男子がよく教室でまねっこしてました(笑)。
「この花は私です
 やっときれいに咲いたのです
 便所に起きます(窓辺におきます)
 あなたは屁をこいてくれるでしょうか、(気づいてくれるでしょうか、)それとも・・・」
ああ、下ネタこそは小学生男子の特権!(笑)
ただ、その語りのイメージがあまりにも強烈すぎて、歌のタイトルも、かんじんの歌詞も、
覚えてないんだわさ〜、こりゃこりゃ。(困ったもんだ)
   
     

九月某日「この花は私です。やっときれいに咲いたのです。・・・って年齢制限タイトル
    
ありがとうございましたっ!!
前回書いた「それにしても、この花は・・・?」の疑問に、沢山の方からメールを
いただきました。
久野綾希子さんは、劇場版と「サクラV」でラチェット・アルタイルの声を担当して
いたのですね。 いや〜、びっくりした〜。
だって、あの久野さんですよ、「劇団四季」の久野さんですよ、「エビータ」の久野
さんですよ、「キャッツ」の久野さんですよ、「トットチャンネル」の久野さんです
よ・・・・って、「トットチャンネル」、知らない?
   
そう、あれは87年・・・(いきなり遠い目で回想突入)
世間ではジャニーズの「少年隊」人気まっさかり。 映画「19(ナインティーン)」
が上映されることになって、わたくし、先輩漫画家から言われました。
「チケット代出すわ。 ゴハンもおごったげる。 お願い、一緒に映画館に行って!」
    
今でこそ年上のお姉さま&おばさま方が貢ぎまくってナンボのジャニーズですが、
(知人に聞いた話では、コンサートの最前列のチケット、とんでもない¥だそうで)
当時は年上(それもだいぶ)がティーンズ向けの映画を観に行くのって、勇気がいったん
ですねー。 その割には、いざ映画館に入ったら、あらま、お姉さんたちだらけでしたが。
     
その「19」と同時上映だったのが斉籐由貴ちゃん主演の「トットチャンネル」。
NHK俳優養成所第一期生だった黒柳徹子さんの、てんやわんやの青春時代物語。 
それに出ていたんです、久野綾希子さんが「人気先輩女優」の役で。
ものすごく上手くて存在感あって、ほんの2シーンの役だったのにはっきり覚えてるんですね。
(蛇足ですが、この「トットチャンネル」で「パラシュートスカート翻して『買い物ブギ』を
歌い踊る笠置シヅ子」役で1シーンだけ出ていたのが室井滋さん。
彼女は小堺一機さん主演の「服部良一物語」でもやっぱり笠置シヅ子役でした。 ナゼ?)
     
と、唐突に回想オワリ。
   
しかし・・・舞台の美空ひばり役の久野さん、20年近く経っているのに全然年とって
ないんです。 うーんと前の方の、真ん中の席だったから断言できるわ。
女優さんて、スゴイ・・・・・・・
    
写真では一部しか写せませんでしたが、3女優プラス下條アトムさんのミュージカルで
ロビーはもう花々てんこ盛り状態。 その中で、「サクラ」の盛り花はとても大きく、
目立つところにありました!
しかし・・・・お客の層が「セガ? 何、それ?」中心だったのですが〜・トホホ。
     
さてさて、沢山いただいたメールの中で、またぞろUさまから楽しい情報。
(前略)
 今日の余談は『ショウほど素敵な商売はない』についてです♪
 あの曲はもともと、1946年にできたミュージカルである
 『アニーよ銃をとれ』の中で歌われた曲です。
 曲自身がかなりのヒットになった為、その曲名を使って映画を撮ろう
 という話しになり、1949年にモンローの映画ができたのです。
 ちなみに、日本版のミュージカル「アニーよ銃をとれ」の
 アニー役は島田歌穂さんがやっていましたから、元々歌いなれた
 曲でしょうね。
 
(後略)
ありゃま〜! 私の知ってる「アニーよ銃をとれ」は
桜田淳子さんでしたー!(笑)
そしてテレ朝の「宇宙刑事シャイダー」で、主人公シャイダー(映画監督・円谷英二氏の孫、
円谷浩さん)より人気が出ちゃった森永奈緒美さん
女宇宙刑事アニーでしたー!
(オタクだよ、コイツ・・・・)
だってだって、闘うことの意味を思い悩みピンチに陥ったアニーに主人公シャイダーが
大声で叫ぶんですもの、
「アニーよ、銃をとれぇっ!!」となぁ。
そう言われたって、あーた、テレビの前で、つっぷしましたね、私。
(本日の教訓:「過去」とは思い出せば出すほど、こっぱずかしい方向に転がるものです)
    
     
    

九月某日「それにしても、この花は・・・?」
     
歌舞伎町に行った。 シアターアプルヘ「江利チエミ物語」を観に。    
もちろんあのとんでもない雑踏、ひとりでは行けっこないので、相棒
「ドッコイ」にくっついてきてもらって、である。 こういうときこの人は、
いやいやでなく、ちゃんと楽しくつきあってくれるのが嬉しい。    
   
昔はピンボール打ちに、映画に、観劇にとさんざん通った歌舞伎町も
「ああ、こんな賑やか過ぎる街、来られるのはこれで最後かもしれない。」
と思うところが、我ながら年取ったなあ。 「今浦島」ってやっちゃね。
帰りは思わず西口の「思い出横丁」にも行ってしまいましたよ。 大火事騒ぎにも
めげず、取り壊されもせず、あいかわらず見事に汚い!(うふ♪)通りであった。
        
さて、「江利チエミ物語」である。
案の定というか、そうとしかしようがないというか、当時のヒットメドレーを
歌って踊って2時間半、という構成になっていて、明るくて楽しかった。
     
「江利チエミ」という人の人生はものすごくハードである。 
幼い頃から米軍キャンプ回りの生活で、十代の始めに母親もなくしている。
14才で「テネシーワルツ」がヒットしてから、実力派歌手として、また女優として
テレビに、映画に、舞台にと大活躍するのだが、1981年に急逝してしまった。
しかも、彼女が「光」だとしたら、「影」になる異父姉の存在があって、大借金も
豪邸の火事も、高倉健との離婚もみんなこの姉がらみである。 
まるで、なかにし礼の自叙伝「兄弟」のようだ。
(テレビ化したときには、ビートたけしが兄役を怪演していたなぁ。)
これを全面に出すとどうしようもなく暗い内容になってしまうので、そこはさらりと
流していた。 彼女の不幸すぎる死も、演出で上手く救いのあるものにしていた。
(なにしろ酔いつぶれて寝ている最中にゲロ吐いて窒息してしまったのだ、彼女は。
当時新聞読んでビックリしたもんである。 劇中では「風邪薬とお酒を合わせ呑んで」
とソフトな表現になっていた。 だろーなー。 そうとしか表現出来ないよなー。)
     
江利チエミが島田歌穂さん、美空ひばりが久野綾希子さん、雪村いずみが絵麻緒ゆう
さんで、いわゆる「3人娘」が歌って踊って舞台が進んでゆくのだが、島田さんの
歌もよかったが、久野さんの「ひばり」がすごい「なりきりっぷり」で目が離せなかった。
美空ひばりはものすごくクセのある歌手だったのだが、それをきっちり再現している
のである。 口を四角くあけるクセとか、サビの部分で声がぐにゃっとゆれるクセとか、
ああ、久野さんきっとものすごくビデオ見て研究したんだろうなー。 あっぱれである。
    
なぜか劇中劇「アニーよ銃をとれ」のシーンで、島田さんは「ショウほど素敵な商売は
ない」の主題歌を朗々と歌い上げるのだが、わたし、この曲ほんとうに好きだ。
「ショウほど・・・」はマリリン・モンローが出ている映画なのでビデオ屋さんに
たいてい置いてある、と思う。 おひまなときにはぜひどうぞ。
          
江利チエミという人はコメディエンヌとしても、ものすごい才能のあった人で、
「日本のルシール・ボールだ」と私は思っている。 最初に実写版の「サザエさん」
演じたのも彼女だし(後にはなぜか星野知子さんもやったし、舞台では熊谷真美さんが
三谷さんの脚本でやった)、「ひばりチエミの弥次喜多道中」なんて映画も作っている。
そこらへん、舞台でもちょこっと触れて欲しかったなあ。
            
それにしても。
ロビーにはものすごいお花の数だったのだがしかし、
この花は・・・?
「サクラ大戦」と、どーゆー関係があるのだろう。
ご存じの方、いらしたら教えて下さい。
  
     
    

九月某日「くすり」
    
いやはや、「今年最後の残暑の日」に、よりにもよって熱中症である。
おかげで翌日は午前中も午後も病院であった。 我ながら不健康よのう。
一時的にとはいえ飲む薬が4種類増えて、これで私の1日の薬は全部で19種類、
38錠と1包である。 生まれてからたぶん、重量はともかく体積は、自分と
同じくらいの量の薬が肉体を通過しているのではないかな?
とにかく私は極端に「弱く」出来ている。
弱いから、こんなサイトをやっている。
    
今現在、病院が3つにリハビリひとつ。 これに、もしかしたらもう1カ所
増えるかもしれない、というスケジュールである。
もうとっくに、体も心も、「病んでいる自分」にうんざりしている。
不安や焦燥や不満が、毎日心の中に深く静かに爪を立てる、それでも。
    
まだあきらめないわよ・笑。
    
     
     

九月某日「嬉しい一通、哀しい一票」
     
嬉しいメールが一通、Uさまより届いた。 
前回の「カトリーナとアメリカ」のなかの疑問、というか間違いを指摘してくださるものだ。
以下その文面をアップさせていただく。
(前略)
 余談ですが、ハリケーンの一番最初に人名前がついた時は、男性の名前です。
 その後は気象予報士の奥さんの名前や恋人の名前がついて暫くは女性の
 名前でしたが、2年間ほど、また男性の名前になった時期もあります。
 その後1953年に女性の名前Onlyになり、1978年から男女の名前と変わった形です。
 (後略)
なるほど、そういうことだったのか! みなさまも驚いたでしょ。
Uさま、ありがとうございました!! これで長年の謎が解けたわい!
というか、こうしてきちんと正しいことを教えてくれる方が、この、いまだに掲示板すら設置
できない『へっぽこサイト』(すみません、やり方分んないんです〜。 無理やり設置したと
しても、きっと絶対管理しきれないんです〜。
)を読んでくださっていることが、
何よりも嬉しい。
店主冥利に尽きます。
    
    
さて、衆議院選挙でしたね。 多分このサイト、ご覧になっている方のほとんどが選挙権を
お持ちだと思うのだが、行かれましたか、投票に。
   
日本という国はきっと今ものすごく大きな転換点にあると思う。
誰かにとっては「良くなる」だろうし、誰かにとっては「悪くなる」だろう。
(その比率は分らないし、その深さもさまざまだろう。)
私は選挙のたびにいろんなことをものすごく考えるし、棄権は、急な病気でどうしても当日
投票所へ行けなかった1回だけで、とにかく「投票」はする。
「投票は国民の権利」だと学校では教わったけれど、国民側にとっては「義務」でもあると
思うからだ。 少なくとも「積極的な棄権の理由」がある場合を除いて。
だって、これだけしかないではないか、
国民として堂々と国にもの申す方法は。
ちゃんと税金払った、年金も(将来まるでアテにならないけど)払った、交通ルールも守った、
「ゴミのリサイクル法」だって守ったし、「介護保険法」というまだまだ穴ボコだらけの制度の
中でも養母の介護精一杯やった。
「国をぶんなぐっていいカナヅチ」とゆーものがあったら、いっそ何発かお見舞いしたい
気もするが(笑)、やっぱり暴力はよろしくないので、代りに私は投票所に行く。
        
その昔働いていた某所は、土日もなければ昼夜もない、ごっついハードなとこだったけれど
選挙の日だけは、ふだん厳しい上司も、「遅刻」や「仕事の中抜け」を必ず認めた。
後輩のひとりTちゃんは、気だてが良くてチャーミングなコだったが、しかし絶対投票に
行かなかった。
「だ〜って、私の1票なんかで日本ってゆー国は変わらないもの。」
とゆーのがその理由であった。
    
ある日の修羅場、ほんのつかの間の休み時間、政治の話になって、Tちゃんが
「でも、しょせん今の政府は・・・・」
と言いかけたとき、上司はピシャリと遮った。
「お黙んなさい。 投票に行かないあなたに、ここでグチをこぼす権利はないわ。」
     
数年後、Tちゃんは結婚していささか山深いところに暮らすようになった。
お相手は地場産業に関わる人である。 Tちゃんは「その会社に影響力を持つ代議士の
『センセイを』囲む婦人の会」に入って、選挙の時にはあちこち、応援の手を振りに
走り回っているそうだ。 はやいハナシ「さくら」である。
     
誰の支持政党も、私は問わない。
ただ、みんな自分の意志で、「選挙」というものとつきあって欲しい。
あなたの1票は、あなただけの1票なのだから。
   
    
     

九月某日「カトリーナとアメリカ」
        
誰が言い出したのだろう、ハリケーンに1年おきに女名前と男名前を付けるなんて。
昔は全部女名前だった。 
フランス語でハリケーンは「ouragan(ウラガン)」、男性名詞なんだけどね。
台風だって、今は「1号、2号・・・」だけど、アメリカに占領されているときは
きっちり女名前だったのよ、おばちゃん子供の頃は、お年寄りが
「キャサリーン台風ん時は」とか「ベティ台風の来た年は・・・」
なんて言っていたもの。
いつの間にか男女同権だかで、男名前のハリケーンもやって来るようになったのね。
     
この名付けの感覚が私には分らない。
私の本名は「信子」だが
「『信子台風』で名古屋壊滅状態」とかテレビで言われたら、
ものすごく落ち着かないし、きっと名古屋の人にものすごく申し訳ないと思ってしまう。
名古屋に足を向けて眠れないし、きしめんも味噌カツも食べられなくなるだろう、きっと。
今、アメリカ中の「カトリーナさん」はどんな気持ちでいるのだろう。
      
8月29日午前5時、フロリダ湾から再上陸したハリケーン・カトリーナによる死者数は、
数千とも、1万とも言われているが、まだ被害の全貌は定かではない。
古都ニューオーリンズは旧市街地など一部を除いて水没し、数十万もの人々が被災したことは、
ニュースで周知の通りである。
    
   
米ソ冷戦体制が崩壊して、世界はいま「パックス・アメリカーナ・・・アメリカによって
もたらされる平和構造
」時代にあるけれど、この、一カ国による世界維持が文明論的観点
からいって非情にあやういことは、古代ローマ帝国にせよ、大英帝国にせよ、同じだ。
今回の災害対策の手際の悪さは、世界各国からものすごく冷ややかな目で見られている。
(「戦争や海外支援には強いのに、自国の救援活動のものすごく弱い大国」と。)
結局口実の「大量破壊兵器」の出てこなかったイラク戦争。 その戦後イラクの泥沼状態、
広がるネオ・ナショナリズムとテロリズム、貿易の不平等、どう考えてもアメリカが一国で
世界の主導権を握ると、世界全体のひずみは増し、地球はきしんでゆくような気がする。
      
      
先日の台風14号といいハリケーン・カトリーナといい、地球の異常気象、温暖化とまったく
無縁とは言い難いと思う。 海水の表面温度が1度上昇するだけで、熱帯低気圧はドンと
大きくなるはずだからだ・・・・ここいらへんの理屈はこの間報道番組でやっていたが、
科学に弱い私は一瞬にして忘れてしまって、正確な数値で語れなくて残念至極である。
知っている方は教えてください。
       
それはともかく。
世界の二酸化炭素の25%を排出している大国アメリカは、
堂々と、京都議定書に批准して
いない。
世界の人口のおよそ5%を占める人々が世界の石油系エネルギーの4分の1を消費している。
つまり世界中の人たちがアメリカと同じ消費生活を望むとしたら、地球がえーと・・・・
幾つあったら足りるんだろう?(計算できた方は教えて下さ〜い!トホホ・・・
とにかく20世紀のはじめ10億人だった地球人口は今確か63億くらいのはずだ。
明らかに定員オーバーだ。
    
いちばん強い国アメリカ。 いちばん生産する国アメリカ。 いちばん消費を楽しむ国
アメリカ。 いちばん正しい国アメリカ。 いちばん世界の平和を愛する国アメリカ。
いちばんかしこく、いちばん明るく、いちばんよく笑い、いちばん幸せな人々の国アメリカ。
いちばん親切で、いちばん民主的で、いちばんほがらかで、いちばん金メダルを獲る国、
だったのではなかったか?
    
何でも「いちばん」をモットーとしたあげく、
自分で思っているほど他国にあこがれられず、信じているほどお人好しでもなく、あてにし
ているほど慕われもせず、たかをくくっているほど打たれ強くもなかった国。
カトリーナの被害に遭われた人たちには本当にお気の毒だが、大木のひと枝がポキリと折れて
その生々しい折れ口がさらけ出されたように、今回のハリケーンは多くの課題をアメリカに、
世界に、日本に、私たちに、突きつけたと思う。
    
1ヶ月予定のバカンスを中断し、やっと重い腰を上げてホワイトハウスに戻ったときの
米大統領が、「国家元首としてはあきらかに『遅刻状態』なのにペットの黒い犬を抱いて
専用機から降りて歩いて行く」ニュース映像は、はっきりいってなさけなかった。
いっとき預けられる随行員はそこに何十人といるのである。 
確かにペットは家族の一員かもしれないが、ニューオーリンズで赤ん坊や年寄りがバタバタ
死んでいっている最中に、写されるとわかっていてテディベアにすがるように犬を抱きしめた
姿をさらすのはいかがなものか。 
私がアメリカ国民だったら、そういう人には票を投じないだろうなあ、多分。
        
        
     


九月某日「冒険の値打ち」
    
9月7日は私の敬愛する(単に「愛する」じゃないところがミソである)ゲーム
キャラクター、
桐島カンナの誕生日であった。
って、ここを覗いてくださる、「サクラ大戦」ファンじゃない方々、すみません。
驚いたでしょ、いい年こいたおばちゃんが、
ヨン様ならぬゲームキャラを「敬愛」
するなんて。 しかしここには、「じゃ実在の人物なら程度が高くて、ゲーキャラ
だったら低いのか?」という問題も生じるが。
生身に生まれているからこそ、マイケルやシナトラみたいに良くない噂のくっつく
有名人だっているんだし、良くできたゲームや物語の中のキャラクターというのは、
生身じゃない分、ファンを裏切らない。
関羽だって坂本龍馬だって、「小説」がなかったら、こんにちここまで支持され続けた
かは誰にも分らないのではあるし。
    
リハビリの待合室にある新聞を読んでいたら、某酒造メーカーのアンケート結果、
「酒を酌み交わして語り合いたい歴史上の人物」は「1位坂本龍馬・2位織田信長・
3位聖徳太子」であった。 ま、日本という国の転換点ちゅう時期だものね。
    
呑んでしゃべって夜明かししたいキャラなのである、私にとって桐島カンナは。
    
というわけで、今年の9月7日は、平日であるにもかかわらず昼間から、同じように
カンナのことを好きな友人達と集まって、池袋の「太正浪漫堂」と「サクラカフェ」に
行き、新宿で美味いと評判の沖縄料理屋からサ店まで流れ。
常日頃家で横になっていることがほとんどの私が、信じられないくらい動いた1日
であった。 記憶に傷があるもんで山手線の駅すらほとんど覚えてないし、頭に
とっても体にとっても、かなりな冒険ではあった。
そこまでしても充分お釣りのくるくらい楽しい1日だった。
    
ただ「カンナファン」なだけではない。
偶然にも集まった5人が5人とも、職種や世代はバラバラでも、共通項は漫画描きで
サイト持ちであった。
紙媒体と電子媒体両方を知っている、ということで話題はがぜん面白くなる。
     
紙に描く漫画というシロモノは、映画やテレビ、アニメに次ぐといわれるくらい
手間ヒマのかかる産物である。 しかもそれを、基本的にひとりでやる。
そりゃ商業誌漫画家はアシスタントを使うが(使わないで全部ひとりでやる人もいる)
アメリカのように1本の作品の「原作」と「下書き」と「ペン入れ」と「着彩」が
全部別れていて、それぞれに違う職業組合に属している、ということは、ない。
「さいとうたかおプロ」やCLAMPさん達のような集団分業制作の例はあるにしても、
漫画は基本的に「ひとりの頭の中で設計して、ひとりの腕が描き上げて、エンドマークを
入れる」ところから第一歩が始まる。
プロとなって編集者やアシスタント、マネージャーの手が入るのはそれからだ。
     
画面を「見てもらい」かつセリフやト書きを「読んでもらい」、そうして「自分の思い
描いた物語を分ってもらう」ために、作り手は自分自身のポジションを二転三転、役割を
変えて作品を現実のものにしてゆく。(「もんどりうつ」ともヒトは言う・笑)
これはなんだ。 まるで生きてゆくことそのものじゃないか。
   
ネットは良い。
一瞬で世界をつなぎ、思いついたときに制作し、イベントスケジュールや予算に左右
されずに速攻で作品を発表できる。 手でやったら卒倒しそうな難しい画像処理だって、
すぐれたソフトと使いこなせる頭脳があれば一瞬にして出来上り。 
間違えたらキーひとつ押すだけで前の画面に戻れるし。
    
しかし、インターネットはインターネットである。
「アメリカの各大学間の情報交換」をベースに拡大し構築された世界である。
日本の漫画の基本、左開きの縦書き、ルビ振り、トーンの重ね貼り削りこみ・・・・
やって出来ないことはないが、それらを総合して一本の作品にたどりつくにはまだ大変
なのが現状だろう。
でなければ、「サクラ」でこれだけたくさんの小説やイラストのサイトはあっても
「コマを割った大長編ストーリー漫画」のサイトがなかなか出てこない説明がいかない。
「マガジンZ」連載の、政一九さんの「サクラ大戦」は、分析すればするほど「人の手」
による名人技の集大成である。
あれが簡単にパソコンで描けてネットで軽く流通するのなら、日本の本屋から漫画売場は
とっくに消えている。
「ネット」を卑下しているのでも「漫画」をヨイショしているのでもなく、そう思う。
    
人間の手は、何かを作り出すために生まれた。
命が、生きるために生まれるように。
言葉が、語り、歌うために発せられるように。
     
生きてゆくことはある種「冒険」である。
たとえ最後がカラ手であったとしても冒険には冒険の値打ちがあるように、
どの人の命にも、生きてゆく意味がある。
あなたも、わたしも、自分の人生と向かいあっている。
人間である。
       
嬉しいことじゃないか!
      
   
みなさま、よい9月を
     
     
 
       

      
      
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