日々是好日・身辺雑記 2005年 6月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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六月某日「アップの秘密」
      
まずめったにいないと思うけれど、あなたが私が書いた文章を大好きだったとする。
まさかと思うがくりかえし読んだりする。 勘のいい人、記憶力のいい人なら気づく。
以前と違うって。
     
文章力のある人ならわかるでしょ、そうよ、わたし文章下手。
下手だけど読みやすい文章を読んでほしい、だから悪戦苦闘する。
どうでもいいタ〜リラ〜リラ〜ン♪なおバカ文を書くのって、結構「力技」でねー。
カッコつけられないもん。 シリアス漫画よりギャグ漫画のほうが難しいのと同じ。
(手間はシリアスのほうがかかるけど、ギャグは瞬発力だから。)
    
勝負は12時間、アップしてから。
その前も文章の書き手としての私はモニタの前でうんうん唸っている。
書き手として、ね。 でもそんな文章ぜーんぜんつまんないもんよ。(シビア)
読み手としてどうかは、私の場合(なにしろ頭悪いもんで)アップするまでわからない。
だからなるべく人の読まない明け方とかにアップして読んでみる。
つまらない。
大鉈(なた)をふるうことはめったにないけど、細かいところはこちょこちょ替えるよ。
先の「5分はなれた恋だった」じゃ「恋の空貝」って単語に決定するまで「抜け殻」
だったり「貝殻」だったり、5〜6回書き替えています。(5〜6分間で)
だからといって「空貝」という単語がいいかどうかは分らないけど、ドンピシャッ!って
のがあるでしょ、つたなくても。 自分の言葉を客観的に探すの。
     
その後は・・・・ああ、秘密中の秘密だったんだけど、いいやもう、書いてしまおう。
「帰ってきた抜刀質店」には、ものすごくまじめで冷静な校正係がいます。
中学生の、鬼の新聞部・岩平先輩に文章 5W1H でしごかれていた私、
マジメな14才のスギウラさんが。
彼女がごくまれにカツーン、カツーンと明かりの消えた劇場を巡回して、最前列に
落ちている紙吹雪ひとひらを拾い上げて去って行く。   
「てにをは」の言い換えや古い情報を直す。 もちろんわざとそのままなのもあるけど。
本は書上げたら終りだから、わたしはここで「終らない」という実験をやっている。
    
だから「帰って来た抜刀質店」のディープな楽しみ方は、ですね、新しいのを
すぐプリントアウトして、1週間後にもう一度。
透かしてみると、一発で分りますです。
   
    

六月某日「呼べば応える」
      
日本の家電メーカー諸君。 諸君らは間違っている。
大発明の発想が、たいがいの家にざくざくころがりまくっているのだよ。
先日私はメガネを行方不明にしてしまった。 家の中で。
こんなときのために(よくなくすんだ、これが)予備を含めて家には5つメガネがある。
メガネを探すにはメガネが必用だからである。
   
天井にセンサーをつけておく。 なくしそうなもの(辞書とかメガネとか)には目立たない
小さな識別チップを付けておく。
「メガネーッ」天井にむかって叫べば「ピッピッピッ」
「英和辞典ーッ」「ピッピッピッ」「『吼えろペン』の6巻目ーッ」「ピッピッピッ」。
日本の住居はモノがあふれかえっている。 これは私だけじゃなくてわかぎえふさんも
「笑う猫」で言っている。 友人宅を見てもそう。 統計によると、衣類だけで、日本の
家屋には世界平均の10倍詰まっているそうな。(マサイの人とかも含むよ。)
    
ただね、真夏の開け放った窓、天井に向かって「コンドームー!!」と叫ぶ勇気。
これは、ある家あったら利用者、偉い。 と思うんだけど。
   
   

六月某日「5分はなれた恋だった」
   
同じ市内の、消防署の裏手に住む人と恋をしていたことがある。
     
なにしろ消防署である、昼も夜もなく四六時中出場で(消防署は「出動」じゃ
なくて「出場」という)、消防車やら救急車やら、やたらめったらやかましい。
夜中に電話で話している。(私はその恋愛のためにやっとお金を貯めて電話を
買ったのだ。 それまで仕事には公衆電話や文房具店のファクシミリを使っていた。 
絵を書く仕事のくせにファクシミリさえ持てない。〜ま、プロの世界にすら普及
一歩前夜だったせいもある 〜 本当に昔のこと、私は駆け出しで、「♪包丁一本〜♪
晒しに巻いて〜♪」の「月の法善寺横丁」のように貧乏で、ペンと墨汁と若さ以外何も
持っていなかったのである。)
   
同じ市内なのに、直接会える機会はなかなかない。
(人生、こんな恋愛もときにはある。 ま、こればかりは「立場」とか「相性」とか
の持つ魔法だ。)
せっかく買った電話だが、こちらは料金を抑えるために長話もできない。
深夜大幅割引導入はまだ先のことだ。
真夜中、短い会話の間に向こうに、大音響でサイレンが鳴り響く。
「あ、出場だ。」    
サイレンが遠ざかるまで会話がしばらく途切れたままになる。 
その間も、私の胸は、頭は、心は、体は、そう私のすべてが相手のことを考えている。 
私のすべての細胞が瞬間に沸騰と凍結をくり返すように。
     
    
八百屋お七はどんな気持ちで半鐘を聴いたのかしら。
私はそんなことをぼんやり考えて、待つ。
     
          
サイレンが鳴り終わって、5分後に、こんどはこちらの近くで鳴り出す。
「あ、消防車そっち行ったね。」
「大きな火じゃないといいけど。」
夜中の火事だもの、一本道だもの、響くサイレンばかりが、ふたりの距離をつめる。
    
          
真夜中の消防車全力疾走にして、わずか5分の距離の恋だった。
別れて、相手が引っ越してからも何年か、私は同じ所に住んでいたので、市内でサイレンを
聴くのがつらかった。     
      
海鳴りのように、切ない恋の空貝たちが鳴り響くのを聴くのが、本当に、哀しかったのだ。
           
          
    

六月某日「踏み台は語る」
    
お宅にあります?「木の踏み台」。
あるとしたら、相当古い木造家屋ですね。
そもそも覚えてます?木の踏み台って。
昔の「サザエさん」なんかに出てきた、2段式ゆるやかな台形の。
昔の人はあれをトントンッて踏んで、柱時計のゼンマイ巻いたり、天袋の物を出し入れ
してたんですよ。段の付いていない方は平らで、丸く穴があいていて。
踏み台として使わない時には、かんだハナ紙丸めてポイッて入れたりね。
ゴミ箱として部屋の隅にあったもんです。
    
さて、それではここまでを「技術家庭科」でおさらいしてみましょう。
「踏み台を作るには」
天板、二段目は半分差込み式。 座敷で使う家具ですからヤスリかけも必用。
胴体は細い台形ですから、寸に少しでも狂いがあるとまとまりません。
しかも一枚板に丸い穴を穿つ。 かなり難しい造りなことが分ります。
     
この踏み台、昔は売り物ではありませんでした。(今売っているかは知らない。)
棟梁が注文主に建った家を引き渡す、そのときにサービスで付けていたんです。
作るのは若い大工、棟梁が
「こいつもそろそろ一人前だな」
と目星を付けて
「おめえ、踏み台造ってみねぇ」。
言われたほうは大喜び、「一人前のお墨付き」をもらうんですから、気合いを入れて
造ります。
    
日曜、神社なんかで骨董市やってますよね。
踏み台も結構出ています。 もしも複数見つけたら、見比べて見てくださいな。
「俺はでっかい棟梁になろう。」
「俺は長く暮らせる家を建てよう。」
「俺は小体(こてい)でも凝った家を建てよう。」
若い未来の棟梁たちの声が聞えてきて、同じ物はひとつもありません。
   
    

六月某日「悩めるKちゃん」
     
年下の友人Kちゃんは小顔ですらりと背が高くて、目がぱっちりしていた。
女子短大出て女性ばかりの金融機関に勤めていて、お給料良くておしゃれだった。
しかぁし。 22才の彼女はあんまり幸せそうじゃなかった。
ある日往来の真ん中で突然叫んだんである。
「私もう、レズかもしれないんですよっ!!」   
     
やー、人通りの少ない道でよかったよ。
「Kちゃん、『レズ』は時には差別用語にとられるから、ちゃんと『レズビアン』て
言うか、『ビアン』って言ったほうがいいよ。」
なんて口を挟める雰囲気では、とてもなかったのだ。
Kちゃんの頭のてっぺんからは見えない湯気がしゅうしゅう立っていて、あーこりゃ
あれだわ「さかりがついた」ちゅーヤツねとおばちゃんの私は思ったり、する。
しかし、だからってなんで「私もう、レズかもしれないんですよっ!!」なの?
おばちゃん自信()を持って言うけど、Kちゃん、あなた完全ヘテロセクシャルよ。
     
「だって、彼氏いない歴22年なんですよっ!!」
      
わたしはこの「彼氏(彼女)いない歴」って言葉を流行らせたヤツの首を、ちょっと
キツく絞めてやりたい、ホントに。
別にクリスマスだから夏だから春だからって、トナカイでもヤブッ蚊でも合鴨でもな
い私たちは、恋人がいないからといってさほどに悲しむこたぁないのだ。
いやしかし、Kちゃんは「彼氏いない歴22年」の我が身を嘆いている。
     
気持ちは分るよ、おばちゃん年だから、うんうん。
でも、んなもんいないときは何年でもいないし、いるときはいきなり交通整理が必用
な位できるもんよ(ちょっと過剰表現)、それって。
女子校で女だらけの職場じゃ、チャンスは少ないかもね、出会いの。
世に思われているよりは「合コン」って以外と回数少ないかもね、学業も仕事も大変だ
もん。 マジメにやってりゃ出会いの機会は意外と少ないものであろうともさ。
     
Kちゃん、あなた22才なんだから、みずみずしくありなさいな。(おミズじゃなくて)
自分からしおれてる花には虫も寄ってこないってもんよ。
「Kちゃん、背筋伸ばして頭あげて、しっかり前を見て。
3分後にすれ違う人が、あなたの恋の相手かもしれないんだからね。」
Kちゃんはあわてて背筋伸ばして歩き始めた。 そうよ、恋をしたけりゃその心意気よ。
   
でもKちゃん、「異性にもてないから」って理由で短絡的に自分のこと「同性愛者だ」っ
卑下するの、やめてね。 
同性愛者に対してにも両性愛者に対しても異性愛者に対しても、それはとても失礼なことだから。     
    
      

六月某日「それすらも日々の果て vs ドイツのゲイの人!」
      
人間40を過ぎれば人生も折り返し点である。
というわけで今日は腰痛でぐんにゃり、行こうとした買い物も10歩でやめて返っ
た。痛い、というより「力が入らない」のである。 まあね、考えたらこの1年、
急性肝炎の連発で、立ってるより座ってるより、寝てる時間が長かったもの、筋
肉落ちて当然よね。幾つまで生きるのかは知らないが(アタリマエ)このままぐ
んにゃり、軟体動物にはなれんのよね。       
    
しかあし、ホント困ったことがひとつ。
「歩かない」プラス加齢で括約筋(PC筋ともいう)、あー、つまり尿道と肛門と
を8の字型でガードしてる筋肉が弱っちゃったんだな。 
いっとき通販番組で「これで安心尿漏れパンツ!今なら3枚セットに1枚ついてな
んと!○○円!!」ってやってたアレです。 
クシャミ、大笑い、急に立ったりするとちびっちゃうことがありますよー、とゆー
ことです。(私の場合はクシャミだった) 大きいドラッグストア行けば生理用品
のコーナーにも使い捨てパットがあります。
こーゆーことは、亀の甲よりなんとやら(ホントにこのことわざであっているのか
?)口に出す、(というか書いちゃう)こと、おばちゃんもう恥ずかしくないもんね。
(まだ買ってないことは、お断りしておく、念のため。)
    
ウチのドッコイは医療関係の人なのでカタログで調べてもらった。
(フランスのカタログには「フランス語圏アフリカ向け・産婦人科用ダブルベッド」
 なんてものがあったり、する。   
 陣痛が始まると一族の女性全員がベッドに乗って「プサマカシ!(いきめ!)」と
 妊婦を取り囲んで叫んで大騒ぎするもんで。)
筋肉があるかぎりバーベルもあるのが世の常。 括約筋用バーベルとゆーのも、あ
るところにはあるんである。
日本製のはないのでアメリカやヨーロッパ製だが、とりあえず調べて取り寄せた。
やれることはやる! 人生、気合いと、やけくそと、計画性との三つ巴だもんね。
    
    
話変って、知り合いの、そのまた知り合いの肛門科医師である。(また聞きよ)
「ゲイの人は触診一発で分ります。」
つまりその、診るべき穴の筋肉開け閉め自在なんだそうな。
お見事である。 肛門の閉める筋力は女性器の10〜20倍はあるとも聞いた。
ああ、軍隊よ、刑務所よ、パブリック・スクールよ。 あんたらすごいよ。
(最近オスカー・ワイルド読んで物思う私、ではある。)
   
しかしね、私ドイツ製のバーベル取り寄せて、あれ?アメリカのとかと形少し
違うじゃん。 よくよく説明書きを読む。
「前後両用」とな。
   
あ。
  
タイの3大売春ツアーというのを、聞いたことありますか。
悪評高い日本の「美少女売春ツアー」、ノルウェーの「お嫁さん探しツアー」
(なにしろみんな金髪碧眼すらりとした美女揃いで、語学さえマスターすれば
女性は高給取りで国外にほいほい流れてしまう。 農家の嫁日照り深刻である。)、
ドイツの「美少年売春ツアー」である。
そう、ドイツはミュージカル「キャバレー」に観るまでもなき、ゲイの多い国
なのよ。 売春はともかくゲイは「それも自然なことじゃん」な考えの私では
ある。 (O ・ワイルドは投獄されて気の毒だったけど)
     
しかしさ、あの、
「前後両用」って、これって
     
私のとりあえずの目標は括約筋の強化である。
そして、世界中のライバルのうちかなりの%が、ドイツの、あるいは世界のオカ
マさんである。
    
もういい年だもの、いまさら恥ずかしいことなどほとんどない。
ただ、こーゆーネタを「もうけた!」と思ってホイホイ書いてしまう自分自身が、
一番恥ずかしい。
  
    
    

六月某日「しかし根性」
   
で書くのである。 日本人の大好きな「根性」は、「才能」とか「相性」よりは
役に立ってくれないとゆーことはとっくに分っているけど、とりあえずは根性よ。
なぜなら私は文章力の基礎代謝がゆるいので(早い話、文章ヘタ)休むと筋力が
(筋肉で書くものか?! そう、脳内筋肉で書くのだ。)弱ってしまうのだ。
      
      
ネットで古本を取り寄せると、ときどきびっくりするような値段に出くわす。
「ブルックリン物語」ピート・ハミル・・・・・1円
おーい、いくら何でもあんまりだ〜。 というので、「美本だからちょっと高い」
5円のを買いました。 んでもって送料はー、340円なのね。(宅配便だから)
薄い本だから郵送すれば定形内で90円かそこらかも。
    
       
昨年、友人たちと芝居を観ようとしたことがあった。
「喪服の似合うエレクトラ」、大竹しのぶと三田和代ゴールデンキャストである。
私は大竹しのぶが好きだ。 シアター・アプルで最前列で観て、もうダメ、メロ
メロ。 ものすごく上手いのだ、魅力的なのだ、存在感あるのだ、演技者として。
舞台は1回しか観ていないが、TVは「男女七人夏物語」も「秋物語」も、「人の
不幸は蜜の味」なんてマイナーなのまでビデオ持ってる。
もう、さんまと別れようと、なんやらゴタゴタしようと、いいじゃないの大竹
しのぶなんだから、そんなんで騒がないで次の作品待とうぜ、と思ってしまう。
      
原作、ユージン・オニールのは知らないが、そのタネ本となったギリシア悲劇
「エレクトラ」が、私は大好きなのだ。 姉妹編の映画(3部作 マイケル・
カコヤニス監督)「イフゲニア」が来日した時岩波ホール(遠いし入れ替え制)
に貧乏学生の分際で7回通ったというアホ記録を持っている。
(絶対ビデオにならないしテレビでもキー局じゃやらない、というカンは不幸に
して当たった。) 
     
さてその「喪服の似合うエレクトラ」を観よう!と決めて、チケット発売当日。
ハイ、電話つながらないこと2時間で売り切れ。 友人が調べてくれたら、その時
点でネットオークションにとんでもない価格でズラリ勢揃い。 あきらめた。
     
オートですごい回線かけまくって、転売目的で総ざらい買いあさっちゃう人たちが
いるのね。 さもしいなあ。 電脳ダフ屋じゃないの。
     
土地転がしやら株転がしも好きじゃないけど、それは商いの世界。
チケットすごい額でオークションにかけた連中は、じゃ、自分は舞台観るの?
観客は「高いけど観れた!」なの、「高いものを観れた!」なの?
   
かつてヒエラルキーの厳しい時代、村芝居だけは地主の子も小作の子も、一緒に
ワクワクできる夢の世界だった。
映画「恋におちたシェイクスピア」の「ロミオとジュリエット」初演の舞台は、
ネタバレになるから書けないけど、観客席がものすごい「仕掛け」になっている。
江戸城では(確か)年に一度庶民を城内に入れて、将軍と一緒に観能を楽しんだ。
将軍様にむかって「いよっ!大将!!」なんてかけ声が飛んだという。
舞台の前では、みんな平等よ。
だって喜ぶのは、金額でもない、ステータスでもない、ただみんな等しく持って
いる「心」なんだから。
    
    

六月某日「ありゃ、書けない!」
  
のである。 困ったな。
「あ」と書いてもそれが本当に「あ」という文字なのか自信がない。
ので、この文章も、かつてなく弱気な気持ちで書いている。  
これをスランプというのかな、50音まで分らなくなるものなのかな。
いま、後ろをドッコイが通り過ぎたので、ちょっと読んでもらったら、
大丈夫、ここまではちゃんと文章にはなっているらしい。
問題は万博で通販のご注文をくださった方々である。
「遅いですよ、1〜2ヶ月かかりますよ。」
とあらかじめお断りは入れておいたのだが、これじゃシャレにならんぞ。
も少しお待ちください。 すみません。
    
     

六月某日「山火事、ドッグ・オブ・ザ・ベイ」
  
ほんのちょっと、LA に行ったことがある。
     
「居た」じゃなくて「かすめた」程度ね。 でもユニバーサル・スタジオ行って、
日本には上陸する
気のまったくなさそうな「アイラブ・ルーシー」のコーナーでルシール・ボールのそっくりさんと肩
抱き合ったし、グランド・キャニオンも行ったし、ハリウッドスターの「手形足形ストリート」じゃ、
あまりに人数多くて当然ジュリー・アンドリュースのは見つけられないし。
もうずいぶん昔のような気がする。    
     
なんで LA かって?
知り合いの、そのまた知り合いの大工さんの組合旅行に欠員が出たのさ。
ヘンなところにツテはあるもんである。
大工のオッチャン、オニイチャンとその奥さん、ガキンチョと、辣腕編集者と売れっ子イラストレー
ターに混じっての格安旅行にもかかわらず、旅行会社の手違いで映画「プリティ・ウーマン」の舞台
となったとんでもない格式のホテルの、それもめちゃくちゃいいい部屋だった。
しかし私は旅行にカメラは持ち歩かない主義なのでろくすっぽ覚えていない。
何だか、天井高くてあちこちフカフカした部屋だったなー。 これぐらいのもんである。
      
       
覚えているのは山火事のこと。
もんのすごい規模の山火事が起きてて、何日も燃え続けて、鎮火の見込みなんてまったくたたなくて、
ビバリーヒルズの豪邸街にまで火の手は迫って、すごかった。
西海岸の青い空なんてどこのこと?
確かに空は高くて、でもどこまでもどこまでも灰色で、ときどき白い灰が降って雪みたいだった。
街角々の新聞の販売機、見出しが連日大活字の「FIRE!」「 FIRE!! 」で、
私は自分がヘヴィ・メタのコンサート会場に紛れ込んだのかと錯覚してクラクラした。
      
景気はどん底で、治安は最悪で、添乗員さんはバスの中で、
「この地域では絶対に一人歩きしないで下さい!」て言うのに必死で(んなら免税店作るなよ、こん
なとこに)肌の色の濃い人たちがたくさん路上にたむろして、白い歯見せて瞳は狩人で、バスの中の
うす黄色い人たちをせせら笑っている。
「そのバスから出てきたら、お前さんの有り金も命もちゃんとむしり取ってやるよ。」って。
肉を喰らう獣のような、とてもきれいな白い歯。
     
    
フリー・タイム、何もすることがなかったので海岸に行った。
    
なにしろここは安全なのである、何もないの、誰もいないの。 
前見て、振り返って、十数人ってとこか。
 消失点まで海の家一軒もない。
サンフランシスコとも東京湾とも違う「外海・そとうみ」、太平洋がストレートに映画「ビッグ・
ウェンズディーよろしくざっぱんざっぱん打ち寄せている。 
なのに、サーファー数人、ウォーカー数人、犬数匹、以上である。
砂はサラサラのパウダーで、空はどんよりと灰色で、吹く風は乾いて何の匂いもしない。
突然、私は発見するのである。
「ああ、ここは日本じゃないや、アメリカだもの。」
日本じゃ砂は足元ジャクジャク、空はお天気次第、吹く風は磯臭くぺったりしている。
プランクトンの豊富な日本の海、湿った空気は、ここにはないもの。       
        
灰色の空の下、暗い海の色、寄せては返す波。 
波打ち際を犬が歩いている。 犬は飼い主を見上げている。
サーフボード抱えて飼い主が歩いている。 飼い主は白い灰の降ってくる空を見上げている。
「ああ、ここは何十万人いようとも孤独な世界なのだ」と、突然私は悟ったりする。
どんなに沢山いようとも、ひとりひとりが孤独なのだ、人も、犬も、海も、空も。
ビルボード・No1になったオーティス・レディングの「The Dog of The Bay」の意味がいき
なり分っちゃったりする。 
その頃ちょうど3年くらいかけて「 Summer Dog Requiem 」ちゅー、「ヴァカンス過ぎたら
ハイさようなら」の避暑地の愛人関係の物語をこねくりまわしていたのだが、だめだこりゃ、
根元からもう一回洗いなおさなくちゃ、などと決意する。(もちろんいまだ未完である)
サマー・ドッグ:まだ識別チップがなかったので、ニースだけで一夏に5万匹くらい捨て犬があって、夏の終りに
        郊外で野犬化して問題になっていた。
     
出勤するドッコイにオーティスのCDを頼む。
中島みゆきの「バイバイ」が付くヴァージョンはだめ、利き腕潰して仲間に別れを告げて
去って行くミュージシャンの歌だから。 今はだめ。 
   
あの山火事の日の LA の海岸が、今でもときどき私の視界をかすめる。
    
寄せる波、犬、歩いて行く人、灰色の空、ちらちら降る白い灰。
      
どこまでも、いつまでも、誰もが、ただ孤独な光景だった。
        
            
     

六月某日「アップ・ダウン」
      
ちょうど1年前、私の体重は38.8キロだった。
今さっき体重計に乗ったら56.8キロだった。 その差18キロ。
実際にはもっと増えた時期もあったので、この1年間で21キロ体重がアップダウンした計算
になる。
2度の急性肝炎のせいである。
1度目は急に10キロ増え、それから1ヶ月で20キロ落ちた。
さすがに体力なくなって、まともに立っていられなくて、寝たきりだったな。
それからしばらくは安定していたのだが、年明け、また急に増えて、腹水抜いて、再発。
今度はなぜか落ちないで増える傾向にある。 薬のせいか、ホルモンバランス変ったのか?
(そーいや更年期がきてもおかしくない「お年頃」ではあるのだ、おばちゃんは。)
それでもさすがに少しずつ減ってきて、1年目の今日、ちょうど18キロ差だった。
     
いわゆる「ダイエット」、痩せるためのダイエットはしたことがないあたり、人を描く事に
夢中な余りおのれ自身の容姿はどうでもいい証左か。(メイクもしないしなー。)
正規の意味での「ダイエット」、食餌療法は、医師の命令で何度かやった。
水をびっくりするほど飲まなきゃならなかったり、油もんがおあずけになったり、塩分がど
ーのコレステロールがなんじゃと、ひたすらめんどくさい。
しかしね、今の体重はいくらなんでもちと多い。 脚腰の筋肉がうまく体を支えきれない。
      
だいたい、事故の後遺症でいちど「小学校就学未満の身体機能」のお墨付きをもらった私で
ある。 手首なんて60°も曲がらなかったし、1リットルの牛乳パックも持てなかった。
リハビリの先生に聞いたら、今は「小学校中〜高学年レベル」だそうな。
私は早く義務教育終了以上の身体機能と体力、欲しい。
今すぐにでも学びたいことは山ほどあるし、持ち時間は無尽ではないのだ。
「体力が10〜11才」なんてお墨付き、「若さ」の自慢にゃなりゃせんわい。
私のベスト体重は、筋肉がみっしりついて52、なくて48キロである。
「早よヤセたい〜」と思っていたら、疲れから1キロ痩せて、体力は2キロ分おちた。
あぶはちとらず、ちゅーやっちゃね。
    
振り返ってみたら、5月は前半「おかなしみ袋」制作でダウンしてたし(30部とはいえ、
ノンブル無し、「当たり」「大当たり」だと60ページ超で、しかもカンナ・マリア各ファ
ン向けバージョン刷りわけ、ちゅーんは、やっぱり無謀だったわい。)、後半は養母の追悼
ミサと納骨式と会葬御礼で、いくらなんでもつっ走りすぎ。        
6月は、もすこし計画的に生きようと思います、はい。
    
てなわけで、みなさまどうぞ良い6月を。  
      
     


      
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